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第二期ウルトラ中興の夏 ~形態学的怪獣論31 [怪獣論・怪獣学E]

そしてツインテールの登場に先立つこと2週間前に、あのモグラとナマズの合成怪獣モグネチュ―ドンが登場する。高山良策氏自身のデザイン・造型になるこの怪獣は、尾の部分にナマズの顔が付いているという、極めてユニークなものだった。

後から出てきたツインテールがいささか色あせて見えてしまうほど、それは衝撃的なデザインであった。どちらの怪獣が先は判らないが、この時期、両作品を手掛けていた高山氏は、どのような感慨を持って造型をしておられたのだろう。

いずれにしても、宇宙猿人ゴリの送りこむ怪獣達は以降もユニークさを増し、この年の後半までを確実にリードした。そしてこののち、高山氏は『新マン(帰マン)』のステゴンの造形を最後にウルトラを離れ、『スペクトルマン』、さらには年末から開始される『シルバー仮面』の造型を担当することとなる。

『初代マン』に対する『マグマ大使』、『セブン』に対する『ジャイアントロボ』がライバルだとすれば、『新マン』にとってのライバルは、巨大ヒーローばかりではなかった。同時期スタートの『仮面ライダー』が、試行錯誤の中で静かに大爆発の時を待っていたのである。

池谷仙克氏は、実相寺昭雄監督作品の撮影のため、京都から離れられない。成田亨氏はすでに現場を去って久しい。『帰ってきたウルトラマン』は第2クールを目前にして、『ウルトラQ』の半ばから続いてきた専属デザイナーがいないという危機に直面していた。

やむやく当時の円谷プロ制作部長は、その時プロデューサー補として制作・シナリオに参加していた熊谷健氏に、怪獣デザインを依頼した。東宝特美時代、『キングコング対ゴジラ』の現場を経験、小津安二郎監督に師事し、自らも画家として筆を執り、『初代マン』『セブン』で制作主任を勤めあげた才人である熊谷健氏。第二次ウルトラシリーズの幕開きは、ここから始まったのかもしれない。

「特撮スタッフが総力を上げて作りだした大津波」の予告編も勇ましいシーモンス・シーゴラス偏。熊谷氏の快進撃はここから始まる。ホームドラマの側面を強調した新マンのカラーにふさわしい「夫婦怪獣」という設定は、当時ガッパ(日活)以来の稀少な存在。

造型物のイメージからこのモチーフは動物のサイだと思われがちだが、熊谷氏によれば、「夫婦」から雄鶏・雌鶏を想定し、デザインを起こしたと明快にお答えになった。

熊谷デザインの信条は、シナリオに描かれた怪獣のキャラクターをいかに象徴的に表現するか、という点に尽きる。なるほど言われて見れば、シーゴラスの独特のトサカや首のヒレなども得心がいく。卵を産むという設定も、確かにニワトリだ。

発想自体もどこかユーモラスだが、デザインも造型もとても愛嬌に満ちている。大津波と竜巻という自然現象を操る空前の超能力に対し、「許せ、おまえたちは力を持ち過ぎた」と新ウルトラマンの郷秀樹に言わせる何かがある。それはやはり、「目」の描き方だろう。

池谷氏のデザインにはほとんど眼球が無かった。だが熊谷デザインには、きわめて「人間臭い」目が愛情たっぷりに描かれている。それはヒューマニズムの復権を高らかに謳いあげるまなざしである。

時に猛威を振るう大自然の一部であったかのような夫婦怪獣は、傷つきはしたものの、遂に倒されること無く海へと帰っていった。淘汰や制圧ではなく、あくまでも自然への回帰、そして共存の模索。上原正三氏の脚本による熱血ドラマは、何度かの危機をはらみながら、雄々しくも愛らしい夫婦怪獣の姿を借りて、ここに大きな実を結び始めた。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
ヒーローのカッコよさはもちろん大事だが、相手の怪獣・宇宙人がそれを凌駕するほどに素晴らしくなくては、ドラマは盛り上がらないものだ。

