仮面ライダー(11) ~2号ライダーの人気爆発!しかしライダーを一旦辞めることに [一文字ライダー・その2]
藤岡弘氏が不幸な事故で長期入院を余儀なくされ、仮面ライダーの主役を降りざるをえなくなった時、引き受けた新・仮面ライダー役。佐々木剛氏の友情が、それまでの仮面ライダーに新しい息吹を吹き込んだ。
主役変更と同時にすべてを一新した『一文字ライダー』編は、若い女性や子供を脇役にすることで、明るくちょっぴりお色気もある内容に変わり、『本郷ライダー』編の暗いイメージを払拭した。それが功を奏して視聴率が急上昇し、変身ブームが到来。
巨大ヒーローの《ウルトラマン》が東の横綱なら、西の横綱になったのが等身大ヒーローの《仮面ライダー》だ。
仮面ライダー人気の上昇と共に、アトラクションショーがデパート屋上などで開催されるようになると、警察も出動するほどの人出になった。後楽園での仮面ライダーショーは最初、演出・脚本などのテレビの専門家が付いていた。
2回目以降の公演では、大野剣友会が殺陣だけでなく脚本と演出まで任されるようになった。ショーの編成は30分。仮面ライダー1人、悪ボス1人、怪人1人、戦闘員3~5人の構成。公開のイベントでは誤魔化しが効かないので、大野剣友会のアトラクションでは、立ち回りではすべて殴る蹴るなどは本当に当たっていた。
当てた瞬間に力を抜くので、さほどの痛みはなかったらしいが、顔だけは避けていたという。アトラクションショーは、最初のうちは大野剣友会のメンバーだけが受け持っていた。
やがて、仮面ライダーショーが全国から引き合いが来るようになると、大野剣友会だけでは賄いきれなくなったので、多くの若き俳優志望の若者たち(風間杜夫、三宅裕司)がスーツアクターとして、アルバイトをしていたことは有名な話である。
それほど仮面ライダー人気は、グングンと上昇していった。視聴率も『怪人ゴースター 桜島大作戦』では、最高視聴率が30パーセントを超えた。こうして佐々木剛氏は第14話の『魔人サボテグロンの来襲』から第52話の『おれの名は怪鳥人ギルガラスだ』まで、仮面ライダー2号・一文字隼人として演じ続けてきた。
だから九州ロケの『死闘!スノーマン対二人ライダー』で藤岡弘氏が帰ってきた時は、しみじみ良かったなと思ったという。プロデューサーの平山亨氏も、涙が出たと言っている。不死身の男・本郷猛は不屈の精神で事故を克服して、足にまだ鉄パイプを入れながらも帰ってきた。
元々『藤岡氏が帰ってくるまで』という約束だったので、復帰した彼に『仮面ライダー』を返そう。彼が怪我をしたとき、《本郷猛は欧州のショッカーを殲滅(せんめつ)するために旅立った》ことになっている。いつでも藤岡氏が復帰できるように、平山プロデューサーが考えておいた設定であった。
彼が帰ってきた以上、こんどは一文字隼人・佐々木剛が、《世界各地で暗躍するショッカーを倒すために、海外へ旅立つ》のである。だから、制作側がずっとダブルライダーで継続したいというのをあえて断って、一文字隼人役を一旦辞めることにしたという。
★★★★★★★★★★★★
もしこの時にダブルライダーのまま続けていたら、どういう展開になっていただろうか。ほかの例を挙げて考えてみよう。《帰ってきたウルトラマン》でもし毎回ウルトラセブンが出てきたら、果たして楽しいだろうか? たまに、ピンチの時に出てくるから、セブンが魅力的に見えるのではないか。
こう考えてみると、2号ライダーの降板は大正解だったのである。本郷ライダーがピンチの時、一文字ライダーが助けに来る。盛り上がるではないか!後楽園の仮面ライダーショーには、筆者も親と一緒に行った記憶がある。舞台の後ろに、ジェットコースターが見え隠れしていたように記憶している。
その時撮った写真も、たぶんアルバムの中にあると思う。怪人ムカデラスとモグラングが、出演していたように思う。そしてマスクの戦闘員たちも(イー!)。その会場で売っている福袋の様なものを、買ってもらった記憶がある。その中に色紙が1枚入っていたことを、憶えている。
ライダーと怪人たちの名前が入った、サイン入り色紙だった。他には何が入っていたのだろう、記憶に無い。とにかく、小学校低学年の頃は『ゴジラ』映画を観に行き、高学年になる頃には『仮面ライダー』だった。ウルトラマンとゴジラと仮面ライダーと。怪獣・怪人三昧の子供時代だった。
家にあるテレビは白黒だったから、怪獣・怪人たちがどんな色をしているかは、書籍で見るか、アトラクションショーへ行かないと分からなかった時代。でも、そんな子供時代がとても楽しかった。
主役変更と同時にすべてを一新した『一文字ライダー』編は、若い女性や子供を脇役にすることで、明るくちょっぴりお色気もある内容に変わり、『本郷ライダー』編の暗いイメージを払拭した。それが功を奏して視聴率が急上昇し、変身ブームが到来。
巨大ヒーローの《ウルトラマン》が東の横綱なら、西の横綱になったのが等身大ヒーローの《仮面ライダー》だ。
仮面ライダー人気の上昇と共に、アトラクションショーがデパート屋上などで開催されるようになると、警察も出動するほどの人出になった。後楽園での仮面ライダーショーは最初、演出・脚本などのテレビの専門家が付いていた。
2回目以降の公演では、大野剣友会が殺陣だけでなく脚本と演出まで任されるようになった。ショーの編成は30分。仮面ライダー1人、悪ボス1人、怪人1人、戦闘員3~5人の構成。公開のイベントでは誤魔化しが効かないので、大野剣友会のアトラクションでは、立ち回りではすべて殴る蹴るなどは本当に当たっていた。
当てた瞬間に力を抜くので、さほどの痛みはなかったらしいが、顔だけは避けていたという。アトラクションショーは、最初のうちは大野剣友会のメンバーだけが受け持っていた。
やがて、仮面ライダーショーが全国から引き合いが来るようになると、大野剣友会だけでは賄いきれなくなったので、多くの若き俳優志望の若者たち(風間杜夫、三宅裕司)がスーツアクターとして、アルバイトをしていたことは有名な話である。
それほど仮面ライダー人気は、グングンと上昇していった。視聴率も『怪人ゴースター 桜島大作戦』では、最高視聴率が30パーセントを超えた。こうして佐々木剛氏は第14話の『魔人サボテグロンの来襲』から第52話の『おれの名は怪鳥人ギルガラスだ』まで、仮面ライダー2号・一文字隼人として演じ続けてきた。
