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宮内洋、ヒーロー一本道(6)  『ジャッカー電撃隊』その1 ~変身する隊長、番場壮吉/ビッグワン [宮内洋・2]

4人のサイボーグ部隊「ジャッカー電撃隊」が犯罪組織「クライム」の起こした事件を捜査して、最後は変身して「クライム」の悪を倒す姿を描く。

番組のスタイルは犯罪組織と特捜隊の対立を描き、時としてスパイアクションを彷彿とさせるようなシリアスかつハードなスタイルを狙っていたが、視聴率は低迷した。番組のテコ入れのために第23話から登場するのが、宮内洋氏演じる番場壮吉である。

ジャッカー電撃隊は、国際科学特捜隊の日本支部長官・鯨井大助(くじらいだいすけ)が結成したサイボーグ部隊である。メンバーをスカウトし、自身の手でサイボーグ化手術を施して結成した。自らは「ジョーカー」を名乗って彼らの指揮官に就任し、鯨井自身は変身しないが指揮官として、また科学者としても優秀であった。

ニューヨーク本部へ栄転したため、後任として登場するのが行動隊長ビッグワンこと、番場壮吉である。神出鬼没かつ変装の名人、これが番場壮吉の特徴である。

メンバー4人がそれぞれ持つ、核・電気・磁力・重力の4大エネルギーを全て併せ持ち、「白い鳥人」の異名をとる。だが宮内氏を登場させたテコ入れも視聴率の回復にはつながらず、全35話で放送終了となった。スーパー戦隊シリーズで最も話数が短い番組。


★★★★★★★★★★★★
『快傑ズバット』と『ジャッカー電撃隊』とは、同年代の作品である。ズバットが終わる頃、プロデューサーからジャッカーを演ってほしいとの連絡が来た。同じように変身ものだったし、丹波哲郎先生の御子息の丹波義隆さんが出演していたため、何回か観させてもらった。

番組の中で隊長を演ってほしいと言われたが、隊長はスペードエース役の丹波義隆さんではないのかと思った。すると、4人のまとめ役である「ジョーカー」のポジションであるとのことだった。何でだろう、すでに鯨井大介長官(=ジョーカー)役を田中浩さんが立派に演じているのに・・・。

その理由はこうであった。『快傑ズバット』が終わる、宮内のスケジュールが空く、だからテコ入れのために、『ジャッカー電撃』に宮内を使う。故に、中途半端な23話からの出演となった。誰と共演する時でも、宮内なりに演じるから問題は無いが、主役を演じていた丹波義隆さんの気持ちは、その時どうであったろうか?宮内は、与えられたものを演る、ただそれだけである。

台本をいただいて驚いた。役の番場壮吉は、隊長は隊長でも行動隊長。お話を頂いたときは、『宮内もとうとう、長官とか隊長とかのまとめ役になってしまったか』と思っていたのが、行動隊長。しかも「白い超人」に変身するまでになっているではないか。『よーし、演ってやる』と、大いに燃え上がった。

『この手の番組をやるときは、ヒーローは衣装を変えないほうが良い』というのが、自分の哲学である。変身後のキャラクターをしっかり頭に入れてしまうのが、ちびっ子だ。じゃあ変身前はどうかというと、それほどでもないようなのだ。

だからちびっ子に印象付けをする時は、顔だけではなく型からやった方がいい。印象的なポーズであった方が子供に憶えてもらいやすく、印象づいてから改めてまた顔を覚えてもらえるからだ。そのためには、役柄の人物を役者自身が訴えるように演じることが必要だ。

その点をよく考えると、役柄にふさわしいポーズというものが、浮かんでくるものである。型だけを考えすぎて、守りすぎてもダメ。役者は『1秒でも多く映っていたい』がプロの第一歩。そして顔を覚えていただいてこそ、次へつなぐことが出来るのだから。

ジャッカー電撃隊のメンバーは、スペード、ハート、クラブ、ダイヤのトランプ4人の戦士。それにジョーカー。なかなか素敵なネーミングだ。後から参加していくのは、非常に問題がある。入って行く者、出ていく者、今までに出来上がっているチームワーク。それでもドンドンガンガン入って行くのが、宮内洋であります。

