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異星人との遭遇・1 [UFOと宇宙人4]

トーマス・ジェファーソン大統領、クリストファー・コロンブス、中世の十字軍。彼等の共通点は何か?彼等は、宇宙人と遭遇したと言われている人物たちである。コロンブスは、最初の航海の際にこのように記録している。「光る物体が水中から浮かび上がり、大気圏にむかって飛んで行った」。

また過去にあった大きな災害は、異星人によってもたらされたのか。ノアの大洪水や中世の疫病、そして古代の核戦争・・・。

アメリカ、ニューメキシコ州のホワイトサンズミサイル実験場。1945年7月16日早朝、史上初の原子爆弾が炸裂した。爆発によって直径約200メートルの火の球が出現、その威力はTNT火薬20キロトンに匹敵した。キノコ状の雲は高度1万1千メートルにまで上昇し、轟音は160キロ離れた地点までとどろいたと言われている。地球史上初の核爆発実験を見た者は誰もが黙り込み、この爆弾の産みの親であるR・オッペンハイマー博士をも震え上がらせるほどであった。

だが、果たしてこれが、地球を襲った初めての核爆発だったのだろうか。太古の時代に、凄まじい爆発によって歴史が変えられた可能性があると、

地質学者で作家のR・ショック氏は述べている。
『数々の痕跡が、各地に残されています。これを根拠に、太古の昔に、核戦争や核爆発が起こっていたという説が長い間言われてきました』

古代文明人による核戦争などと言えば、SF小説の様に思われるかもしれない。だが、ニューメキシコ州の爆弾実験を終えたオッペンハイマー博士は、核兵器開発を主導したことを後悔して次のように語ったという。

『ヒンズー教の聖典バガヴァッド・ギーターの一節が、頭をよぎりました。「我は死なり。世界の破壊者なり」・・・』

バガヴァッド・ギーターとは、古代インドの大叙事詩マハーバーラタに含まれる聖典で、紀元前5世紀から2世の間に書かれたものである。10万の詩節で綴られたマハーバーラタには、古代ラーマの王国について書かれている。
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この王国が存在したのは、1万2千年以上も前のことだという。つまり、人類最古とされるメソポタミア文明よりも、ざっと5千年も古いことになる。
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『マハーバーラタの内容は、まるで現代のSF小説のようなのです。この聖典は何千年も前に書かれたはずなのに、描かれている神は高度な技術を持ち、空飛ぶ戦車を操り、幾多の壮大な戦いを繰り広げています。それだけではありません。非常に威力のある兵器が使用されたという記述があるのです』
こう話すのは、G・ツォカロス氏である。

『神々は「ブラフマーの兵器」と呼ばれる武器を持っていました。この兵器で人々は黒焦げに焼かれ、溶けて消えた者もいました』
作家のN・レッドスター女史がこう話すように、

古代宇宙飛行士説を唱える者は、この兵器が核爆弾だったと考えている。爆発の後遺症が、高濃度の放射線を浴びた症状とよく似ていたからである。だがこの説は、学会からは異端視されているという。なぜなら、聖典の中には核爆発があったことを裏付ける記述はなく、ただ戦いがあり、その時に大きな爆発があったとしか書かれてはいないからだ。

だが、G・ツォカロス氏は次のように強調する。
『確かに、聖典には戦いがあって爆発があったとしか書かれていません。しかし、これをまったく違う解釈で読むこともできるのです。例えば、爆発の様子を説明するこの文章です。
【千の太陽よりもその光はまぶしく輝き、爆発の直後には火の球が空に渦を巻き、 木々は燃えあがり、人々が大勢死んだ】
とあります。爆死を免れた人々にしても、髪は抜け落ち爪が剥がれ落ちる、放射能汚染の現象を簡潔に描いたものと思われるのです。これらの記述が、何千年も前に書かれているのです』

では、マハーバーラタが事実に基づいていることを裏付ける遺物の発掘や、放射線を使用した調査は、これまでに行われているのだろうか。

この種の調査が、行われてきた遺跡がある。パキスタン南部、インダス文明の遺跡である。1922年インド考古調査局によって、古代都市遺跡が発見された。今ではここは、モヘンジョ・ダロ遺跡として知られている。IMG_1073.jpg

死者の丘を意味するモヘンジョ・ダロの都市は、紀元前2600年から1900年に繁栄したとする説が一般的であるが、パキスタンの学者たちは、都市が栄えたのはもっと古い時代だと主張している。

廃墟となった理由については、天候の変化、あるいは交易が途絶えたからという考えが主流である。しかし、この遺跡が発見された時、44体の人骨が見つかった。それらはうつ伏せで路上に倒れており、その多くは手をつなぎ合った状態であった。
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表情や態勢を見ると、前触れも無く非業の死を迎えたことをうかがわせるのである。町は、発見された残骸からみて、大災害に遭ったとしか思えないのである。

モヘンジョ・ダロの人々に、一体何がおこったのだろうか。奇妙なことに、これらの人骨は獣に食べられた形跡が残っておらず、さらには、何千年もの時を経ているというのに、骨が風化を免れているのは何故であろうか。

