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四足怪獣の王道「ネロンガ」  ~形態学的怪獣論1 [怪獣論・怪獣学B]

ベムラーやレッドキングが二脚怪獣の決定版なら、ネロンガは四脚怪獣の決定版を意図してデザインされたという。成田亨氏のデザインでは、ウルトラQに出てくるゴルゴスに似て、うずくまる山のような体形に顔が付いている。

色彩を派手にしようと、背中にトラの模様をヒントにして黄色を導入したということだが、当初からネロンガはパゴス(ウルトラQ怪獣)の改造が決まっていたらしく、形態的にさほどの独創性は感じられない。顔も東宝怪獣バラゴン以来の「鼻にツノ、耳に飾り」というパターンを継承している。

下あごから生える2本のキバが、唯一の特徴とも言える。だがこのキバこそが、ネロンガをユニークな顔を持つ怪獣へと変貌させた理由であった。

ネロンガはもっとも似顔絵の描きにくい怪獣のひとつである。記憶だけを頼りに一度描いてみると判るが、ほとんどバランスを取るのに失敗し、まとまりの無い顔になってしまうだろう。元々ネロンガの顔は、うまくバランスを取るようには出来ていないのである。

下あごからキバが生える怪獣の先駆けは、言うまでもなく「ガメラ」である。ほとんど唯一の装飾であるこのキバがガメラの顔を単なるカメと区別している点で、驚くべき独創性と言わざるを得ない。

ガメラの場合、2本のキバは下あごから外側に向かって逆ハの字に開いているため、顔に刺さることは無く、下あごの形は大きく広がる必要が無い。

ところが、ネロンガは違う。何気なく描かれた下あごのキバを収めるため、造型家佐々木明氏は、キバの生える部分を思い切り外側へ広げたのである。さらにキバがぶつかる上あごの部分を、内側へ若干えぐった。

このためにネロンガの正面からの顔は、あえて言えば、「ドリフ・志村けん氏のアイーン」顔とでもいうべき、独特の表情を持つものになった。まるで笑っているかのように、閉じることもできない大きな広がった口。強烈な個性の顔の持ち主となった。

怪獣デザインにおいては、いわゆるカッコイイ怪獣は、頭も口も鼻孔も小さくなる傾向がある。その方が全体のシルエット的にも、また細部のバランスにおいても、まとまりが良いのである。ネロンガは、まさにこうした流れの反対側に位置している。

整然という概念からは外れた存在の、常識外れの不思議な魅力の顔を持つ怪獣である。ネロンガの表情を独特にしている要素のもう一つは、「目」である。もう少し正確に言うと、眼の周りを覆う高まり、つまり「眉」の部分である。

通常ここは、凶暴な表情を演出するために吊り上がることが多い。だがネロンガの眉は、むしろ下がっている。このため角度によっては、困ったような、泣いているような、何とも不思議な表情を醸しだす。

顔面の鼻先から生えているツノは、単なる円錐形では無い。円錐をいちど潰して、二か所に折り目を付けてから、再度膨らませてできたような円錐形をしている。さらに耳に相当する部分から出た触覚は、後ろになびいている時はツノとキバとほぼ平行に位置し、触覚を回転させて前方へ向きを変えると、ツノの頂点で三つがまとまるような形態を取る。

ネロンガのデザイン画ではこの触覚は描きこまれていないので、いつ、どんな理由で造形する時に付け加えられたのかは、不明である。怪獣ネロンガの着ぐるみに入っているのは、ご存じゴジラに入った中島春雄氏である。ネロンガの着ぐるみはゆったりと出来ている感じで、それが怪獣の重量感・巨大感を表現するのに、大いに効果を発揮している。

ウルトラマンにその巨体を叩きつけられると、画面全体がダイナミックに躍動するのだ。中島春雄氏の演技が、ネロンガでなければ出来ない動きを見事に表現していて、「怪獣に命を吹き込むこと」の良いお手本を見せてくれている。