衣装替えはしないから最高にインパクトのあるものを、とその衣装をどうするか、いろいろ考えてしまう。この役は変身すると『白い超人』になるというから、「白」とする。その白にトランプの四色をリボンタイで添えてアクセントにして、『番場壮吉』のスタイルは出来上がった。

『ジャッカー電撃隊』のスチール写真は、今まで演じてきた番組の中でも、一番少ない。その中でも、アクションのスチールが目立つ。いつもは白のエナメルブーツなのに、白のバスケットシューズを履いているのがあったりする。

ビデオやブルーレイなどで、そのようなスチールが後々残るのはイヤなことだが、これはズバットの所で述べたように、足場をしっかりさせるためにどうしても滑らない靴を履いておく必要があったからだ。これからの、いや現在の俳優さんたちにも、アクションをするうえでの足元・足場の重要性について少しでも解って頂ければ、うれしく思う。  (つづく)
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宮内洋、ヒーロー一本道(7)  『ジャッカー電撃隊』その2 ~演じた4大ヒーローの中で、番場壮吉の腰と目線の位置が一番高い [宮内洋・2]

(前回からつづき)
番場壮吉は変装の名人である。男が化粧をする昨今ではあるが、役者は演ずるが故に化粧をする。役に成りきるために装う。第32話『どっちが本物?危うしビッグワン』では、カメレアン大隊長なるものと変装合戦をした。実に楽しく演れた。なんとこの脚本が、あの長坂秀佳先生のものであった。

ジャッカー電撃隊全35話中、ただ一話のみの長坂脚本であった。また第29話『行くぞ七変化、鉄の爪対ビッグワン』は文字通りの七変化。敵も番場壮吉も変装で対抗するコスプレ合戦なのだが、ここで登場するのが『ある時は片目の運転手、またある時は〇〇、そしてその実体は△△』の名調子である。

昔から映画でおなじみの多羅尾伴内(*)のこの名セリフ、演っていても実に気持ちのいいものだ。この脚本が、上原正三大先生のもの。上原正三先生は『仮面ライダーV3』はもとより『秘密戦隊ゴレンジャー』でもメインライターとして書かれていた方で、宮内にとっては大先生だ。役者・宮内洋をよく知っておられる方だと思う。

(*)たらお ばんない 「七つの顔の男」シリーズに出てくる架空の探偵の名。片岡千恵蔵主演で、七変化の活躍をする。

さて、変装するとその都度、セリフの言い回し方、立ち振る舞いが全部変わらなくてはいけない。そのような時に、ズバットの所で書いた『電車の中の教え』が役立つのである。各シリーズ作品の中で、風見志郎を演り、新命明、早川健と演じて、今度の番場壮吉。

この間、休みなくヒーローを演ってきたので、違いを出さなくてはならない。風見志郎から新命明はスンナリ行けた。新命明から早川健も、まあまあスンナリ行けた。ところが番場壮吉に至っては、少々役作りに行き詰ってしまっていた。どう演ずるべきか?他と変えて、どう違ったように見せるべきか?

そこで考えたことは、『ジャッカー電撃隊』はグループであること。『ゴレンジャー』の時と違って隊長であること、それも行動隊長である。このように、要素をいろいろ考えた結果、他との違いに「年齢」を持ってきたのである。風見志郎より、新命明より、早川健より、今の番場壮吉がいちばん年上とした。

そうすることによって、やっと番場壮吉という役を自分の中に確立することが出来た。これまでも、何か新しい役を演じる時には、年齢を考えてきた。ビデオを見ればお分かりと思うが、演じる役の年齢に応じて、アクションの時の腰の位置の高さが違っている。従って4大ヒーローの中では、番場壮吉の腰がいちばん高く、目線もまたいちばん高い所から見るようになっているのである。

同じ様な作品を演じる時などは、『電車の中の教え』によって日頃から自分で貯めておいた財産を、「芸のタンス」の引き出しの中から引っ張り出して、それを消化していく。役作りというものは、そういうものだ。その経過の中で少し違うかなと自分で感じれば、微調整していけばよい。番場壮吉も、そうやって出来上がった。

テコ入れ策でもあった「行動隊長・番場壮吉役」を張り切って演じたのではあったが、『ジャッカー電撃隊』は35回で終了となってしまった。役作りに苦労した番場壮吉だけに、残念な気持ちも強かった。でも街角で、子供たちがステッキ代わりに棒切れを振り回し、『ビッグワンだ!』とか言いながら遊び回っているのを見て、ずいぶん慰められたものだった。