この遺跡の中には、高レベルの放射能が検出されたエリアがある。放射能は、地球上の至る所にある。しかし、そのレベルが通常より高い場所が、世界には何か所かあるのだ。それはいったい、何故なのだろうか。

バガヴァッド・ギーターには、核爆弾とよく似た兵器で、突然爆破された都市の記述がある。この都市の一つが、モヘンジョ・ダロであるとは考えられないだろうか。

「人類は、核戦争で一度滅んだ」の著者、イギリスのD・ダベンポート氏は、モヘンジョ・ダロ遺跡で爆心地を発見したと語っている。直径約50メートルの爆心地では、すべてが溶解・変形し、ガラス化していたという。
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ガラス化をおこすためには、まず岩石や石などを非常に高い温度で熱して溶解し、マグマのような状態にしなくてはならない。それから冷却する。すると、冷えて固まった岩は、まるでガラスのような物質に変化するのである。
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モヘンジョ・ダロには、ガラス化が起こったことを裏付ける物質が、見受けられるのだ。なんらかの特殊な爆弾によって、超高温にさらされることが無ければ、ガラス化がおこるわけはないのである。

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作家のD・チルドレス氏は、インダス文明の遺跡に古代核戦争の証が残されていると話す。
『インドとパキスタンの国境の砂漠では、1940年代末から50年代初にかけて、両国とイギリスの考古学者により、発掘が行われました。モヘンジョ・ダロやハラッパ、コトディジで調査隊が発見した考古学遺物は、核兵器の存在を示唆するものでした。しかもそれは、太古の昔の物質なのです。根拠は他にもあります。アフリカや中東の一部の地域には、何らかの形で核を使用したと思われる爆発の形跡が残っています。そこでは、砂漠の砂がガラス化しているのです。原子爆弾の爆破実験をしたニューメキシコ州の砂漠でも、まったく同じことが起こっていました』

核戦争があったとすれば、いったい誰が、何の目的で、どこから核を持ち込んだのだろうか。古代インドの聖典には、このような件(くだり)がある。
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【あるとき、三つの巨大な空中都市が、地球のはるか上空を周回していた。ところがある時点で、都市同士が三つ巴となって戦争を始めるのである。
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相手の都市を滅ぼそうと、神々は手に爆弾のようなモノを持ち、投げつけ合う様子が描かれている。都市は三つともすべて炎上し、地上には雨のように火が降り注いだ】

先人がここで何を伝えたかったのかを考えてみて、G・ツォカロス氏は次の様に解説する。何らかの高度な科学技術を目にした先人たちは、それを表現しようとしていたのだと。

しかし、高い知性を持っていた当時の人々にとっても、この技術の仕組みは彼等の理解を越えたものであったのだろうと思われるのだ。そこで、神のなせる技、つまり超自然現象として解釈し、それを書き留めたと考えられるのである。

マハーバーラタが、実際に起こった出来事を書き留めた文献であるなら、他の古代の文献にも同様の記述が見つかるのではないのだろうか。次に検証すべき文献は、キリスト教の聖典、聖書である。
(つづく)


特撮ファミリー・2の関連記事;http://zarabkemul.blog.so-net.ne.jp/archive/20180429
特撮ファミリー・2の関連記事;http://zarabkemul.blog.so-net.ne.jp/archive/20180508
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モヘンジョ・ダロとかハラッパという名の遺跡は、中学校で習ったから記憶にある地名である。だが、まさかこれらが、古代に起こった核戦争の舞台となったかもしれない町の名前であったとは、驚きである。

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異星人との遭遇・2 [UFOと宇宙人4]

前回は、古代インドの聖典・マハーバーラタに記述された核戦争の話と、インダス文明の遺跡モヘンジョ・ダロに核戦争があった証拠とも言えるガラス化された場所の存在について語った。今回は、キリスト教の聖典・聖書を検証していく。

旧約聖書の創世記で語られるソドムとゴモラ。その町の住民が罪深いことを嘆いた神は、二つの町を滅ぼすことを決意し、天使を遣わした。ロトという行いの正しい男とその家族だけは、町から逃された。
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しかし、ロトの妻は天使の言いつけを守らず、後ろを振り向いてしまった。町の惨劇を見るや否や、妻は塩の柱へと姿を変えてしまう。

古代宇宙飛行士説の提唱者であるG・ツォカロス氏は語る。
『爆破試験場で核爆弾の実験に立ち会う際には、爆発からは目をそらし、直視しないように注意を受けます。太古の昔に書かれた旧約聖書にも、これと似た啓示を受けたとする記述があります。「たとえ何があっても、後ろを振り返るな。振り返れば死ぬ」と。その言葉通り、ロトの妻は命を落とします』

ソドムとゴモラの物語に描かれた惨劇とは、核爆発だったのではないだろうか。その描写は、マハーバーラタの爆発とよく似ている。キリスト教と古代インドの聖典に残された物語は、史実を書き留めた物だったのだろうか。

