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仮面ライダーV3~今だから言える27番目の秘密!(前編) [宮内洋・1]

V3やアオレンジャーなど、数々の石ノ森ヒーローを演じた宮内洋氏は、丹波哲郎氏の弟子として芸能界の門をたたく。デビュー作はキイハンター。アクションの神様と言われた千葉真一氏に師事した。当時撮影現場で見ていて思ったことは、とにかく映像に映ると千葉真一はカッコイイ。

現場ではそれほど感じないのに、映像で見るとカッコイイのは何故かと思っていたという。千葉真一の教えは『カメラレンズの後ろから見るという視点を意識して、アクションをしなさい』ということだった。撮影カメラと自分との位置関係が良いと、殴る・蹴るのアクションがカッコよく見えるというのだ。この教えが、ライダーV3の撮影で大いに生かされたという。


★★★宮内洋インタビュー★★★

聞き手;
「改めてお聞きしたいんですが、あれはブイスリァ~ですよね?

宮内氏;
「最初はブイスリィ~だったんですが、気持ちの面と、それから途中からですが、ブイスリィの部分にエコーがかかるようになって、リィという発音にエコーがかかるよりも、アーにかかる方がきれいに聞こえるんですよ。それで自然と、『ブイスリァ~』になっちゃったんですよね(笑)

聞き手;
「敵にやられたときのメイクなんかも、かなり研究されたんじゃないですか?」

宮内氏;
「ずいぶん局の方から怒られましたね、ヒーローは顔を汚してはいけないと。言われたんですけど、それに反発して、女の子がつけまつ毛を付ける時に使うノリを目の下に付けて目を半分くらい潰しましてね。

殴られて腫れたような感じに見せたり、口の中に含みワタというのを入れて腫れたように見せたり、結局やられやられて、やられていかないと変身につながらないんです。宮内が言っている『やられの美学』というのが、ここで出てくるんですけどね」

聞き手;
「V3に変身した後も風見志郎の人格でライダーは演じなくてはならないですが、その辺はスーツアクターの方と打ち合わせは、綿密にすり合わせが必要だったんですよね」

宮内氏;
「スーツアクターは大野剣友会の中屋敷鉄也さんだったんですが、暇さえあれば台本を持ってきまして、彼がV3のセリフを言うんです。

V3の言うセリフを全部覚えて、この間(ま)でいいんでしょうかとか、こういう動きでいいんでしょうかという風に、あとで僕が動きに合わせてアフレコ(後から映像にV3の声を当てること)しやすいように全部綿密に打ち合わせに来てくれました。

そういうことがとてもうれしくて、撮影が終わるまでスーツアクターの人達と一緒に現場にいましたね。そういうものが以心伝心で全部伝わって、作品の中にも出てくると思います」

聞き手;
「そういった努力が、風見志郎がV3になった後もスムーズにみられることにつながるんですね。あと、当時はCGが無いから、アクションは全部実際にやらないといけなかったんですね」

宮内氏;
「スタントマンは、ビルの3階からでも平気で飛び降りましたからね。3階建てのビルにジャンプするシーンは、実際に飛び降りたフィルムを逆回転させて、下から『トォーッ!』って。そこにセリフがかぶる場合は逆回転を考えて、例えば『おのれ!』は、『れのお!』って言ってからアクションするんです。そういった苦労がありましたね・・・」 (つづく)

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仮面ライダーV3~今だから言える27番目の秘密!(中編) [宮内洋・1]

赤い 赤い 赤い仮面のV3
ダブルタイフーン 命のベルト
力と技の風車が回る・・・


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(前回からのつづき)
宮内氏;
「ボクの初めてのカットは、第1話でハサミジャガーの変身である教会の牧師さんに向かってセリフを言ったあと、ナナハンバイクで走り去るというカットなんです。撮影前『テスト、用意スタート』って言ったあと、バイクをブゥーンってやったら、ドーンと倒してしまいましてね。

ガソリンタンクはへこむわ、ミラーは壊れるわ、ステップの部分は折れるわで・・・。スタッフから『おいおい今度の主役、大丈夫かよ!』って声が聞こえてきまして。『なにっ』ってことで、現場から現場を移動する間を僕はそのバイクに乗ってロケバスの後を追いかけながら移動しましてね。

