コンドールマン ~正義のシンボル、川内康範三部作のまさにトリを取ったヒーロー [コンドールマンこぼれ話]
正義のシンボル コンドールマンは、1970年代前半に川内康範先生(筆者は先生と呼ばせていただく)が創造したヒーローものの最後を締めくくるにふさわしい作品であったと思う。レインボーマン、ダイヤモンド・アイ、そしてコンドールマンと続く、川内ヒーローたち。石油危機や物不足、節電による深夜テレビ放送中止など、日本は低成長時代を迎える中、それらを打ち砕くがごとく第三のヒーローとして、コンドールマンは川内氏自らが企画したという。
そして川内氏のこの思いは、ヒットメーカー平山亨氏に託された。原作および設定は川内康範氏が手掛け、脚本やキャラクターデザインなどの文芸面は、川内側で集めたメンバーを使ったという。その中には手塚治虫氏の愛弟子であり、虫プロで『サンダーマスク』制作に携わった者達がおり、こういった人材の登用は、当時流行っていた仮面ライダーやゴレンジャーなどの石ノ森ヒーローとはまた違う世界観を呈することとなった。
人間の心に潜む悪い欲望や願望をモンスターに擬人化した敵役はとてもユニークであるし、物語の根底に流れる社会悪・人間悪を糾弾する川内康範氏の目が鋭く光っている作品となったが、視聴率的には伸び悩み、わずか半年(2クール)で終了してしまうという残念な番組であった。では当時のプロデューサー、平山亨氏の話をどうぞ。
アナウンサー;
「番組スタートのいきさつから・・・」
平山;
「原作者の川内康範先生はね、テレビ局に企画を持っていくときは直接社長室に『社長はいるか?』って入って行かれるそうでね。『コンドールマン』の時も先生の来訪を受けた局の社長は、急きょ局長・部長を集合させて、先生の企画を実現させるように命令した。局長たちは制作会社の東映に連絡して、川内先生と会ってくれるよう伝えた。テレビ局の片岡プロデューサーが川内先生と親しくて仲を取り持ってくれて、東映が制作を請け負うことになり、私が呼ばれてその概要を片岡さんから聞いたわけ」
アナウンサー;
「スタッフに関しては、どうでしたか?」
平山;
「脚本家はもう伊東恒久さんで決まってたんだ。レインボーマン・ダイヤモンドアイと、歴代の先生の作品をやられてきた方で、『先生の作品は伊東さん』と決まってたんだね。キャラクターも先生の方で描いたものを渡されるから、こちらはそれを受け取って造形屋さんに頼むわけ。
『ゼニクレージーって、こんなヤツか』って、上がってきた絵を見て思ったっけ。でもね、この体制がよかったんだなぁと、後になって思ったよ。それはね、私が先生の意向をいろいろ聞いて脚本家にそれを話しても、先生の意向をくみ取った脚本に仕上げられたかどうかわからない。そういう意味では、先生の考えを熟知していた伊東さんに書いてもらったことは、こちら側としても非常に助かったな、と。
脚本の打ち合わせでも、先生の狙いをよくわかって教えてくれたから、やり易かったね。デザインもそう。うちでやったら、ああまで先生のイメージを絵に出来たかどうかわからない。それと私よりもう一歩先生に歩み寄れる、片岡プロデューサーがいてくれたことも助かった」
アナウンサー;
「平山さんとしての狙いはどうでしたか」
平山;
「とにかく先生のやりたい作品を創るというのが、一番の狙いだった。私も勉強させてもらうつもりでいたんだよ。梶原一騎先生、石ノ森章太郎先生、横山光輝先生、水木しげる先生、そういう先生方の作品をやらせてもらった時も、先生方の描きたい狙いに忠実にとやってきた。このコンドールマンも、川内先生の狙い、川内先生の心に向かって進めようと思ったんだ」
アナウンサー;
「特に苦労したところは?」
平山;
「なにしろ川内先生だからね、すごく緊張したね。先生の手法は目に見えない観念を絵にするという超高級テクニックなんだ、シナリオにしてもね。伊東さんはその辺をうまくくみ取って脚本に起してくれていたけど、映像にするのは難しい話でね。
モンスター一族が買占めをして日本中が食糧難に陥るというのがあったけど、お腹がすいてたまらない、そんな気持ちを平和で豊かな時代の子供たちが理解できるのか、どうやったら伝えられるのかが難しかったなぁ~。これを撮った監督も悩んで、『これでいいのかな?』って言ってたからね」
アナウンサー;
「そういった感覚を表現するというのは、むずかしいですよね・・・」
平山;
「だから面白んだよ。そこで創意工夫するのがね。さっきの場面で、お腹をすかしている人達に、人間に化けたモンスターが『ステーキを見せびらかしてうまそうに食べる』なんていう見せ方は、悲痛さが伝わったかなと思うよ。
ヒーローの勇ましさ、カッコよさを伝えるのは得意とする私達だけど、こればっかりは参っちゃったね(笑)それでも先生は、『よくできてる。平山いいぞ』ってお褒め下さったようで。東映としても鼻高々だったらしいからね。だからもう少し視聴率が上がってスポンサーもうまく獲得できていれば、もっと長く放送できたんじゃないかと思うと、残念だね」