古代宇宙飛行士説では、これらの仮説を全面肯定している。さらにこの説では、天使と呼ばれ破壊をもたらす者達は、実は別の惑星の生命体、つまり高度な兵器で武装した異星人であるというのだ。

西暦2000年9月、トルコの黒海南岸。海洋考古学者と科学者達のチームが水深100メートルの深海探索を行い、農家と思われる遺跡を発見した。海底に沈むこの住居遺跡は、およそ7500年前のものと推定された。推定15万平方キロメートルの土地が大洪水に襲われ、水深150メートルの海底に沈められたというのだ。

このチームが発見した住居遺跡は、聖書が伝えるノアと大洪水の物語が実話であったという証拠ではないのだろうか。

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(白丸は沈んでいる都市)

古代宇宙人飛行士説の提唱者のR・チルドレス氏は解説する。
『現在知られる黒海の姿は、八千年から九千年前に出来上がったものだと、発見した考古学者らは結論付けました。それは、我々の推定するノアの大洪水の年代と一致します。場所も同じだと思われます。ちなみに、200以上の都市が地中海に沈んでいることは、多くの考古学者の間でもよく知られる事実です。これらの都市も、黒海ができた頃と同時期に何らかの洪水被害に遭っています』

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聖書の創世記には、ノアの箱舟の物語も綴られている。神は、人間たちがあまりにも堕落したと知り、地上の生物すべてを滅ぼすことを決意した。ノアとその家族、そして動物たちだけは箱舟に乗って生き残り、子孫を生み残すことを許された。

だが、話はこれですべてなのか。神がノアを選んだのは、正しい人間だったからだというが、地球を救うために選ばれた理由が、他にあるのではないだろうか。

古代宇宙飛行士説を説く者たちは、聖書は全てを語ってはいないと言う。1940年代末期から50年代初頭にかけて、死海文書(しかいもんじょ 又はぶんしょ)と呼ばれる大量の古代文書が洞窟から発見された。
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(ノアの図)

この洞窟は、現在のイスラエル、ヨルダン川西岸にある。死海文書には、ヘブライ語聖書に記載されていない物語が多数収めてあり、ノアの出生についても記されているという。死海文書の中に、レメクについて書かれたものがあります。

『レメクは羊飼いでした。ある日、レメクの妻が子を宿しました。何か月も家を離れていたレメクは、妻を問い詰めました。すると妻は、誓って誰とも肌を合わせてはいないと言うのです。妻の言葉を信じられないレメクは、父のメトセラに相談しました。メトセラはレメクに言いました。「私の理解の及ばぬことで、どうすることもできない。嫁の言うことも、お前の主張も、ウソとは思えない」と。

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(エノクの図)

そこでメトセラは、自分の父、つまりレメクの祖父に、相談を持ち掛けます。この人物がエノクです。エノクは、メトセラにこう答えました。きっと天の番人たちが、レメクの妻の体内に子種を植え付けたに違いない。レメクはこの赤ん坊を、自分の子として認知するがよい。何故ならこの子は、新世代の人類の父祖となる運命なのだから・・・この子供こそ、ノアなのです』

仮に死海文書に残るレメクの物語が事実を語っているとすれば、そして物語に登場する「天の番人」が異星人を意味しているとすれば、ノアは人工授精によって生まれた人間で、地球外生物による遺伝子実験の産物ということになるのだろうか。大洪水の目的を探るにあたり、

作家のL・A・マーズリ氏は、こう指摘する。
『まずは、ノアはその時代で一番無垢な人間であったという聖書のフレーズを解釈しなくてはなりません。どういう意味なのでしょうか。何故そんな表現をしたのでしょうか』

聖書によれば、大洪水が起こったのは、人間が邪(よこしま)になり堕落したためである。しかし、古代宇宙飛行士説によると、大洪水は生物学的な欠陥を持つ生き物を排除するための手段であったという。そして、ノアとその家族を利用して、より良い遺伝子を持つ優良種を増やしていったということになるのだ。

『ある時期に人類の遺伝子は退行し、ヒトはケモノの様になります。しかも、地球全体にはびこり、手の施しようが無くなります。そこで、大洪水を起こして一掃し、人類を新たに一から作り直そうとしたのです』
このように話すのは、古代宇宙飛行士説の産みの親とも言えるエーリッヒ・デニケン氏である。

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もう一つの要素を検証してみる。動物たちを箱舟に乗せたという一節がある。神はノアに、生き物すべてをつがいにして集めてくるように命じた。あらゆる動物や鳥、虫までも。
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だが、このような収集は、物理的・生物学的にも不可能であっただろうと、聖書学者や神学者の多くが認めている。このことを科学でひも解けば、別の解釈ができそうである。

G・ツォカロス氏が解説する。
『ノアの物語をそのまま信じることは、到底できません。地球上の生物すべてをオスとメスの対にして、船に乗せなければならないのですから。船は巨大でなければならないですし、生物すべてを集めて船に乗せるのは無理でしょう。ここでふたたび、高度な科学技術が古代人の目を通じて物語にされたと、考えてみましょう。箱舟は、遺伝子バンクだったと考えられないでしょうか』