『ゴレンジャー』も『ジャッカー電撃隊』も、オープニングは竹本弘一監督である。残念ながら他界されてしまったが、その竹本監督が生前、『子供番組というのは、子供が大人になる過程でずっと心に残っていくものだから、・・・・』と言われたことがある。

絶体絶命のピンチに、もうこれ以上無い最高のタイミングで参上するヒーローの姿に、子供の誰もが拍手を送ったものだと思う。だから変身のタイミングを語るとき、このことを必ず例に持ってくる。あまりに早く変身しすぎてはいけない、観客がドキドキしないからである。

またあまり遅すぎてもいけない、観客の不安感が溜まりすぎてしまうからである。画面の危機に観客がハラハラドキドキして、もうこれ以上遅れると正義の人たちの身に不幸が降りかかるという、ギリギリのタイミングこそが変身の最適なタイミングなのである。
(おわり)


★★★★★★★★★★★★
筆者は、この『ジャッカー電撃隊』を見たことが無い。年齢的に見る世代にいなかったからであるが。そこで当時見ていた人達の感想を読ませてもらって分かったことは、『ゴレンジャー』の後番組で、『ゴレンジャー』人気の高さ(2年間放送していた)がわざわいしてか人気が出ず、路線変更したものの人気は持ち直せず、打ち切り(9か月間の放送)になったことが残念という感想が多かった。路線変更は、敵の怪人をゴレンジャーぽい〇〇仮面にしたり、味方に新キャラクターを投入したりと、テコ入れを行ったわけである。記事に出てくる「ビッグワン」がその代表格であろうが、結果上手くいかなかったようだ。オープニングテーマはなかなかカッコイイ曲だし、エンディングも変わった感じの歌で、さすが(渡辺)チュウメイ先生であると思う。

いわゆる「戦隊シリーズ」には含まないという意見もあるようで、いろいろと見解はあると思うが、シリーズ化するまでの過渡期的作品であったという所だろう。このような作品を経験して何かを学び、今日ある「戦隊シリーズ」のような寿命の長いシリーズが生まれてくるのだろう。

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宮内洋、ヒーロー一本道(8)  『特警ウィンスペクター』と『特救指令ソルブレイン』その1 ~若いホープたちとの交流 [宮内洋・2]

『特警ウィンスペクター』は1990年(平成2年)2月から1年間、また『特救指令ソルブレイン』は1991年(平成3年)1月から1年間放映された「メタルヒーローシリーズ」で、これらは特に『レスキューポリスシリーズ』と呼ばれる。

時代設定を近未来の1999年にして、科学技術が発達したおかげで人々の生活は豊かになったが、発達した科学の力が犯罪に悪用されたり、暴走して制御不能に陥ったりしたときに起こる被害は、はるかに大きなものになっていた。

そんな事態に対処するために設立されたのが、「警視庁特別救急警察隊」特警ウィンスペクターであった。彼等の活動目的は、犯罪捜査と容疑者逮捕はもちろんだが、事件・事故に遭われた被害者の人命救助に、最重点を置いていた。

ドラマの大きな特徴は、従来のような大規模な「悪の組織や怪人キャラクター」は登場せず、普通の犯罪や災害に遇った人々の人命救助という、いわゆる刑事ドラマの要素にヒーロー番組らしいSF的要素を取り入れた内容となっている。

「集団ヒーロー」として始まったという点ではこの作品が初であり、これ以降のメタルヒーローシリーズは、単独ヒーローから集団ヒーローへと、方向転換をすることになっていく。今回のこのシリーズは、筆者は全く存在すら知らなかった。ついに宮内洋氏が変身しないまとめ役として、登場するシリーズなのだそうだ。
では、宮内氏のお話をどうぞ。


★★★★★★★★★★★★
コンピュータの発達と共に、特撮ものが変わってきた。画面がより鮮明に、よりスピーディーに。宮内氏がたくさん演じてきた刑事ものを入れても、位が一番高い本部長役。集合体の中でも変身が無い。いよいよ、まとめ役がやってきた。

