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ご他界された方々を偲んで【第一回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介をさせていただきます。

【第一回】 
宮口二郎(みやぐち じろう)氏
1995年9月18日没(享年55)

宮口二郎氏は、テレビドラマ『非情のライセンス』の会田刑事役や『江戸川乱歩の美女シリーズ』の明智小五郎役で知られる天知茂(あまち しげる)に師事し、1964年テレビドラマ『廃虚の唇』で天知を狙う殺し屋役でデビュー。その後は悪役俳優として、テレビ・映画・舞台で活躍しました。演じたキャラクターで特に有名なのは、『仮面ライダー』のゾル大佐、そして『非情のライセンス』の坂井刑事など。芸名は宮口二朗でデビューしましたが、のちに姓名判断により宮口二郎(郎の字が違う)と改名しています。

『仮面ライダー』でゾル大佐役に起用された際の衣装選びでは、自らナチ風の軍服を選んでいます。ゾル大佐の扮装で「仮面ライダーショー」のサイン会に出席した際には仮面ライダーの敵だとして子供に蹴られたことがあったというエピソードを挙げ、「役者冥利に尽きます。子供の頃の思い出は、大切にしてほしいですね」と宮口氏は語っていたそうです。

天知茂が設立した「A&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)」に宮口氏は所属していましたが、そこには弓恵子、池田駿介などの俳優も所属していました。池田駿介氏は言わずと知れたキカイダーゼロワンやMATの南隊員を演じた方、そして宮口氏の奥様でもある弓恵子氏は、初代ウルトラマンで怪獣アントラーに襲われる幻の街バラージの女王チャータムを演じられた方ですね。

師匠の天知茂が54歳で急逝してから10年後、宮口二郎氏も師と同様に若くしてこの世を去ってしまいます。

改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)

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ご他界された方々を偲んで【第二回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介をさせていただきます。

【第二回】 
天本英世(あまもと ひでよ)氏
2003年3月23日没(享年77)

東京大学法学部に入学した天本英世氏は、当初は外交官を目指していましたが、当時の政府の政治姿勢に失望し、文学や演劇に没頭するようになりました。その後、東京大学を中退すると劇団俳優座に所属します。1958年に東宝と専属契約を結んだ天本氏は、以後アクション映画や特撮映画などで個性的な脇役としてご活躍をされます。又、この時期から私生活では、スペインの舞踊音楽やフラメンコを端緒として、スペインに深く傾倒していくことになります。

1970年代からはテレビドラマに活躍の比重を移し、主に不気味な存在感を放つ悪役としてご活躍をされます。そして、1972年に毎日放送の『仮面ライダー』で死神博士を演じると、シリーズ中でも屈指の人気を誇りました。設定から神秘性・怪奇性を強調した大人向けの芝居を行っていた天本氏ですが、怖すぎるという理由で、演技を子供向けに抑えるよう注文されたそうです。また、この役で用いた小道具の指揮棒は、本人がエジプトに旅行した際に購入したもので、「こういう役が多いもので」と買い求めておいたものだそうです。

天本氏が死神博士の役を嫌っていたかのように誤解されることがあるようですが、決してそうではなく、嫌っていたのは「死神博士のことばかりをことさらに強調する一部のファンやマスコミ」でした。子供のファンから請われれば喜んで「死神博士」と似顔絵入りでサインしていたことや、仮面ライダー関連の公式なキャストインタビューには真摯に応じて、衣装や演技のことなどを語っておられました。
1991年(平成3年)からフジテレビ『たけし・逸見の平成教育委員会』に「東大出身」の解答者として天本氏がレギュラー出演すると、天本氏の知名度は一気に高まりました。

スペインへの移住を熱望していた天本氏は、1979年3月から7ヶ月間にわたりスペインを旅行し、その旅行記を1980年に『スペイン巡礼:スペイン全土を廻る』という著書として発表しました。スペイン民俗音楽に関しては、日本で屈指のレコード・コレクションを持つ存在としても知られていました。

2003年3月23日に急性肺炎により故郷の福岡県にて逝去、享年77 カトリック教会の信徒であった為、地元にあるカトリック教会で葬儀が行われました。

改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)



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ご他界された方々を偲んで【第三回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介させていただきます。

【第三回】 
潮 健児(うしお けんじ)氏
1993年9月19日没(享年68)

大学予科在学中に召集に応じて軍務につき、終戦後の1945年に友人の紹介で古川ロッパ(昭和初期の代表的コメディアン)の一座に入団した潮健児氏でしたが、その後数年で退団し、大学に通いながら小劇団を転々としました。

