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ご他界された方々を偲んで【第八回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介させていただきます。

【第八回】 
山口 豪久(やまぐち たけひさ)
1986年4月6日没(享年41)

山口豪久(やまぐち・たけひさ)氏は、日本の俳優。本名は山口智之(やまぐち・ともゆき)、旧芸名は山口暁(やまぐち・あきら)。

高等学校在学中に新東宝のオーディションに合格し、国際放映の特撮テレビドラマ『忍者部隊月光』(1964年・フジテレビ)の名月役でデビューしました。1966年、ピー・プロダクションの特撮テレビ番組『マグマ大使』(フジテレビ)第17話にゲスト出演して、のちに妻となる山口千枝と共演。その後も特撮作品を中心に活躍しましたが、スランプを経験して「劇団NLT」の俳優教室に1年間通い、演技の基礎を磨き直した経歴があります。

1972年には前述の山口千枝と結婚し、後に2女をもうけます。おふたりは1966年の特撮テレビ番組『マグマ大使』第17話・第18話(怪獣ガレオン登場)での共演がきっかけで6年間の交際を経て結婚しましたが、1986年に山口氏は他界してしまいます。

1999年に発行された『仮面ライダー』の書籍にて、千枝さんは山口氏との結婚生活についてインタビューに応じています。「子煩悩で、夜遅く帰っても必ず自宅で食事を摂ったり、忙しい時期でも長女や近所の子供たちと一緒に遊んだりしていた。自分の家庭は大事にしたかったのでしょう」と語っています。また、「子供好きであったからヒーローものの仕事を多くやり、自身が早くに母と死別したことから子供たちに家庭の温かさを伝えたかったのではないか」とも推測しています。

1973年、東映の特撮テレビ番組『仮面ライダーV3』(毎日放送)に結城丈二 / ライダーマン役で出演。翌74年には『電人ザボーガー』(フジテレビ)に大門豊(だいもん・ゆたか)役で出演し、これが初主演作品となりました。1984年、『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)に再び結城丈二 / ライダーマン役で出演しましたが、この特番が仮面ライダーシリーズへの最後のゲスト出演となり、俳優仕事における遺作となりました。

《エピソード》
特技は空手(初段)、アクション。几帳面な性格で、役毎にドーランの番号やシーンの状況や背景などをノートに取りまとめていたといいます。絵や写真が好きで、ノートの端々には撮影場所の風景が描かれていたり、ロケ地や撮影メンバーとの写真をアルバムにまとめていたりもしていたそうです。子供が好きなので、小学校などを巡回する劇団を旗揚げして活動していた時期もありました。

晩年は俳優業の傍ら、親族が経営する飲食会社の常務としての活動もしており、出店していた高校の食堂では進んで現場に立っては、周囲から「ライダーマンのおじさん」として親しまれていたそうです。娘を連れて自宅近辺の海に釣りに出かけたり、飲食業で多忙を極めるなかでも娘の塾の送迎を行なったりと、家庭を大事にする穏やかな人物であったと妻子は回想しています。

持病があり、「おなかが痛いので病院で注射を打ってくるよ」と出かけて行き、そのまま緊急入院となりました。4日後に容体が急変して急遽子供たちが呼ばれ、子供たちが病院に到着してほどなく息を引き取ったそうです。没後、遺品を整理中に家族それぞれに宛てた遺書が見つかったそうです。

《おもな役柄》
アクション系の俳優ながら、物静かで知的なキャラクターを多く演じる一方で、『電人ザボーガー』の大門豊役のような熱血漢も演じています。東映のテレビドラマ『特別機動捜査隊』(NET)に刑事役でレギュラー出演する一方、他の刑事ドラマではチンピラ役や犯人役といった悪役を多く演じており、『大江戸捜査網』などの時代劇でも悪役を演じることが多かった様です。

【結城丈二(ゆうき・じょうじ)について】
1973年の『仮面ライダーV3』で、主人公のライバルとして「結城丈二(ライダーマン)」を演じました。『仮面ライダー』で主演した藤岡弘も佐々木剛も山口氏の所属していた「劇団NLT」の第1期生であったことから、「『仮面ライダー』にはもともと縁があった」と山口氏は語っています。

プロデューサーの平山亨によれば、山口氏の自宅と平山の自宅が地理的に近かったこともあり、以前から親交があったそうで、『V3』の企画時に山口氏は平山の自宅に押しかけて、「仮面ライダーに出して欲しい」と熱心にアピールをしたといいます。当時すでに山口氏は十分実績のある俳優だったそうですが、この時点で主演は宮内洋に決定していたのでこれは叶えられなかったと、平山は回想しています。このときの印象が強く残っていたので、『V3』で「ライダーマン」の設定が出てきた際に、平山は山口氏にオファーを出したそうです。

このライダーマンは、当初マスクやスーツがアップ用の一着しかなく、山口氏自らスーツを着用してアクション・シーンの撮影を行っていて、砂地をバイクで走るシーンで転倒してスタンドが左足に刺さり、後年まで傷跡が残っていたといいます。

最後の出演となった『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』では既に肝臓を患っていたとされ、「顔がむくんでいた」と元女優の長女が述べています。

山口氏の入院後すぐに、ライダーマン関連のインタビュー記事としては最後の書籍となった『仮面ライダー大全集』(講談社、1986年)が自宅に送られてきたので、夫人が病院に届けたところ、「嬉しそうに見ていた」と夫人は回想しています。

この『仮面ライダー大全集』に掲載されたインタビューでは、「ライダーマン役に当たった時はびっくりした。宮内氏と『正しい心を子供たちに伝えたい』などと話したそうです。一歩引いたヒーローを演ずることを心掛けた。バイクは大型免許を持っていました」と、エピソードを語っています。