ウルトラマンの水準の高さを支えている両雄、洗練されたバルタンと土臭さのネロンガ。怪獣デザインの原点としてのネロンガの魅力は、今も新鮮である。


★★★★★★★★★★★★
筆者はネロンガという怪獣は、正直なところ、あまり好きではない。やはりカッコよさという点では、マイナス点が大きい。バルタン星人のスマートさが、その差をより広げる。だが、記事は、「四足怪獣の元祖はネロンガにあり」という。それは、なんとなく納得である。

何事も元祖は、カッコわるいのだと思う。そこからすべてが始まるのであり、そこから進化して、より良いものが生まれていくのだから。「ネロンガ」がビッグバンを起して、「大怪獣」という宇宙が限りなく広がっていくのである。
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正統派怪獣とは  ~形態学的怪獣論2 [怪獣論・怪獣学B]

前回はネロンガのユニークさを語ったが、造型の原型になったのは、東宝怪獣のバラゴンだ。この「バラゴン」の背中の装飾はよほど優れていたのか、「ネロンガ」はさらに「マグラ」、そして「ガボラ」へと改造を重ねていった。

1話完結の怪獣番組において、1クール(1クールは3か月分、13週分を指す)の中で3回同じ着ぐるみを改造して使用した例も、珍しいのではないだろうか。むろん、それぞれが単なる改造ではなく、立派なオリジナリティを持つに至っているのは見事なものである。

印象としてはあまり強くない「マグラ」だが、なかなかの力作である。全身が真っ黒という点が斬新だ。成田亨氏のデザインでは、ハリネズミのごとく黒いトゲの集合体である。レッドキングとの兼ね合いもあったのか、尾の部分には共通項が見られる。

どこまでネロンガを改造する予定だったのか詳細は分からないが、ネロンガの着ぐるみをすっぽりと包んで作ったようである。顔の辺りにネロンガの雰囲気を残しながら背中の装飾は隠れ、剣竜のごときヒレとなっている。ツノもツメもキバまでも黒いという徹底ぶり。

雑誌のグラビアなどで白いレッドキングと向かいあうと、好対照を成していた。ここまで改造したのなら、もう少し活躍の場を与えてもよかったのにと、惜しい気がする。

ガボラの場合は、はっきりと予算を抑えるための改造だったようだ。ガボラのデザインを見た金城哲夫氏が「成チャンは天才だ」と叫んだというエピソードは、芸術家としてのセンスを絶賛しただけでは無いというニュアンス(予算を抑えるセンスも抜群だ)がおかしみを誘う。

鳥のくちばしとも花弁とも見えるヒレの中から顔が現れるという発想は、とても独創的で真似が出来ない。閉じている時は細長い骸骨の化石のようにも見える。開いたときには襟のようにも見える。いずれにしても摩訶不思議な発想で、まさに「天才」の名に恥じない。

このヒレに硬い質感を与えて、ウルトラマンとの決戦シーンでも形態を保ったままに仕上げた造型家のセンスも、また見事であった。付いていたツノを切り落とした鼻の処理も自然で、ライオンの鼻を思わせる出来映えだ。

ネロンガ、マグラ、ガボラ、そしてバルタン星人の造型は、いずれも佐々木明氏だ。成田亨氏の武蔵野美大の彫刻の後輩で、早くから外注の造型家であったという。

ウルトラ怪獣のイメージを決定づけたのは、もちろん高山良策氏の造型技術であるが、要所要所に現れるこの佐々木造型の怪獣たちも、最大級の評価を受けるべき傑作ばかりである。佐々木明氏は、ウルトラ怪獣の重要な部分を担った芸術家のひとりであることに間違いはない。
*造型家・佐々木明氏へのインタビューは、「初代ウルトラマンの思い出2」内にあります。http://ztonbaltan.blog.so-net.ne.jp/archive/c2306161636-4