バイクを自分の身体の一部にしてしまったと。本当は事故の可能性があるんでいけないことなんですが、監督さんに許可を取ってそうしました」

聞き手;
「番組後半になってくると、バイク上で変身することもなさってますね」

宮内氏;
「バイクに乗りながらの変身ポーズは、実際に走っていて本人がやっているのが分るように、最初は顔をアップに撮っておいてもらって、変身するときにカメラを引いてもらうと車輪まで全部映るというふうにね。カーブの所で斜めになりながら、ななめ変身とか。そんなこともやりましたね」

聞き手;
「体当たりで命張ってやっていらっしゃるなってことが、よくわかりますよね。だから迫力があるので見ちゃうんですね。これは脚本を読んでるんじゃない、ホントに戦ってるって思えちゃうんですよね」

聞き手;
「風見志郎は、やっぱりヒーローなんですよね。宮内さんは、ファンの前では常に風見志郎でいようとしたと伺ってますが・・・」

宮内氏;
「風見志郎というよりも、つねにヒーローでいようということですね。子供の目というものは絶対に欺けないし、いつも真剣になって見ているんですね。ボクが一番豪語しているのは『ヒーロー番組は、教育番組である』ということを前面に出しているんです。

真剣にテレビを見ている子供たちに絶対ウソはつけないし、常にそういった部分でヒーローであろうとしたし、正義とは何ぞやということを解ってほしいよということで、番組作りに取り組んできましたね」   (つづく)

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仮面ライダーV3~今だから言える27番目の秘密!(後編) [宮内洋・1]

仮面ライダーの原作者・石ノ森章太郎氏はメディアによる対象年齢の違いということを意識していたという。テレビは小さい子供たちも見るからその子たちが楽しめるように、漫画を読むというのはもう少し上の年代の子だから、その子たちにはよりメッセージ性のあるものを、という考えがあったそうだ。

仮面ライダーの漫画版とテレビ版では内容が全く違うのは、そのためであるという。

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(前回からのつづき)
聞き手;
「最終話近くで、デストロンが打ち上げたプルトンロケットをライダーマンが操縦して自爆し東京を救うシーンで、V3は仮面ライダー4号の称号を贈るわけですが、宮内さんはあのシーンをより効果的に撮るために、時間帯を待って撮ったそうですが・・・」

宮内氏;
「最終話の1つ前の回で、V3の姿で『仮面ライダー4号の名を送るぞ!』って言ってるんですけど、それは明るい陽のあるデイシーンの撮影なんですね。それで最終話で『結城はどうしたっ?』ておやっさんに訊かれて、『おやっさん、おれは結城に、仮面ライダー4号の名を送った』というセリフをいうんですが、

これはどうしても明るいうちじゃ無くって、全体的に夕景といいましょうか、そういった背景で言いたいセリフなんで、このシーンだけはその時に撮ってくださいってお願いしました」

聞き手;
「ライダーマンというのは途中から出てきたキャラクターなんですが、ライダーが二人になって、演じる上で何か気をつけた所とか意識されたような所はありますか?」

宮内氏;
「最初は敵でした。それが味方になったわけですが、それまで敵同士の時はロケ弁(撮影現場で出る弁当)は一緒に食べなかったです。普通の日常会話もしません。朝の挨拶『おはようございます』と、終わったら『お疲れ様』、それ以外の余計な会話は一切無かったですね。

それで結城(ライダーマン)と友情が結ばれてから、向かい合って一緒にロケ弁当食べましたけど(笑)。やはり目とか演技に何かが出てしまうんですね。だから敵対している関係の時にはなるべく近づかない様に、そこまで入れ込んでいましたね」

聞き手;
「それはどちらかが言い出したというんではなく、自然とそうなったと・・・」

宮内氏;
「ボクがそういう風にしていたら彼も来なかったのか、彼もそう考えていたのか、その辺はわかりませんが。お互いにそんな感じにしてましたね」

聞き手;
「石ノ森ヒーローを演じてみて、俳優としての演技の幅は広がったでしょうか?」

宮内氏;
「4年間で4本やったわけですね。一番初めにやった風見志郎と二番にやった新命明(アオレンジャー)の違いをどう出すのか。新命明と早川健(ズバット)の違いをどう出すのか。早川健と番場壮吉(ジャッカー電撃隊・ビッグワン)、立て続けにずっと来て、そのキャラクターを全部変えなくちゃいけない。

自分の頭の中で考えたことは、まず年齢の差を作りました。それと敵に対する向い方。風見志郎は、とにかく真っ直ぐに向っていく青年。風見志郎は相手と戦う時は腰を低く構えているし、新命明は少し腰が上がってくる、