すべての生物のDNAを収集した遺伝子バンクを後世に伝えるためには、箱舟の物語として語り伝える以外には無かったのではないかというのである。
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地球を訪れた異星人たちは、大変動が来ると知った際に、自分達が利用するという目的で、ある種の動物や植物を根絶やしにしないよう、ノアの箱舟を作ったのではないだろうかというのである。ノアの箱舟は、異星人の遺伝子バンクだったという仮説は、あり得る話なのであろうか。

ここで、G・ツォカロス氏が解説をする。
『ロンドン自然史博物館は、凍結箱舟計画というプロジェクトに着手しました。現在すでに、絶滅危惧種の遺伝子の収集や保管が始められ、将来の研究や保護活動に役立てるとされています。
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今日までに、一千種以上のDNAが、標本採取用のアンプルの中に保存されています。ここでまた、一つ疑問が浮かびます。もしノアの箱舟が、万が一にも、木で造られた巨大な船では無かったとしたら、どんなことが考えられるでしょう。この箱舟が、地球と言う惑星に棲むすべての生物の種を保存するための、何等かの遺伝子保存施設だった可能性が出てくるのです。それに、すべての種を小さな小瓶に入れて保存したと仮定するなら、すべて納得がいくのです』

果たして、先人は何を目撃し、この表現で何を伝えようとしていたのであろうか。
(つづく)


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ノアの箱舟の話は、とても有名だ。ノアの家族とすべての種の動物、雄雌1頭ずつを船に乗せ、大洪水から救うと言うお話だ。そして、大洪水の後、水が引いて船が到着した場所が、今のトルコ共和国にあるアララット山であった。

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異星人との遭遇・3 [UFOと宇宙人4]

古代宇宙飛行士説を唱える者たちは、聖書に書かれた表現を読み解き、つぎのような仮説を立てた。「ノアの箱舟」は太古の昔における遺伝子バンクであったのではないか。

さらには、箱舟を操ったノアという人物は、既存の人類を一掃するために、異星人の手によって人工授精で生まれた人物である可能性・・・。地球外生命体は、人類の進化に何らかの形で携わっているのであろうか。

異星人と接触することで、地球の歴史が変化して来たと考える古代宇宙飛行士説では、接触によって大きな影響を受けたのは、古代の時代だけではないと主張する。実際に、暗黒時代、つまり中世における何百という記録には、奇妙な生き物との遭遇やUFOの目撃、怪現象などが実話として残されている。

『中世には、世界中でUFOが目撃されました。その目撃談は、スコットランド、イギリス、イタリアの各国に残り、十字軍の記録にも残っています。十字軍の遠征は、数百年も続きました。当時のトルコの攻略と聖地エルサレム奪還の最中に、人々が目にした光景がありました。何人もの歴史の編纂者たちによって残された記録によれば、空に奇妙な雲が現れ、赤く光ったと言うのです。さらに、怪しげな物体が雲から現れたとされますが、これがUFOだったと思われる理由は、昔からUFOが雲をまとって現れるからです。機体の回りに発生させた雲で、身を隠しているのです』
このように話すのは、作家でUFO研究家のビル・バーンズ氏である。

また、このような話も残っている。13世紀にティルベリのゲルウァシウスが編纂した「皇帝の閑暇(かんか)」には、イギリスにある教会の尖塔にイカリがかかり、立ち往生した飛行体の話がある。その飛行体の中から人間に似た生物が出てきて、イカリを外そうとする。それを見た街の人々は、何か邪悪な物が来たと思い込み、その生物に向かって石を投げ始めたという描写がある。

G・ツォカロス氏は、次のように話す。
『中世の時代には、壮麗な絵画が数々描かれました。それらの中には、未確認飛行物体らしきものと見て取れる作品が、何枚もあるのです。
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UFOは常に空に浮かんでいる状態で、聖母マリアの頭上に、またはイエスキリストの十字架像の背景に現れています。そのほかのモチーフの中にも、UFOと思われる物体が描かれています。
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イエスキリストが神と一緒に雲の中に座っている姿を描いたものは、とても興味深い一枚です。キリストと神がアンテナをつかんでいる物体は、ロシアの人工衛星にそっくりです。神学者はこの物体が、まさしく地球であると言っています。
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でも、なぜ地球に2本のアンテナが立っているのでしょう。また、球体として描かれているのは、なぜでしょう。当時地球は、平面だと考えられていたはずです』

コソボで発見された1350年頃に描かれたキリスト十字架像には、乗り物のような飛行体を操縦して、キリストの処刑場を訪れている人の絵が描かれている。
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画家は、伝統的な様式を用いてこの絵を描こうとしたのであろうが、本人は立ち会えるはずが無いので、言い伝えを画に表したと考えていいだろう。
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中世の画家たちが、不思議な生き物や空飛ぶ物体を描いたのは、実際に目撃したからなのだろうか。それとも、新約聖書に書かれている奇跡の数々は、天界からもたらされたというメッセージとして描いたのであろうか。