熊谷健氏は「帰ってきたウルトラマン」の項目で書いている様に、池谷仙克氏のあとを引き継いだ怪獣デザイナーとして、新マンの素晴らしい怪獣達を世に送り出した、第二期ウルトラシリーズ中興の祖と言える存在の一人だ。

そしてそのデザインを造型化していたのが、キカイダーの項目で書いた開米プロの開米栄三氏であった。下積み時代に培ってきた二人の力が『帰ってきたウルトラマン』で出合い、素晴らしい作品へと仕上がったのであった。
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五角形の帝王 ~形態学的怪獣論32 [怪獣論・怪獣学E]

エレドータスを経て、ふたたびの前後編となった怪鳥テロチルス。意外にも16話目にして初めての空飛ぶ怪獣だった。残念ながらデザイン画は現存しないが、熊谷氏によれば「首の赤いカラス」がモチーフだという。成田・高山コンビを思われる眠たげな目、程よい湾曲のくちばし、ユニークな一対のヒゲ。

重厚な前後編のドラマを、一頭で支え切るだけの堂々たる傑作だ。単なる翼や、翼にツメが付いているのではなく、立派な二の腕に翼が付いている。シェイプアップされた胸部から腹部の造型も秀逸だ。夜空を飛行するミニチュアも圧巻の出来映え。

まったく翼を動かさず、轟音と共に飛来する重爆撃機のごとき威容。ラルゲユウス(Q)やヒドラ(初代マン)はおろか、ラドンすら超えたのではないか。夏の夜空に舞う雪が紡ぎ出す幻想的な白い巨城。

怪獣の特性に基づく謎を存分に描き出し、モスラにも通じる独自の美意識を遺憾なく提示した本編によって、『新マン』の世界はまたひとつ、確実に深化していった。

第18話にしてついに登場した最高傑作ベムスターそれは『新マン』のみならず、第二期シリーズ全体を代表する名怪獣である。それを可能にしたのは、またしても「宇宙怪獣」というキーワードだった。地球生物の形態に囚われない自由な発想。

空を覆う巨大な円盤のイメージに、シンプルなツノと爪。それを五角形のフォルムの中に収めていく。頭頂部のツノと対をなすかのようなくちばしは、全体の流れから現れた必然的形態だろう。熊谷氏のお話では、ポイントはやはり「目」。

すべてを見下ろすかのようなあのギョロ目は、ユーモラスな狙いもあるという(もっとも飛行するミニチュアの目は、狙い以上の効果が出てしまった気もするが)。愛らしく巻き上がった尻尾もご注目、とのことだ。ヒーローを倒す憎まれ役でありながら、いたずらに凶悪、凄惨なイメージを潔しとしない熊谷スピリットがあふれている。

画期的な発想と言えば、ベムスターは腹部に「もう一つの口」を持つ、いわば生体兵器である。マットステーションを飲み込むという設定を具現するための口。その口は、単に横に裂けたり、唇のような形態をしているのではない。

生々しさを排し、中央にウニのような口、その周囲を五角形で二重に囲む、という独創的なものだ。デザイン的にみれば、単なる平面になりがちな腹部の空白を適切に埋め、しかもその形態は全身の五角形とシンクロするという、実に革命的なものである。

のちの超獣のような特段の武器を有していないベムスターが、宇宙大怪獣としての説得力をもつのは、全体と部分に五角形という明確な幾何学模様を用い、しかもこれを違和感なく有機的にまとめ上げた、その処理のすばらしさに尽きる。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
ベムスターはエネルギーを主食としている宇宙怪獣である。過去にエネルギーを食う怪獣といえば、バルンガとバキューモン、毛色が少し違うがバリケーンを思い出す。3怪獣とも「バ」で始まるし、ベムスターも「バ行」である。

偶然とはいえ、無限の強さを持つ怪獣には、「バ行」で名前を付けるといいかも。バキューモンは規模が違い過ぎて、あの時ウルトラマンがいなかったら、今頃地球はおろか太陽系が無くなっている可能性がある(笑)人類では殺せない怪獣の筆頭格である。

バルンガも宇宙怪獣ではあるが、初期段階では小さいため、息の根を止めることができる怪獣だ。だが、処置を間違えると、あの様(つまりドラマ)になっていく。エネルギーを求めてさまよい、無限に大きくなっていくから手が付けられない。

地球で最初にバルンガを発見した奈良丸博士は、手記に殺したと書いていたが、どうやって息の根を止めたのだろうか。燃やす?切り刻む?「血が出るなら、殺せる!」と言ったのは、プレデターと戦った勇猛果敢なシュワちゃんだが。はたしてバルンガは、血が出るのか!?