1949年、太泉映画(おおいずみえいが)と契約した潮健児氏は、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビューを果たします。以来、太泉映画の後身である東映映画において、コミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ、『網走番外地』シリーズなどの任侠映画に個性的な名バイプレーヤーとしてご活躍をされました。

潮氏のお姿がお茶の間に定着しはじめるきっかけは、1966年10月からNETテレビ(現テレビ朝日)で放映された東映製作の特撮テレビドラマ『悪魔くん』のレギュラー、メフィスト弟役を演じたことによるでしょう。そして東映の平山プロデューサーとの出会いにより、『仮面ライダー』シリーズの地獄大使と暗闇大使を演じることへとつながって行きます。

水木しげるの漫画を原作とした『悪魔くん』は、東映のプロデューサー平山亨の初プロデュース作品でもあります。本作ではメフィストに兄弟がいることになっていますが、これはメフィスト役の吉田義男が病気降板したため、後を継いだ潮健児氏が演じるメフィストを「弟」とした結果です。平山亨は、助監督を務めた東映京都撮影所製作の映画『御金蔵破り』で変な役者として印象に残っていた潮健児氏を起用することを思いたち、メフィスト弟役に満場一致で決定したそうです。以後、平山亨の担当作品の常連として数々の作品に潮氏は出演していきます。

ちなみに、『悪魔くん』は作品としては人気を得たものの、妖怪を題材としていることから縁起が悪いとして定期のスポンサーがつかなかったため、結果的に2クール(26話)で終了となってしまいました。

『仮面ライダー』シリーズで潮健児氏が演じた地獄大使は、ゾル大佐・死神博士に続く第3のショッカー大幹部であり、同作品の敵幹部としては最も登場期間が長くなりました。前任の2人とは異なる怪人寄りの容姿や、潮健児氏による怪演技が視聴者にインパクトを与え、人気を博したからとされています。

ショッカー東南アジア支部から日本支部に着任した3代目大幹部(正体は怪人ガラガランダ)は首領への忠誠心が異常に強く、古代エジプトのファラオの仮面をモチーフにした特異な被り物や凝ったコスチューム、特注のショッカーベルトをまとっています。毒々しいメイクで彩られた顔は、「体を改造している時にあのような顔になった」と説明されています。

『仮面ライダーZX(ゼクロス)』で潮健児氏が演じた暗闇大使は、ショッカーをはじめとする歴代暗黒組織を裏から操っていた最強の暗黒組織「バダン帝国」唯一の最高幹部という設定です。ショッカー大幹部・地獄大使とは従弟にあたり、全身が金と銀を基調としていることを除いて外見がとても似ています。本名は「ガモン」と言い、自身より3か月早く生まれた後の地獄大使となる「ダモン」の影武者的存在を務めてきたという裏設定もありました。

潮健児氏の従兄弟にあたる俳優に、安藤三男(あんどう みつお)がいます。東映特撮作品では「悪の幹部」役として有名で、重厚なメイクで怪奇性・残忍性溢れる悪のヒーローを演じ、天本英世、潮健児と並ぶこの分野の第一人者でした(没年不明)。

1993年、潮健児氏は『第32回日本SF大会 DAICON6』にゲストとして招待されましたが、出演する企画の前夜にホテルの部屋で倒れました。付き添いの唐沢俊一(現カルト物件評論家、コラムニスト)は止めるよう勧めましたが、体調不良を隠して出演し、「暗黒星雲賞ゲスト部門」を受賞しました。このことを本人も喜んでいましたが、これが実質上「地獄大使、最後のステージ」となってしまいます。

1993年9月19日、神奈川県川崎市の病院にて肝硬変により死去。享年68
亡くなる2日前に、自伝『星を喰った男』の出版記念パーティーの会場に車椅子姿で出席したのが最後の活動となりました。

改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)



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ご他界された方々を偲んで【第四回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介させていただきます。

【第四回】 
小林 昭二(こばやし あきじ)氏
1996年8月27日没(享年65)

俳優・声優としてご活躍された小林昭二氏は劇団俳優座養成所の第2期生で、同期には土屋嘉男などがいます。1952年に新東宝映画『殺人容疑者』で銀幕デビューしますと、以降も舞台を中心に各社の映画に出演する一方で、円谷プロダクションや東映製作の特撮テレビ作品にもご出演され、『ウルトラマン』のムラマツキャップ(隊長)役や『仮面ライダー』の立花藤兵衛(おやっさん)役などで広く知られていることは周知のとおりです。

