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仮面ライダーアマゾン(1) ~演じる人はたいへんだ! [ライダー座談会]

今回は仮面ライダーアマゾンを取り上げようと思う。主演の岡崎徹氏は、残念ながら登場しない。仮面ライダーマニア3人とゲストの計4人による座談会という形で、仮面ライダーアマゾンを語る。不気味な異形のヒーロー、それが仮面ライダーアマゾンだ。

原点に立ち返ることを強く意識して、描かれた作品だという。ちなみに、前作品まで悪の首領の声を演じていた『納谷 悟朗』氏だが、アマゾンではナレーターを担当している。

主演の岡崎徹氏については、1974年に仮面ライダーアマゾンの主役(山本大介役)に抜擢されたが、アマゾン終了後の1976年、ドラマの撮影中にバイク事故で足を複雑骨折してしまう。長期入院の後、芸能界を引退している。


座談会
聞き手;
「アマゾンが好きっていう人が多いですね」

A氏;
「最初何の知識もなく仮面ライダー全集をパラパラと見ていて、最初に目に留まったのが、ルックスが個性的過ぎるアマゾンだったんです。主人公も服を着ずにパンツ1枚ですし。変身したら、モチーフはオオトカゲですし。ちょっと変な悲壮感が漂っているところが、愛おしく思えちゃってます」

聞き手;
「あえて異形な物という原点に返ろうしたシリーズですね」

B氏(女性);
「ずーっとライダーシリーズが続いてきて、V3の次の仮面ライダーXなんかは、かなりスタイリッシュになりますよね。それでちょっと一度原点回帰を目指したと。それでかなり強烈に原点の部分を示唆してみたら、こうなったと。ただあんな感じですから、撮影はさぞ大変だったと思うんですよね」

C氏;
「聞いた話ですと、主役を演じてらした方は衣装が無く裸のロケだったので、蚊が大変だったということです」

B氏(女性);
「あとね、身体の毛が濃くなったということを聞いたことあります」

A氏;
「アマゾンが好きだって言ったら、アマゾンが履いてるパンツのレプリカをくださった方がいて、家へ帰るとトランクス代わりにそれ履いてました(笑)」

B氏(女性);
「ちなみにそのパンツ、私も持ってるんです。アマゾンベルトを買うと、腕輪とアマゾン風パンツが付いてくるんですよ。それで夜中にコッソリ、アマゾン風パンツにベルトをして、(爪を立てて構える)ポーズをとったことがあります(笑)。

聞き手;
「どんな気持ちになりましたか?」

B氏(女性);
「自分自身はとても感動しますね。でもね、その瞬間に父が部屋に入ってきそうになってしまって、大さわぎになりかけて。父は急いで襖をしめて去って行って。我が家では、その事は無かったことになってます(笑)」

C氏;
「昆虫人間というものから脱皮して、新しい物に行こうとされて、それで赤斑オオトカゲ
(あかまだらおおとかげ)というモチーフで。そこにモチーフを持っていく所自体が、新しいことをやろうという挑戦ですよね。

デザインが決定するまでに色々なバリエーションがあるんですけれども、最後に至る前は結構気持ち悪いものがたくさんあって、最終的にあの形に落ち着いたら、やっぱりメジャーな形になったなという、ホッと感がありますよね。

宮内氏;
「ライダーっていうのは、いわゆるボディアクション、殴り・蹴りというカッコよさで来たものが、アマゾンに関しては殴り・蹴りではなくて、噛みつきとか寝技とか、そういうアクションになってましたよね。殺陣(たて)の違いが、ずいぶんありますよね」

(つづく)

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仮面ライダーアマゾン(2) ~セリフが少ない程、演じるのはたいへんだ! [ライダー座談会]

(前回からのつづき)
聞き手;
「そもそも企画書では、『仮面ライダーというものは、もともとはスマートでもなければ颯爽でもない、不気味で異形な物であった。原点である野獣性に立ち戻り、スマートでも優麗でもなく怪奇なライダーの力を強調していくことが、絶対の力となる』と書かれています。