早川健はギターを持ったまま『どこからでも掛って来いよオイ』って感じ、ビッグワンになるとキザに『おいでどこからでもっ』ていう風に、年齢と雰囲気を変えていかないとだめだなと。

ゴレンジャーをやるときに石ノ森先生の事務所に行きまして、アカレンジャーとアオレンジャーはどういう使い分けをするのかという質問をしまして。ヒントをいただきましたのは、アカレンジャーは宮本武蔵だと。アオレンジャーは佐々木小次郎だと。

一応隊長はアカレンジャーだけれども、地位の差を作らずケンカしない程度にすれば、うまくいくんじゃないかと。今までヒーローはひとりだったですが、ゴレンジャーは5人ですから。歌舞伎の白波五人男から発想されたそうですが、地位の差を作らずに武蔵・小次郎のような関係でやれば、すんなりいけるんじゃないかと。

先生からそれを聞いて受けたのがアオレンジャー役ですし、風見志郎との違いは腰の位置と目線の違いを考えて演じました」

宮内氏;
「V3は仮面ライダー1号2号のバッタのキャラクターに対して、極端に色が違います。初めてご覧になった皆さんは、ビックリなさったと思いますが。のちに先生に伺いましたら、幼稚園の先生方にお話を伺ったら、子供たちが一番早く無くなるクレヨンの色、アカとグリーンとシロだそうです」

聞き手;
「あっ、V3を描くから・・・」

宮内氏;
V3を描くからじゃ無いですよ。そういった色が早く無くなるから、それを使ってV3をデザインしたんですよ。だから1号2号ライダーとは、まったく色が違うんだよと(先生が仰ってました)。偉大な方ですね

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宮内洋、ヒーロー一本道(1) ~ありがとう!ライダーV3、ありがとう!風見志郎 [宮内洋・1]

宮内洋氏は、子供の頃からヒーローだった。と書くと「えぇ~」となるが、本名でもある宮内洋という名前を友達は、遊びに誘う時に『ヒ~ロ~』と大声で呼んでいたという落ちである。

男兄弟の真ん中で、厳格な父に育てられたおかげで、『兄を尊敬し敬う気持ち』と『弟をいたわる気持ち』が養われ、人としての道、けじめを教わったと言っている。またそのことが、「正義とは何か」を常に考えることの伏線になったとも言っている。

では、宮内洋氏の話をどうぞ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
東映ニューフェースとしてこの業界に入った宮内氏は、霊界の宣伝マンと自称していた故・丹波哲郎氏を師と仰ぎ、TBSの『キーハンター』というスパイもの番組で本格アクションを身に付けていくことになる。

ある時、「東京の毎日放送へ行くよう」に言われたが、これこそが『仮面ライダーV3』のオーディションであった。毎日放送の局長、部長クラス、東映のプロデューサーらがズラリ並んでいる所で、『東映の宮内洋です』と普通にあいさつしたのだが、その態度が『俺は東映の宮内洋だ!』のごとく大きくみえたとか。

当時その場にいた平山亨プロデューサーがそう言うのである。やがて主人公・風見志郎役は10人に絞られて、その時点で宮内洋に決定した。東映で制作していることは知っていたが、一度も観たことのなかった『仮面ライダー』だった。

早速ビデオデッキを買って放送を見たら、その頃は1号2号のふたりのライダーが活躍していた。師匠の丹波哲郎氏にこのことを話したら、『お面で顔も判らないような役なら、やめっちめぇ』と言われて、『はじめは素顔で出て、あとでヘンシンとやってお面になるんです』と答えたら、『フーン、そうかい』という会話があったことを思い出すという。

ある日、マスコミを集めてV3の撮影会が行われたときのこと。宮内氏はまだ他の映画撮影をしている最中で、チンピラやくざ役だったので髪は短かった。当時ヒーローは、髪が長くアイドル系がいいということだったため、この撮影会と本編撮影が始まってからの最初の12本は、短い髪を隠すためにカツラを付けて演じていたという。V3、26の秘密の一つであろう(笑)。

初日の撮影でバイクが転倒・大破させてしまった宮内氏だったが、撮影半ばも過ぎてキバ男爵の頃には、バイクチェイスで普通に突っ走るところを、トランシーバーで会話しながら走ることもやるようになっていた。これはこのトランシーバーを刀代わりにして、横で伴走している敵とバイクに乗ったまま戦うというシーンを撮りたかったからである。