ところで、怪獣の「正統」とは何だろうか。本来、怪獣に正統も異端もあるはずがない。異形の生物が「怪獣」と呼ばれるなら、そこに形態としての制約があるのは不自然であると言える。だが「怪獣」といえば、やはり『二脚恐竜型』こそが正統という暗黙の了解が存在するような気がする。

我が国最初の本格的怪獣であるゴジラのイメージが、いかに影響力が強いかという証明でもあろう。怪獣デザイナーは「代表作」を作ろうとするとき、必ずと言っていいほどゴジラを念頭に置き、そこにどこまでオリジナリティを付与するかという作業に移るものである。

歴代ウルトラシリーズの第一話の登場怪獣、そのほとんどが一角獣の形態(ゴメス、アーストロン、ゴルザ、マグマ大使のアロン等)である。日本初の本格的特撮テレビとなったウルトラQでは、企画当初は怪獣路線では無かった点を考慮しても、『二脚恐竜型』のシルエットを持つ怪獣はゴメスとペギラのみである。

ゴルゴス、パゴス、モングラーと思い出してみても、四脚恐竜型が多い。つまり、『二脚恐竜型』が怪獣の正統派と見なされるようになったのは、ウルトラマンという超人の出現以降なのである。それは『超人対怪獣の格闘』シーンという絵を作るのに、最も適していたからに他ならない。

ネロンガやゲスラのように立ち上がるものを除けば、完全に伏せたままの四つ足怪獣はスカイドンやガマクジラなど数頭で、ウルトラマンはこれらと引き起こすかまたがるという困難な闘い方を強いられる。そのためだろうか、『二脚恐竜型』に次いで多いのが『人間型』なのである。

ヒドラ、アントラー、ドラコ、キーラなどのように、『人間型』と『二脚恐竜型』の中間のようなデザイン的処理をされて、いずれも格闘しやすいスタイルに仕上がっている。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
形態学的怪獣論という、なかなか面白い学問(だと思っている筆者だが)に、興味が向いている。怪獣を適当にデザインしても、無意識のうちにヒーローと格闘しやすいようなデザインになっていくということだ。そういえば、子供の頃に怪獣図鑑を見ていて憶えているのだが、

「自分が考えた怪獣」の優秀作に当選した怪獣は、『目玉無き目とキバをむいた口が中央にあって、その周りにヒトデのように5本の足が付いていて、それを回転させながら進むという怪獣』で、ちょうど新マンに出てくるバリケーンの頭部だけを縦にしたような形態であった。

その怪獣を映像にしようとしたら、CGを使うほかないような感じである。人が入るという大前提が、実は怪獣デザインをする上での最大の難問になっている。

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正統派怪獣からの脱却  ~形態学的怪獣論3 [怪獣論・怪獣学B]

自然界にあるあらゆる生物や静物の形・模様・デザインを使って怪獣化した『ウルトラQ』とは異なり、また同時期スタートした『マグマ大使』のように2週間で怪獣1体という緩やかローテーションとも異なる、週に1体必ず格闘できる怪獣を登場させる『ウルトラマン』では、従来からの『二脚恐竜型』『四脚恐竜型』『人間型』を適度に織り交ぜて、視聴者に与える印象を多様化する必要に迫られた。

絶えず新鮮な感動と美を追い求めることが、ウルトラのスピリットでもあった。まずそれは、すでに使った怪獣の着ぐるみを改造する「再生怪獣」に現れた。ネロンガ、マグラ―を経て生まれた怪獣ガボラの「ひれ」である。

この「ひれ」は翌週放映したジラースでは「エリマキ」という形で現れ、まったく別のシルエットをもった怪獣に再生して見せた。さらに言えば、ガボラで頭に付いていたこの「ひれ」をもっとうしろの尾の方に移動させて、ケムラーの「甲羅」に変化させたとみることもできる。

そしてこれに続くように、既成概念を打破する画期的な試みが提示された。人間がふたりで演じる着ぐるみの誕生であった。第一話放映からまだ1クール内という時期に、このアイデアには驚かされる。