あえてジャングルにいる獣のような戦い方をするっていう所を、前面に出しているわけです。そうすると宮内さんが仰るように、演じる方はたいへんですよね。あの動きは、通常の殺陣の型には無いですよね」

宮内氏;
「ん~~。どう~なんでしょうね(笑)?」

B氏(女性);
「(構えの時に)腰も落としてますから、それも相当辛そうですよね。アマゾンの中に何回も入られているのが、新堀和男さんといって、歴代のレッド、アカレンジャーからずっと演じてられている方で。時々見てると首が長いので、新堀さんだなってわかるんですよね」

宮内氏;
「そこまでわかるんですか!?」

A氏;
「台本を見てみたいと思いますね。(アマゾンの言葉は)片言じゃないですか。だから台本からイメージを膨らませるのは、役者としては相当たいへんだと思いますよ。セリフが少ない程、ある意味難しかったりしますからね(A氏は仮面ライダーファイズの主役を務めた方です(^^♪)」

宮内氏;
「うん、うん・・(うなずいてる)」

聞き手;
「コミュニケーションが日本語で十分に取れない主人公をあえて持ってきたというのは、どうなんでしょう・・・」

C氏;
「これだと、他の先輩ライダーが助けに来れないですよね。(言葉が通じないから)助けようがないなというか、誰も助けに来ないというのが見ていて孤独感を打ち出してて、新しいシリーズとしては異彩を放っていたんじゃないかと思いますね」

聞き手;
「社会の中でどうしても受け入れられない、うまく関係を結べないアマゾンの切なさ・辛さっていう所が、この物語の軸になっていくはずだったんだと思うんですが、アマゾンはこの後、路線を変更するんですよね」

B氏(女性);
「そうですね。言葉が通じなくて裸っていうのが、子供たちから見ると、当時はあまりとっつき易くなかったみたいです。怖いのと、子供にとって、ヒーローはお兄さんであって欲しいと思うんですよね。

ところが言葉も『アマゾン、オコル』、『トリ、ワルクナイ』みたいな感じなので、子供のほうが、子供と同じ目線か下に見てしまうということで、あまり視聴率が振るわなかったと聞いてます(B氏は新聞記者です)」

聞き手;
「アマゾンはこのあと、マサヒコ君から徐々に日本語を習うことで日本語を覚えて、最後は日本語を習得して、スーツを着て南米に帰っていくんですよね。日本の文化にすっかり馴染んで、帰っていくわけですが・・・」

A氏;
「そうなんだ・・・。せっかく馴染んだのにもったいない!」

(おわり)


☆☆☆★★★☆☆☆★★★
平山亨氏の話では、『まったくのゼロからスタートした作品なので、先輩ライダーたちを登場させにくい』『なるべく次の展開までとっておくつもりだったので、スタートしてしばらくは必要ないと思っていたら、打ち切りが決まった』と語っているが、これは不人気による打ち切りではなく、放送局側が初めから決めていたこと(全24話と告知)であり、主要スタッフと現場スタッフには知らされていなかったらしい。

また平山亨氏は主演の岡崎徹氏と、半裸は3、4話くらいまでで、途中からはスーツを着せるという約束をしていたようだが、当時の放送局側が「そのまんまいきましょう」と半裸を推したため続行となり、岡崎氏は後の『仮面ライダーストロンガー』打ち上げ時に、『私は平山プロデューサーにダマされました』と語ったという。(笑)

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平成ライダーシリーズを語る(1) ~仮面ライダーは進化するヒーローだ [ライダー座談会]

◆1998(平成10)年、巨匠石ノ森章太郎氏が他界し、萬画(石ノ森氏は漫画→萬画宣言をした)で新作の仮面ライダーを読むことはできなくなった。そしてテレビシリーズの仮面ライダーも、1994年の『仮面ライダーJ(ジェイ)』を最後に、テレビ画面から消えてしまっていた。

そんな中、2000年1月に仮面ライダーは復活した。石ノ森氏の意志を、氏が亡くなった後もライダーに関わってきた人達が受け継ぎ、『平成仮面ライダー』シリーズとして復活した。『仮面ライダークウガ』から現在まで、毎年新しい『平成ライダー』が制作されている。

