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三原色の宇宙人  ~形態学的怪獣論6 [怪獣論・怪獣学B]

ゴドラ星人と双子の兄弟とも言えるのが、ペガッサ星人である。比較してみると判るが、目の位置から黒と白と赤の配色まで、ことごとく対照的にデザインされている。しかもペガッサ星人の方は、デフォルメの原形(例えば、ここは「貝殻か」とかが何となくわかるということ)を探るのが更に困難である。

一般には、ペガッサにはヒントが無いと言われている。もちろん直接的な関連のあるものは見いだせないが、あえて頭部の発想を求めるとすれば、それは平安時代からみられる被りものの「立烏帽子(たてえぼし)」ではないだろうか。

全体的にスマートなペガッサ星人が、横から見ると頭頂部だけ不釣り合いなほど幅広である。立烏帽子が基本にあったとすれば、理解しやすい。科学の最先端を象徴する宇宙人の姿と古代日本人の装飾とが、無意識にせよデザイナーの頭の中で結ばれたとすれば、また興味深いことである。

ペガッサの下半身は、ほとんどタイツもしくは細身のズボンのように見え、戦闘色を廃した異星人のイメージである。上半身をふっくらとして衣装で飾り、下半身を濃い色のタイツですっきりまとめたデザインは、中世ヨーロッパの宮廷紳士のコスチュームにも似ている。

これも直接的な関連は証明できないが、ペガッサ星人の姿は、チョキをまとったゴドラ星人よりもさらにファッショナブルで洗練された美しさに満ちている。

ペガッサ星人のもう一つの特徴は、まるみのあるゴドラ星人に比べて鋭角的な線が多いことである。だがそれは、他者を傷つける戦闘的イメージには向かわず、むしろ繊細さをイメージしているように思える。

ペガッサ星人のこの姿は、ダークゾーンに潜んで出した声と相まって、あの哀しい運命になぜかよくマッチしていると思う。「宇宙が生んだ最高の科学・ペガッサシティ」を創造したペガッサ星人は、怪獣デザイン史上、最初にして最高の「エレガントな宇宙人」と言えるかもしれない。

メトロン星人は、モチーフの見当が全くつかない。背面にはボルト状の飾り、目はフジツボ、それ以外は不明だ。へそのあたりまでつながる巨大な顔面。だがなぜか美しく、艶やかで魅惑的に映る。実相寺昭雄監督が評した「長靴の化け物」とは言わないまでも、一歩間違えばとんでもないことになる要素をはらみながら、奇跡のように「至高の美」をとどめている。

ゴドラとペガッサが赤と黒と白という極めて抑えた配色だったのに対し、赤・青・黄の三原色を存分に使い、メフィラス、ゼットンの流れを汲む発光ギミックが点滅するという派手さ。だが実相寺監督は、この超現実的宇宙人を、あろうことかアパートの一室の暗がりにあぐらをかかせて色調を抑え、巨大化した後は夕日のオレンジ色に染め上げてトーンを統一してみせた。

現代社会の荒廃する様子を40数年前に予言したあの傑作も、このメトロンの形態が無ければそれほど印象深い作品にはならなかったかもしれぬ。単なる問題作に留まらず、潤いを保ち続け、視覚的にも尽きぬ魅力をたたえているのは、成田亨氏の独創的デザインと、それを支えた高山良策氏の卓越した造型によるところが大きいのである。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
ゴドラ星人、ペガッサ星人、メトロン星人。この3聖人ではなく3星人は、ウルトラセブン第1クールにおける傑作だと思う。それはストーリー(脚本)についても同様だ。マックス号がゴドラ星人に乗っ取られ、セブンに邪魔させない様に、女に化けてウルトラアイを盗むゴドラ。

動力回路に異常をきたし、ペガッサシティを守るために地球に送られてきたペガッサ星人と、地球人との攻防。地球人の同士討ちを使って、地球侵略を計画するメトロン星人。どれも息詰まる展開をみせるドラマに仕上がっている。

監督の演出、脚本、特撮、どれが欠けても素晴らしいSFドラマはできない。そして本文にも書かれているように、魅力的な宇宙人の造型、これ無くして特撮ドラマは語れない。

テレビで放映する以上、怪獣の魅力があっての正義の味方であると思う。怪獣造型が素晴らしくないと、特撮ドラマは魅力が半減してしまう。ライダーシリーズでも、それは同じことだ。より魅力的な悪役怪人たちがライダーに立ちふさがってこそ、ライダーの魅力も光る。悪役の魅力が善玉を引き立てることは、昔から同じである。(怪獣が出ない回なら脚本と演出で見せることができるが、これはこれで大変なことである)。