その第一弾は「ドドンゴ」である。某ビール会社のトレードマークを彷彿とさせるそのデザイン。しかし、中国の「麒麟」は鹿の体に牛の尾と馬のヒヅメを持つ一角獣という妖怪の一種であるというから、ドドンゴとは印象が異なる。

四脚恐竜型の怪獣の着ぐるみでは、後ろ足を折りたたまないと人間が入れない点が問題だった。人の手が脚より短いこと、人と動物では後ろ脚の屈曲が異なることが原因であるためだ。馬や鹿のようなシルエットの四脚怪獣はできないものか。これを解決したのが、人間を二人入れるという発想であった。

まさにコロンブスの卵である。後脚はともかく、前脚の屈曲の様子は驚くほど動物に近づいた。ふたりで操作するので、まさに「怪獣二人羽織(*)」である。これはウルトラマンに対しては大きさで威圧感が生まれ、大怪獣の風格が出るという効果があった。

デザイン自体のシャープな印象も秀逸だが、造型の見事さは特筆に値する。独特の悲しみを帯びた端正な顔、首から尾にかけて流れるようなライン、躍動する全身のしなやかさ。高山造型の代表作のひとつと言えるだろう。
(*)「かいじゅうににんばおり」と読む。 「二人羽織」は、演芸会等での笑いを誘う出し物のひとつ。

ドドンゴは第二次怪獣ブームの中で、多くの継承者を生んだ。ブロッケン、ジャンボキング(いずれもウルトラマンA)を見ると、姿形の妙という以上に、話の要所を飾るための大怪獣としての存在という印象が強い。

ストーンキング(ジャンボーグA)はよく言えばオマージュだが、独自性という点では苦しいものがある。動きのしなやかさ、前半身と後ろ半身の自然なつながりなどは、どれもドドンゴを凌駕できていない。それだけドドンゴが偉大だったということだ。

ドドンゴが前後に人を配したのに対して、左右並列に人を配したのが「ペスター」でをある。2匹のヒトデをコウモリの顔でつなぐという発想は、ただ事では無い。成田亨氏の感性の豊かさにただただ、脱帽である。単にヒトデを並べるだけでなく、腹部を白く抜き、周囲を放射状のシマ模様にまとめた点が秀逸だ。

背部は一面びっしりと平坦なうろこで覆われ、重厚感をだしている。全体の大きさもさることながら、着ぐるみの重量も相当なものらしく、脚の辺りのタルミも味わいがある。惜しいことに格闘に向いて無いためか、ウルトラマンとは一度も相まみえることなく終わった。

ウルトラマンが消火作業の合間に放ったスペシウム光線の一撃で、あっけなく絶命してしまったのである。ドドンゴは実在する四つ足の獣に類似の形態が見られるが、ペスターのような形態は、自然界には見られない。そのあまりの独自性ゆえに、このようなシルエットを持つ怪獣は、今日に至るまできわめて少ない。

わずかにフリーザーキラー(オリジナリティの面で問題あり)や、顔は二つあるが体が左右に並列という点でダブルキラー(ともにジャンボーグA)、エイリアンメンジュラ(ウルトラマンティガ)などが散見されるに過ぎない。

前後にふたりの着ぐるみは、他にも『怪獣王子』のネッシーなどにもみられるが、左右並列の着ぐるみはさすがに円谷プロ以外の作品には出ていないようだ。それだけペスターのイメージが、のちのデザイナーにとっても強烈すぎるのだろう。

究極の多角形としての円、または球がある。すでに『ウルトラQ』のバルンガが先駆であるが、そのバリエーションが『ウルトラマン』のブルトンである。変形怪獣もここまで来ると、ウルトラマンとも絡みようがない。