だから九州ロケの『死闘!スノーマン対二人ライダー』で藤岡弘氏が帰ってきた時は、しみじみ良かったなと思ったという。プロデューサーの平山亨氏も、涙が出たと言っている。不死身の男・本郷猛は不屈の精神で事故を克服して、足にまだ鉄パイプを入れながらも帰ってきた。
元々『藤岡氏が帰ってくるまで』という約束だったので、復帰した彼に『仮面ライダー』を返そう。彼が怪我をしたとき、《本郷猛は欧州のショッカーを殲滅(せんめつ)するために旅立った》ことになっている。いつでも藤岡氏が復帰できるように、平山プロデューサーが考えておいた設定であった。
彼が帰ってきた以上、こんどは一文字隼人・佐々木剛が、《世界各地で暗躍するショッカーを倒すために、海外へ旅立つ》のである。だから、制作側がずっとダブルライダーで継続したいというのをあえて断って、一文字隼人役を一旦辞めることにしたという。
★★★★★★★★★★★★
もしこの時にダブルライダーのまま続けていたら、どういう展開になっていただろうか。ほかの例を挙げて考えてみよう。《帰ってきたウルトラマン》でもし毎回ウルトラセブンが出てきたら、果たして楽しいだろうか? たまに、ピンチの時に出てくるから、セブンが魅力的に見えるのではないか。
こう考えてみると、2号ライダーの降板は大正解だったのである。本郷ライダーがピンチの時、一文字ライダーが助けに来る。盛り上がるではないか!後楽園の仮面ライダーショーには、筆者も親と一緒に行った記憶がある。舞台の後ろに、ジェットコースターが見え隠れしていたように記憶している。
その時撮った写真も、たぶんアルバムの中にあると思う。怪人ムカデラスとモグラングが、出演していたように思う。そしてマスクの戦闘員たちも(イー!)。その会場で売っている福袋の様なものを、買ってもらった記憶がある。その中に色紙が1枚入っていたことを、憶えている。
ライダーと怪人たちの名前が入った、サイン入り色紙だった。他には何が入っていたのだろう、記憶に無い。とにかく、小学校低学年の頃は『ゴジラ』映画を観に行き、高学年になる頃には『仮面ライダー』だった。ウルトラマンとゴジラと仮面ライダーと。怪獣・怪人三昧の子供時代だった。
家にあるテレビは白黒だったから、怪獣・怪人たちがどんな色をしているかは、書籍で見るか、アトラクションショーへ行かないと分からなかった時代。でも、そんな子供時代がとても楽しかった。
タグ:2号ライダー秘話
仮面ライダー(12) ~隼人&滝のメモリアルヒーローズ対談(特別編) [一文字ライダー・その2]
前回までのメモリアルヒーローズ対談で、披露していなかった部分を大公開。ライダーの敵、ショッカー大幹部たちの素顔と、水着シーンが番組に花を添えた!ライダーガールズの秘密!?について、ふたりが語ります!
聞き手;
「死神博士を演じられた天本英世さんの印象は、どうでしたか?」
佐々木氏;
「どっかにロケーションに行って大勢で呑んだ時、天本さんが陽気に歌いながら踊りだして。踊りながらグルグル回る、スペインかなんかの踊り。つられてみんなで踊ったんですよ。すごく楽しかったな・・・見た目と違って、そういう所もあるのかって、その時は意外でした」
千葉氏;
「僕は、あんまり覚えてないんですよね。普段はあまりしゃべらない人だったし」
佐々木氏;
「そういう人だからこそ、ロケーションに行ったとき一緒に呑んでて、陽気に歌を口ずさみながら踊ってた記憶が、鮮明に残ってる」
聞き手;
「天本さんに芝居については、どうですか?」
佐々木氏;
「すごい個性の強い人ですよ。あの独特の雰囲気一本で役を押し通すって感じ。この当時、死神博士の演技が怖すぎるって、クレームが来たらしいですよね」
聞き手;
「ゾル大佐の宮口二郎さんは、どういう方なんですか?」
佐々木氏;
「『非情のライセンス』だったかな、俺が犯人の役で、宮口さんがレギュラーの刑事役なんですよ。俺が逮捕されていると、警官がやってきて手錠をかけようとするんだけれど、普段宮口さん、ワルの役しかしてないから、あっちに手錠かかっちゃうの(笑) 『俺は刑事だ!』って怒ってたけど。大笑いだよね」
聞き手;
「佐々木さんはあまり絡んでないと思いますけど、潮健二さんについてはどうでしたか?」
佐々木氏;
「25歳位の頃、京都で逢ったりしてて、優しく接してもらいましたよ。その頃、オレ酒の飲み過ぎで黄疸になっててね。その時にいい薬見つけてくれたり、お世話になりました。以前にエイズの芝居をしたことがあって、その時の舞台監督やってたのが、たまたま潮さんの弟子なんですよ。それで葬式も行ったんですよね」
聞き手;
「ライダーに長く出演されていた、沖わか子さんについてはどうでしたか?」
佐々木氏;
「わか子はね、新国劇映画でね、『仮面ライダー』の前に初主演することになってたんですよ。確か、沖縄から来た空手をやる娘が活躍するっていう、アクションものだったんじゃないかな。
俺はその映画に兄貴役で決まりかかってたから、マネージャーと彼女の実家だった新橋の料亭に、飲みに行ってあいさつしたことがあった。そんな縁もあって、妹みたいに可愛がってた」
聞き手;
「沖さんは、ライダーの頃、何歳だったんですか?」
佐々木氏;
「19歳くらいかな」
千葉氏;
「いい娘だったよね」
聞き手;
「芝居のリアクションなんかもいい感じだし、共演しやすかったんじゃないですか。だから本編でも重宝されましたもんね」
千葉氏;
「あッ、思い出した。北海道だったかな? ロケで泊まってたホテルの風呂場が、男湯から女湯が覗けたんですよ。撮影スタッフはみんな若い連中ばかりなんで、となりの女湯が気になって仕方がない。気配で『だれか入ってきてるよ』って口では言うんだけど、なかなか覗く勇気が無いんだよね。
つい冗談半分で、『じゃ、おれがいく』って覗いたら、沖さんでね。バッチリ目が合っちゃって、慌てて顔を引っ込めた。『ワコ、顔しか見てないからね』ってフォローしたんだけど、ずうーっとあとまで、このことを言われ続けました(笑)」
聞き手;