筆者もクウガが放送されるという情報を得たときは、心が躍ったものだ。フライデー誌だったろうか、写真週刊誌を買ったことを、覚えている。

石ノ森氏が書き残した、仮面ライダーの膨大な数のデザインがあるそうだ。石ノ森章太郎氏の晩年10年間にわたりアシスタントを務めた『早瀬マサト』氏が語る。現在は、平成仮面ライダーシリーズのキャラクターデザイン等を担当している。

早瀬氏;
「参考にする時もありますし、まったく新規で創るときもあります。書いてしまってから見直すと、このアイデアは同じだったねというものがあったりもします。キーワードとしては、『触覚・複眼・クラッシャー(口)』だと思ってるんですね。

ただそれを使ってしまうと同じものになってしまう訳ですから、それぞれどれかを抜いたりとかしつつ、やり繰りしてる感じですね。

石ノ森の萬画アシスタントとして入って、今でもアシスタントのつもりなんです。今でも石ノ森が(生きていれば)やったであろうことを、微力ながらアシストしてるわけです。ですから可能な限り、石ノ森のラインに近づけるように頑張ってるところです」

平成ライダーシリーズも昭和ライダーシリーズと同様、主人公が変身することによって大きなパワーを得て敵と戦う、このコンセプトは踏襲しながら、多様化する現代に適用する形で、毎年新しい設定が生み出されている。

それは携帯電話を使った変身だったり、電車に乗って時間を往来する能力だったり、一番最新のライダーは、バイクを降りてスポーツカーで行動するといった、子供にとって身近な物を変身(変身後)に取り込むというものだ。


◆昭和シリーズで長く助監督を務めていた長石多可男監督、昭和最後の仮面ライダー、ブラックからこの世界に入った田崎竜太監督が語る。

長石監督;
「今の時代にやるんだから、前と同じものをやるんじゃないんだよって事だよね。ライダーってのは、その時代、その時代にいなくちゃいけないっていう考え方。

今の時代では、弱い人・若者が変身することによって強くなれるんだってことでも、構わないと思うんですよ。不良にイジメられていても、変身することによって不良を叩きのめすっていう。だって30年前の社会状況と今とでは、空気感が違うんだから」

田崎監督;
「仮面ライダーシリーズって、新しいことに恐れず挑戦していくっていう『フロンティア・スピリット』が、オリジナルの1号2号ライダーの時から、あったと思ってるんですね。

例えば、『ライダーがカメラレンズに向かってパンチを繰り出すっていう映像を手持ちカメラで追っていくと、怪人の目から見た感じの映像になる』とか、今は当たり前になった『トランポリンを使った空中での宙返りシーン』は、仮面ライダーが最初だと思うんですよね。

それまでの等身大ヒーローには、無かったことなんです。新しいことに恐れず挑戦して、それを取り込んでいくっていう強さはぜひ真似したいし、受け継ぎたいと思っていて、いくつか新しい事に挑戦してきましたけども」

◆石ノ森のコンセプトを引き継ぎながら進化していくのが、平成ライダーであると田崎監督はいう。

田崎監督;
「『人間』っていう集合があって、そこからはみ出た『改造人間』っていうのがあって、その『改造人間』っていうグループからもはみ出しているのが、『仮面ライダー』なんです。仮面ライダー龍騎では、もしショッカーの怪人たちが本郷猛と同じような能力を持って仮面ライダーを名乗ったとしたら、どうなるのかなぁという所から発想して。

『仮面ライダー』って、同胞(同じ仲間・兄弟姉妹)と戦って、最後には創造主を打ち破っていく存在の話ですから。新しいシリーズを撮るときは、『最後には創造主を超えていく存在になる』っていう部分を意識してやってるつもりです」


「仮面ライダーは進化するヒーローだから、何をやってもいいんだ。それに対して(サイボーグ)009は変化しないというのが、父の中にはあったみたいです。だから仮面ライダーから昆虫デザインを捨て去ってもいいんです。いろんなライダーが出て来ていいんです。皆さんが応援してくれる限りは・・・」(石森プロ社長 小野寺章氏)
(つづく)