ツバサ軍団の頃には、バイクで敵を追跡するシチュエーションで、木と木の間をバイクですり抜けていく風見志郎に戦闘員が両側からロープを投げ、風見はロープに引っ掛かり絡めとられて、バイクだけが走り抜けていくというシーンがあった。

このシーンも宮内氏が演じて、バイクは大破しないように砂地のような場所で撮影した。これらは必ずしもストーリー上撮らないといけないシーンではないかもしれないが、宮内氏は自分のアクションに新しい味付けをしたかったのだった。

常に新しいことを考えて、監督に進言する。それによっていいアクションが撮れたなら、それは東映の評価が高まることにつながる。自分は東映所属の役者だし、スタッフも東映の社員。良い作品を撮るためには、危なくない程度の無理・無茶もしようという心意気であった。

『仮面ライダーV3』の地方ロケーションは、伊豆、浜松、高知、愛媛があった。高知と愛媛では現地の子供たちに少年ライダー隊として参加してもらうため、夏休み期間中にロケーションが行われた。フェリー『さんふらわあ』号を使っての移動であった。

この船での移動中も撮影をしながらの行程。愛媛松山の奥道後観光ホテルでの大ロケーションを行った。ホテルの庭園内で火薬を使ったり、松山城の階段でバイクを走らせたり、ロープウェイの上に登ったりと、とにかく派手にやった。

この時はテレビの前後編と映画の合計3本持ちだったが、制作費を使いすぎて金が無くなり、ホテル側に『ステージでアトラクションをするから』というお願いをして、無料で酒を飲ませてもらったという逸話がある。ちなみにその時に約束したアトラクション内容は、宮内洋1曲唄(柳ケ瀬ブルース)と大野剣友会の殺陣だったそうである。

撮影も終盤に来て、ライダーマン登場編がある。デストロンの科学者でありながら、優秀さをねたまれてヨロイ元帥に処刑されかかった半改造人間だ。時にはV3の味方になり、時には敵に回る。デストロン首領に逆らいきれない立場が、彼をそうさせる。

このキャラクターがいたからこそ、プロトンロケットのエピソードは大いに盛り上がった。ライダーマンがいなければ、ロケットの爆発阻止を誰がするのか。V3が身体を張って阻止するわけにはいかないだろう。ライダーマンがやってくれたからこそ、あそこまで悲壮感あふれる名シーンになったに違いない。

身を挺して東京を救ったライダーマンは、まさに『仮面ライダー4号』の名にふさわしい男だ。宮内氏は、この『ライダーマンの最期』に花を添える言葉をつぶやくシーンは、夕陽の時間帯を待って悲壮感を出そうという演出を考えた。夕暮れに、あのセリフは心にしみるものになると思ったからという。

『仮面ライダーV3』は、視聴率好調のうちに終わりを迎える。企業の宿命か、番組の打ち切りに対して現場の人間は何も言える権利を持たない。

普段なら宮内洋=風見志郎=ヒーローとして自覚を持ち、行い等にも努力していたが、最終回を告げられた日の夜だけは、風見志郎、いや宮内洋は新宿歌舞伎町で涙しながら呑んでいたという。そんな宮内氏の相手をしてくれたのが、長石多可男監督(当時助監督)であった。

その夜はヒーロー風見志郎を忘れて、飲んだという。こうしてヒーローというものを深く考えるきっかけをつくってくれた『仮面ライダーV3』は、終わった。「ヒーローとしての心構えを教えてくれた風見志郎よ、ありがとう。そして仮面ライダーV3よ、ありがとう」 (終わり)

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宮内洋、ヒーロー一本道(2) ~大人の集団『秘密戦隊ゴレンジャー』その1 [宮内洋・1]

『5人揃って、ゴレンジャー!』アカ、アオ、キー、モモ、ミドの5色。『ファイブレンジャー』としなかったところがミソだったと故・平山亨氏も言っていたが、『ファイブレンジャー』よりも『ゴレンジャー』という音の響きがいい、言いやすいということが大事なポイントであった。

言い易ければ覚えやすいし、受け入れやすいということにつながるのだろう。歌舞伎の『ご存じ白波五人男』が発想の原点にあるという、石ノ森章太郎氏の話だ。

ヒーローはひとりで戦うという今までの常識を打ち破った、新しい形のヒーロー像であり、それと同時に女性ヒーロー(ヒロイン)が加わるという流れをも作った。だが見方を変えると、一人ひとりは弱いのかもしれないし、一人でも欠けると必殺技(最終兵器)が出せないという大きな欠点も存在する。