これは筆者の私見だが、そういう意味で第2次ウルトラブームでの高山良策氏の不在は、円谷プロにとって大変な痛手だったのではと思う。高山工房で怪獣製作を手伝う美大生のアシスタントたちには、「これは、生き物を作っているのだからそのつもりで」と高山氏は指示していたという。

造り物ではない、生き物を作っているという高山氏の思いが、リアルな怪獣造型を作りあげたことは間違いない。
高山良策氏は1982年7月27日65歳の若さで他界。改めてご冥福をお祈りいたします 合掌

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魅惑のシルエットを持つ宇宙人  ~形態学的怪獣論7 [怪獣論・怪獣学B]

「宇宙からの侵略」を掲げた時点で、ウルトラセブンは様々な知的生命体との戦いを運命づけられた。その形態は、常識的に考えれば「人間型」に限定される。だがデザイナー成田亨氏は単なる「人間の改変」にとどまらず、独自の面長の宇宙人をローテーションの中心に位置づけ、その谷間にあらん限りの創意工夫を試みた。

いわば「非人間型」のシルエットの投入が、敵役のバリエーションを一気に広げたのである。記念すべき第一話に「クール星人」を登場させたことこそ、従来の固定化した宇宙人像を打破してみせるという、高らかな宣言ではなかっただろうか。

怪獣デザインについて現在ほど考察が盛んでなかった頃、「全体像の外形から受けるイメージ」くらいの意味で、シルエットという言葉を使うことにする。フォルムが3次元的なイメージを持つのに対して、シルエットは2次元的なニュアンスが強い。

細部よりも全体として印象的なシルエットを有する形態は、忘れがたいのである。半世紀に近い怪獣デザイン史の中で、成田デザインが支持され続ける理由は、ユニークなそのシルエットにある。

これまでの考察からすると、「初めにシルエットありき」ではない。だが様々な発想の中から一つのデザインをまとめていく過程で、芸術家としてのセンスが自ずと全体のシルエットを美しく、個性的に整えるのであろう。真に独創的な意匠は、「複雑」を嫌う。洗練された美しさは、「時間」を止める。成田デザインの人気は、怪獣が存在する限り不滅に違いない。

クール星人、ヴィラ星人、チブル星人という第1クールを代表する「非人間型」操演怪獣が、それぞれ1話、5話、9話に登場している事実。これは多彩なシルエットによって、敵役のイメージのマンネリ化を防ぐという期待に、彼らは見事に答えてみせたのではないだろうか。

クール星人のモチーフは「ダニ」であるという。くしくも、「人類なんて我々から見れば昆虫のようなものだ」というセリフが劇中にあるが、最も地味な昆虫であるダニが、どのような過程を経ればこのような優れたデザインに昇華されるのか。

極めてユニークな形態だが、生物特有の美を感じさせるのは、そのシルエットがふたつの六角形でできているからではあるまいか。細部のデザインも相当工夫されているが、全体の印象がすっきりしているのは、一見して単純な形態に戻すことができるからではないだろうか。

忘れがたい印象を残すという点では、ヴィラ星人はその頂点のひとつである。こちらのモチーフはウチワエビであり、その意味では理解しやすいが、言うまでもなく、誰がデザインしてもウチワエビがヴィラ星人になることはない。

両者の間には、常人には越すに越されぬ大河のごとき差が、厳然として横たわっていた。完成されたこの形態には五角形と台形、それをつなぐ直線という単純な要素から成立していることが判る。

(ちなみに、花弁、手、ヒトデなど、生物の形態には五角形が多く現れる。これに対し無機物は、四角形、六角形などが基本形となっているという。いずれにせよ、自然界の「美」は、こうしたきわめて基本的な形態によって構成されていると言えるかもしれない)

長らくタコの一種かと思っていたチブル星人は、巨大な脳に貝殻の形態を導入してアレンジしたものだという。楕円から伸びる三本の線がシルエットの基本。頭部の表面には陥没が刻まれ、端正な造型とも相まって、どことなく知性を感じさせる出来映えである。

この楕円のシルエットは第2クールでブラコ星人に引き継がれ、やがて顔が身体の真ん中に位置する変形怪獣群(タッコングなど)の母体となっていく。彼らは決して強者ではなく、その操作上の制約のためにセブンと大格闘したわけでもない。が、今なお鮮烈な印象を失わないのは、その冒険的な形態のすばらしさゆえである。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
単純化というのは、なかなか文章で書くと難解かもしれない。これでも記事を書く際にはよく文章を噛み砕き、解りやすい内容にして書くことにしているが、今回はそれが簡単ではなかった。
単純化は図解するとわかりやすいのだが、それができないので、できる限り解りやすく表現してみると、