正木本部長をどう演じるか、若きヒーロー達を、どう出してゆくべきか。若手俳優が挨拶に来る。「今度主役を演ります〇〇です」ときたもんだ。「脇役をやります宮内です」と返したら、周りにいたスタッフがころげて笑った。「人間教育からスタートせねばいけない」と思ったのが、この作品のスタートだった。

特警シリーズ第一弾は『特警ウィンスペクター』だ。平和を愛し、友情を信じ、人の命を守るため、犯罪に立ち向かう「警視庁特別救急警察隊」のことである。科学の発達に伴い、ハイテク技術を利用した凶悪犯罪が急増。これらの犯罪から一般市民を守るため、捜査と救急活動を同時に行う特別救急警察隊。

その正木本部長を、演る。まず警察官ということで、衣装から入って行った。それに合う帽子を見つけておいて。だが仮縫いはしたものの、衣装が間に合わない。そのままクランクインになってしまった。どうするものかと考えた末の特別策が、「コートとマフラーを使用し、内を隠す」こと。第一話とタイトルバックは、それゆえの皮コート姿なのである。

出演する若きホープたちを食事に誘うのが、常だった。悪気はないのだろうが、撮影初めにあったように間違った振る舞いをしてしまう若い人達を、若いホープにふさわしい人間にするため、宮内洋がこれまで学んだことを伝えておきたいと、強く感じたからであった。

「役者とは何か?」「人間とは何か?」「人生とは何か?」父や諸先輩方から学んだことを、やさしい言葉で食事の間の会話の中に、織り込んでいった。雰囲気はいつも楽しい昼食だったが、その中にどれだけの大切なことが織り込まれていたか、若い彼らに理解してもらえただろうか?

『燃やせ瞳を』をデュエットした藤野純子役の中西真美さん。今は良きママ振りをしていると聞く。きっと良い家庭を築いていることだろう。小山久子役の小栗さちこさんは数多くのコマーシャルで活躍しており、丹波道場生のひとりであった。

山下優さんの消息は、何も入ってこない。今はどうしていることだろうか?正木本部長は、仕事には厳しいが、隊員想いで隊員がピンチになった時には、自ら現場に赴いて指揮を取る、との設定。年に関東1回、関西1回のペースで、舞台を演っていたので、関東の時は劇場に入る前の早朝ロケーション。

関西の時は、1回公演が終わるとすぐに新幹線に乗り、東京練馬の大泉撮影所へと直行することになった。夜9時位からセット撮影に入り、終わると寝ずに朝6時発の新幹線に乗り、関西の劇場へと頑張ったものだった。  (つづく)

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宮内洋、ヒーロー一本道(9)  『特警ウィンスペクター』と『特救指令ソルブレイン』その2 ~『オーレンジャー』では参謀長役 [宮内洋・2]

(前回からつづき)
『特警ウィンスペクター』のドラマの中で、彼らは「ICPO(国際刑事警察機構)」へ出向という形で最終回を迎えた。全員にご苦労の敬礼のカットを撮ってもらったのも、宮内氏の提案であった。1年間ご苦労様と、ドラマ以外のことも含めての、彼らに対しての御礼の意味もあった。

警察官でもないのに、主役の妹役の女の子にも敬礼をさせた。ホッとする最後の別れのシーンになった。若きホープたちよ、これかも頑張れ!『特警ウィンスペクター』の後番組が、『特救指令ソルブレイン』である。

「人の命を救う」ウィンスペクターに対して、ソルブレインは「人の命のみならず、人の心も救う」がテーマだった。今回は前もって正木本部長役を聞いていたため、衣装は間に合った。衣装よりも先に帽子を買い、それに合った色の柄で衣装を作る。新・正木本部長である。

同じ警視庁の中にあるのだが、今度は気象庁、消防庁ともつながっている。大災害や大事故の時、日本全国どこにでも出動し活動する。ここにも若きホープのヒーロー達がいる。ウィンスペクターの時と同様に、昼食時はいつも一緒。会話も全作品の時と同じような内容のものだった。

本部の場所は、東京八王子市にある某大学を使った。「大学とは?」を彼らに話した覚えはあるのだが、「役者とは?」「人生とは?」は、どのように理解してくれたのだろうか。前回同様、頑張れ、ガンバレ!若きホープ達よ、である。

