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高山怪獣第一号「ペギラ」造型の真髄 ~形態学的怪獣論21 [怪獣論・怪獣学D]

顔面および口角のうしろから頸部へと凹凸がうまれ、表情に深い陰影を醸しだす。ペギラの後方からのショットを見ると、顔面付近の複雑な凹凸は山脈か氷壁を思わせる。必然性が生む説得力、あるべき姿、その味わいの深さ。

鼻の部分もアザラシのような単なる球体として処理せず、鼻筋を通し、上あご全体をカッチリとした構造に仕上げている。一つ間違うと酔客のようにだらしないマヌケ顔になりそうな所を、見事に引き締めている。

ペギラの持つツノとキバ。その絶妙な湾曲と配置が、悠然とした笑みを漂わせる表情を作る。前方に湾曲するキバはきわめて独創的で、眺めていて飽きることが無い。また、頭頂部の小さなツノも前方を向いており、2本のキバと共に三角形を成してバランスをとっている。

成田、井上両デザインに無かった頭頂部のツノが造型の段階で忽然と現れたのも、このバランスのためだったのではと思えてならない。さらに全体としてみると、このキバは両方の翼の先端の角度と相まって、実にスケールの大きな躍動感を生むことに成功している。

ディテールの素晴らしさと、全体の中での見事な調和。ここには「造型」の手本があり、「構造」を熟知した高山芸術の真骨頂が窺える。翼に刻まれた無数の縦ジワは曲げるための必然的工夫だろうが、極めて自然である。大きさ、形態、重量感、いずれも適切である。

成田氏は羽毛の生えた翼が理想だったらしいが、正体不明の新生物ペギラにとっては、むしろこの(羽毛の無い)翼でよかったのではないか。1枚のラテックスで出来ているそうだが、高山氏の手にかかると、平板な板ではなく、彫刻の趣さえ感じられる。

胴から続く2本の脚も、足首から下は水かきの付いた鳥の脚に似ているが、それより上はまるで象のような縦ジワを刻む円柱形で、やはり鳥か獣か判然としないようになっている。唯一、尾の付き具合が不自然であるが、これが作為かミスかは定かでない。

初期ウルトラ怪獣の今日に至る不滅の人気は、成田亨氏のデザインに出発し、高山良策氏の手を通って始めて世に現れた「造型物」への、絶えざる称賛の証でもあるはずだ。1971年の「週刊サンケイ」で、高山氏は語っている。

『人気のある怪獣というものは、表現としてもできているものです。製作者自身が納得のいくところまでこしらえ上げたというか、中途半端な造型感覚は怪獣には禁物です。グロテスクというのは中途半端なことです。表現として徹底していれば、これは一つの作品として認めざるを得ない。』

まさに至言である。(おわり)

★★★★★★★★★★★★
劇中、ペギラが出現する時と退却する時には、空を飛びながら黒雲のようなジェット噴射が見られる。ペギラがこれを出していることは前後の状況から見て間違いないのだが、今ひとつ分らない現象だと思っていた。だが、以前に水族館でペンギンを見て、あることに気が付いたのだ。

ペンギンは、氷の上では跳ねたり歩いたりしているが、いずれにしても地上ではあまり速く行動できない。せいぜい氷の上を腹ばいになって滑る程度のスピードしか出せないのだ。ところが、海に潜った途端、ものすごいスピードで海中を泳ぐことができる。目にも止まらぬ速さである。

そしてペンギンの泳いだ後には、小さな気泡が残る。どうやら、この水中での泳ぎで出来る気泡を、あの黒雲は表現しているのではないかと思うのだ。ペギラがペンギンの巨大化した生物という設定であるならば、どこかにペンギンのような仕草・行動を取り入れているはずだ。

ペンギンが水中で速く泳ぐ姿を、ペギラが空を飛ぶ時に出す黒雲のジェット噴射で表現しているというのが、筆者の結論である。


追伸
ペギラの着ぐるみはその後、同じ高山氏によって(初代)ウルトラマンに登場するチャンドラーに改造された。
ペギラとチャンドラーの間柄については、公式設定は存在しないため、様々な憶測がある。
大伴昌司氏による『ウルトラ怪獣入門』(小学館・1971年)では「他人の空似」と解説されている(笑)。
学年誌などでは、ペギラが兄、チャンドラーが弟とされている。
一部のムック本では、チャンドラーは温暖な気候(多々良島に生息している事だろう)に対処するための、ペギラの突然変異体とも書かれている。