アナウンサー;
「特に印象に残っているエピソードがあれば・・・」
平山;
「主役・三矢一心役のオーディションだね。先生が『目をみれば判るんだ』って言ってね。レインボーマンもそうだったらしいけど、目がキリッとしてないとダメなんだ。次から次に人を連れて来てね、そうしてようやく佐藤仁哉くんが現れて、彼に決まったわけだよ。
あと、ニューヨークの高層ビルの一室で会議をしているモンスター一族。窓からニューヨークの街が見えてて、川内先生らしい世界観というか、ああいう感覚というか世界観は、京都撮影所で育った私達には無いものだったからね」
「人間世界でヒーローが神の域に達しているようなあの感覚は、私達には無かったものだから、やっていて面白かったし、勉強になった。『コンドールマン』は私が携わった作品の中ではたいへん特殊な存在で、川内先生の観念を映像化するという面白い機会に出会えてよかったなと思っているんだ。ただ私の力至らず、圧倒的に成功したとは言えない所が残念です」
そして川内氏のこの思いは、ヒットメーカー平山亨氏に託された。原作および設定は川内康範氏が手掛け、脚本やキャラクターデザインなどの文芸面は、川内側で集めたメンバーを使ったという。その中には手塚治虫氏の愛弟子であり、虫プロで『サンダーマスク』制作に携わった者達がおり、こういった人材の登用は、当時流行っていた仮面ライダーやゴレンジャーなどの石ノ森ヒーローとはまた違う世界観を呈することとなった。
人間の心に潜む悪い欲望や願望をモンスターに擬人化した敵役はとてもユニークであるし、物語の根底に流れる社会悪・人間悪を糾弾する川内康範氏の目が鋭く光っている作品となったが、視聴率的には伸び悩み、わずか半年(2クール)で終了してしまうという残念な番組であった。では当時のプロデューサー、平山亨氏の話をどうぞ。
アナウンサー;
「番組スタートのいきさつから・・・」
平山;
「原作者の川内康範先生はね、テレビ局に企画を持っていくときは直接社長室に『社長はいるか?』って入って行かれるそうでね。『コンドールマン』の時も先生の来訪を受けた局の社長は、急きょ局長・部長を集合させて、先生の企画を実現させるように命令した。局長たちは制作会社の東映に連絡して、川内先生と会ってくれるよう伝えた。テレビ局の片岡プロデューサーが川内先生と親しくて仲を取り持ってくれて、東映が制作を請け負うことになり、私が呼ばれてその概要を片岡さんから聞いたわけ」
アナウンサー;
「スタッフに関しては、どうでしたか?」
平山;
「脚本家はもう伊東恒久さんで決まってたんだ。レインボーマン・ダイヤモンドアイと、歴代の先生の作品をやられてきた方で、『先生の作品は伊東さん』と決まってたんだね。キャラクターも先生の方で描いたものを渡されるから、こちらはそれを受け取って造形屋さんに頼むわけ。
『ゼニクレージーって、こんなヤツか』って、上がってきた絵を見て思ったっけ。でもね、この体制がよかったんだなぁと、後になって思ったよ。それはね、私が先生の意向をいろいろ聞いて脚本家にそれを話しても、先生の意向をくみ取った脚本に仕上げられたかどうかわからない。そういう意味では、先生の考えを熟知していた伊東さんに書いてもらったことは、こちら側としても非常に助かったな、と。
脚本の打ち合わせでも、先生の狙いをよくわかって教えてくれたから、やり易かったね。デザインもそう。うちでやったら、ああまで先生のイメージを絵に出来たかどうかわからない。それと私よりもう一歩先生に歩み寄れる、片岡プロデューサーがいてくれたことも助かった」
アナウンサー;
「平山さんとしての狙いはどうでしたか」
平山;
「とにかく先生のやりたい作品を創るというのが、一番の狙いだった。私も勉強させてもらうつもりでいたんだよ。梶原一騎先生、石ノ森章太郎先生、横山光輝先生、水木しげる先生、そういう先生方の作品をやらせてもらった時も、先生方の描きたい狙いに忠実にとやってきた。このコンドールマンも、川内先生の狙い、川内先生の心に向かって進めようと思ったんだ」
アナウンサー;
「特に苦労したところは?」
平山;
「なにしろ川内先生だからね、すごく緊張したね。先生の手法は目に見えない観念を絵にするという超高級テクニックなんだ、シナリオにしてもね。伊東さんはその辺をうまくくみ取って脚本に起してくれていたけど、映像にするのは難しい話でね。
モンスター一族が買占めをして日本中が食糧難に陥るというのがあったけど、お腹がすいてたまらない、そんな気持ちを平和で豊かな時代の子供たちが理解できるのか、どうやったら伝えられるのかが難しかったなぁ~。これを撮った監督も悩んで、『これでいいのかな?』って言ってたからね」
アナウンサー;
「そういった感覚を表現するというのは、むずかしいですよね・・・」