★★★★★★★★★★★★
筆者は、平成仮面ライダーシリーズについては、555(ファイズ)を途中まで観て止めてしまったのだが、クウガが出現した時には、日曜の朝が楽しみであった。目新しかったのが、能力に特化した変身だ。色鮮やかでしかも武器の使用が特化していて、筆者は紫色のタイタンフォームが好きだった。

進化するヒーロー、仮面ライダー。大人の鑑賞に耐えられる番組に進化した。ウルトラマンはどうか?平成ウルトラマンシリーズもM78星雲の宇宙人という設定から脱却して、進化している。日本を代表するヒーローたちの今後に期待したい。
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平成ライダーシリーズを語る(2) ~昭和ライダーVS平成ライダー、世代を超えた対談 [ライダー座談会]

石ノ森章太郎氏は、かつて言っていた、『仮面ライダーは進化するヒーローだ』と。時代を超えて変わらないモノも変わるモノも、すべてを取り込むことができる世界を持っているのが、仮面ライダーの世界なのだろう。

古いものを踏襲しながら、新しいものを取り込んでいくというのが進化なら、平成ライダーたちはまさに、この道を進んでいっていると言える。これからもいろいろなテイストを持ったライダーが、石ノ森章太郎の意志を受け継ぎ、出現し続けていくだろう。

今回は、V3=風見志郎役の宮内洋氏、ファイズ=乾巧役の半田健人氏を交えた対談をお送りします。


半田氏;
「オーディションに受かって、最初にスタッフと食事会を兼ねて打ち合わせをした時に、『先代のライダーシリーズを見た方がいいんでしょうか?』って監督に聞いたんです。というのは、僕はたまたまですが、子供の頃から特撮系を一切見て来なかったものですから。

そしたら田崎監督から、『見るんだったら、全部終わってからにしてほしい』って言われたんです。その言葉から、『変な先入観なく、まったく新しいものを創りたいんだな』っていう意志は、伝わってきましたね」

聞き手;
「昭和のライダーが持っていた凄さや人気、色んなものを知っている人達(監督・スタッフ)が、昭和のライダーから何を受け継ぎ、何を変えていきたいのかを議論しながら創っていかれたんだろうと思いますが、役者さんは白紙のままで来てほしいと思ったんでしょうね」

半田氏;
「そうですね。どうしてボクが選ばれたのか真相はわからないんですが、その中のひとつに、仮面ライダーというものに対してひどく無頓着だった、知識が無かったということがあるんじゃないかと思うんです。

オーディションの時には、殺陣のうまい方や歴代ライダーにとても詳しい方が横にいらした中で、真っ白な色の付いて無い素材だった僕が、逆によかったのかなと思いました」

A氏;
「田崎さんや長石さんのお話にもあったように、新しいものをどんどん創っていこうということだと思うんです。昭和ライダーというものが、今振り返ると『こういうものだったなぁ』と何となく見えていると思うんです。それをただ追っかけるだけでは、単なる模倣になってしまいますよね。

平成ライダーというものはどういうものかということは、まだ見えてない、暗中模索の最中だと思います。ですから今いろいろなライダーが出てきていて、あと20~30年経ったときに、『平成ライダーとはこういうものなのか』と見えればいいことなんです。だから今は、いろいろなライダーが変幻自在に出て来ていいと思うんです」

聞き手;
「昭和ライダーの存在感が大きくてイメージがあるだけに、平成ライダーをどう創っていくかを、今一生懸命模索しているというところでしょうか」

A氏;
「IT(アイティー・情報技術)の発達とかいろいろなことがあって、番組を見る側の子供たちも、取り巻く環境が当時とは変わっていますよね。当時のものを見せれば、それはそれで楽しく見てくれると思いますが、今のライダーが当時と同じことをやっても、『それはちがう』と言われちゃうと思うんです」

聞き手;
「半田さんは役づくりについて、どうお考えでしたか?」

半田氏;
「最初僕は漠然としたイメージですが、『正義感が強くてみんなに好かれるお兄さん』じゃなきゃいけない、みたいなライダー像・ヒーロー像を描いていたんですが、設定がぶっきらぼうな性格で、セリフが『ああ』とか『それで』とかいう片言が多くて。