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ウルトラQの四脚怪獣の王道・パゴス ~形態学的怪獣論22 [怪獣論・怪獣学D]

『ウルトラQ』シリーズにおいて、ペギラ、ガラモンと並ぶ人気怪獣と言えば、パゴスではないだろうか。東宝映画「フランケンシュタイン対地底怪獣」のバラゴンの改造で、堂々たる個性をたたえた四脚怪獣の王道を行く出来映えである。

成田亨氏のデザインを見ると、パゴスの原形はウインタテリウムであることが分かる。恐竜などの巨大爬虫類が全滅した後、第三紀と呼ばれる時代に現れたサイの先祖である。目の上と頭頂部から生えた一対の突起やキバの位置、頬のたるみなどの共通点が多い。

しかし実際の造形は、ウインタテリウムとは著しく異なる印象を与える。バラゴン譲りの見事な背びれの影響も大きいが、顔だけとってみても、成田デザインのパゴスの基本形態が四角であるのに、造型物は三角形を基本形態としているためでもある。それにしても、パゴスの顔の造型は素晴らしい。

一言でいえば、あらゆる角度から見てバランスが取れている。側面から見ると、頭頂部から後方に伸びる二本のツノと、長く伸びた上あごの先端が、まるで二等辺三角形のように配置されている。目の上の小突起は上唇から下方に生えるキバとほぼ同一線上にあり、すっきりした印象を与える。

正面から見ると、顔全体は横に扁平なことがわかるが、さりとて、シャープな印象は損なわれていない。ㇵの字型に伸びるキバと眉間の突起は、顔の中心で交差するかのようなバランスを保っている。

上方から見ると、この顔面は単に突起だけではなく、目の上の隆起部も含め、様々な凹凸が付与されているのがわかる。凹凸による陰影で味わい深く見せるという点では、パゴスもペギラに通じる魅力を持っている。

頭頂部から後方に伸びるツノは、真っ直ぐな長円錐ではなく、微妙な不整形を呈している。バラゴンの改造とはいえ、頭部と胴体を違和感なくつなげた点も含め、造型家佐々木明氏の手腕も実にみごとである。

アンギラス、バラン、バラゴンと続いた東宝の四脚怪獣の伝統は、パゴスによってブラウン管の中に正式に継承された。恐竜のバリエーションや爬虫類のデフォルメにとどまらず、もはや怪獣としか呼び得ないような存在に昇華した点、パゴスは歴史的な傑作といっても過言ではない。

この成功を機に、ネロンガ、マグラ、ガボラと改造と重ねていく中で、四脚怪獣のイメージは定着していくことになる。 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
目の前にサイの先祖、ウインタテリウムの絵が描いてある。成田亨デザインのパゴスは、このサイの先祖によく似ている。唯一の違いは、頭頂部のツノがカモシカのように多めに生えているのだ。それに対して、佐々木造型は、基本的に全体像は成田デザインを踏襲しているが、細かい部分は佐々木氏の好きなようにアレンジして造ったとしか思えないほどの違いが見られる。これも造型家の手腕の見せ所なのだろう。

なお、造型家・佐々木明氏は、ウルトラマンの顔を作った造型家として有名である。マイカテゴリー『ウルトラマン』の初代ウルトラマンの思い出(2)に書かれていますので、ご参照ください。
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魚と人面、石と風船 ~形態学的怪獣論23 [怪獣論・怪獣学D]

それまでの怪獣には無く、成田デザイン・高山造型になってはじめてあらわれた特徴のひとつに、「タラコ唇」がある。ガラモン、ラゴン、人工生命M1号など、人間型の怪獣に付与された大きな唇。ともすればお笑いになってしまうようなこの大きな唇は、特に高山氏の周到な造型によって救われている。

従来の怪獣のイメージを大きく逸脱しながらも、緊張感を失わず、新たなパターンの開拓に成功した。ガラモンはコチ(或いはオコゼ)、ラゴンはまさに半魚人であり、このタラコ唇によって魚の人面への応用を可能にしたと言える。

M1号の唇は単なるループではなく、湾曲、角度などしなやかな弓のように造られている。好悪別れるデザインではあろうが、この唇だけでも一見の価値がある。本来怪獣とは、古代であれ現代であれ、少なくとも何らかの「生物」がそのモデルとなっている。