平山;
「だから面白んだよ。そこで創意工夫するのがね。さっきの場面で、お腹をすかしている人達に、人間に化けたモンスターが『ステーキを見せびらかしてうまそうに食べる』なんていう見せ方は、悲痛さが伝わったかなと思うよ。
ヒーローの勇ましさ、カッコよさを伝えるのは得意とする私達だけど、こればっかりは参っちゃったね(笑)それでも先生は、『よくできてる。平山いいぞ』ってお褒め下さったようで。東映としても鼻高々だったらしいからね。だからもう少し視聴率が上がってスポンサーもうまく獲得できていれば、もっと長く放送できたんじゃないかと思うと、残念だね」
アナウンサー;
「特に印象に残っているエピソードがあれば・・・」
平山;
「主役・三矢一心役のオーディションだね。先生が『目をみれば判るんだ』って言ってね。レインボーマンもそうだったらしいけど、目がキリッとしてないとダメなんだ。次から次に人を連れて来てね、そうしてようやく佐藤仁哉くんが現れて、彼に決まったわけだよ。
あと、ニューヨークの高層ビルの一室で会議をしているモンスター一族。窓からニューヨークの街が見えてて、川内先生らしい世界観というか、ああいう感覚というか世界観は、京都撮影所で育った私達には無いものだったからね」
「人間世界でヒーローが神の域に達しているようなあの感覚は、私達には無かったものだから、やっていて面白かったし、勉強になった。『コンドールマン』は私が携わった作品の中ではたいへん特殊な存在で、川内先生の観念を映像化するという面白い機会に出会えてよかったなと思っているんだ。ただ私の力至らず、圧倒的に成功したとは言えない所が残念です」
コンドールマン(2) ~ちょっと難し過ぎたかなっていうのはありますね [コンドールマンこぼれ話]
『正義のシンボル コンドールマン』は、1975年3月31日から放送が開始され、半年間にわたって活躍したヒーローだった。ストーリー展開は大別して三つのブロックから成る。第1~13話までの『日本ハンガー作戦』編、第14~17話までの『日本炎上作戦』編、そして第18~24話までの『日本全滅作戦』編である。
内容的には『愛の戦士 レインボーマン』の『M作戦』と『モグラ―ト作戦』を進化・発展させて、そこに東映のエンターテインメント性とアクション性が加えられた仕上がりになっており、振り返ってみれば高い評価を得るはずの作品になっていたのだが、当時は視聴率的に振るわず、わずか半年間で終了してしまった。
その理由を、レベルが高い内容だったため視聴者である子供達が離れてしまったこと、時代の流れがゴレンジャーのような明るく派手なヒーロー像を求めるように変わっていったこと、と分析している。
ところで全編を通じて登場する三矢一心は、コンドールマンの力を得たことで蘇生したのではなく、彼の遺骨(一心はドラゴンコンドルの卵を守ろうとして、モンスター一族に射殺されてしまう)とゴールデンコンドルとの融合体であるコンドールマンの普段の仮の姿である。よって一心自身の一切の記憶はなく、正確には「コンドールマンが一心に化身している」という形になる。
ではコンドールマン主役・三矢一心役の佐藤仁哉(さとう じんや)氏の話を、どうぞ。
司会;
「芸歴は長いですよね」
佐藤氏;
「そうなんです。高校2年生くらいから。東宝映画からの青春ものがデビューです。69年に『16歳は感じちゃう』っていう映画で。そのあと数本あって、コンドールマンのオーディションがあって、康範先生に選んでいただいて」
司会;
「川内先生が、目に惚れられたそうですよ」
佐藤氏;
「あ、そうですか(照れ笑)」
司会;
「コンドールマン以前にも、東映作品にはよくご出演されてますね」
佐藤氏;
「あの頃、オーディションを何回か受けて。コンドールマンの前に、仮面ライダーV3も受けてるんですよ。コンドールマンの時はボクの他にも何人か残ったんですけど、受かるよりも落ちるのに慣れてますからね(苦笑)。
で、大勢いたんで、今度も落ちるだろうと。そしたらマネージャーが、『残ってくれって言ってるんだけども』って。『嘘だろ?』って思ったら康範先生たちがいらっしゃって、『ちょっとこうやって』って言われて、口と額を隠すポーズを取らされたんです。そしたら、『うん、わかったわかった』って。呆然としましたよ、撮影が始まってからが大変でしたけれど(笑)」
司会;
「やっぱり目を見ていらしたんですね、衣装を着たらどうなるかと・・。作品的にはいかがでしたか?」
佐藤氏;
「環境問題にはすごく興味があったんで、『単なる子供番組よりやり易いなぁ』と思ってました。ただ、ちょっと難しすぎたかなっていうのはありますね。テーマがね。ゼニクレージーとかヘドロンガーとかね。
でもあの頃から比べると大分綺麗になったんじゃないですか、川も海も。でも当時コンドールマンを観ていた子供たちがあれを理解していたかどうか・・・なかなか(微笑)難しいですよね。だから大人になって『あれはああいうことだったのか』って思うと、すごく良い番組だと思いますね」