『V3』の撮影当時、「僕たちは反目しあうライダーだから、普段から視線を外すよ」と山口氏から言われたというエピソードを、主演の宮内洋が紹介しています。山口氏のプロ意識と役作りへの徹底ぶりがうかがえるエピソードです。また『仮面ライダーストロンガー』で2人が客演(=ゲスト出演)した時には、「山口と仲良く『ロケ弁』を食べた」とも語っています。

長年にわたり『仮面ライダー』シリーズを立花藤兵衛役で支えた小林昭二は、山口亡き後のコメントとして、「彼(山口)も話題作(仮面ライダーシリーズ)に出られて嬉しかったでしょう」と答えています。


1986年4月6日、山口豪久氏は41歳の若さで肝臓癌のため逝去されました。入院からわずか4日後の急逝でした。山口氏が学生食堂の店長として出店していた高等学校に当時在籍していた生徒から、訃報を伝える投書が特撮雑誌『宇宙船』Vol.32(1986年10月号)に掲載されました。

改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)



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【ライダーマンについて】
ライダーマンは『仮面ライダーV3』で初登場するキャラクターであり、サブキャラクターでありながら他の主役仮面ライダーたちと同列に扱われている。ライダーマンの外見は他の仮面ライダーたちと大きく異なり、顔は口元や顎(あご)が生身のまま一部露出し、右腕に武器を装備しているなどシリーズの中でも特異な存在である。

『仮面ライダーV3』第43話で初登場。結城丈二が変身用のヘルメットを装着することで変身する。「ヤー!!」または「トオッ!!」という掛け声とともに両拳を組み合わせた後に腕を高々と上げ、手に持ったヘルメットを素早く被りライダーマンとなる。ライダーマンは強化服によって身体能力を増幅しているため、「半改造人間」と記載する資料も。復讐の意をこめてヨロイ元帥が忌み嫌う「仮面ライダー」の姿を模倣したとされ、劇中では仮面ライダーV3と勘違いされたことがある。

そのパワーは成人男性の6倍程度とされ、10メートルのジャンプ力や厚さ8センチメートルの鉄板を打ち抜くキック力など常人を凌駕する戦力は有しているが、右腕のみを改造しているだけなので、強化スーツを生身の人間が着用しているだけに過ぎず、V3に比べて戦闘力は著しく劣っている。

変身用ヘルメットは専用バイク・ライダーマンマシーンのシートに収納され、これを付けることで専用スーツとカセットアームが連動して機能する。スーツは筋力を増す機能や防弾性能が搭載され、さらにV3同様に風力をエネルギーに変える「エナジー・コンバーター」が戦闘力を増し、ハイジャンプシューズによりジャンプ力も増大する。また、ベルト中央部のバックル部・ライダーバックルには怪人探査レーダーや超小型ミサイル4基が搭載されている。

ライダーマン最大の武器は、右腕の義手に組み込まれたアタッチメントカセットアーム(資料によってはアタッチメントと記述)である。最初期の6種類は以下のとおり。これらを用途に応じて交換しながら戦う。
①ロープアーム;最も多用したカセットアーム。先端にクレーンフックのついた特殊ロープを発射
②スウィングアーム;ロープアームのバリエーションで、先端が棘のついた鉄球になったもの
③カマアーム;ロープアームのバリエーションで、先端が鎌になっている
④ネットアーム;ロープアームのバリエーションで、ネット状に編まれたロープを発射
⑤パワーアーム;カニのハサミのように強力な三日月状の2本の刃が付いたアタッチメント
⑥ドリルアーム;コンクリートの壁を貫通する威力を持つドリル型のアタッチメント

【制作関連の裏話】
ライダーマンの登場は、放送開始後にV3が弱く見えるという問題点が浮上したことから、1973年5月の段階で第3クールの強化案として東映から提案されたものである。この時点では、前作『仮面ライダー』に登場したサブキャラクターの滝和也が徐々に身体を改造し、ライダーマンになるというものであった。当初から結城がクライマックスで死亡すると決まっていたわけではなく、東映プロデューサーの平山亨によれば、「一度悪に染まった者がライダーの仲間入りをするにはそれなりのみそぎが必要」との考えから、こうした展開となったという。

しかし、「(償いには)他に手段があったかもしれない」とも語っている。平山は主役ライダーにならなかったことについて、結城(ライダーマン)を演じた山口豪久氏に対し「申し訳ないことをした」と述べている。また、平山は結城丈二=ライダーマンへの想い入れが強く、第48話「見た! デストロン首領の顔!!(怪人オニヒトデ登場)」を海堂肇(平山亨・阿部征司の共同筆名)名義で執筆している。

【大門豊(だいもん・ゆたか)について】
唯一の主演作となった『電人ザボーガー』では、秘密刑事「大門豊」役で体当たりのアクションを見せた。この作品は「カンフーブーム」を受け、別所孝治プロデューサー(フジテレビ)の意向でブルース・リー風のアクションが随所に採り入れられており、山口氏がブルース・リーばりのオーバーアクションや、雄叫びを多々見せている。大門の愛車「マシーン・ザボーガー」は、ライダーマンの愛車「ライダーマンマシン」と同じくハスラー250をベースにしていたそうである。

この作品ではロボット「ザボーガー」がメインキャラクターであり、山口氏の役柄は一歩下がった立ち位置だったのだが、大門が見せる敵サイボーグとの超人的なアクションも見せ場となっていた。2011年にリメイクされた映画『電人ザボーガー』でも、古原靖久(青年期)・板尾創路(熟年期)が演じるそれぞれの大門のアクションには、そのキャラクターが踏襲されている。



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