タグ:怪獣 熊谷健
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愛される怪獣とは ~形態学的怪獣論33 [怪獣論・怪獣学E]

ベムスターの顔面の立体化は、もはやこれ以外には無いと言えるくらい、考え抜かれたものだ。目を中心とした曲線の錯綜(複雑に入り組むこと)、大胆な平面で構成される頬部。間の抜けた感じを与えないのは、頭頂部からくちばしの先端までの直線が、一本筋の通った緊張感をもたらしているためだ。

凄みとユーモラスが同居する顔。なんという味わいの深さだろう。凛々しい顔面の造型の見事さは、「タロウ」の改造版と比較すれば一目瞭然だ。全身の抑え気味の配色と、ひび割れのようなウロコ模様のアンサンブルも決まっている。

下腹部を覆う剛毛も、相撲のまわしの下がりのようで、威風堂々としている。かつての黄金時代の名怪獣たちと十二分に比肩し得るベムスターという名優の出現によって、『新マン』は本当の意味で新シリーズとしてのスタートを切ったのではないだろうか。

7月最後に予定されていた放映日当日、岩手県雫石上空での自衛隊機と民間機との衝突事故によってニュース特番が入り、放映が翌週に延期になったことも含め、忘れがたい作品である。

ベムスターは偶然の所産ではない。そのような怪獣を送り出したいという、熊谷氏の情熱の結実に他ならない。熊谷氏の哲学によれば、人気怪獣の三大条件とは、

①子供達が遊びやすく覚えやすいこと(シンプル)
②特徴ある彩色と武器を持っていること(シンボリック)
③登場と結末はドラマチックであること

これぞまさに、ウルトラ怪獣の真髄ではないか!あまたの群星を圧し、不変の愛情を持って今日まで支持され続けたウルトラ怪獣の伝統は、ここに脈々と生き続けていたのである。

たとえばマグネドン。小山のごとき黒い体躯に、鮮烈な赤い4対のツノ。一瞥してすぐに絵が描けそうなほどシンプルで、わかりやすい姿だ。にもかかわらず十分に個性的で、しかも美しい。派手さは無いが、記憶されるべき名怪獣のひとつである。

造型もデザインの意匠をよく汲み、全身の大胆な把握と細部の繊細な処理がうまくマッチしている。何と言っても、頭部のツノの彎曲が絶品だ。前方に向かう立ちあがりの角度といい、ツノ自体のカーブといい、高山造型に勝るとも劣らぬほどの全ウルトラ怪獣屈指の出来映えである。

小さくまとめられた顔が、また表情豊かで実によい。怪獣が強さだけを競わされる前の、幸福な時代の一例と言えよう。なお、当初は青と赤のツートンだったそうだ。そちらも見てみたい気がする。

四脚怪獣でいえば、キングストロンも中期を代表する人気怪獣である。熊谷氏によれば、「すべてシンプルに、1本のツノと大きな目、2本の回転する背中のツノと金色の全身の重量感」がポイントである。

アーストロンから引き継がれた頭部の1本角は、四脚怪獣という設定に合わせて地面と平行に折れ曲がっている。背中のツノは、後方にある時はどこかおとなしく、回転して前方を向くとにわかに攻撃的なイメージへと変貌する。その変わり身が鮮やかだ。

手榴弾のような甲羅といい、サーベルのように見える尾のツノといい、極めて怪獣らしい怪獣と言える。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
以前に熊谷健氏を扱った記事で、本文に書かれた3条件は披露している。熊谷氏が怪獣デザインに参加されたあたりから、新マンでは特徴ある怪獣が産出されている。成田亨氏にも怪獣を描くための3条件はあったが、まだ怪獣というジャンルが確立されていない草創期だったこともあり、漠然とした内容であった。