司会;
「政治献金とか汚職なんて言葉は、あの番組で知りました」
佐藤氏;
「政治家ね、変身したりね(笑)。あれ好きでしたね、僕は。ゼニクレージーなんか、大臣ですもんね」
司会;
「政治家だって悪いことしてるってことを、コンドールマンで教えられましたね。それまでは政治家はみんな正しい人で悪い人はひとりもいないと子供心に思ってましたから」
佐藤氏;
「僕も当時二十歳前後でしたけど、政治家に対してはそう思ってましたね。あとオイルショックの買占めとかね。だからテーマ的にはすごいですよね」
司会;
「結構ご自身でアクションもこなされていますが、大変だったんじゃないですか?」
佐藤氏;
「大変でしたね。アクションの人が二人いたのかな。高橋健二(現・大葉健二)君と。のちに『宇宙刑事ギャバン』をやった彼が、中に一回くらい入っていたけど」
司会;
「メインは益田哲夫さんですね」
佐藤氏;
「そうです、そうです。真冬に水を被ったり川に落ちたり、それも朝から晩までですからね。とにかく寒かった。新人だから、バスでゆっくり待ってると怒られたり(笑)。でも全体的には、アットホームな雰囲気でしたね」
司会;
「印象に残っているエピソードなどを・・・」
佐藤氏;
「火薬のタイミングがズレるっていうことも結構ありましたね。マシンガンで撃たれて木の間を縫って行く時も、弾着を木に仕掛けておくんですけど、そこを通り過ぎる前にバーン!とね。ちょっと火薬は恐怖でしたよ。
当時の爆発は火薬とセメントで表現してましたが、ジャンプした後ろで爆発するシーンで、一発のはずが二発同時に鳴っちゃって。撮影現場の海岸が、セメントで真っ白になっちゃったこともありましたね。それとコンドールマンが乗る車あるじゃないですか・・・」
司会;
「マッハコンドルですね」
佐藤氏;
「そう、そんな名前の。あれベースはフェアレディだったんだけど、あれは全部自分で運転してましたね」
司会;
「コンドールマンの衣装を着てですか?」
佐藤氏;
「マスク被って、マントをガムテープで両肩に止めて。あの恰好で走ってましたよ。走りながら手裏剣みたいのを投げるとか、あれも自分でやってたんです。ハンドルを片足で押さえて、チョーク一杯回転を上げて、それでそのまま走らせて。乗ってからチョークを戻してやってました。全部自分です。今考えると危険だったですけど、演ってるときはもう何もわからず演ってましたね」
★★★★★★★★★★★★
佐藤仁哉氏は、この後電脳警察サイバーコップのバロン影山役(88年)やウルトラマンダイナ(97年)などでもご活躍をされている。
石ノ森ヒーローの仮面ライダーやゴレンジャーのように、FRP製のオールマスク型のヒーローが主流になっていくなかで、コンドールマンは人間の目が見える数少ないヒーローであった。月光仮面の流れをくむ、ひと目で『川内康範ヒーロー』と分かるヒーローであった。
時代が変わっても、日本人の持つ勤勉さや勤労さ、誠実さ、我慢強さといったものは変わらないはずだと思いたい。だが近年の日本人を見ていると、そうではないと思われてくる。偉そうなことを言うつもりは毛頭ないが、そういった日本人の素晴らしい気質が、時代と共に変わって行ってしまうことを、川内康範氏は一番憂いているように思うのである。
内容的には『愛の戦士 レインボーマン』の『M作戦』と『モグラ―ト作戦』を進化・発展させて、そこに東映のエンターテインメント性とアクション性が加えられた仕上がりになっており、振り返ってみれば高い評価を得るはずの作品になっていたのだが、当時は視聴率的に振るわず、わずか半年間で終了してしまった。
その理由を、レベルが高い内容だったため視聴者である子供達が離れてしまったこと、時代の流れがゴレンジャーのような明るく派手なヒーロー像を求めるように変わっていったこと、と分析している。
ところで全編を通じて登場する三矢一心は、コンドールマンの力を得たことで蘇生したのではなく、彼の遺骨(一心はドラゴンコンドルの卵を守ろうとして、モンスター一族に射殺されてしまう)とゴールデンコンドルとの融合体であるコンドールマンの普段の仮の姿である。よって一心自身の一切の記憶はなく、正確には「コンドールマンが一心に化身している」という形になる。
ではコンドールマン主役・三矢一心役の佐藤仁哉(さとう じんや)氏の話を、どうぞ。
司会;
「芸歴は長いですよね」
佐藤氏;
「そうなんです。高校2年生くらいから。東宝映画からの青春ものがデビューです。69年に『16歳は感じちゃう』っていう映画で。そのあと数本あって、コンドールマンのオーディションがあって、康範先生に選んでいただいて」
司会;
「川内先生が、目に惚れられたそうですよ」
佐藤氏;
「あ、そうですか(照れ笑)」
司会;
「コンドールマン以前にも、東映作品にはよくご出演されてますね」