この不文律を積極的に犯し始めたのが成田氏のデザインであり、抽象芸術の手法を取り入れたケムール人、日用品からヒントを得たカネゴンと同じ発想法の延長上にあるのが、ゴルゴスとバルンガである。ゴルゴスは初の岩石怪獣である。

岩石そのものが特殊な状態なのか、何者かが岩石に取り付いたのかは厳密にはわからない。いずれにせよ、岩石そのものに手足が生え、目を開き口をあけるというのは画期的だった。さすがに成田氏もデザインには苦慮し、最終デザインに至るまでにさまざまな試みを経ている。

造型された着ぐるみも極めて質感をよくとらえた出来映えだが、完全な石であっては可動部がなくてアクションができない。ゴルゴスの腹面が何もないノッペラな状態なのは、ある意味で仕方の無いことなのだ。岩石怪獣は、この後、より岩石らしいアンノンなどに継承されていく。

ここに怪獣デザインは、鉱物という領域を開拓したのである。鉱物といえども自然界に存在する物質の一種であるが、怪獣デザインはここにとどまらず、自然界には存在しない人造物(工業製品や日用品)にまで発想を求めて行った。風船というキーワードから生まれたバルンガは、その先駆である。

しかしさらにいえば、バルンガは風船というよりもただの球体に近く、この意味で、純粋な幾何学形態の先駆とも言える。もはや怪獣デザインにとって一切の制限は取り払われ、生物、無生物、自然、非自然、この世に存在するあらゆる形態が怪獣に変わり得ることを、「ウルトラQ」は証明したのである。

正統派の怪獣を軸に、様々な可能性をもつユニークな怪獣が好対照を見せながら展開する絢爛たるウルトラワールド。当時として世界にも類を見ない独自の世界を築き上げたこの番組は、40余年を経た今なお、無限のヒントをはらんだアイデアの宝庫である。 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
バルンガという怪獣は、どのように退治したらよいかまるで見当が付かないし、ゴルゴスも同様だ。ゴルゴスは岩石のような形をした生物と見えれば殺せるだろうが、バルンガはあらゆるエネルギーを吸収して巨大化する、まさに化け物である。もはや怪獣ではなく、ドラマに中でも言うが、ある種の「神」である。人間の手には負えないのだ。だから最後は、自然の力によって退治される形を取るのだが、もし奈良丸博士が十数年前にバルンガを見つけていなければ、退治する方法を見つける前に地球と人類は、巨大なバルンガにのみ込まれていたにちがいない。

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革命的怪獣デザイン1・ガラモン ~形態学的怪獣論24 [怪獣論・怪獣学D]

成田亨氏によるウルトラ怪獣のモチーフは、それまで王道であった「生物」の枠を大きく踏み出し、「日用品」から「完全空想型」に至るまで一挙に拡大した。既存生物からヒントを得て、これをデフォルメ・合成し、前代未聞の生物を創造することに成功した傑作ガラモン

これはペギラと並ぶ「Q」の看板怪獣であるとともに、東宝怪獣の概念を根底から覆して、まったく独自のカイジュウというキャラクターが登場した事を印象づけた、記念碑的名怪獣である。

ヒントはコチのくちびるであるというが、魚の原形をとどめるのはこの口だけで、他はまったくの創造である。人間の体形を基本に置きながらも、全体を独特の海草のヒレ(あるいは樹状突起とでもよぶべき物)で覆ったために、シルエットは著しく人間から離れた。

2本の足は直立だが、柱状ではなく環状の骨が連なる形に処理され、両手は体側ではなく正面に近い所から生えており、どちらも尋常ではない。さらに造型家・高山良策氏によって完全に身体の正面から突き出る形に造られ、奇怪な形態になって行った。

このような極端に制限された動きしかできない腕が、果たして何の役に立つのかという疑問を、見る者に抱かずにはおかない。骨をデフォルメするという発想も、後年映画『エイリアン』のギーガーらのデザインに先んじている。

魚の唇、海草、骨というほとんど脈絡のない素材を結合して、しかもどんな生物にも似ていないシルエットを持つこの怪獣が、美しくないかと問われれば、断じて否である。ガラモンのデザインは、高山良策氏によって命を吹き込まれ、見事な「美」としてこの世に誕生した。

ユニークな口、きりりと引き締まった顔は、知的でさえある。背をかがめて入る着ぐるみのシルエットはさらに人間離れし、動きを制限されておぼつかない手足は、ユーモラスですらある。