クール星人は柱時計のようなイメージになる。五角形の柱時計に五角形の振子が付いているイメージだ。ヴィラ星人は江戸時代の高札(法度・禁令、犯罪人の罪状などを記し、一般に告示するために町辻や広場などに高く掲げた板の札)のようなイメージ。五角形の看板に足が一本付いていて、一番下に重石があるイメージ。チブル星人は、3本足のタコのイメージになる。デザイナーは単純なものから形を起こして複雑化していき、最後に色を付けて出来上がりという感じなのだろうか。怪獣デザインは、感性の差が印象(忘れがたさ)の差を生むと言っても過言ではないかもしれない。

タグ:成田亨 怪獣
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三角形のシルエットがもつ力強さ  ~形態学的怪獣論8 [怪獣論・怪獣学B]

セブンの第一クールに登場したアイロス星人は、全ウルトラ怪獣を代表する傑作のひとつであると思う。斬新な形態、鮮やかな色彩、宇宙人とも怪獣ともつかないデザイン。セブンが最強の必殺技ワイドショット初めて披露してようやく倒したのも、このアイロス星人が持つ形態の圧倒的な力強さがあったればこそ、画面上でも納得できる。

顔はカミキリ虫、頭髪のアレンジかと思われるような頭部、そして最大の特徴は左右に広がる巨大な翼と、脚の部分を消した変則的シルエットである。顔から頭部への複雑な凹凸の処理、それとは一転して両翼は単なる平面のままという対比、雪を頂く富士のような白と青のコントラストも鮮やかで、華麗な美しさを誇っている。

やや後方に翼をいっぱいに広げてポーズを取るアイロス星人は、堂々たる勇者の姿を感じさせる。三角形の組み合わせを持つシルエットは、第2クールの大傑作ギエロン星獣に継承されている。アイロス星人で意識的に消去された脚が、ギエロンでは二つの三角形として復活した。

刃物を連想させる両翼、随所にみられる鋭角的処理法、動きのおもしろさ。色彩こそ地味だが、これは出現理由を考えれば無理もないことで、画面いっぱいに噴出される放射能ガスの黄色ともども、悲壮感を醸しだしている。

ストーリーの完成度とテーマの重さから、「超兵器R1号」は不朽の名作であることは間違いないが、怒れる哲学者のごとき風貌を持つギエロン星獣の形態が無ければ、本作のインパクトも何割かは減弱されたのではなかろうか。

ポール星人と冷凍怪獣ガンダーも、ある意味では三角形のバリエーションに属する。ポール星人は胴体を消去するという、操演怪獣ならではの画期的な試みがなされている。人体の制約を受けないデザインは、デザイナーにとっては楽しくやりがいもあるようだ。

ガンダーの造型は正面からは大小ふたつの三角形にまとめられている。しかし背面は直線的に立体化された多角形としてデザインされており、もはや生物から出発したというよりは、幾何学的な形態の集合によって導かれたデザインであると言えよう。彫刻家成田亨氏の面目躍如足るものがある。

様々なパターンをやり尽した成田氏が、円谷プロを辞めるか否かで悩んでいた第二クールの最中に、提示してみせたデザイン方法。それはおびただしい数の怪獣デザインが出尽くした現在こそ、最も参考にすべき手法であるように思えてならない。

印象的で長く愛され続ける怪獣デザインは、そこに至る道程は険しく困難である。だからこそ我々はその苦難の末に生み出された怪獣デザインを愛し、その造型を愛し、日本人の英知と感性の珠玉の結晶として、「怪獣」というものを誇りをもって愛し続けることができるのであろう。

追伸として、特撮を語る上で見落としがちなものがある。例えばヴィラ星人の口の上で動く6本の触手。ランダムでありながら全体としては見事に調和した繊細な動きで、まるで生きているかのようである。これは造型に生命を吹き込む技術、『機電室』の仕事である。

すぐれた特撮はひとりではできない。様々な才能が結集してこその感を強くする。怪獣たちはまず、奇跡のようなデザインと造型があり、これに命を与える職人たち『円谷プロ機電室』の存在によって支えられているということを忘れてはなるまい。機電室と倉方茂雄氏の仕事が、今後さらに大きく評価されるべきであると、確信する。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
ギエロン星獣は誰が見ても、一級品の宇宙怪獣だと言えるのではないか(もちろん好き好きだが)。超兵器R1号の破壊力にも耐えた身体は再生能力を持ち、セブン必殺のアイスラッガーをはね返した鋼鉄の翼。しかもR1号の放射能を自分のものにして、口から灰を吐き出すというスゴイ能力の持ち主だ。これは人間が作ってしまった、最強の宇宙怪獣だと思うがどうだろう。