佐藤氏;
「あの頃、オーディションを何回か受けて。コンドールマンの前に、仮面ライダーV3も受けてるんですよ。コンドールマンの時はボクの他にも何人か残ったんですけど、受かるよりも落ちるのに慣れてますからね(苦笑)。
で、大勢いたんで、今度も落ちるだろうと。そしたらマネージャーが、『残ってくれって言ってるんだけども』って。『嘘だろ?』って思ったら康範先生たちがいらっしゃって、『ちょっとこうやって』って言われて、口と額を隠すポーズを取らされたんです。そしたら、『うん、わかったわかった』って。呆然としましたよ、撮影が始まってからが大変でしたけれど(笑)」
司会;
「やっぱり目を見ていらしたんですね、衣装を着たらどうなるかと・・。作品的にはいかがでしたか?」
佐藤氏;
「環境問題にはすごく興味があったんで、『単なる子供番組よりやり易いなぁ』と思ってました。ただ、ちょっと難しすぎたかなっていうのはありますね。テーマがね。ゼニクレージーとかヘドロンガーとかね。
でもあの頃から比べると大分綺麗になったんじゃないですか、川も海も。でも当時コンドールマンを観ていた子供たちがあれを理解していたかどうか・・・なかなか(微笑)難しいですよね。だから大人になって『あれはああいうことだったのか』って思うと、すごく良い番組だと思いますね」
司会;
「政治献金とか汚職なんて言葉は、あの番組で知りました」
佐藤氏;
「政治家ね、変身したりね(笑)。あれ好きでしたね、僕は。ゼニクレージーなんか、大臣ですもんね」
司会;
「政治家だって悪いことしてるってことを、コンドールマンで教えられましたね。それまでは政治家はみんな正しい人で悪い人はひとりもいないと子供心に思ってましたから」
佐藤氏;
「僕も当時二十歳前後でしたけど、政治家に対してはそう思ってましたね。あとオイルショックの買占めとかね。だからテーマ的にはすごいですよね」
司会;
「結構ご自身でアクションもこなされていますが、大変だったんじゃないですか?」
佐藤氏;
「大変でしたね。アクションの人が二人いたのかな。高橋健二(現・大葉健二)君と。のちに『宇宙刑事ギャバン』をやった彼が、中に一回くらい入っていたけど」
司会;
「メインは益田哲夫さんですね」
佐藤氏;
「そうです、そうです。真冬に水を被ったり川に落ちたり、それも朝から晩までですからね。とにかく寒かった。新人だから、バスでゆっくり待ってると怒られたり(笑)。でも全体的には、アットホームな雰囲気でしたね」
司会;
「印象に残っているエピソードなどを・・・」
佐藤氏;
「火薬のタイミングがズレるっていうことも結構ありましたね。マシンガンで撃たれて木の間を縫って行く時も、弾着を木に仕掛けておくんですけど、そこを通り過ぎる前にバーン!とね。ちょっと火薬は恐怖でしたよ。
当時の爆発は火薬とセメントで表現してましたが、ジャンプした後ろで爆発するシーンで、一発のはずが二発同時に鳴っちゃって。撮影現場の海岸が、セメントで真っ白になっちゃったこともありましたね。それとコンドールマンが乗る車あるじゃないですか・・・」
司会;
「マッハコンドルですね」
佐藤氏;
「そう、そんな名前の。あれベースはフェアレディだったんだけど、あれは全部自分で運転してましたね」
司会;
「コンドールマンの衣装を着てですか?」
佐藤氏;
「マスク被って、マントをガムテープで両肩に止めて。あの恰好で走ってましたよ。走りながら手裏剣みたいのを投げるとか、あれも自分でやってたんです。ハンドルを片足で押さえて、チョーク一杯回転を上げて、それでそのまま走らせて。乗ってからチョークを戻してやってました。全部自分です。今考えると危険だったですけど、演ってるときはもう何もわからず演ってましたね」
★★★★★★★★★★★★
佐藤仁哉氏は、この後電脳警察サイバーコップのバロン影山役(88年)やウルトラマンダイナ(97年)などでもご活躍をされている。
石ノ森ヒーローの仮面ライダーやゴレンジャーのように、FRP製のオールマスク型のヒーローが主流になっていくなかで、コンドールマンは人間の目が見える数少ないヒーローであった。月光仮面の流れをくむ、ひと目で『川内康範ヒーロー』と分かるヒーローであった。
時代が変わっても、日本人の持つ勤勉さや勤労さ、誠実さ、我慢強さといったものは変わらないはずだと思いたい。だが近年の日本人を見ていると、そうではないと思われてくる。偉そうなことを言うつもりは毛頭ないが、そういった日本人の素晴らしい気質が、時代と共に変わって行ってしまうことを、川内康範氏は一番憂いているように思うのである。
コンドールマン(3) ~残そうと思って残るものじゃないよね(脚本家;伊東恒久氏) [コンドールマンこぼれ話]
『コンドールマン』は、原作および設定は川内康範氏が手掛け、脚本は川内康範の右腕とも言うべき伊東恒久氏が担当、そしてコンドールマン周辺のデザインを平田昭吾氏が、敵モンスター一族を成田マキホ氏が担当することが決まった。