球体怪獣は他にも、グローバー(ジャイアント・ロボ)があり、球体に変形する怪獣としてグロン(仮面の忍者 赤影)、ウータン(ジャンボーグA)、円盤状怪獣としてタイヤ―魔、ベンバーン(以上サンダーマスク)、バルガラス(流星人間ゾーン)、球体怪獣の変形としてタッコング(帰ってきたウルトラマン)、ブラックエンド(ウルトラマンレオ)などがある。いずれも正統派怪獣達に混じって、斬新な形態で楽しませてくれる者達だ。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
筆者には、名前を聞いただけでシルエットや映像がすぐに浮かぶほど、懐かしいペスターやドドンゴだが、この種の姿の怪獣で知らない名前を聞くと、どんな姿なのか検索して調べずにはいられないほど、この二人羽織の怪獣にはとても情愛のようなものを感じている。

だがいずれの場合も、元祖を超えるような出来映えのものは中々出現しないようだ。それは、この元祖の2匹それ自体が、特異な姿をしているからで、後に続くデザインを描くことが非常に困難なためだ。前後・左右には、ドドンゴ、ペスターを超えるような怪獣はもう出現することは無いと思う。

あと残っているとすれば、マジンガーZのピグマン子爵のような、肩車をした形態の怪獣ぐらいだろう(笑)
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異星人のシルエット  ~形態学的怪獣論4 [怪獣論・怪獣学B]

デザイナーの成田亨氏は、ウルトラQの中で、セミ人間(正式にはチルソニア星人)とケムール人という2体の宇宙人をデザインしている。セミ人間は文字通り、人間の頭部をセミに置き換え、全身に透明なスーツを着せた比較的オーソドックスなスタイルだが、ケムール人はエジプト絵画の技法を取り入れた画期的デザインとなった。

見えない部分も同時にみえるという技法によって生まれたこの頭部は、顔そのものなのかヘルメットの変形なのか明確でないが、さらにケムール人は、肉体そのままなのか特殊な宇宙服をまとっているのか判然としない、という大きな特徴を持っている。これはウルトラマンをはじめとして、その後の宇宙人に共通する特徴である。

ウルトラセブンのような戦闘タイプのものでは、やはり特殊宇宙服であろうとの予想になろうが、では頭部はどうなのかという疑問が依然として残る。同じことはセミ人間の発展型のバルタン星人にも言える。あの外観は生物の体そのものなのか、武装しているのか。

あの巨大なハサミから、どのようにして高度な文明を築き上げたのか。それらに対する回答は、たぶんこれからも出されることは無いだろう。それはそれでいい。ファンタジーなのだから。そしてこの「感性」こそが、他に類をみない独自のデザインをこれから輩出していく原動力になったのだから。

ザラブ星人は、バルタン星人を経て登場した『ウルトラマン』における二種類目の宇宙人である。ボディは「海底原人ラゴン」の流用であるらしいが、肩から上のデザインが印象的なため、ほとんど気にならない。正確にいえば、ザラブ星人には肩が無い。

バルタンにつづく宇宙人をデザインするにあたり、成田氏は「人間のシルエット」を崩すところから始めようと考えたのではないだろうか。それは「人体から発して別のシルエットを提示する」という革新的な発想である。その手始めが、「肩を消す」ことだった。

ザラブ星人のデザイン過程想像図は、「人面のデフォルメと失われた肩」ということになる。まず銀色に輝く人間の顔がある。真っ先に鼻を消す。そして目を吊り上げ、眼球を消し、全体を図形的に処理して単純な凹凸で表現する。さらに口はヒトデやイソギンチャクのような、円形が放射状に開閉する形態とした。

耳は単純化して陥没させ、口と目の間の「ほお」はエクボのようにへこみを施す。ここまでならよく出来た「悪党仮面」、ザラブを異星人たらしめているのは、まぎれもなくあの「失われた肩」なのである。そしてそれは、生身と宇宙服との別を「曖昧」にしたからこそ成し得たデザインなのである。

この方法はジャミラにも応用された。厳密にいえばジャミラは宇宙人ではなく、変化した地球人の姿である。しかしデザイン的には、人間から発して人間とは異なるものへという点で、まさに一致している。