また『ゴジラシリーズ』や『ガメラ2  レギオン襲来』など、日本の代表的な特撮映画シリーズにも多くご出演されています。第一次怪獣ブーム・第二次怪獣ブーム・変身ブームと幅広くご出演なさった小林氏は、当時多くの共演者からその人柄を慕われていたそうです。

後輩役者の面倒見がいいという面でも信頼されていた小林昭二氏は、初代『ウルトラマン』の出演者やスタッフからは「キャップ」と呼ばれて親しまれていました。ムラマツキャップ役を演じるにあたって黒部進ら共演者らに「子供番組であるからといって、子供にこびることはない。一般ドラマと同じように演じること」と諭していたと言います。

『ウルトラマン』のアラシ隊員と『ウルトラセブン』のフルハシ隊員を演じたことで往年の特撮ファンからも愛される毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)こと石井伊吉(いしい・いよし)は、「当時はジャリ番と言われたけど、熱心に演じたことが受け入れられたのだと思う」と述懐しています。このことからも、当時の石井らが小林氏の助言を受け入れて演じていたことが想像できます。

後年、俳優の京本政樹との対談の中で、『ウルトラマン』に出演が決定して科学特捜隊のコスチュームの色について小林氏は「恥ずかしかった。こんなの着てやるのかと思ったら、本当に降りようかと思った」と笑いながら答えています。

『ウルトラマンG(グレート)』では、アーサー・グラント隊長の吹き替えを小林氏が担当されました。本作の声優陣として参加していた京本政樹は、本作のある回のアフレコ終了後、京本の自家用車で小林氏を送る際に検問に引っかかってしまい、京本の運転手が免許証の提示に手間取っていた時に小林氏が出て行くと、警察官は小林氏に敬礼してチェックなしに通過できたというウソのような本当のエピソードを京本は披露しています。

ウルトラマンGは1995年の放送ですが、小林氏がベテラン刑事役で出演された『西部警察』が1980年代の人気ドラマであったことを考えるとうなずけます。『Gメンの丹波だ!』に優るとも劣らないエピソードです(笑)

また、ジョン・ウェインの声の吹き替えや時代劇作品のナレーターなど、声優としての実績も数多くあります。

TBSで『ウルトラマン』と次回作『キャプテンウルトラ』の番組引継ぎパーティーが行われた際に、小林氏と歓談する機会を持った東映プロデューサーの平山亨によれば、小林氏の子供番組に対する真摯(しんし)な姿勢に深く感銘を受けたといいます。このことが、のちに『仮面ライダー』の立花藤兵衛役の起用につながったということです。『仮面ライダー』第1回から『仮面ライダーV3』最終回(第52話)まで全話に出演されましたが、劇中で立花藤兵衛が使用するシガーパイプは小林氏の私物だそうです。そういえば、おいしそうにパイプを吹かしていましたね。

「仮面ライダーシリーズ」の現場でも、出演者のみならずスタッフからも「おやじさん(正式には ''おやっさん'' でしょうね)」として親しまれていたそうです。

『仮面ライダー』に主演した佐々木剛は、大野剣友会も含め若手の多い現場で揉め事が起きなかったのは小林氏の存在によるところが大きかったことを語っています。また、大ヤケドをした佐々木が芸能活動を再開した直後に小林氏に再会し、舞台でセリフを上手にしゃべることが出来ない旨を相談すると、芝居のコツなどをアドバイスしてくれたそうです。

宮内洋とは『仮面ライダーV3』で共演後も時代劇などで会うことが多く、共演の際にも小林氏を「おやっさん」と呼んで慕っており、逝去後に「素晴らしい人だった」と悼んでいます。のちに『仮面ライダー THE FIRST』では亡き小林氏の跡を継ぎ、1シーンのみですがおやっさん(立花藤兵衛)役を宮内は演じています。役が発表されたおりに「当時から憧れた藤兵衛の役ができて、とてもうれしい」とインタビューで語っています。

『仮面ライダーX』放送時、自身の出演していない放送の回までチェックして、主演の速水亮に「今回の芝居はここが良かった」と電話で演技をアドバイスしていたという小林氏。速水は「本当に普段から頼りがいのある"おやじさん”そのものでした」と語っています。

『仮面ライダーストロンガー』出演時も、小林氏は初主演の荒木茂らを食事に連れていったという話が残っています。

『仮面ライダーアマゾン』主演の岡崎徹は小林氏について、「一見おっとりしているイメージだが現場の責任をすべて背負い込んでいる感じで、本来は自分の演技だけに集中すべき部分を若手である自分に気を遣ってくれていた。その一方でスタッフに対する気配りも忘れない人だった」と述懐しています。