平田・成田両氏とも手塚治虫の愛弟子であり、ふたりはこの作品から遡ること2年前、虫プロおよび手塚プロの流れをくむひろみプロで、実写変身ヒーロー作品『サンダーマスク』の制作に携わっていた。このことが、石ノ森章太郎ワールドである『仮面ライダー』や、同時期に始まった『ゴレンジャー』とはまた一味ちがう独特の世界観を呈することにつながった。
また前二作(レインボーマン・ダイヤモンドアイ)は東宝制作であったが、ヒットメーカー・平山亨氏がいる東映に制作依頼をしたことも、新たなるヒーローの流れを作るきっかけとなったと思う。
キャスティングでは、主人公・三矢一心役を『彼の目がいい』と川内康範氏の鶴の一声で佐藤仁哉氏に決定。
レインボーマンといい、このコンドールマンといい、顔全体をマスクで覆い目だけを出すヒーローの《目の力》を重要視したのは、数あるヒーローの中でもこの2超人くらいだろう。
それでは、脚本家・伊東恒久氏の話をどうぞ。
伊東氏;
「『ダイヤモンド・アイ』が終わってしばらくしてね、川内先生から『今度は東映でやるぞ』と言ってきたのが『コンドールマン』だね」
聞き手;
「東宝とのカラーの違いは気になりましたか?」
伊東氏;
「現場レベルになるとそう大きな違いは無かったんじゃないかな。今でも2時間ドラマなどで活躍されている松島(稔)さんという監督がね、結構熱心な人で、『こういうの、どうですか?』とかいろいろなアイデアを現場で出してくれましたよ。凄い人だなと思った。東映さんとはほとんど初めてみたいなものだったけど、だからすごくやり易かったですよ」
聞き手;
「東映のカラーと川内先生の作風とが合うのかな?」と、一瞬思いますけれども」
伊東氏;
「東映という会社は、結構何でもアリみたいなところがあったからね」
聞き手;
「この作品も、やはり企画書は伊東さんが書かれたんですか?」
伊東氏;
「そうだったと思います。まだどこかに取ってあるはずなんだけどね。どこかに入ったまま見つからない」
聞き手;
「それまでとは違い、ほぼ毎回怪人を出していましたが」
伊東氏;
「予算的には結構頑張っていたと思う。潤沢という訳にはいかなかったかもしれないけれど、東映は予算が無ければ無いなりに、頑張って面白いものを創ることには長けていたからね。『仮面ライダー』もそうでしょう?監督さんも松島さんがさっき言ったような人だったし、奥中(敦夫)さんは割と理論派の人だった。
おふたりがそれぞれの個性を発揮して、作品を面白くしてくれました。それと特撮研究所というところも、頑張ってやってましたよ。矢島(信夫)さんもまだ若くてね。どの回だったか、観ていビックリしたことがあるんですよ。星美智子さん(一心の母役)と多々良純さん(一心の父役)の何気ない会話だったんだけど、その時の星さんの芝居。本当にわずかなセリフなんだけど、それが泣かせるんだなぁ。
物語に直接関係のあるセリフでもないし・・・何でもないセリフ。『ああ、やっぱり映画で鍛えてきた人達はすごいなぁ』と思いましたね。それで『これは迂闊なセリフは書けないぞ』と、思ったんですよ。こういう芝居を引き出した監督もスゴイとおもうけどね。
あと、この作品で思い出すのは、東映で打ち合わせをした帰りに電車がストになって帰れなくなったことがあるんです。その時プロデューサーが車を手配してくれて、自宅まで送ってくれたんだけれど、その車がね、『特別機動捜査隊』という番組でパトカーとして使っていた車だったらしくて(笑)。
うしろにはカーテンが掛っていて、だから追い越しをかけようした車が、覆面パトカーと勘違いしたのか、スーッと下がっていったことがあるんですよ(笑)。運転手も『気づいたみたいですねぇ』って、言ってたね」
聞き手;
「伊東さんのお書きになるものは、どちらかというと人間を非常に冷徹な目で見ているような気がしますが、その辺はいかがでしょうか?」
伊東氏;
「やはり物書きとしてはね、物事を冷静に見なければいけないという部分もありますよ。書くものというのは、どうしても客観的にならざるを得ない。そういうところはある。でも基本的には僕は人間というものを信じたいと思っています。どちらかといえば、性善説。そうじゃないと、生きていくのがしんどいでしょう。
でも最近の状況をみると、すぐにキレて人を殺してしまうとか、この先どうなるんだろうと暗澹たる気持ちになる事件も多い。社会とのパイプを断ち切るような方向性に行ってしまうことも、増えているでしょう。バーチャルな世界に逃避してしまうとかね。
そりゃあ、人間おかしくなりますよ。子供の頃からそういう世界に育ったら、現実の世界に戻るまでに何十年とかかるんじゃないか。別にバラ色の未来を信じているわけじゃないけど、こんなことで大丈夫かと思うことは多い」
聞き手;