顔はザラブよりも人間の面影を残し、鼻孔や唇はある程度生々しく、首と肩の一帯はアメフトのプロテクターのように張り出している。このシルエットは強烈だ。通常の肩の位置を変えて人間のシルエットを崩したという点で、同義である。

さらに言えば、三面怪人ダダも結果的には頭部の大きさのために、肩は失われている。三つの顔が場面場面で変化するという画期的なこの試みは、当初の狙いほど上手くいったかどうかは不明だが、単なる「かぶり物」を超えた面白さを見せてくれた。

考えてみると、三つの顔が変わる必然性など、ドラマの上ではまったくない。言うなれば、デザイン側からの発想で見せるというところに、『ウルトラマン』の凄さがあると思うのである。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
どちらかといえば、日本人の思う宇宙人が人間型であるのに対し、欧米人の思う宇宙人は、動物とか昆虫のような、人間の顔形からは外れている印象がある。映画『スターウォーズ』の酒場で楽しんでいる様々な姿の宇宙人たちや、ジャバ・ザ・ハットのような爬虫類型、軟体動物や昆虫を原型にもつ姿をしたものが多い。

そしてエイリアンやプレデターに代表されるようなクリーチャーと呼ばれる造型物の登場により、異星人は新たな質感の変化を見せるのだが。手足は二本ずつ付いているが、顔は人とは似ても似つかない物が欧米型宇宙人。それに対し、サングラスやヘルメットをかぶっているが、見た感じはあまり違和感の無い人間に近い形をした宇宙人を、私達は子供の頃のゴジラやガメラの映画で観てきた。

そのイメージを変えるような事件を、円谷プロの成田亨というデザイナー、そして高山良作という造形家が起こす。ウルトラQのケムール人が出現し、ウルトラマンでバルタン星人が出現する。いままで銀色の宇宙服を着ていた人っぽい宇宙人とは似ても似つかぬ、新しいタイプの宇宙人像を生み出したのだ。

これを革命と言わずして何と言うか。本文にも書いてあるが、服を着ているのかいないのか判断が付かない体つき。これはウルトラマンにも言えることだ。もし裸の状態なら、鳴動・点滅するカラータイマーは、素肌に直に付いているということになる。

今までの常識を打ち破った宇宙人を創造してくれたこのお二方に対し、我々は拍手を惜しまないものである。

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宇宙人デザインの系譜  ~形態学的怪獣論5 [怪獣論・怪獣学B]

成田亨氏が「怪獣・怪物・怪人ではなく、宇宙人のデザイン開発を真剣にやり始めた頃のデザイン」と言われるのが、メフィラス星人である。それまでは真剣でなかったという訳では無く、先人の参考例と己の美意識の導くままに、宇宙人をデザインとして確立していく端緒となったのが、メフィラスだったということだろう。

メフィラス星人の原形となったものは、誤解を恐れずに言えば、かの時代の悪者の代名詞であったギャングであろう。主なる要素は、サングラス、黒いスーツ、それにマスクである。月光仮面式の黒いサングラスの形を吊り上げ、耳を大きくし、マスクを口に、スーツの襟を銀色のヒレにアレンジしたのが、メフィラス星人である。

そのアレンジセンスは秀逸であるが、デザインや造型物にある種の「人間臭さ」を禁じ得ないのは、モチーフを考えればもっともなことであろう。

その紳士的な侵略方法、ウルトラマンと互角の力を持ちながら自ら去っていった潔さなどが心に残るが、なぜ彼が「悪質宇宙人」と呼ばれるのか不思議だったが、もとがギャングであるという「形態的」理由がそこにあったのだ。

メフィラス星人は大いなる実験だった。人間あるいは悪人の造作をデフォルメして宇宙人の顔に仕立てていくという作業は、ここでひとまず終止符を打つ。成田亨氏はここからまったく未知の、そして独自の道を歩み始める。