「沖さんってチャーミングでしたからねぇって言っても、何のフォローにもなってないか(笑)」
佐々木氏;
「北海道っていえばさ、帰る時にさ、次の仕事で大阪へ行かなきゃいけないのに、飛行機が遅れて、結局そこにもう一泊したんだよね。
この時、山本リンダさんが遅れて来てさ。山本リンダが来るってわかったら、ホテル側がとたんに風呂洗い出してさ。それまで洗ってなかったのに。この待遇の違い・・・どうしてくれるのって感じだったよね(笑)」
聞き手;
「山本リンダさんは、演技的にはどういう人でしたか?」
佐々木氏;
「とてもかわいい人だよね。アップの時とか、じっとしてセリフしゃべれないんだ。身体がいつもフニャフニャ動いてる。でもその仕草がカワイイ。ライダーガールズが活躍している頃の『仮面ライダー』は、『プレイガール』(*)みたいな女のアクションが多いよね」
(*)『プレイガール』は東京12チャンネル(現:テレビ東京)系で放映していた、お色気女性アクションドラマ。当時流行っていたミニスカートから繰り出される前上段蹴りや、それによるパンチラシーンなどが特徴。
聞き手;
「佐々木さんになって、大人も楽しめるアダルトな要素が入りましたよね。何せ、子供向番組に、うら若き女性が3~4人も出てくるなんて、無いですよ」
佐々木氏;
「そうだよね(笑)」
聞き手;
「本郷ライダーとの主役入れ替わり時期に、若い女性を導入したのは、『プレイガール』をやっていた阿部プロデューサーのアイデアのようです。主役交代を明確にするために、雰囲気をガラッと変える必要があったようです」
佐々木氏;
「現場が男ばかりだと殺伐とするけど、女性がいると雰囲気が和らぐよね」 (おわり)
★★★★★★★★★★★★
『災い転じて福となす』という言葉がある。『自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫すること』である。『仮面ライダー』はまさに平山プロデューサーの気転で、災い転じて福となしたと言っていい。
しかも、本郷猛=藤岡弘氏にとっても、イイことだらけだったと筆者は思う。まず、
1)デザインの一新。怪我をしなければ、あの暗い色使いのライダーのまま、最終回を迎えることになっていたに違いない。
2)一文字ライダーたちの明るい雰囲気が、子供向け番組として良い雰囲気で定着し、そのまま新ライダーとして復帰できた。初期の頃の暗い影を引きずらない、明るいヒーローになった。
3)仲間の存在。新マンとセブン共演のように、一文字ライダーとの共演で番組が盛り上がる効果もある。
まさに、
ライダーは 災い転じて 福となす
聞き手;
「死神博士を演じられた天本英世さんの印象は、どうでしたか?」
佐々木氏;
「どっかにロケーションに行って大勢で呑んだ時、天本さんが陽気に歌いながら踊りだして。踊りながらグルグル回る、スペインかなんかの踊り。つられてみんなで踊ったんですよ。すごく楽しかったな・・・見た目と違って、そういう所もあるのかって、その時は意外でした」
千葉氏;
「僕は、あんまり覚えてないんですよね。普段はあまりしゃべらない人だったし」
佐々木氏;
「そういう人だからこそ、ロケーションに行ったとき一緒に呑んでて、陽気に歌を口ずさみながら踊ってた記憶が、鮮明に残ってる」
聞き手;
「天本さんに芝居については、どうですか?」
佐々木氏;
「すごい個性の強い人ですよ。あの独特の雰囲気一本で役を押し通すって感じ。この当時、死神博士の演技が怖すぎるって、クレームが来たらしいですよね」
聞き手;
「ゾル大佐の宮口二郎さんは、どういう方なんですか?」
佐々木氏;
「『非情のライセンス』だったかな、俺が犯人の役で、宮口さんがレギュラーの刑事役なんですよ。俺が逮捕されていると、警官がやってきて手錠をかけようとするんだけれど、普段宮口さん、ワルの役しかしてないから、あっちに手錠かかっちゃうの(笑) 『俺は刑事だ!』って怒ってたけど。大笑いだよね」
聞き手;
「佐々木さんはあまり絡んでないと思いますけど、潮健二さんについてはどうでしたか?」
佐々木氏;
「25歳位の頃、京都で逢ったりしてて、優しく接してもらいましたよ。その頃、オレ酒の飲み過ぎで黄疸になっててね。その時にいい薬見つけてくれたり、お世話になりました。以前にエイズの芝居をしたことがあって、その時の舞台監督やってたのが、たまたま潮さんの弟子なんですよ。それで葬式も行ったんですよね」
聞き手;
「ライダーに長く出演されていた、沖わか子さんについてはどうでしたか?」
佐々木氏;
「わか子はね、新国劇映画でね、『仮面ライダー』の前に初主演することになってたんですよ。確か、沖縄から来た空手をやる娘が活躍するっていう、アクションものだったんじゃないかな。
俺はその映画に兄貴役で決まりかかってたから、マネージャーと彼女の実家だった新橋の料亭に、飲みに行ってあいさつしたことがあった。そんな縁もあって、妹みたいに可愛がってた」
聞き手;
「沖さんは、ライダーの頃、何歳だったんですか?」
佐々木氏;
「19歳くらいかな」
千葉氏;
「いい娘だったよね」
聞き手;
「芝居のリアクションなんかもいい感じだし、共演しやすかったんじゃないですか。だから本編でも重宝されましたもんね」
千葉氏;
「あッ、思い出した。北海道だったかな? ロケで泊まってたホテルの風呂場が、男湯から女湯が覗けたんですよ。撮影スタッフはみんな若い連中ばかりなんで、となりの女湯が気になって仕方がない。気配で『だれか入ってきてるよ』って口では言うんだけど、なかなか覗く勇気が無いんだよね。
つい冗談半分で、『じゃ、おれがいく』って覗いたら、沖さんでね。バッチリ目が合っちゃって、慌てて顔を引っ込めた。『ワコ、顔しか見てないからね』ってフォローしたんだけど、ずうーっとあとまで、このことを言われ続けました(笑)」
聞き手;
「沖さんってチャーミングでしたからねぇって言っても、何のフォローにもなってないか(笑)」
佐々木氏;
「北海道っていえばさ、帰る時にさ、次の仕事で大阪へ行かなきゃいけないのに、飛行機が遅れて、結局そこにもう一泊したんだよね。
この時、山本リンダさんが遅れて来てさ。山本リンダが来るってわかったら、ホテル側がとたんに風呂洗い出してさ。それまで洗ってなかったのに。この待遇の違い・・・どうしてくれるのって感じだったよね(笑)」