「お書きになったものがこうして長い年月が経っても、決して薄れることのないインパクトを持ち続けている秘密が判った気がします」
伊東氏;
「残そうと思って残るものじゃないよね。やはりそこには普遍の真理みたいなものをいかに盛り込んでいくか、ということだと思う。例えば『ダイヤモンド・アイ』だって、前世魔人だから、前世が悪だからといって殺せばいい、倒せばいいとは言ってないつもりなんだよ。何かしら、救いの道は無いかとね。そういうことは、どの作品でも考えてきた事なんです」
聞き手;
「伊東さんは子供番組をメインに長年やってこられたわけですが、その魅力というにはどの辺にあるとお考えですか?」
伊東氏;
「やはり自由に発想してできるということだと思いますね。制約はもちろんありますよ。でも一般のテレビドラマは、誰それという役者のスケジュールを何か月押さえました、というところから始まるでしょ。でも僕はそういうことにとらわれないで、面白いものを創りたいと思うんです。あと僕の場合、たまたまこういうジャンルからスタートしたということもあると思う。
漫画は今でも好きだしね。子供に良いものを見せたいという文化庁みたいな気持ちは、あまりないんですよ。僕らは子供の頃、江戸川乱歩ものをドキドキしながら読んだ。そういう気持ちを味わえるようなものが書きたい、そう思っているんです。だからこんなに長くやってきても、飽きるということは無い。記憶力などは落ちてくるけど、空想力とかアイデアというものは、年をとっても減らないような気がするんです」
★★★★★★★★★★★★
伊東恒久氏は、1967年の『キャプテンウルトラ』で脚本家デビュー。その後アニメーションと変身ヒーローものを中心に、数多くの作品で現在もご活躍されている。氏がいうように、現代社会に生きる人間はどこかおかしい。みんながそう感じているはずである。筆者が小さい頃は、外でみんなと遊ぶことで人間関係は育まれた。
思いやりの心は、小さい頃の遊びの中で作られるものだと思う。物が世の中に溢れすぎている。経済がすべてではない。不便ということの中にも、学ぶべきことはたくさんあると思う。日本人の教育は、ここのところがもっと必要なのではないだろうか。人間関係が希薄な社会では、日本の将来は暗い。
※☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆
【正義のシンボル コンドールマン】のドラマが始まりました。 こちらからどうぞ ⇨https://zarabkemul.blog.ss-blog.jp/archive/c2306201579-1
平田・成田両氏とも手塚治虫の愛弟子であり、ふたりはこの作品から遡ること2年前、虫プロおよび手塚プロの流れをくむひろみプロで、実写変身ヒーロー作品『サンダーマスク』の制作に携わっていた。このことが、石ノ森章太郎ワールドである『仮面ライダー』や、同時期に始まった『ゴレンジャー』とはまた一味ちがう独特の世界観を呈することにつながった。
また前二作(レインボーマン・ダイヤモンドアイ)は東宝制作であったが、ヒットメーカー・平山亨氏がいる東映に制作依頼をしたことも、新たなるヒーローの流れを作るきっかけとなったと思う。
キャスティングでは、主人公・三矢一心役を『彼の目がいい』と川内康範氏の鶴の一声で佐藤仁哉氏に決定。
レインボーマンといい、このコンドールマンといい、顔全体をマスクで覆い目だけを出すヒーローの《目の力》を重要視したのは、数あるヒーローの中でもこの2超人くらいだろう。
それでは、脚本家・伊東恒久氏の話をどうぞ。
伊東氏;
「『ダイヤモンド・アイ』が終わってしばらくしてね、川内先生から『今度は東映でやるぞ』と言ってきたのが『コンドールマン』だね」
聞き手;
「東宝とのカラーの違いは気になりましたか?」
伊東氏;
「現場レベルになるとそう大きな違いは無かったんじゃないかな。今でも2時間ドラマなどで活躍されている松島(稔)さんという監督がね、結構熱心な人で、『こういうの、どうですか?』とかいろいろなアイデアを現場で出してくれましたよ。凄い人だなと思った。東映さんとはほとんど初めてみたいなものだったけど、だからすごくやり易かったですよ」
聞き手;
「東映のカラーと川内先生の作風とが合うのかな?」と、一瞬思いますけれども」
伊東氏;
「東映という会社は、結構何でもアリみたいなところがあったからね」
聞き手;
「この作品も、やはり企画書は伊東さんが書かれたんですか?」
伊東氏;
「そうだったと思います。まだどこかに取ってあるはずなんだけどね。どこかに入ったまま見つからない」
聞き手;
「それまでとは違い、ほぼ毎回怪人を出していましたが」
伊東氏;
「予算的には結構頑張っていたと思う。潤沢という訳にはいかなかったかもしれないけれど、東映は予算が無ければ無いなりに、頑張って面白いものを創ることには長けていたからね。『仮面ライダー』もそうでしょう?監督さんも松島さんがさっき言ったような人だったし、奥中(敦夫)さんは割と理論派の人だった。