すごく難しいっていうのはありましたけど、視聴者に興味を持たせるように、謎めいた感じを出すように意識はしましたけどもね」

聞き手;
「風見志郎の登場の仕方とか、性格の設定とはずいぶん違いますね」

宮内氏;
「(ファイズの乾巧が定食屋に現れる場面を見て)風見志郎は定食屋には行きませんし(笑)、僕自身演じた作品では、ヒーローは物を食わない、武器を持たない、そういったことで僕自身そう考えてきましたから。台本に食事のシーンが書かれていたら、『食うのは勘弁してください』と。

『おれは改造人間なんだ、改造人間がサンマで飯食ってんのは、ちょっと・・・』みたいなことがあるので・・・。まして登場シーンとなると、必ず登場音が先に鳴って、必ず高い所から出てくる(皆、一斉にあ~)。定食屋に出現して、メニューを指差すことはしません(笑)。ヒーローの出方としてどうなのかな?と。考え方がちがうのかなと、思いますね」

半田氏;
「猫舌っていう設定とか女と住んでるとか、これって時代なんですかねぇ。変身の時に携帯を使うんですよね。時代が携帯電話を持っていて当たり前になってきた時期なんですね」

A氏;
「最先端のツールを使っているっていうことですよね」

聞き手;
「自動改札のように、パスをベルトにピッとかざすとか、子供たちに身近な最新のツールが変身の道具に取り込まれていくということもありますね。ところで宮内さんが演じていた頃のストーリーは基本的に一話完結、またがっても二話までで事件が解決していく。

一話内にアクションシーンや見せ場が必ずある。それに対して半田さんの頃になると、一つの話の中で事件が解決しても解き切れない謎が残っていて、それ以降も伏線として続いていくというケースが随分ありますよね」

半田氏;
「そうですね。全50話だったと思うんですけれども、大げさに言えば50話で一つの話、みたいな感覚はありましたね。撮影は2話持ちでやるんですけれども、一応怪人は二話ごとに倒しては行くんですけれども、それで全てが解決したかというと、そうではないと。アクションシーンはあるんですけども、往年のシリーズに比べると、分量的には少ないかもしれないですね」

聞き手;
「昭和のライダーは必ずアクションシーンがあるんで、殺陣にしてもバイクにしても、技術を持って無いと務まらない仕事ですよね」

宮内氏;
「いや。技術の無い俳優さんも、あえて名前は言いませんが、ライダーをやってましたよ(笑)。まぁ技術を持ってる人間がやれば、より、らしく見えると。又、そういう風に努力をしていったということですね」

聞き手;
「時代の差なのかなと思うのは、宮内さんの風見志郎って、昭和の男の強さ、ヒーローであるっていうことを頑なに守るっていうか・・・」

A氏;
「ヒーローが大人っぽいですよね。設定年齢はそれほど変わらないと思うんですけど、当時のヒーローって、お兄さんというかおじさんのようにものすごく存在感がある、頼れる人なんですよ。

それに比べて半田さんの平成ライダーはもっと若くて、TVを観ている子供たちにより近い感じの存在で。隣のお兄さんでいてもおかしくないイメージを出そうということで、ぶっきらぼうだったり生活感があったりと、リアリティを出していこうという方向に向かったのかもしれないですね」

聞き手;
「宮内さんは、平成ライダーシリーズを確認というか、ご覧になられていたんですか?」

宮内氏;
「ええ、極力時間がある限りは見てましたね。いろんな作品5本くらいでしょうか、見てました。ただ続けて観てないとストーリーが分らなくなってしまうんですね。それで(視聴者を来週まで)引っ張るということもあるんでしょうけども・・・。