UFOやレーザー光線を描いた絵画の中で一番有名なものは、まちがいなく1486年にクリヴェリが描いた「受胎告知」であろう。これは、処女マリアの前に天使が現れ、身体は清いままにイエスを身ごもるとされている画である。
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マリアの頭上には、宇宙カプセルが見える。この宇宙カプセルは、マリアに何をしているのだろうか。もしかすると、画家はUFOを目撃したのかもしれない。
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そして、処女であったマリアがイエスを産み落とす謎とUFOのイメージとをつなぎ合わせ、それなりの解釈を画の中に表現したのかもしれない。

古代宇宙飛行士説によれば、この時代に異星人がいたことを裏付ける証拠は、UFOのような物体が描かれた絵画だけではないという。

作家ウィリアム・ブラムリーが書いた「エデンの神々」という書物の中で、ヨーロッパの個人的な手記や出版物には、「葉巻型の飛行体が有害な霧を噴出した」という描写があると述べている。この類の記録は、14世紀中頃から始まっている。そして、ちょうど時期を同じくして、人類史上最悪の疫病、黒死病(ペスト)が発症しているのである。

1300年代に猛威をふるった黒死病(ペスト)は、病原菌を保有するネズミやその血を吸ったノミを媒介として伝染し、全世界で7500万人以上が死亡したと言われている。これに対して、W・ブラムリーは異説を唱えている。何らかの恐ろしい理由で、地球外生命体が人間を撲滅しようと考え、彼等によって作り上げられた疫病が、黒死病ではないかというのだ。

確かにネズミが媒介する疫病はあるが、ここまで大規模な流行の原因とみられるほど、ネズミが発生した記録は無いという。その一方で、「まばゆい光が霧を吐き出しながら、空を飛んで行った」という証言が、当時の記録には多数残されているのである。記録は、中国にもヨーロッパにも存在する。

のちのコレラ大流行の時代(1800年代)にも、疫病を運ぶ霧について、似たような目撃事件が起こっている。これはまるで、現代の細菌兵器である。だが、異星人が伝染病を広めた動機については、まったく見当がつかないと言っている。

異星人と疫病の関係については、古代宇宙飛行士説論者の間でも意見が分かれている。しかし、ブラムリーの研究は、一つの重要な結論を導き出している。

この説によって、古代に異星人の来訪があってから、空白の期間を経て、ロズウェル事件があったわけではないということである。異星人の地球来訪が、何千年もの長きに渡って連綿と続いているということを主張する根拠になるというのだ。

コロンブスが、UFOを目撃していたという話がある。航海日誌の中に、新世界に到着する数日前の出来事が記されている。1492年10月11日、午後10時ごろ。新大陸発見への不安が募るコロンブスがサンタマリア号の甲板に立つと、点滅する光が見えた。日誌には、こうある。
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「光る物体が水中から浮かび上がり、大気中に向かって飛んで行った」

コロンブスが見たモノは、発光する海洋生物か、ただの幻覚か、それとも地球の外からやって来たなんらかの物体なのか。

乗組員たちが見た海の中で光る物体は、海面を突き抜けると同時にUFOへと姿を変えたと思われるのである。UFO研究家にとって、この事件は重要な意味がある。注目すべきは、日誌の「物体が海から飛び出す」という記述である。これにより、この物体が流れ星や彗星である可能性が否定される。興味深いのは、目撃事件がバミューダ・トライアングルで起きたと言うことである。

バハマ諸島のビミニ島沖にあるバミューダ・トライアングルの海底には、異星人の基地があると言う人々がいる。UFOは海に潜り、海底の秘密基地へと至るのである。

南米アメリカや中部アメリカ、エジプトを監視するにあたり、カリブ海よりも適した場所は他に無いのである。UFOが海底に基地を設立していると、今では多くの人が信じている。海底は、ある意味で、宇宙よりも知らないことがまだまだ多いのである。

コロンブスのこの目撃事件は、世界で初めてUFOの事を水中から姿を現した物体として描写した記録なので、とても重要である。(つづく)


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コロンブスが生きた大航海時代には、UFOとの遭遇などありふれたことであったと古代宇宙飛行士説論者は考えている。コロンブスはのちに、この夜に見た謎の物体の事で尋問を受けることになり、とても詳細な供述調書を残しているという。その記録は今も、ローマ法王庁に保管されている。

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異星人との遭遇・4 [UFOと宇宙人4]

前回は大航海時代のUFO目撃事件について述べたが、UFO目撃事件は、アメリカ大陸発見と大陸征服の時代を通じて、度々起こっているという。

目撃者は、コロンブスだけではないのである。マゼランは、コロンブスの新大陸発見のあとに、世界一周を果たした人物である。太平洋と大西洋を結ぶ海峡を発見したマゼランも、目撃しているのである。船乗りたちは空の上に、又は水の中に、怪しげな光を目撃している。コロンブス達が見たのは、単なる自然現象だという声もある。だが、夜空に見える光として流星とUFOとでは、特徴が全く異なる。