怪獣デザインに際して自らに定めた様々なルール、芸術家としての誇りと信念、それらが「ウルトラセブン」に登場する傑作宇宙人の数々に、見事に結実している。

まったく斬新で、しかも正統的な宇宙人。この矛盾したテーマの最初の結実が、ゴドラ星人である。バルタンがセミ人間の改変であり、それゆえにデザイナーとしてはあまり乗り気でなかったのとは異なり、何もない所からのデザインは、限りない喜びに満ちた作業だったであろう。

単なる思い付きでは無く、いくつものパターンを生み出すことが可能な、新たなる基本型。その特徴を要約すれば、第一に「面長」であること、第二に「人体と服飾との融合」と言えよう。

頭蓋骨の形態を大別すると、日本人を含むアジア人は短頭型、欧米人は後頭部の長い長頭型に分けられる。エイリアン、ET、プレデターなど近年の洋画の宇宙人デザインが長頭型になってきたのも、ある意味では必然である。

これに対して成田氏は、なんと顔の長い宇宙人というスタイルを確立した。頭・首・肩の境界を消して、頭部のシルエットを変えながら面長の顔に至る過程が理解できるのである。さらにいえば、これは明確な顔とは言い難い。かろうじて目はあるが、それ以外の顔の付属品(鼻、口など)はきわめて曖昧に処理されている。

むしろそのことによって、地球人類との相違を積極的にアピールしている。十分に知性を感じさせ、しかも独自の美しさを具え、なお且つ誰も見たことの無い異質の生き物。このような発想から生み出された一連のデザインは、おそらく皆無ではないだろうか。

面長の宇宙人たち;メフィラス、バルタン、ザラブ、ケムール、メトロン、キュラソ、ペガッサ、ゴドラなど。人間のシルエットを崩し、人面のデフォルメを経て創造された、個性的且つエレガントなデザインの美しさを持つ星人たち。

メフィラス星人は、人面と人体のデフォルメの集大成だった。様々な工夫を施す中で、宇宙を意味する「黒」、文明を表す「白(銀)」という体色で、見事にまとめ上げている。ウルトラセブンを代表する敵役ゴドラ星人は、それにふさわしい新たなデフォルメが導入されている。

顔面はどことなくカニを思わせるが、頬(ほほ)の部分に相当する側面のデザインは、巻貝の断面がヒントと思われる(貝のイメージは、成田氏のデザインにしばしば登場する)。この白銀の顔面に並ぶ黒い凹部を受けて、腰から下は同様の色彩の幾何学模様で処理されている。近未来的、科学的なイメージを狙ったものだろうか。

上と下を繋ぐ胸部・腹部は、洋服のデフォルメ、つまり「赤色のチョッキとベルトとバックル」ではないだろうか。このいでたちは、西部劇ファッションに通じる味わいがある。ゴドラ星人の手は当初ハサミではなく、人間同様の指だったそうである。

もしゴドラの両手をショットガンに見立てれば、西部劇のガンマンスタイルに通じるというイメージで、ハサミに変更したかもしれないと考えるのは的外れだろうか。いずれにしても、『服飾と人体の融合』はケムール人以来の伝統であり、ゴドラ星人はその本格的な完成品の第一号と呼ぶにふさわしい傑作である。    (つづく)


★★★★★★★★★★★★
メフィラス星人の顔がギャングのイメージだという見解には、思わず納得してしまった。記事の文章だけ読んでも納得できないかもしれないが、手元にある資料に描かれた「メフィラスデザインの過程想像図」なるものを見ていると、納得してしまう。

一番のポイントは、口を覆うマスクが顔と一体化して口無き口になっているところだ。電飾が光る部分が口にあたるのだろう。物を食べるようには見えないこの口が、マスクの変形からデザインされたものかと思うと、妙に納得してしまった。

ゴドラ、ペガッサ、メトロンの出来映えは、まさに成田氏の本領が発揮された傑作品と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

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