聞き手;
「山本リンダさんは、演技的にはどういう人でしたか?」
佐々木氏;
「とてもかわいい人だよね。アップの時とか、じっとしてセリフしゃべれないんだ。身体がいつもフニャフニャ動いてる。でもその仕草がカワイイ。ライダーガールズが活躍している頃の『仮面ライダー』は、『プレイガール』(*)みたいな女のアクションが多いよね」
(*)『プレイガール』は東京12チャンネル(現:テレビ東京)系で放映していた、お色気女性アクションドラマ。当時流行っていたミニスカートから繰り出される前上段蹴りや、それによるパンチラシーンなどが特徴。
聞き手;
「佐々木さんになって、大人も楽しめるアダルトな要素が入りましたよね。何せ、子供向番組に、うら若き女性が3~4人も出てくるなんて、無いですよ」
佐々木氏;
「そうだよね(笑)」
聞き手;
「本郷ライダーとの主役入れ替わり時期に、若い女性を導入したのは、『プレイガール』をやっていた阿部プロデューサーのアイデアのようです。主役交代を明確にするために、雰囲気をガラッと変える必要があったようです」
佐々木氏;
「現場が男ばかりだと殺伐とするけど、女性がいると雰囲気が和らぐよね」 (おわり)
★★★★★★★★★★★★
『災い転じて福となす』という言葉がある。『自分の身にふりかかった災難や失敗を上手く利用して、逆に自分の有利になるよう工夫すること』である。『仮面ライダー』はまさに平山プロデューサーの気転で、災い転じて福となしたと言っていい。
しかも、本郷猛=藤岡弘氏にとっても、イイことだらけだったと筆者は思う。まず、
1)デザインの一新。怪我をしなければ、あの暗い色使いのライダーのまま、最終回を迎えることになっていたに違いない。
2)一文字ライダーたちの明るい雰囲気が、子供向け番組として良い雰囲気で定着し、そのまま新ライダーとして復帰できた。初期の頃の暗い影を引きずらない、明るいヒーローになった。
3)仲間の存在。新マンとセブン共演のように、一文字ライダーとの共演で番組が盛り上がる効果もある。
まさに、
ライダーは 災い転じて 福となす
仮面ライダー(13) ~一文字隼人、変身ポーズを直伝す! [一文字ライダー・その2]
仮面ライダー2号・一文字隼人は、はじめて「変身ポーズ」を披露した等身大ヒーローの元祖として、特撮番組の歴史にその名を残すことが出来ると思う。そして、仮面ライダーが特撮史の中で極めて重要な位置を占める理由のひとつが、実は、この「変身ポーズ」にあると言える。
佐々木剛氏が、仮面ライダー撮影当時バイクに乗れなかったために考案されたあのポーズが、多くの子供達を熱狂させ、みんながそれを真似て、瞬く間に『ヘンシン』はその時代を代表する流行語になった。仮面ライダーは、この『変身』を抜きにしては、もはや語れない存在になっているのである。
ライダーの衣装は、撮影の関係でマイナーチェンジを試していたので、いずれはもっと明るい色へと変わっていっただろうと語られているが、「変身ポーズ」は本郷ライダーに何か変化が起こらない限り、出現することはなかったのではないだろうか。
この歴史的な第14話で、『お見せしよう!』と言って披露した変身ポーズのパフォーマンス。その鮮烈なイメージの『変身ポーズ』について、一文字隼人/佐々木剛氏に語ってもらおう。
★★★★★★★★★★★★
聞き手;
「変身ポーズをよりきれいに見せるために、何か工夫はしていましたか?」
佐々木氏;
「工夫っていうか、考えて何かしようとしたのではなくて、両手を大きく右側に振るから、こう自然に、右足を引くとバランスがいい感じなの。だから、当たり前にこうなった。
不自然じゃない形っていうのは、頭で考えるよりも自分の身体の軸のバランスできまるでしょ?だから、殺陣師が演って見せたものも、自然と右足を引いてたね。ちなみにあのポーズは、大野剣友会の高橋一俊さんと岡田勝君が創ったんだよ」
聞き手;
「ちょっと、変身ポーズの奥義を教えて頂きたいんですけど。どういう風に、力の加減をしていくのですか?」
佐々木氏;
「おれのこだわりとしては、無駄に力まないことが大事。殺陣師のみんなは、何で肩に力を入れて、ガチガチでいくのかなって思うんだよね。ライダーに入ってた文ちゃんが代表的だけど。こう、身体に力入っちゃうでしょう。俺のは自然体なんです。
背骨をまっすぐに感じながら、すっと地面に立つ。静から動への起点でしょ。肩に力入れないで肩肘張らないで、あくまですっとそのまま行くんです。「変身するぞー」じゃなくて、こう全く自然にね」
聞き手;
「段階を追って、説明してください」
佐々木氏;
「まず、自然体で直立。両足は肩幅程度に開き、肩に力を入れずに、両手を静かに素早く右に振る。この時に右足を斜め後方に軽く引き、へそを正面に向け静止する。重心は左足に感じる。
静から動への「気」の流れを意識しながら、両手を上方へ振り上げ、『へんしん!』と腹から声を出して、力をこめて両こぶしを握りしめ、最後に一気に力をためる。重心はこの時、完全に右ひざにくる。
この動作の間、両手が右から左へ回転していくのに合わせて、最初左足にあった重心は右足に移行するわけだ。
要するに、静から動への振り子運動だよな。体は重心の移動の間もバランスを取ろうとするからね」
聞き手;
「ありがとうございます。子供の時に真似をしていた変身ポーズの奥の深さを、今改めて感じました」
佐々木氏;
「変身ひとつにしてもそんなね、お遊びでやちゃいけないと思いますよ。俺の中では、あのポーズはすごく大事なものなんです。それで、もう紹介もさせなかったんですから。それっきりやりもしなかったし、日光江戸村で客席から下手なこと言われて、それっきり舞台から降りて居なくなったことあるからね。
でも子連れの親から言われた時なんかはね、子供がどうしてもっていう時は、全然平気でやってましたよ。本当に思いがあって見たいんだっていう人の前だったら、全然平気ですよ」
聞き手;
「他のライダーの変身ポーズについては、どんな印象を持たれてますか?」
佐々木氏;