又、島の住人が掲げた松明(たいまつ)の光が見えたのではないかという意見もある。しかし、目撃地点はどの島からも50キロ以上離れていて、この説は考えられない。19世紀以降、光の正体についての様々な憶測が飛び交ったが、どの説も納得するに足る説明はできなかったのである。

1561年4月14日、ドイツ。夜明けと共にニュルンベルクの人々が見上げた空は、当時の一枚刷りの新聞によれば、世にも恐ろしい光景だったという。
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様々な形をした不可思議な物体(葉巻型や円盤や球体、十字型の物体)が無数に空を飛び、空中戦らしきことを繰り広げていたという。これらは突然、また別の物体を吐き出し始めたという。

球体や円盤状の物体は長い時間とどまって、上空で戦闘をしていたという。それらが戦っていたことは明らかで、人々はどちらが優勢かを見て取れたという。
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そのうちいくつかの物体は地面に墜落し、煙や蒸気に巻かれて消失した。残りの物体は太陽に向かって飛び去り、姿を消したという。
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この事件の全容は、ブロードシートに記録されている。これは16世紀における新聞のようなもので、このブロードシートがスイスのチューリヒに今も残されているという。

チューリヒ中央図書館では、この有名なニュルンベルクでの目撃事件を描いた木版画だけではなく、スイスのバーゼルで1566年に起こった同様の目撃事件を写し取った木版画も、保管されている。
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二つの事件は、空に円状の物体が群れになって現れ、増殖を始めると言う点が非常に似通っている。バーゼルの人々は、これを戦争だとは解釈せず、天からの兆し(きざし)だと思ったのである。

この異常現象が、神のなせる業(わざ)だと受け止めた。昔の人々は、すべての超常現象を神の次元のものだとして、「神の祝福だ」あるいは「神の罰だ」、「悔い改めに教会へ行こう」と考えたのだ。

ニュルンベルクの事件記録で興味深いのは、宗教的な意味を見いだそうとしている点である。事件の翌日、空を飛ぶ十字架の話で持ち切りだったという。今の我々が見れば、胴体に翼が付いた乗り物であれば飛行機(ジェット機)と見えるものも、当時は日常的であった宗教的シンボリズムを通じて、人々の目には十字架と映ったと考えられるのだ。

実際にどのような光景だったかを推し量るのは困難であるが、それを目撃した時代にポピュラーであったものが、代名詞的に使われることになるというのだ。ニュルンベルクの人々は、対立する宇宙人の派閥間戦争を目撃したのだろうか。この事件は、三千年以上も前に編纂されたバガヴァッド・ギーターにある「神々の戦い」と酷似している。

そうでないなら、輝く球体と真紅の十字架が空に現れたという臨場感あふれる記録の真相は、何だったのか。中世の時代、謎の現象は、神もしくは霊的な存在によるものだと考えられていた。その後17世紀に入り、人々はその答えを、科学や天文学の中に求めようとした。

1608年に屈折式天体望遠鏡が発明されると、さらに多くの人々の目が星へと向けられるようになった。皮肉なことに、この新発明が世界初のUFO目撃を生み出したのである。目撃者はアメリカの厳格な牧師、コットン・マザーである。

マザーによれば、望遠鏡で月を見ていた時、月の表面を光が飛んで行く姿を見たというのである。この記録は、NASA〈米航空宇宙局〉に保管されている。NASAには500年以上にわたり、月の異常を観測した記録が報告書として残されており、その中にこのマザーの目撃事件も記録されている(この観測記録は、一般公開されている)。

マザーのような宗教上の権威が、この目撃事件を神の啓示と考えず、天文学的事象として記録した点には大きな意味があるという。その意味とは、地球外生命体が存在するかもしれないという視点が、キリスト教的宗教観に組み込まれたということなのだろうか・・・この事件で見えた光の正体は、謎のままである。

18世紀に入っても、マザーのような目撃事件はまれであった。だが、天文学への関心は高まり、他の生命が宇宙に存在すると説く「世界の複数性」をめぐって、議論が巻き起こった。そして、18世紀後半までには、知的生命体が太陽系の至る所(火星や木星、土星の3惑星と月)に存在すると、学識者の大半が信じるようになっていた。

18世紀の有名な天文学者であるウィリアム・ハーシェルも、世界の複数性の支持者であった。1700年代には異星人の存在をめぐって議論が活発に行われたが、異星人が地球を訪れているかという点までは争点にならなかった。

ところが、1731年にアイルランドのキルケニーで、赤い雲から出現した光る物体が目撃され、その後一週間の間に、ヨーロッパ中で似たような光景が目撃される事件が起きると、異星人の地球来訪の可能性に目をつぶることは、最早できなくなっていた。
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当時は、通信手段が無いばかりかラジオもテレビも無く、情報の交換手段など全く無い時代。この未確認飛行物体の目撃記録は、ヨーロッパを越えて東欧のルーマニアに至り、さらにアジアへ向かって行ったことが、多くの人々の目撃記録として残っているのである。