ただ僕が納得いかないのは、ライダー同士が戦うというのはどうも・・・。ましてや13人で戦い合うのは、今でもよく理解できません(苦笑)」

聞き手;
「宮内さんがヒーローにとってこれが大事だと考えていらっしゃる部分と今の平成シリーズとの間で、ギャップみたいな所があるんでしょうね」

宮内氏;
「そうですね。でも観ながら、彼らに拍手は送っておりますけれども」


★★★☆☆☆★★★☆☆☆
仮面ライダーは、進化するヒーロー。
過去に始まったヒーローについて同じものを引き継ぐのではなく、新しく変化しながら生まれ変わりながら、あらたに生まれてくるヒーロー、それが仮面ライダーだ。仮面ライダーというキャラクターは、人を引き付けて止まない、無限に発掘できる資源のようなものだ。仮面ライダーは、永遠に不滅である。
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仮面ライダー(1) ~ふたりのおやっさん、安らかに [ライダー座談会]

仮面ライダーを語るとき欠かせない存在といえば、もちろん『おやっさん』である。初代の小林昭二氏(96年8月他界)、二代目の塚本信夫氏(96年10月他界)のおふたり。おふたりとも、ほとんど同じ時期に天国へ召されている。

語らなくても居るだけで安心できる、そんな存在だった「おやっさん」という役柄。偶然だろうか、おふたりとも円谷作品において怪獣と戦うチームの隊長を任されている。いや、これは偶然ではない。やはり存在感・安心感・リーダーの条件を備えた人物として、ピッタリなおふたりなのだ。

元東映のプロデューサーで、残念ながらこちらも他界された平山亨氏が、生前このお二人の思い出を語っておられるので、ご紹介したい。小林・塚本両氏が他界された時期、この平山氏は大きく体調を崩しており、お二人の葬儀にも参列できなかったそうだ。

三人ともほぼ同年齢、自分が先に逝ってもおかしくないのにと、平山氏はそのショックの様子を『両翼をもがれた鳥のよう』と表現している。
では、平山氏の語るおふたりの思い出をどうぞ。


小林さんと塚本さんの今度の訃報は、ほぼ同年ということもあって、頼りにしてきたおふたりが立て続けに逝ってしまわれたことが、自分の体調不調もあってひどくこたえた。

小林さん、塚本さんという『仮面ライダーのおやっさん』を語らずに仮面ライダーは語れないと、私は言ってきた。実際、歴代仮面ライダーの育ての親は、このおふたりだったのだ。

もちろん、役の上の親父さんとして若い彼らを育てる役だったが、人間として役者としての在り方についても、人生の先輩・役者の先輩として、いつのまにか薫陶を与えてくれていたのだそうだ。

藤岡君、佐々木君、宮内君をはじめとして、歴代ライダーを演じた諸君は、尊敬に値する先輩の指導を受けることができたことは、本当に幸せだったと思うのだ。

我々は、本当に貴重な人を失ってしまった。我々は企画を立てるとき、意識的にも・無意識的にも、小林さん・塚本さんのような人を頼りにして、事を進めている。

『こういう役だったらこの人に任せれば安心だ』という人がいることは、不確定要素の多い企画の仕事の大きな部分で安心できるので、その分、他の不確定部分に全力を注げるという訳だ。

ドラマの出演者の構造は、大昔の芝居から決まっているのだ。特に不思議なのは、『老け役』の存在だ。役者のスター性という面から考えれば、登場人物は全員若い美男美女にすればよいと思うかもしれない。何故かそれは一時の花とはなっても、芝居として成功した例は無い。

若い者が演じてでも、『老け役』は必ず要るのだ。語らずとも人生を感じさせる重大な役割を果たしてくれるのが、『老け役』なのだ。

こう語ってくると、仮面ライダーの中でおやっさんの果たした文芸面での重要さが判ってくるのだ。子供対象のこの番組で人生を語るなんて大それた事はしてはいけないタブーみたいなものだが、小林さん・塚本さんのように居てくれるだけでも存在感を感じさせる名優が演じてくれると、彼らの背後にこんな事件に巻き込まれてしまった大人の男の切なさが感じられるのだ。

大体、立花藤兵衛氏、谷源次郎氏の過去がただの平穏無事なサラリーマンだったら、悪の組織が起こす様々な事態にあんな風に対応していられないだろうと感じさせてくれるのが、このおふたりの名優の力であり、それが、奇怪なこの物語に大変なリアリティをもたらして、あの大成功に導いてくれたのだ。