『超力戦隊オーレンジャー』では、三浦総参謀長の役。ウィンスペクターやソルブレインの本部長役に対して、今度は参謀長。しかも相手は宇宙。地球を守るための国連宇宙防衛軍だ。今回ほど、衣装に行き詰ったことは無かった。思い切って真っ白なタキシードでも着てやろうかと、思ったくらいだ。

タキシードなら一つの型にこだわらずというわけで、三宅一生デザインのあの衣装で決まった。参謀長が着ている衣装は、実はタキシードなのである。ここに若き5人のホープのヒーロー達、まさしく秘密戦隊ゴレンジャーの色の5人。アカ、アオ、ミド、キー、モモである。

ゴレンジャーの時はそのように発音したが、ここでは英語の発音、レッド、ブルー、グリーン、イエロー、ピンクと言った。意識したのか、現代風にしたのか・・・。『秘密戦隊ゴレンジャー』から何年になるのだろう。当時観ていたちびっ子達も、今は若きパパとママ。

その頃を振り返って、自分の子供と一緒に観ていてくれたことだろう。この『超力戦隊オーレンジャー』は『秘密戦隊ゴレンジャー』とは、画質の部分でも特撮の部分でも大分違っている。世の中の流れの速さのように、スピーディーさが売り物になった。ただ、やたら特撮が多く、メカが多い。

スポンサーとの関係だろうか。放送時間帯は平日夕方5時からと、もったいない部分もあった。今の子供たちは、夕方5時は家にいないのである。習い事をしている時間帯だ。塾へ行っている時間帯だ。冬場以外は、まだ外で遊んでいる時間帯だ。

かつて宮内氏が演じてきたヒーローものは、すべて夜7時半からの時間帯にやっていた。そういったことも、多分に視聴率に影響してくる。良い時間帯に演れるということ、いや、演れたということに感謝感謝である。

朝早くからロケーションに出発して、帰ってきてからセット撮影である。早朝ロケの場合おにぎり二個が朝食で、おかずはトリの唐揚またはゆで卵のどちらかを取る。月2回の休み以外は、毎日同じメニューであった。一度、こんなことがあった。

  誰か;『あー、ゆっくり休みがほしいなぁ』
スタッフ;『この番組が終われば、ズ~ッと休みになるよ』

キツイ言葉を返したスタッフだが、そのように言わせた本人が一番悪い。その人物の教育に問題が無かったか、考えさせられてしまった。芸能界ほど封建的な世界は無い。年齢・性別・経験は関係ない。発言一言が命取りになりかねない世界なのだ。

その役者の心理の変化や心境の違いを、レンズはすべて見抜いてしまう。役者の心身のコンディションが、怖いくらいレンズに浮かびあがってしまう。だからレンズの前では、いつも万全をもって臨まなければならない。

演技をする上で常に心がけていることは、与えられた役を、いかにカッコよくヒーロー的に演じるかということである。一人芝居でもない限り、ひとりきりで演技をすることは無い。芝居は集団芸であるので、目立つのは良いが、目立ち過ぎは良くない。

しっかりと相手のセリフを聞いて相手にお芝居をさせて演る。そしていざ自分の番になったら、ガンガンいくのである。 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
最近の記事では「番組を見たこと無い」を連発してしまい、番組を観ていた時の感想が全く書けない状態で申し上げないが、今回の3作品も、残念ながら「一度も見たことが無い」作品であった(苦笑)
すでにこの頃の宮内氏は、本部で指令を出す側になってしまっているのである。

「太陽にほえろ!」(*)でいえば、藤堂係長(通称ボス)であり、一般の会社で言えば、部下を持つ立場になったということだ。
(*)昭和時代の超有名な番組

宮内洋氏は、机で指令を出すよりは、現場で悪と闘っている時の方がより『生き生き』していると思うし、本人もそうではないだろうか。汗を流して戦う姿が絵になる男。

いつまでもアクションができるような役者、千葉真一氏や倉田保昭氏(最近では牙狼にご出演)のようでいてほしいものである。そうそう、宮内氏は大きな手術をして血管を人工化している。もはや改造人間なのである(笑)
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宮内洋、ヒーロー一本道(10)  『ヒーロー番組は教育番組である』その1 [宮内洋・2]