ヒョイと上を向いた尻尾と上部からたれさがる手とが、側面から見るとS字を形成して、さりげなくバランスを取っている。ガラモンの形態には我々が知っている生物の秩序は当てはまらないが、それとは違う秩序が確かに備わっていると納得させられるものがある。

新たな「美」の創造が行なわれたのである。ロボット怪獣という設定にもかかわらず、メタリックな機械怪獣をまったく無視したセンスもスゴイが、侵略者の先兵でありながら、人を食ったような形態や仕草が、逆に不気味でもある。紛れもなく怪獣デザインの頂点に君臨する、偉大なデザインといえよう。(おわり)


★★★★★★★★★★★★
ガラモンは、ペギラと比べるとかなり小さい着ぐるみである。おそらく、ミニラと同じ人が入っているのではないかと思われる。パチパチと長いまつ毛でまばたきし、パクパクとどら焼きのような口をひらく仕草は、どう見ても地球侵略の先兵とは思えない。だが、地球防衛軍のいないウルトラQの世界では、自衛隊の火力が頼みの綱であり、科学者の頭脳が事件解決のカギを握る。人類の知恵も、捨てたものではないね!

タグ:怪獣 成田亨
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革命的怪獣デザイン2・カネゴンとケムール人 ~形態学的怪獣論25 [怪獣論・怪獣学D]

カネゴン
日用品をモチーフにし、怪獣の素材があらゆるところに存在し得ることを知らしめた、代表的傑作怪獣カネゴン。形態ばかりか、その名前も示唆に富み、これ以降教育怪獣ママゴンなどの傍流を産み続けた。(つまり、〇〇怪獣××ゴンという形で様々な場所に使われるようになったということ)

頭はガマグチ(ファスナーが付いているので正確には財布か?)、胴体は妊婦であるという。劇中に伝説の怪獣カネゴンの形態に関する詳しい描写のセリフがあるが、脚本が先か、デザインが先かは定かでない。脚本家とデザイナーの協議の中から生まれたと考えるのが妥当だろうか。

財布はともかく、これに巻貝のイメージを重ね合わせたところが、もはや成田氏の独断場である。当初はカネ=金属という発想からか、全身ロボットのようなデザインもあったが、全身の装飾もどうやら巻貝のイメージで統一されているようだ。

チブル星人をはじめ、成田氏のモチーフにはしばしば貝殻が登場し、そのユニークなデザインに一役買っている。胸にはレジスター、かかとには豆電球と、すでにデザインの段階で指示されており、芸の細かさも見逃せない。

荒唐無稽の形態でありながら、無条件に受け入れられる説得力をもち、違和感がない。側面からみれば、尻尾と前方に突き出た口あるいは目が、デザイン上バランスを取っている。

着ぐるみのバランスも申し分ないが、目玉のハマり方は実にシュールリアリズムの作品を思わせ、高山造型の奥深さが感じられる。カネゴンは、怪獣という概念の無限の地平を提示した、空前絶後の名デザインである。

ケムール人
「完全空想型」とでも呼ぶべき、純粋に机上から生まれたデザインの原点であるケムール人。ピカソらが多用したエジプト絵画の技法を取り入れた半抽象の芸術作品とも言え、成田氏みずから会心の作と言っている。

ここに至って怪獣デザインは、頭の中から湧き上がるいかなるイメージをもその範疇にとらえたのであり、一切の制約を取り払い、ある意味では純粋芸術の世界に限りなく近づき始めたのである。そこには、ただ芸術家の意匠が、哲学が、真情が吐露されるばかりだ。

怪獣デザインと純粋芸術とは、発表の仕方と対象が異なるだけに過ぎない。成田デザインが普遍の生命力を持つ秘密は、芸術家(成田氏)が渾身の力で、おのれの魂に恥じない作品を創るというところにあるのではないだろうか。この国が、怪獣デザインという素晴らしい文化を持ちえたことに誇りを持ちたい。そして、成田氏に対して、心から感謝したい。(終わり)


★★★★★★★★★★★★
男の子なら、子供時代に怪獣の絵を描いたことが一度はあるのではないだろうか。テレビで観た怪獣をマネして最初は描いているが、やがて自分の考えた怪獣というものを、一度は描いてみたくなる。だが、なかなか思うように描けなかった。オリジナルを生むことの困難さを思い知らされたものだ。このことで、筆者は絵の才能の無いことに、気付いたのである。

タグ:怪獣 成田亨
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