『(新)仮面ライダー』に入るとき、私は小林さんがいないと仮面ライダーじゃないと思い込み、当然小林さんは出てくれると信じ切って企画を立てた。ところが当然OKだと思っていたマネージャーの答えは、何と『ノー』だった。まいったなぁ、何がいけないんだろう。

すでにやりたい番組があるのならそちら優先で良いから、すこしだけでもとお願いしたが、そういう理由でもないらしい。ギャラが少ないというのなら、出来るだけのことをするからと粘ってお願いしたが、ギャラの問題ではなく出ない意志は固いのだそうだ。

そうかといって、私もこんな大事な問題をノメノメ引き引き下がるわけにはいかない。こういう場合、直接交渉してはマネージャーの存在を無視することになって申し訳ないが、小林さんに会わせてくれるよう頼んだ。マネージャーも事の重大性が判るから、小林さんに取り次いでくれた。

忘れもしない渋谷の○○ホテルのロビーでの会見。『ヒラさん、忙しいのに済まない。』と、気遣いの第一声、やさしい人なんだよ。小林さんは劇団の中でも、まとめ役だったんだそうだ。俳優という人種はわがままな人が多くて、そういう人が集まると、まとまるモノもまとまらない。

それなのに数々の名作傑作を産み続けてこられた影には、小林さんのまとめ役の功績があったというものだ。プロデューサーとしても、小林さんのような人が芯にどっしりと構えてくれると安心なのだ。

『キャプテンウルトラ』の放送直前のキャンペーンで、TBSホールだったと思うが、楽屋で『ウルトラマン』の科学特捜隊の若い人達の中に小林さんがいた。先輩風を吹かせること無く若い人に説き教える姿を見て、『ああ、この人はただ役の上での隊長だけでなく、皆をまとめて番組の成功に貢献している。

名実ともに隊長のような人なんだなぁ』と、その人柄に惚れこんでしまった。『仮面ライダー』はそんな小林さんがいたからこそ、できたのだと思っている。

〇〇ホテルでの会話。小林さんは辛そうに言った。
小林;
『済まないけど、俺のわがままなんだよ。こんなにまで言って、俺を使ってくれるヒラさんに申し訳ないんだけど。また本当は役者は自分の能力を認めてくれる人に対して、断るなんてやっちゃいけない事。とんでもない不遜なことだと判っているんだけど、今度だけはわがまま言わせてよ』

平山;
『と、言われても、仮面ライダーは小林さん無しには成り立たないって、世間みんなが思っていることも判ってよ』

小林;
『弱ったなぁ。(途中省略)言わなきゃダメかなぁ』

平山;
『聞かなくちゃ、判らないもの。(途中省略)・・帰れない』

小林;
『じゃあ、言うよ。役者ってのは贅沢なもんでね、同じ役で何年もやってると仲間内から言われるような気がするのよ。あいつまだ立花藤兵衛やってるの?他の役、できないんじゃない?って。だから藤兵衛から離れて、俺にだって別の役やれるんだぞって言いたいわけさ』

これには堪えたなあ。役者として新しい役に挑戦して、前進したいというチャレンジ精神に感激してしまった。ここでわが仮面ライダーが本当にかわいいなら、プロデューサーのわがままで、立花藤兵衛をやってくれというべきだったのかもしれない。相手の心情に感激したなんて、未熟というべきか、無能というべきか・・・。

平山;
『仕方がない。あなたを諦める代わりに、あなたの代わりが出来る俳優さんを推薦してよ』

小林;
『俳優仲間の面倒見も含めて、塚本信夫さんなら俺よりいいよ』

蛇の道は蛇というが、名優は名優を知る。塚本さんは小林さんに勝るとも劣らぬ名優だ。あとになって知ったことだったが、小林さんも塚本さんも、あの大ヒット番組ウルトラシリーズの隊長だったのだ。

不思議なご縁で、名優のおふたりにお世話になることができた。何歳になっても前進を志していた小林さんは、前進を続けつつ逝った。塚本さんは新しい芝居のけいこ中に倒れて、そのまま逝かれたのだそうだ。それにしても、すばらしい方々を失ってしまった。仮面ライダーのふたりのおやっさん、安らかに。
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