17世紀の植民地時代のアメリカでも、UFO目撃事件のあったことが分かっている。ジョン・ウィンスロップの「ニューイングランドの手記」の中にそれは出てくる。事件は、ボストンで起こった。
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ある夜、ボストンに向かってボートを漕ぎだした3人の男たちは、途中で巨大な光が空に浮いているのを目撃する。ずっと見ていると、それは収縮を繰り返してブタのような形へと変形したという。
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光るブタを見たと、大真面目に報告する人がいるだろうか。おそらく目撃者は、光る楕円形の機体(宇宙船)から4本の着陸用の支柱が出ているものを見て、表現に行き詰ったため、当時の人々が理解できる例えを使ったのではないかと考えられるのだ。記録には、その飛行物体についてこう書かれている。

「矢のような速さで、上下左右に行きつ戻りつしながら、2~3時間も飛んでいた」

しかも驚いたことに、その光を目撃している間に、目撃者たちは下流に向けて船を漕いでいたはずなのに、気がつくと出発地点に戻っていたという。この時間に関する不可思議な現象は、宇宙人によるアブダクション(誘拐事件)と関係があるのではと考えられている。
(つづく)


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ここでいう世界の複数性とは簡単に言うと、「地球外知的生命体」が存在するという論争のこと。
「神がお創りになった宇宙に、地球人しかいないはずがないではないか」という宗教的思考法で、自然科学を考えることである。だが、この論法で地球以外にも知的生物が存在するという考えを進めていくと、矛盾が生じた。そして、自然科学と宗教学は両立しないと考える人物が現れ、「世界の複数性」を批判するようになっていく。

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異星人との遭遇・終 [UFOと宇宙人4]

アメリカ・ニューメキシコ州の北西には、巨大な古代遺跡群が広がっている。チャコ・キャニオン遺跡は、砂岩のかたまりと木材からなり、西暦900年から1150年にかけて建てられたという。
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15のおもな遺跡群の中には、何百もの部屋を持つ、4階建ての建造物がある。ここは、プエブロインディアンと総称される多数の部族の活動拠点であった。
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チャコ・キャニオンの建造物は、科学と信仰とがひとつになった催事を執り行う一大施設だったと思われる。「ここには、天体と密接なつながりを持つ場所がたくさんある」と、ズニ族の長老、マフーティ氏が語る。1896年にこの遺跡が発掘された際には、その建造物の精密さに誰もが目を見張った。

さらに衝撃的だったのは、居住者たちが天文学について高度な知識を持っていたと思われるエジプト(ピラミッド)やイギリス(ストーンヘンジなど)、南米(マチュピチュなど)で発見された遺跡と同様な構造物が、多数発見されたことだった。

ここでは、太陽を観測するための装置が、多数見受けられたのである。一体なぜアメリカの古代先住民たちは、膨大な時間を費やして、チャコ・キャニオンに高度な天体観測所を建設したのだろうか。それも、このような荒涼とした土地を選んだのだろうか。ここについては、まだわからないことが多い。

天文考古学者のゲイリー・デイビッド氏は自著の中で、アメリカ南西部に残されるホピ族の遺跡群の配置が多数の星座の形を忠実にかたどっている、と発表している。特に注目すべきは、オリオン座である。
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オリオンの三ツ星が示す先には、もっとも明るい恒星シリウスがある。ホピ・メサ(地名)にある三つの村落をオリオンの三ツ星に見立てれば、その先に位置するのはホピ族にとっての中心地チャコ・キャニオンである。なぜ、オリオン座なのか。

この星座と同じ配置を持つ重要な遺跡群が世界に複数存在することは、単なる偶然なのだろうか。他の遺跡でも、三ツ星は重要な地を指し示すのか。オリオン座の配置に並ぶ、他の遺跡群を見てみることにする。

メキシコのテオティワカン遺跡も、その一つである。ここで三ツ星が示すのは、世界最大のピラミッドとして知られる「チョルラ・ピラミッド」である。
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エジプトにあるギザの三つのピラミッドも同様で、三ツ星から辿ると、古代エジプト人の聖地「ヘリオポリス」にたどり着くという。

『オリオンの三ツ星について一つ言えることは、古代メキシコや古代エジプトの神話に共通する概念があるということです。三ツ星とそれを囲む星は、天地創造の核となる万物の源とされています。ホピ族がチャコ・キャニオンを世界の中心だと考えたのも、偶然では無いでしょう』
こう話すのは、作家のフィリップ・コパンス氏である。

ホピ族の神話によれば、我々が住む現在の世界の前に、三つの世界があったと言う。三つの世界では、神に作られた人間たちは、創造主の考えに沿っては生きていなかった。それを見た天の精霊から神へ知らせが届き、三つの世界は滅ぼされたという。天の精霊は地球の軸をずらして、神にそれを伝えた。地球を傾けるために、非常に強力な振動を与えたという。

チャコ・キャニオンに建てられた建造物が天体の配置を正確にかたどっているのは、地球の滅亡と再生の時期を、ホピ族の人々が知るためであったのかもしれない。水は確保できないし肥えた土地でもない、まったく魅力のない場所であるチャコ・キャニオン。ホピ族の人達は一体なぜ、自給自足で生活できないこの地を選んだのだろうか。