熊谷氏は、先達が確立して来た怪獣というジャンルを分析し、より具体的な方向性を示すことにより、子供達に人気が出るような作品が描けるようになったということだろう。

タグ:熊谷健 怪獣
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第2クールは混成チーム ~形態学的怪獣論34 [怪獣論・怪獣学E]

アントラーの系譜を継ぐノコギリンも、快作だ。クワガタとカブトムシの融合した頭部、背中の彩色、硬質の手足など苦心のあとが見られる。着ぐるみの質感がもう少し硬質であればと、惜しまれる。熊谷氏は第2クールでは、他にビーコン、ザニカ、バキューモンも手掛けておられる。

このうちバキューモンは未だに怪獣ドラマ史上最大規模を誇る設定であるが、この抽象的なテーマに対して熊谷氏は、「人面」のデフォルメを忍ばせた(人の顔のように見えるデザインを施してある)ユニークなデザインを試みている。

結局ドラマでは黒煙のようなブラックホールとして描かれるにとどまったが、超巨大怪獣というコンセプトはのちに『ウルトラマンガイア』の中で、丸山浩氏が独自の解釈で答えることになる。

第2クールでは、熊谷氏以外のデザインが3点ある。東宝特美の(初代ゴジラを手掛けた)利光貞三氏によるサータン。熊谷氏との個人的な関係で、すでに完成していたデザイン画を登用し、あえて着ぐるみとしては難しいものへ挑戦した、とのこと。

さらには、ゴキネズラ。東宝の末安昌美氏の実弟で、円谷プロの営業におられた末安正博氏のデザインだという。カッパとネズミのイメージだそうだ。目の位置、頭部の形態、全身の躍動感など、きわめてユニークだ。そしてザゴラスの原案と第3クールの最初を飾るグロンケンは米谷佳晃氏のデザインである。

特にグロンケンはノコギリを生物に融合させた「超獣の元祖」とでも呼ぶべき傑作で、腹部のノコギリは東宝の怪獣ガイガンよりもこちらの方が早い。生物としての整合性よりもシナリオに書かれたキャラクターを優先し、なお且つ生物らしさも損なわれない、画期的なものである。

着ぐるみもオオカミのような堂々たる顔にみごとなノコギリを早やし(?)、デザインの意匠をさらにパワーアップさせている。またひとつ、『新マン』の自由度は広がったのである。

米谷氏からご指摘いただいた点を加筆しておく。グロンケンはキックボクシング→カンガルーのイメージでデザインされ、オリジナルの原画が存在するという。これまで各誌に掲載されたデザイン画は原稿ではない。造型用の指示のために新たに描かれたラフデッサンであるという。

当時米谷氏は、描く対象によって使用する画材(絵具、色鉛筆、紙質等)を変え、相当なこだわりを持って制作をされていたようだ。換言すれば、その情熱こそが新たな傑作を産みだしたのだといえよう。

様々な人々の参画の背景には、週一回のローテーションを何とかこなす必要があったと同時に、少しでも新しい怪獣を送り出そうという気運を大切にする制作姿勢があった。ドラマも怪獣も更なる充実を見せ始めた第2クール。

ザニカ、バキューモンの回でふたたび20パーセント台に回復した視聴率は、ついに最終回まで大台を割ることは無かった。『新マン』の世界はより独自の展開を深め、絶頂の秋へと突入するのである。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
バキューモンは、外から見た時に人面に見えるようなデザインになっていたのだが、映像のように無機質のブラックホール的な怪物として描くことで正解だったと、個人的には思う。バキューモンは生物だが、生物だから顔が必要と言う道理は無い。

ミドリムシやゾウリムシのように、顔らしい顔が無い生物だっているからだ。むしろ、顔が無い生物の方が一層不気味である。丸山浩氏が『ウルトラマンガイア』で描いた超巨大天体生物《ディグローブ》と巨獣《ゾーリム》が、形ある怪獣では最大規模になると思われる。
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更なる飛躍へ ~形態学的怪獣論35 [怪獣論・怪獣学E]