「宮内洋君のは、最初から全身に力が入ってるんだよナ。闘志むき出しって感じ。テンション高くていい雰囲気だけど。藤岡君も気合が入っていていいけど、固いよナ。彼は最初にフンッて気合を入れてから、始めるんですよね。俺のが一番自然でしょ、シンプルで分かり易い」
聞き手;
「ライダー復刻ブームの中で、ファンからの「変身ポーズ」のリクエストも多いと思いますが?」
佐々木氏;
「昔ならとんでもないという気持ちがあったけど、今は逆に、本当に見たいって言われれば、やりますよ」
聞き手;
「それはどのような気持ちの変化なんでしょうか?」
佐々木氏;
「だってやっぱり、思いがあるんだろうし、本物が見たいという希望に対し、今なら無理なく見せてあげられるんだから、だったら見せてあげようという感じ」
聞き手;
「それはもっと深い所で言えば、佐々木さんの中に一度、一文字を捨てた時代があったとして、今はもう、素直に自分の中に一文字の魂が生き返っているからこそ、それに応えられるってことですか?」
佐々木氏;
「『変身』する時は、佐々木剛は一文字隼人なんですから。やっぱり、求めてくれる者があるのなら、こちらとしては、与えてあげられるモノがあれば与えたいと思う」
聞き手;
「今は分かり合えるファンには、恩返しをしたいと?」
佐々木氏;
「やっぱり喜んでくれるんだったら、なんぼでもって気持ちはありますよ。だから、そういう意味での意識は、昔と変わった部分があるね、大人になったっていうのと、歳もとったけどさ。いま、この時代に、この状況で仮面ライダーを支持してくれるファンは、俺の宝物ですから。出来ることはしてあげたい、と思うよ」 (おわり)
佐々木剛氏が、仮面ライダー撮影当時バイクに乗れなかったために考案されたあのポーズが、多くの子供達を熱狂させ、みんながそれを真似て、瞬く間に『ヘンシン』はその時代を代表する流行語になった。仮面ライダーは、この『変身』を抜きにしては、もはや語れない存在になっているのである。
ライダーの衣装は、撮影の関係でマイナーチェンジを試していたので、いずれはもっと明るい色へと変わっていっただろうと語られているが、「変身ポーズ」は本郷ライダーに何か変化が起こらない限り、出現することはなかったのではないだろうか。
この歴史的な第14話で、『お見せしよう!』と言って披露した変身ポーズのパフォーマンス。その鮮烈なイメージの『変身ポーズ』について、一文字隼人/佐々木剛氏に語ってもらおう。
★★★★★★★★★★★★
聞き手;
「変身ポーズをよりきれいに見せるために、何か工夫はしていましたか?」
佐々木氏;
「工夫っていうか、考えて何かしようとしたのではなくて、両手を大きく右側に振るから、こう自然に、右足を引くとバランスがいい感じなの。だから、当たり前にこうなった。
不自然じゃない形っていうのは、頭で考えるよりも自分の身体の軸のバランスできまるでしょ?だから、殺陣師が演って見せたものも、自然と右足を引いてたね。ちなみにあのポーズは、大野剣友会の高橋一俊さんと岡田勝君が創ったんだよ」
聞き手;
「ちょっと、変身ポーズの奥義を教えて頂きたいんですけど。どういう風に、力の加減をしていくのですか?」
佐々木氏;
「おれのこだわりとしては、無駄に力まないことが大事。殺陣師のみんなは、何で肩に力を入れて、ガチガチでいくのかなって思うんだよね。ライダーに入ってた文ちゃんが代表的だけど。こう、身体に力入っちゃうでしょう。俺のは自然体なんです。
背骨をまっすぐに感じながら、すっと地面に立つ。静から動への起点でしょ。肩に力入れないで肩肘張らないで、あくまですっとそのまま行くんです。「変身するぞー」じゃなくて、こう全く自然にね」
聞き手;
「段階を追って、説明してください」
佐々木氏;
「まず、自然体で直立。両足は肩幅程度に開き、肩に力を入れずに、両手を静かに素早く右に振る。この時に右足を斜め後方に軽く引き、へそを正面に向け静止する。重心は左足に感じる。
静から動への「気」の流れを意識しながら、両手を上方へ振り上げ、『へんしん!』と腹から声を出して、力をこめて両こぶしを握りしめ、最後に一気に力をためる。重心はこの時、完全に右ひざにくる。
この動作の間、両手が右から左へ回転していくのに合わせて、最初左足にあった重心は右足に移行するわけだ。
要するに、静から動への振り子運動だよな。体は重心の移動の間もバランスを取ろうとするからね」
聞き手;
「ありがとうございます。子供の時に真似をしていた変身ポーズの奥の深さを、今改めて感じました」
佐々木氏;
「変身ひとつにしてもそんなね、お遊びでやちゃいけないと思いますよ。俺の中では、あのポーズはすごく大事なものなんです。それで、もう紹介もさせなかったんですから。それっきりやりもしなかったし、日光江戸村で客席から下手なこと言われて、それっきり舞台から降りて居なくなったことあるからね。
でも子連れの親から言われた時なんかはね、子供がどうしてもっていう時は、全然平気でやってましたよ。本当に思いがあって見たいんだっていう人の前だったら、全然平気ですよ」
聞き手;
「他のライダーの変身ポーズについては、どんな印象を持たれてますか?」
佐々木氏;
「宮内洋君のは、最初から全身に力が入ってるんだよナ。闘志むき出しって感じ。テンション高くていい雰囲気だけど。藤岡君も気合が入っていていいけど、固いよナ。彼は最初にフンッて気合を入れてから、始めるんですよね。俺のが一番自然でしょ、シンプルで分かり易い」
聞き手;
「ライダー復刻ブームの中で、ファンからの「変身ポーズ」のリクエストも多いと思いますが?」
佐々木氏;
「昔ならとんでもないという気持ちがあったけど、今は逆に、本当に見たいって言われれば、やりますよ」
聞き手;
「それはどのような気持ちの変化なんでしょうか?」
佐々木氏;
「だってやっぱり、思いがあるんだろうし、本物が見たいという希望に対し、今なら無理なく見せてあげられるんだから、だったら見せてあげようという感じ」
聞き手;
「それはもっと深い所で言えば、佐々木さんの中に一度、一文字を捨てた時代があったとして、今はもう、素直に自分の中に一文字の魂が生き返っているからこそ、それに応えられるってことですか?」
佐々木氏;