だからチームワークの大切さを教えるには、格好の教材と言える。まさに宮内洋氏の言う『ヒーロー番組は、教育番組である』という線を外していない所は、さすがだ。しかし、何人いても一人ひとりが最善を尽くさないと駄目なことに、変わりはない。

ズルをして一人でも力を抜いたとき、団結力は乱れ相手を倒すことは叶わないだろう。テニスや卓球のダブルスという戦い方は、ペアのうちの一人が強くても相棒が弱いとその弱点を突かれてしまい、勝ち抜くことは困難である。多いことが、必ずしも有利という訳にはいかないこともある。チーム力を発揮することの難しさであろう。

では、宮内洋氏の話をどうぞ。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
メンバーが五人いると団結をモットーとするためには、リーダーが必要になってくる。そのためには隊長を決めなくてはならないので、その役割をアカレンジャーがすることになった。隊長は出ずっぱりである。宮内氏はスケジュールの関係で、ゴレンジャーに出ずっぱりは無理。

そこで宮内氏の演じる色は、アカ以外ということになった。モモとキーは、無理。そこでアオかミドリのどちらかということになって、『どちらでもいい。宮内洋が演じるのだから、どちらの色でも頑張るだけだから、アオを、新命明を演らせて頂きます』ということで、アオレンジャーに決まった。

単なる部下の隊員じゃ無くて、隊長が一目置くような隊員でもいいかと思って石ノ森章太郎先生に相談したら、『隊長アカが宮本武蔵で、アオが佐々木小次郎で演ったらいい』というヒントをもらいスタートしたのが、『秘密戦隊ゴレンジャー』というわけだ。

スケジュールの関係で、新命明が出演せずにアオレンジャーだけが出演した回が何回かあった。この手の作品はオールアフレコなので、声の出演は毎回必ずしていた。

アフレコと言えば、当時キレンジャーを演じていた畠山麦さんが宮内氏の近所に住んでいたようで、いつも一緒に食事をしたり呑みに行ったりしたという。劇中、バリブルーン、バリドリーンという飛行機が登場するが、その操縦席にはいつもアオとキーがいる。キーは役名、大岩大太。

 キー 「新命どん、敵が来よりましたばい」
 アオ 「大ちゃん」

 キー 「あいなァー」
 アオ 「スタンバイ、オーケイ」

 キー 「スタンバイ、オーケイ」
 アオ 「参りましょう」

 キー 「参りましょう」
 アオ 「フライトスイッチ、オン」    「ミサイル発進、ゴー!」

と、このようなやりとりはふたりで考えたもの。最初の回で撮り終わってアフレコのとき、この二人の会話を監督が感心していた。それで次の台本には、しっかりとこのようなやりとりが書き込まれる様になったそうだ。

アオレンジャーが持っている『ブルーチェリー』という武器も、台本ではただのアーチェリーだったのを、アフレコの時に『ブルーチェリー』と宮内氏が吹き込んで、そのまま採用になったものだ。

新命明が単独行動をとる回の話にはタイトルに『青い~』となっており、アオレンジャー編である。このような回はアクションが派手なので、男の子には人気があったようだ。飛行機で飛び、敵中に潜入することの多かった新命明。なかなかアオレンジャーに変身しないのが、宮内氏だ。

新命明でヤッテやってやりまくって、最後にアオレンジャーの登場となる。特に張り切ったのは、静岡県浜松の舘山寺でのロープウェイアクション。命綱を使わずのワンカットアクションを、監督・カメラマン・アクションディレクターと打ち合わせに打ち合わせを重ねた。

そしてさらに、『ロープウェイの屋根の上のロープの接点の所に立ちたい』と主張して決行した。よりスリリングなものを皆に見せたいという気持ちからだったというが、下の湖面までは100メートル、落ちたら一巻の終わりだ。

当時所属していた丹波プロのマネージャーは当然止めに入ったが、辞める宮内氏では無い。台本にはただ、『山を登って敵のアジトに侵入』と書いてあるだけなのに、こんな危険なスタントをしてのけるのが、男・宮内洋なのである!  (つづく)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
驚きである。いや、さすがというべきかもしれない。台本に普通に書いてあることを、わざわざこんなに《命がけの仕事》に書き替えてしまうなんて!もちろん、計算つくされた行動の上に演るのだから勝算はあるわけだが、程度の差はあれ危険なことは危険、それを命綱無しで実行してしまうとは、さすがヒーローを演じるために生まれてきた男、宮内洋である。

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