第1クールを模索期、第2クールを確立期とすれば、第3クールこそはまさに『新マン』の充実期だったと言えよう。第2クールは、伊吹隊長という強力な指揮官を得て、MATは戦闘集団の色彩を明確にし、組織としての魅力は倍増、際立ち始めた隊員の個性やユニークな怪獣の特性などを軸に、物語は快調に滑り出した。

脚本・演出の面で、市川森一氏の復帰、山際永三、石堂淑朗、真船 禎の三氏の参入も大きかった。そして怪獣デザインにおいては、プロデューサー補だった熊谷健氏が自ら筆を振るう一方、米谷佳晃、高橋昭彦(井口昭彦)両氏の参加により、バラエティ豊かな怪獣を輩出することになる。

例えばバリケーン。クラゲの笠をかぶったタコのごとき軟体動物の集大成。ヘドラに通じる左右アンバランスな縦長の巨大な目。吸盤を思わせる真っ赤な口。笠を縁取る剛毛とざんばら髪のように垂れ下がった海草のような触手。おまけに頭部が回転して空を飛ぶのだ。

実相寺昭雄氏の脚本とも合わせ、見事なまでに人を食っている。言い換えれば、これ程の異端児を許容できる広さこそ、『新マン』ワールドの魅力であったのだ。

個性を極めることと、正統派であること。この両者は決して矛盾するものではない。それを証明したのが、『新マン』屈指の傑作オクスターである。水牛の顔とツノ。たったそれだけのキーワードから導き出されたかのような抽象芸術とも言うべき奇抜なフォルム。

既成概念にとらわれないという意味では、あのツインテールにも比肩しうる独創的な発想。手なのか足なのか不明。どこから肩でどこから背なのかも判然としない。だがそれらはいささかも疵(きず)ならない。高くそびえる山のごとき巨体から突き出した2本のツノを描きこんだ時点で、このデザインは勝利している。

これが実質的なデザイン・デビューとなる高橋昭彦氏の気概に満ちた会心の一作だ。造型もまた秀逸だった。白と赤の鮮烈なコントラスト。急角度の崖のような背面を覆う褐色の剛毛。適度な湾曲を備えた竹筒のような2本のツノ。

デザインの意匠を汲んでさらにパワーアップした顔面は、目も口も鼻の穴も堂々たる自己主張をして大胆不敵な面構えである。デザインより側方に移動し、先端を鈍的にカットしたキバの繊細さ。水底に沈んだ奇妙なる伝説の、最後に残った悲劇の守護神として、オクスターの形態は非常によく似合っていた。

米谷佳晃氏の手になる囮怪獣プルーマは、典型的な二脚恐竜型であるが、頭頂部から背面全体にかけてまるで雪ん子の雪蓑(雪みの)のような甲羅に覆われている点が極めて斬新である。甲冑怪獣の想定らしいが、そういえば両脚の模様は鎖帷子(くさりかたびら)のようにも見える。

胸から腹にかけての装飾も、強化された筋肉、あるいはサイボーグ化された保護板といったところか。造型もよくこれに応え、甲羅を覆う一面の鱗状模様や顔面の表情も秀逸で、単なる囮では勿体ない存在感がある。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
中盤以降、侵略宇宙人が連れてくるプルーマやレッドキラーなどの怪獣達が充実している感がある。宇宙怪獣と地球怪獣(もともと地球に生息していた怪獣の意)をデザインする上で、ストーリー的に配慮しているのかなぁ、と思わせる何かを感じるのだ。

脚本が先に出来ていて後からデザインを考えるならば、そういった部分を考慮することは可能だと思う。その逆で、出来上がったデザイン画を見て、脚本家がそれにあったストーリーを考えるというのは、素人考えながら、かなり困難なのではないだろうか。

だとしたら、ストーリーと怪獣デザインが合致した『新マン』の質は、スタッフの気合がよく合った、初期ウルトラ三部作に劣らない素晴らしい作品だといえると思う。

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