懐かしいテレビ番組を振り返るバラエティ番組にゲスト出演した小林氏は、当時の歴代仮面ライダー(『仮面ライダーBLACK RX』まで)が紹介されると、「私は7号までですね」と自身が『ストロンガー』まで出演したことを10年以上も経過していたその当時もしっかりと覚えており、ライダーたちに対しても「長く一緒にいると、情が湧く」と語っていらしたそうです。

最後に、小林昭二氏は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演したことについて次のように述懐していたそうです。「自分は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演した。その間にいくつも子供向け作品は出たが、いずれもこの2作品を超えられなかった。面白かった作品に結果的に出演できただけ」と。

1996年8月27日、神奈川県横浜市の病院にて肺癌のため死去。享年65
改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)



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ご他界された方々を偲んで【第五回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介させていただきます。

【第五回】 
郷 鍈治(ごう えいじ)氏    
1992年9月11日没(享年55)

大阪府出身の郷 鍈治(ごう・えいじ)氏は本名を瀬川鍈治(せがわ・えいじ)と言いますが、旧姓は宍戸(ししど)です。ピンと来た方もいると思いますが、兄は俳優の宍戸錠、甥は宍戸開です。兄・錠の紹介で歌手のちあきなおみと結婚し、瀬川家(ちあきの実家)へ婿入りしました。そのため、瀬川を名乗っているのです。1960年の映画『狂熱の季節』(日活)で俳優デビューした郷氏は、兄の錠とは『早射ち野郎』など複数の作品で共演しています。その強面の容貌からヤクザ・凶悪犯・殺し屋などの悪役を演じる機会が多かった郷氏ですが、1973年の『仮面ライダーV3』では敵の大幹部・キバ男爵に扮しました。

『仮面ライダーV3』は視聴率にかげりが見えてきたことでテコ入れを図るべく、怪奇性の強化としてデストロンと結託した怪人部族の長であるキバ男爵とツバサ大僧正を登場させることになります。これに伴い、ハサミジャガーやカメバズーカといった機械合成怪人は単一の生物怪人に戻していますが、部族ごとに特徴を大きく取り上げると共に呪術的な意味合い(キバ一族とドーブー教、ツバサ軍団とまんじ教)を加えるなどの試みがなされました。

【キバ男爵】はドクトルGの死後来日した日本支部2代目大幹部で、第31話から第35話に登場しました。
・獣の皮から作られた衣を着て、頭にはマンモスの頭骨をかたどった兜を被り、マンモス
 の牙でつくられたダイヤモンドよりも硬い槍を武器として戦う
・アフリカのコンゴ川上流域に数百年栄えるという悪霊崇拝の邪教「ドーブー教」の
 大魔術師にして「キバ一族」の長
・1日1回は血を見ないと気が済まない残忍な性格の持ち主だが、部下の怪人の死を悲しん
 だりその葬式を立てたりするなど、非常に部下思いで慈悲深い性格も持つ
・戦いの前には怪しげなドーブーの儀式を行なう

その正体は【怪人吸血マンモス】
ライダーV3に一族の怪人を次々と倒されたため、各界要人を誘拐・洗脳してコントロールする日本頭脳改造作戦を成功させるべく、キバ男爵が変身した姿。最後はV3回転三段キックが炸裂、キバ男爵の姿に戻り、「キバ一族、ついに滅ぶ!」とキバ一族の滅亡を呟きながら爆死した

※プロデューサーの平山亨の著作などによると、劇中では語られないプロフィール設定がされています。
・元はロシア帝国の男爵で、当時はシベリアに住んでいた
・同じ帝政ロシアの貴族出身の陸軍将校で、後にゲルショッカー大幹部となったブラック
 将軍とも当時から面識があった
・のちのブラック将軍がゲルダム団に入った際に別行動をとり、ケニアで邪悪な呪術を
 研究。後に「ドーブー教」という暗黒宗教の魔術師となってデストロンに招かれた

郷 鍈治氏は1980年代前半に俳優業をひっそりと引退し、妻・ちあきなおみの個人事務所を設立して、社長兼マネージャー・プロデューサーになりました。夫婦の生活の基盤として東京都渋谷区広尾に純喫茶を開店すると、お店は郷氏自身が淹れるコーヒーを求めて業界人の溜まり場になっていたそうです。

肺癌で死去した郷氏は、まだ55歳という若さでした。その早過ぎた死は、郷氏を深く愛していた妻のちあきなおみの歌手業を含めた芸能活動完全休止の契機になったといいます。

改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)




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