その答えは、「天の精霊から告げられたからなのです」と話すのは、ホピ族文化センター前所長のトマス・ミルズ氏である。

夏至から秋分と冬至から春分に至る期間に、チャコ・キャニオンに住む人々は太陽を観測していた。
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ファハダ・ビュートという岩山にあるらせん円を通過する太陽光が去年と違う軌道を通ったなら、地球の自転軸の傾きが変化したことを意味しているのである。滅亡した三つの世界では、地球の軸がずれていたのである。

このアメリカ先住民の伝説は、単なる神話なのか。それとも、インドに残る聖典や聖書に記される物語と同様に、異星人の地球来訪を表したものなのだろうか。古代宇宙飛行士説では、これを肯定している。その証となるものが、カナダにある小さな無人島に存在するという。

1795年。カナダで3人の青年が、夜中に海から上陸する緑色の光を目撃した。青年たちは舟を出してオーク島付近を探索した。島に上陸した青年たちは、そこで直径1メートルほどの窪みを発見するが、その様子がいかにも不自然だったため、その窪みを掘り返してみることにした。
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すると、樫の丸太を並べた底板が、何枚も出てきた。さらに堀進めていくと、ヤシの実の繊維でできた梱包用のマットが出てきた。さらに、奇妙な文字らしきものが刻み付けられた石板を見つけるのである。

カナダではヤシの木は育たないことから、ヤシの実の繊維で出来たマットは他から持ち込んだことが考えられる。又、どのようにして、樫の底板で何層にもフタをしたのであろうか。

その後、ここに何か宝が眠っていると思いこんだ様々な人々の資金援助もあって、この窪みの発掘は専門業者によって10回以上も発掘が行われた。度重なる発掘で解明されたことがある。
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この縦穴には、深さ3メートル毎に1枚の割合で樫の底板が敷かれ、その全長は少なくとも60メートルはあると思われる。底板の間には、この島では取れない石で作られた敷石や防水性のある粘度が層を成している。
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しかも、穴を掘り進んでいくと海水が逆流して大量に流れ込む仕掛けになっており、それ以上調査が続けられなくなってしまうのだった。

つまり、何世紀も前に、何者かが水圧を用いる巨大な装置を島の地下に作った、と考えられるのである。海賊が作ったとは思えず、高度な建設技術を持ち、水利分析に長けた人物によって作られたとしか思えないと、研究者は語っている。
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この水攻めの仕掛けがあるために、窪みの底に眠る謎は未だ誰にも暴かれてはいない。又、島の地下に張り巡らされた巨大な水路は、赤いペンキを流したことで、島の両側へ向け3本の水路が海へつながっていることが確認された。

このような入念な仕掛けは、誰が作ったのだろうか。そして、この穴の底には、一体何が隠されているのだろうか。英国王室の隠し財宝だと言う者がいる。海賊の宝の隠し場所か、シェークスピアの生原稿だと言う者もいる。
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最も異彩を放つ仮説がある。聖櫃(アーク)、つまりユダヤ教、キリスト教に共通する神聖な秘宝、純金で覆われた「契約の箱」が隠されている可能性をG・ツォカロス氏は指摘する。

古代宇宙飛行士説によれば、「契約の箱」に込められた偉大なる力の為に、隠されたのだと言う。中身は、地球外の装置だと考えられている。イスラエルの民が、砂漠を放浪した40年の間に、それは与えられたというのである。

聖書を詳しく読んでみると、それはまるで兵器である。それは空高く舞い上がり、イスラエルの敵に襲いかかるのである。喜んだ幾千の人々はフタを開け、その前を行進した。すると、ほとんどの者が死んでしまう。聖書には、死因はガン性の腫瘍であったとハッキリ書かれている。「契約の箱」の中身は、人を被ばくさせ、死に至らしめる装置のように思えるのである。

「契約の箱」がその後たどった運命や行方については、謎のままだ。ある伝説では、十字軍遠征の際に持ち去られたという。犯人は、テンプル騎士団である。その後、テンプル騎士団は「契約の箱」をスコットランドへ運び、そこでシンクレア一族と同盟を結んだという。イングランドからの侵攻に備えたウィリアム・シンクレア卿が、1400年代に「契約の箱」をオーク島へ移した可能性があると語る歴史家もいる。

1990年代に入って、発掘の為に掘った穴の中に科学者達がカメラを持ち込んだ。すると、そこには円筒状の不思議な物体が、ずらりと並んでいたと言う。放射性炭素年代測定を行ったところ、数値にばらつきが出て正確に判定できなかった。何らかの放射線によって、測定値が影響を受けた可能性が否定できないという。このことから考えられるのは、ここに原子炉が埋まっているのではないかということだ。二度と掘り返されることがないように、巧妙な水圧装置の仕掛けを作って守ろうとしたのではないかと・・・。
(終わり)


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発掘のために掘った穴の中で科学者が撮影した写真に写っているモノは、福島原発事故によって図らずも目にすることが出来た原子炉の燃料棒に、表現がよく似ている。

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