「『変身』する時は、佐々木剛は一文字隼人なんですから。やっぱり、求めてくれる者があるのなら、こちらとしては、与えてあげられるモノがあれば与えたいと思う」
聞き手;
「今は分かり合えるファンには、恩返しをしたいと?」
佐々木氏;
「やっぱり喜んでくれるんだったら、なんぼでもって気持ちはありますよ。だから、そういう意味での意識は、昔と変わった部分があるね、大人になったっていうのと、歳もとったけどさ。いま、この時代に、この状況で仮面ライダーを支持してくれるファンは、俺の宝物ですから。出来ることはしてあげたい、と思うよ」 (おわり)
仮面ライダー(14) ~剛、お前がバイクに乗れなくてホントによかったゾ! [一文字ライダー・その2]
今回、一文字隼人・佐々木剛氏にはちょっと休んでいてもらい、彼の怪我からの復帰を喜ぶ応援メッセージを紹介しよう。元東映生田スタジオ所長の内田有作氏からのものである。内田有作氏は仮面ライダーの監督を務めた内田一作氏の実弟、「飢餓海峡」の内田吐夢監督は、実父である。
その前に、まずここで、たいへん残念なお知らせをしなくてはならない。生田スタジオのボス・内田有作氏が2011年12月に逝去されていた。
享年78。2011年7月に「仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!!」というライダー1号からBLACK RXまでを演じた俳優陣やスタッフを招いての一大イベントが開催されたが、開催期間中は点滴をして車椅子姿で、イベントに出場されていたそうである。
残念ながらその後奇跡は起こらず、その年の12月に逝去された。原作者の石ノ森章太郎や、アクションの高橋一俊・中村文弥らの元へと旅立ったわけである。
では故・内田有作氏の「佐々木剛へ応援メッセージ」をどうぞ。
★★★★★★★★★★★★
まぁ、剛は『仮面ライダー』と言う番組にとって福の神だったと思う。主人公の藤岡君が怪我をしてしまって、番組は窮地に立たされるわけだけれども、そこに剛が2号としてやってくることに僕は大賛成だった。あのときは、佐々木剛という名前を聞いただけでこれだ、と思った。
態度がでかくて生意気だったが、『柔道一直線』の時の堂々とした男っぷりは見事だったからね。初対面の時に良いインパクトがあった、風祭右京をやった男なら、『仮面ライダー』が務まると思ってた。
そうしたら、剛になってから視聴率はどんどん上がるしね、「変身」やったことから、ベルトなんかが凄く売れて、毎週おもちゃ屋が現場に来るようになって、取材が増えだすのも剛になってからだしな。ロケのタイアップもそうでしょ、ライダーのイベントが大盛況になたのも剛になってからだ。
僕は『仮面ライダー』という役が、改造人間としての哀しい宿命を背負ったヒーローだなんてことをすっかり忘れて、ただ、剛なら絶対に大丈夫だという自信だけで、剛を一文字の役に推したんだよ。かつら頭なんか、帽子被らせればいいしさ。
子供番組はお子様ランチみたいな物だから、哀愁がこうこうよりは、強ければいいと。そして強い正義には愛があると、そんあ強い男のイメージには剛がピッタリだったね。そしたら、『仮面ライダー』の方向が良い方へ良い方へと向いていったもんなぁ。僕は剛がみんなに福をもたらしたと思ってるよ。
剛が来るって決まって、剣友会の奴らも喜んだしな。ライダーの生田のスタジオには柔道一直線のスタッフがたくさん残っているから、剛もやり易かったろうし、制作側もそうだった。生意気だが愛嬌のある男だったからね、撮影の雰囲気をよくするやつでしたよ。
剛が来てから番組の雰囲気がガラッと明るくなったでしょ。それでライダーで生田に来たんだけど、あいつは最初、バイクに乗れなくてね、免許も持ってないんだから。
僕自身、あの生田のスタジオってのは、オンボロだったけど僕のすべてを賭けた大バクチだったのよ。それが、ライダーが始まってすぐ藤岡君が大怪我しちゃって、気の毒だったけど、こちらはいきなり主役が居なくなっちゃって、困り果てて。
そこに剛が来てくれたからだ丈夫だと思ってたら、今度はバイクに乗るヒーローの番組なのに、主役がバイクに乗れないんだからね。一難去ってまた一難でしょ。ホントに呆れましてね。ライダーってのは風を切って走って、その風圧でベルトの風車が回ることによって変身するわけでしょう。それがバイクに乗れないんだから。
イヤぁ困ったって、確かあの時は折田監督と平山プロと頭を抱えちゃったんですよ。でも剛がバイクに乗れなかったからこそ、あの「お見せしよう」の変身ポーズができたのだからねぇ。
あれはバイクに乗れないなら、『柔道一直線』の時みたいに変身の時に見栄を切れと、なにか風祭がやってた様なポーズやらせろって。それで高橋一俊と岡田勝が考えたのがあのポーズですよ。あの時、剛がバイクに乗れてたらああいう風にはならなかったでしょ。
で、当時バンダイがベルト作ったら、いきなり大ヒットになったんですよ。ライダーにはゲストにも何度も出てくれて、他の番組でも頑張ってたみたいだけど、いきなり火事起こして大やけどしたって聞いてね。心配してたんだけど、まぁ復帰できて良かった良かった。
今、最近の剛の写真を見たが、実にいいワルの顔をしていると思う。お前が悪役に興味があるならば、大悪党の役をやればいいだろう。『仮面ライダー』の時だってそうだったように、悪役はスゴイ悪役じゃなきゃダメなんだ。死神博士、地獄大使・・・強い悪役は番組を主役を、見事に輝かせるだろう。
かつての『仮面ライダー』が、今度は大いなるワルに変身して活躍しなさい。おまえに勧めたい本があるよ、梁石日(ヤンソギル)の『月はどっちに出ている』だ。こういう今風の、昔のやくざ映画の悪じゃなく、現代の黒社会の悪を研究して、今に通用する悪役になりなさい。
宮崎学の『突破者』もいいぞ。お前は、今までいきなり飛び込んでくる中央突破で良い役をやってきたんだから、予定調和じゃ駄目だよ。現状維持のタイプじゃないんだから、また思い切ってやれ。生田でドロ飯を食った人間の根性を見せろ。
今、当時ライダーを子供の時に見た人達が大人になって、まだファンでいてくれてこういう風に盛り上げてくれるんだから、ファンの人達に感謝して頑張りなさい。ところで剛、今度は僕たちの、今の酒を飲もうじゃないか。いつでも誘ってくれ、待ってるぞ。 (おわり)