いままで宮内洋氏は、出演したバラエティー番組などで常々、『ヒーロー番組は教育番組だ』という持論を語ってきた。このことについて、今回は紹介している。

ネタバレになるかもしれないが、宮内氏が言いたいことは、
・教育の原点は家庭
・他人の痛みを知れ
・大事なのは親子の絆
ということだろう。そのために、親は子の手本になることだ。

何も立派なことをせよというのではない。人として恥じないような生き方をすれば、それを見て子供は育つということだ。子供にとって一番近いお手本は、学校の先生でも隣のおじさんおばさんでもなく、親である。親がしっかりと導いてあげなくてはならない。

てまえみそながら、筆者の父はそういう意味では、とても立派な人だったと胸を張って言える。そして宮内氏も、ヒーローを演じながら観ている子供達に正しいこと・大切なことを教えてきた、と自負している。子供番組では無く「教育番組」として、ヒーローを演じてきたと。


★★★★★★★★★★★★
子供は観てマネをする。日常生活の中でも、親や兄姉を観て、そしてマネをする。ましてや『ヒーロー番組』を観てなら、なおさらである。アクションショーなどでV3の変身ポーズをとると、風見志郎はまず右へ両手を持っていく。だが、ちびっ子たちの大多数は、左に持っていく。

テレビと向かい合っているからだ。それほど、いりこんでマネをする。型だけではない、心の部分までも。だから、手本とならなければいけない。報道によると、最近の教育問題に関して、学校側に「しつけ」を要求する親が多いということだった。

「しつけ」とは家庭でするもので、学校は勉学と集団生活を養う所ではないのだろうか。我が国の文化の中で、「正しく箸を持つ」ことを教えることこそ、家庭のしつけである。箸を使うシーンの時、役者本人はもとより、監督やスタッフも十二分に気を配らなければならない。『ヒーロー』は正義のみならず、すべてが正しくなくてはならない。子供がマネをするからである。

近頃は「いじめ」の問題も大きくなっている。「いじめる子よりいじめられる子に、問題がある」と発言する人がいた。「いじめ問題」は、昔も大なり小なりあった。だが、今ほど社会問題にはなっていない。マスコミ・報道関係が扱うほどの問題にはなってなかったのだと思われる。それが今はどうだ。

生徒が先生を殴打する、刺す。人が人を平気で殺す。考えられないことだ。宮内が演じてきたヒーロー番組の中なら、「決して血を見せない」「人を殺さない」は鉄則だ。大人社会にのみ存在していたストレスが、今は子供社会へも流れ込んでいる。どうしてなのか?

ヨーロッパナイズされた家庭内の間仕切り、子供のプライバシーを守るために個室部屋を与えるなど、昔の2世帯・3世帯が同居した時代に比べて、生活環境や住宅事情の変化を考えると致し方ないかもしれないが、核家族化することによる子供の孤立化が関係しているのか。

学校を終えて家へ帰っても、誰もいない。そのような子供は、『ただいま!』というあいさつ言葉を忘れてしまう。鍵っ子ばかりの問題ではなく、社会全体の問題かもしれない。親子の絆(きずな)がヒーローを生み出す。愛がヒーローを生み出す。

ここでいうヒーローとは、もちろんヒロインも含めた人間ヒーローである。男女の区別はない。家庭での親子の絆が、イジメから解放する決め手になる。今「いじめられる側」にいる子供たちよ、勇気と希望を持って頑張ってもらいたい。最後は必ず勝つことを信じて。

そして「いじめる側」の子供には言いたい。「最後に勝つ者は、どのような者か」を、ヒーロー番組を観て悟ってほしい。根性ものもそうだが、耐えることも大事な要素だ。昔は筆箱の中に、鉛筆を削るためのナイフを入れていた。それで指を切って、血を見て痛さを知った。

今は鉛筆削り器、シャープペンシルがあるので、指を切らない血を見ないから、痛さを知らない。人を殴る。殴られたことのある者は、痛さを知っているから加減するし加減の仕方を知っている。

パパ・ママたちに言いたい。今の子供たちに、自分らが観た昔のヒーロー番組を観せてあげてほしい。いや一緒になって観てほしい。きっと親子間の絆を深めることが出来るに違いない。  (つづく)

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