おふたりがそれぞれの個性を発揮して、作品を面白くしてくれました。それと特撮研究所というところも、頑張ってやってましたよ。矢島(信夫)さんもまだ若くてね。どの回だったか、観ていビックリしたことがあるんですよ。星美智子さん(一心の母役)と多々良純さん(一心の父役)の何気ない会話だったんだけど、その時の星さんの芝居。本当にわずかなセリフなんだけど、それが泣かせるんだなぁ。
物語に直接関係のあるセリフでもないし・・・何でもないセリフ。『ああ、やっぱり映画で鍛えてきた人達はすごいなぁ』と思いましたね。それで『これは迂闊なセリフは書けないぞ』と、思ったんですよ。こういう芝居を引き出した監督もスゴイとおもうけどね。
あと、この作品で思い出すのは、東映で打ち合わせをした帰りに電車がストになって帰れなくなったことがあるんです。その時プロデューサーが車を手配してくれて、自宅まで送ってくれたんだけれど、その車がね、『特別機動捜査隊』という番組でパトカーとして使っていた車だったらしくて(笑)。
うしろにはカーテンが掛っていて、だから追い越しをかけようした車が、覆面パトカーと勘違いしたのか、スーッと下がっていったことがあるんですよ(笑)。運転手も『気づいたみたいですねぇ』って、言ってたね」
聞き手;
「伊東さんのお書きになるものは、どちらかというと人間を非常に冷徹な目で見ているような気がしますが、その辺はいかがでしょうか?」
伊東氏;
「やはり物書きとしてはね、物事を冷静に見なければいけないという部分もありますよ。書くものというのは、どうしても客観的にならざるを得ない。そういうところはある。でも基本的には僕は人間というものを信じたいと思っています。どちらかといえば、性善説。そうじゃないと、生きていくのがしんどいでしょう。
でも最近の状況をみると、すぐにキレて人を殺してしまうとか、この先どうなるんだろうと暗澹たる気持ちになる事件も多い。社会とのパイプを断ち切るような方向性に行ってしまうことも、増えているでしょう。バーチャルな世界に逃避してしまうとかね。
そりゃあ、人間おかしくなりますよ。子供の頃からそういう世界に育ったら、現実の世界に戻るまでに何十年とかかるんじゃないか。別にバラ色の未来を信じているわけじゃないけど、こんなことで大丈夫かと思うことは多い」
聞き手;
「お書きになったものがこうして長い年月が経っても、決して薄れることのないインパクトを持ち続けている秘密が判った気がします」
伊東氏;
「残そうと思って残るものじゃないよね。やはりそこには普遍の真理みたいなものをいかに盛り込んでいくか、ということだと思う。例えば『ダイヤモンド・アイ』だって、前世魔人だから、前世が悪だからといって殺せばいい、倒せばいいとは言ってないつもりなんだよ。何かしら、救いの道は無いかとね。そういうことは、どの作品でも考えてきた事なんです」
聞き手;
「伊東さんは子供番組をメインに長年やってこられたわけですが、その魅力というにはどの辺にあるとお考えですか?」
伊東氏;
「やはり自由に発想してできるということだと思いますね。制約はもちろんありますよ。でも一般のテレビドラマは、誰それという役者のスケジュールを何か月押さえました、というところから始まるでしょ。でも僕はそういうことにとらわれないで、面白いものを創りたいと思うんです。あと僕の場合、たまたまこういうジャンルからスタートしたということもあると思う。
漫画は今でも好きだしね。子供に良いものを見せたいという文化庁みたいな気持ちは、あまりないんですよ。僕らは子供の頃、江戸川乱歩ものをドキドキしながら読んだ。そういう気持ちを味わえるようなものが書きたい、そう思っているんです。だからこんなに長くやってきても、飽きるということは無い。記憶力などは落ちてくるけど、空想力とかアイデアというものは、年をとっても減らないような気がするんです」
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伊東恒久氏は、1967年の『キャプテンウルトラ』で脚本家デビュー。その後アニメーションと変身ヒーローものを中心に、数多くの作品で現在もご活躍されている。氏がいうように、現代社会に生きる人間はどこかおかしい。みんながそう感じているはずである。筆者が小さい頃は、外でみんなと遊ぶことで人間関係は育まれた。
思いやりの心は、小さい頃の遊びの中で作られるものだと思う。物が世の中に溢れすぎている。経済がすべてではない。不便ということの中にも、学ぶべきことはたくさんあると思う。日本人の教育は、ここのところがもっと必要なのではないだろうか。人間関係が希薄な社会では、日本の将来は暗い。
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