改めまして、ご冥福をお祈りいたします 合掌
その前に、まずここで、たいへん残念なお知らせをしなくてはならない。生田スタジオのボス・内田有作氏が2011年12月に逝去されていた。
享年78。2011年7月に「仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!!」というライダー1号からBLACK RXまでを演じた俳優陣やスタッフを招いての一大イベントが開催されたが、開催期間中は点滴をして車椅子姿で、イベントに出場されていたそうである。
残念ながらその後奇跡は起こらず、その年の12月に逝去された。原作者の石ノ森章太郎や、アクションの高橋一俊・中村文弥らの元へと旅立ったわけである。
では故・内田有作氏の「佐々木剛へ応援メッセージ」をどうぞ。
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まぁ、剛は『仮面ライダー』と言う番組にとって福の神だったと思う。主人公の藤岡君が怪我をしてしまって、番組は窮地に立たされるわけだけれども、そこに剛が2号としてやってくることに僕は大賛成だった。あのときは、佐々木剛という名前を聞いただけでこれだ、と思った。
態度がでかくて生意気だったが、『柔道一直線』の時の堂々とした男っぷりは見事だったからね。初対面の時に良いインパクトがあった、風祭右京をやった男なら、『仮面ライダー』が務まると思ってた。
そうしたら、剛になってから視聴率はどんどん上がるしね、「変身」やったことから、ベルトなんかが凄く売れて、毎週おもちゃ屋が現場に来るようになって、取材が増えだすのも剛になってからだしな。ロケのタイアップもそうでしょ、ライダーのイベントが大盛況になたのも剛になってからだ。
僕は『仮面ライダー』という役が、改造人間としての哀しい宿命を背負ったヒーローだなんてことをすっかり忘れて、ただ、剛なら絶対に大丈夫だという自信だけで、剛を一文字の役に推したんだよ。かつら頭なんか、帽子被らせればいいしさ。
子供番組はお子様ランチみたいな物だから、哀愁がこうこうよりは、強ければいいと。そして強い正義には愛があると、そんあ強い男のイメージには剛がピッタリだったね。そしたら、『仮面ライダー』の方向が良い方へ良い方へと向いていったもんなぁ。僕は剛がみんなに福をもたらしたと思ってるよ。
剛が来るって決まって、剣友会の奴らも喜んだしな。ライダーの生田のスタジオには柔道一直線のスタッフがたくさん残っているから、剛もやり易かったろうし、制作側もそうだった。生意気だが愛嬌のある男だったからね、撮影の雰囲気をよくするやつでしたよ。
剛が来てから番組の雰囲気がガラッと明るくなったでしょ。それでライダーで生田に来たんだけど、あいつは最初、バイクに乗れなくてね、免許も持ってないんだから。
僕自身、あの生田のスタジオってのは、オンボロだったけど僕のすべてを賭けた大バクチだったのよ。それが、ライダーが始まってすぐ藤岡君が大怪我しちゃって、気の毒だったけど、こちらはいきなり主役が居なくなっちゃって、困り果てて。
そこに剛が来てくれたからだ丈夫だと思ってたら、今度はバイクに乗るヒーローの番組なのに、主役がバイクに乗れないんだからね。一難去ってまた一難でしょ。ホントに呆れましてね。ライダーってのは風を切って走って、その風圧でベルトの風車が回ることによって変身するわけでしょう。それがバイクに乗れないんだから。
イヤぁ困ったって、確かあの時は折田監督と平山プロと頭を抱えちゃったんですよ。でも剛がバイクに乗れなかったからこそ、あの「お見せしよう」の変身ポーズができたのだからねぇ。
あれはバイクに乗れないなら、『柔道一直線』の時みたいに変身の時に見栄を切れと、なにか風祭がやってた様なポーズやらせろって。それで高橋一俊と岡田勝が考えたのがあのポーズですよ。あの時、剛がバイクに乗れてたらああいう風にはならなかったでしょ。
で、当時バンダイがベルト作ったら、いきなり大ヒットになったんですよ。ライダーにはゲストにも何度も出てくれて、他の番組でも頑張ってたみたいだけど、いきなり火事起こして大やけどしたって聞いてね。心配してたんだけど、まぁ復帰できて良かった良かった。
今、最近の剛の写真を見たが、実にいいワルの顔をしていると思う。お前が悪役に興味があるならば、大悪党の役をやればいいだろう。『仮面ライダー』の時だってそうだったように、悪役はスゴイ悪役じゃなきゃダメなんだ。死神博士、地獄大使・・・強い悪役は番組を主役を、見事に輝かせるだろう。
かつての『仮面ライダー』が、今度は大いなるワルに変身して活躍しなさい。おまえに勧めたい本があるよ、梁石日(ヤンソギル)の『月はどっちに出ている』だ。こういう今風の、昔のやくざ映画の悪じゃなく、現代の黒社会の悪を研究して、今に通用する悪役になりなさい。
宮崎学の『突破者』もいいぞ。お前は、今までいきなり飛び込んでくる中央突破で良い役をやってきたんだから、予定調和じゃ駄目だよ。現状維持のタイプじゃないんだから、また思い切ってやれ。生田でドロ飯を食った人間の根性を見せろ。
今、当時ライダーを子供の時に見た人達が大人になって、まだファンでいてくれてこういう風に盛り上げてくれるんだから、ファンの人達に感謝して頑張りなさい。ところで剛、今度は僕たちの、今の酒を飲もうじゃないか。いつでも誘ってくれ、待ってるぞ。 (おわり)
改めまして、ご冥福をお祈りいたします 合掌
仮面ライダー(15) ~「その座に直れ」この言葉を君に贈ろう [一文字ライダー・その2]
仮面ライダー産みの親とも言える故・平山亨氏が、藤岡弘氏だけでなく、佐々木剛氏にも応援メッセージを贈っているので、ご紹介しよう。ネタバレのようだが、この手紙は佐々木氏だけにとどまらず、この記事を読んだすべての方達に、ひとつの良い教訓となってくれるものと信じる。
故・平山亨氏が名プロデューサーであったことの所以の一端が、垣間見られる一文である。では、どうぞ。
★★★★★★★★★★★★
佐々木君に会いたかった。火事以来、貴方(あなた)の居所がつかめなくて、心配ばかりしてきた。
私と貴方は変に気性が似ているみたいで、共にプライドに拘わる性質だ。貴方の気持ちが分かるだけに心配なんだが、さりとて、無力な私に何がしてあげられる、と言うのだけれど、心配だけは、するなといってもしてしまうのだから仕方がない。
それが昨年から不思議なほど接近できて嬉しかった。そして何よりもうれしいのは、貴方が一皮むけて悪役でもよい、チョイ役でもよい、もう一度役者稼業に戻りたいと、やる気を出してくれたことだ。そこで私も微力ながら、貴方のマネージャーみたいに貴方に仕事をくれそうなところを探して、「佐々木剛君に仕事をください」と頼み歩いている。
(途中省略)
そこで佐々木君への応援メッセージだが、良い言葉を贈ろう。「その座に直れ」という古人の言葉は、私の恩師、大監督、松田定次先生から、よく聞かされたものです。「その座に直れ」とは、人生浮き沈み、良い時もあれば悪い時もある。その時その時、その座に直ることが大切で、これが的確に遂行できる人こそが、のちの世にまで伝えられる人格者と言えるのだ、という意味だそうです。
ある日、松田先生が昔先輩だった人を連れてこられた。サイレント映画の大監督だったが、生活に困って松田先生を頼ってきたのを、先輩の困窮を見兼ねて会社に話をつけ、時代考証家として報酬が出るようにしてあげたのだ、ということだった。ところが、その方は態度が悪かった。
何よりも嫌だったのは、我々が天皇と尊崇する松田先生に向かって、昔はどうだったか知らないが、「松田君」と呼ぶのが、まったく不愉快だった。昔は猛威を奪い、この人に逆らうとクビにされたなんて伝説も聞こえてきたが、それは昔のこと。
私たちに何を言おうと我慢するが、敬愛する松田先生に向かって大勢の人がいるところで、「松田君」と呼ぶのは我慢ができなかった。
その人の下賤さ(*げせん)がみえみえで、私のような若輩者でも恥ずかしくて、貧乏はしても偉ぶって物を言うのだけはしたくないと思ったものだった。
*下賤;生まれや育ちが卑しいこと。また、そのさま
「その座に直れ」この教えは他の無数にある教えと共に、今の私を支えてくれている。だから私は、現東映社長の高岩 淡氏とは、同期生でお前オレの仲だったが、二人になればいざ知らず、人前では礼を尽くして「社長」と呼ぶ。これが人の道というものなのだ。
佐々木君、あなたは、昔はスターだった。しかし、一旦役者の道から離れて十数年。まったくの新人として役者の道に復帰した。しかし、貴方のキャリアは新人ではない。この自負を隠して、新人のステップを歩んでください。
そうすると人々は、昔の喧嘩っ早い佐々木君から、年輪の成長を見て尊敬するようになるでしょう。監督も役者も、成長しなければ敗退します。貴方の成長をみんなに見せてください。あなたはもう若くはない。そういったキャリアの年輪の魅力で、売っていくべきだと思うのです。
最後にみなさんに、もう一度お願い。佐々木剛君に仕事をください。ご一報を待っています。
故・平山亨氏が名プロデューサーであったことの所以の一端が、垣間見られる一文である。では、どうぞ。
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佐々木君に会いたかった。火事以来、貴方(あなた)の居所がつかめなくて、心配ばかりしてきた。
私と貴方は変に気性が似ているみたいで、共にプライドに拘わる性質だ。貴方の気持ちが分かるだけに心配なんだが、さりとて、無力な私に何がしてあげられる、と言うのだけれど、心配だけは、するなといってもしてしまうのだから仕方がない。
それが昨年から不思議なほど接近できて嬉しかった。そして何よりもうれしいのは、貴方が一皮むけて悪役でもよい、チョイ役でもよい、もう一度役者稼業に戻りたいと、やる気を出してくれたことだ。そこで私も微力ながら、貴方のマネージャーみたいに貴方に仕事をくれそうなところを探して、「佐々木剛君に仕事をください」と頼み歩いている。
(途中省略)
そこで佐々木君への応援メッセージだが、良い言葉を贈ろう。「その座に直れ」という古人の言葉は、私の恩師、大監督、松田定次先生から、よく聞かされたものです。「その座に直れ」とは、人生浮き沈み、良い時もあれば悪い時もある。その時その時、その座に直ることが大切で、これが的確に遂行できる人こそが、のちの世にまで伝えられる人格者と言えるのだ、という意味だそうです。
ある日、松田先生が昔先輩だった人を連れてこられた。サイレント映画の大監督だったが、生活に困って松田先生を頼ってきたのを、先輩の困窮を見兼ねて会社に話をつけ、時代考証家として報酬が出るようにしてあげたのだ、ということだった。ところが、その方は態度が悪かった。
何よりも嫌だったのは、我々が天皇と尊崇する松田先生に向かって、昔はどうだったか知らないが、「松田君」と呼ぶのが、まったく不愉快だった。昔は猛威を奪い、この人に逆らうとクビにされたなんて伝説も聞こえてきたが、それは昔のこと。
私たちに何を言おうと我慢するが、敬愛する松田先生に向かって大勢の人がいるところで、「松田君」と呼ぶのは我慢ができなかった。
その人の下賤さ(*げせん)がみえみえで、私のような若輩者でも恥ずかしくて、貧乏はしても偉ぶって物を言うのだけはしたくないと思ったものだった。
*下賤;生まれや育ちが卑しいこと。また、そのさま
「その座に直れ」この教えは他の無数にある教えと共に、今の私を支えてくれている。だから私は、現東映社長の高岩 淡氏とは、同期生でお前オレの仲だったが、二人になればいざ知らず、人前では礼を尽くして「社長」と呼ぶ。これが人の道というものなのだ。
佐々木君、あなたは、昔はスターだった。しかし、一旦役者の道から離れて十数年。まったくの新人として役者の道に復帰した。しかし、貴方のキャリアは新人ではない。この自負を隠して、新人のステップを歩んでください。
そうすると人々は、昔の喧嘩っ早い佐々木君から、年輪の成長を見て尊敬するようになるでしょう。監督も役者も、成長しなければ敗退します。貴方の成長をみんなに見せてください。あなたはもう若くはない。そういったキャリアの年輪の魅力で、売っていくべきだと思うのです。
最後にみなさんに、もう一度お願い。佐々木剛君に仕事をください。ご一報を待っています。