ガンダーについては、もっとセブンとの闘いに時間を割いてほしかったと思う。雪の中でのダンの彷徨(ポール星人との幻想的な戦いも含め)が長かったし、ミクラスとの戦いもあったため、セブンとの対戦が少なかったのが残念だ。好きな怪獣のひとつである。

機電室の倉方氏については、全くその通りだと思う。怪獣が本当に生きているがごとく見えるのは、口や目、触手や尻尾などのような部分が、手足と違和感無く連動することで、躍動感ある生き物のように見せることができるわけで、僕達はデザインのすばらしさばかりに目が行ってしまうが、「機電室」の仕事の大事さをもっと知ると、怪獣の見方がより楽しくなるように思うのである。

宇宙恐竜ゼットンの電飾部分の動きが素晴らしいし、火の玉を吐くときにツノが傾きを変えるときが、何とも言えずカッコイイなぁと、いま突然、思い出したのである。
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人頭の宇宙人デザイン 産みの苦しみ  ~形態学的怪獣論9 [怪獣論・怪獣学B]

史上類を見ないほどの、バラエティ豊かな「ウルトラセブン」の宇宙人ラインナップ。独自の「面長」の宇宙人をメインイメージに据え、そこに様々なシルエットの操演怪人・多角形怪獣を配したことは、すでに述べた。その根底には、国内外を含めた既存の宇宙人イメージを凌駕してみせるという強烈な意識があったことは、明らかである。

既存の宇宙人とは、すなわち人間と同じ体形をした「人頭」の宇宙人を指す。成田氏の美学は、オリジナル以外のデザインを許さない。だが、「宇宙からの侵略」というテーマを掲げ、週一回以上のローテーションを義務付けられている以上、どうしても「人頭」の人間型宇宙人は登場せざるをえない。

知的生命体という敵役のイメージを堅持するためにも、また怪獣を操り、時として人間に化けるというストーリーの必然性からも、それは避けて通れないことだった。しかし、人頭の宇宙人デザインは、文字通り首から上の部分しか創意工夫を発揮できる場がない。

デザイナーのイメージは極端に制限されてしまうのである。はからずも苦悩の一端は、バド星人のデザインに現れている。悪質、つまりBADから命名されたこの宇宙人について、画集の中で成田氏自身、「外国作品」の影響を受けてしまったと述懐している。

頭頂部をへこませてハート形にしてみても、巨大な脳を持つ舶来宇宙人の典型像と大差はない。成田宇宙人の中でも、バド星人が一種異質のテイストを持つのは、やむを得ないことだった。

シャプレー星人の初稿デザインにも、バド星人と同様な巨大な人頭が現れるが、成田氏は通常の位置にある目を消し、鼻を消し、口の形状を変え、頭部の形を整えて、巨大な複眼を持つ昆虫のイメージに変えて、決定稿に至った。

このどことなく巨大な複眼を持つ昆虫のイメージが、成田氏の人頭デザインのひとつの流れを形成していく。成田氏自身が「最高に気にいている」というピット星人は、トンボをヒントにして抽象化を試みた作品である。シンプルで美しく、印象的なデザイン。

この成田氏のポリシーが発揮された人間型「人頭」デザインは、第1クールではわずかにピット星人のみだったが、第2クールではシャプレー星人をはじめ、カナン星人、ボーグ星人と続いた。

いずれも巨大な眼を抽象化したメタリックなイメージで、ヘルメットと顔が一体化しているという点では、のちの仮面ライダーに通じるものがある。シャプレー星人の発展形ともいえるボーグ星人は、全身を鎧で覆い、キャラクター的にもセブン中期を代表する好敵手となった。

「抽象化」という発想法を一つの型として持っていることは、成田デザインの大きな強みである。単発的な思いつきのデザインでは無く、デザイナーのゆるぎない個性や信念から生まれたデザインなればこそ、他ではマネのできない強烈なアイデンティティーを獲得しうるのだ。

その意味ではシャドー星人も、成田氏ならではのデザインである。彫刻の鋳型の凹凸が実際の造形物とは逆になっていることから、この発想が生まれた。彫刻家ゆえの見事な着眼点である。

凹凸逆のパターンはこれ一回だけで後続が無かったが、言い換えれば、それほどに斬新は発想だった。このモチーフは成田氏の彫刻のテーマのひとつとして、今日まで生き続けているようだ。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
シャプレー星人といえば、子供の頃に東京タワーでやっていた「怪獣大会」の催し物に連れて行ってもらったときに、会場にいたシャプレー星人と握手した記憶がある。普通ならヒーローのセブンやマンが握手するはずだが、なぜか宇宙人だった。

金色に輝く服を着ていたことを、よく覚えている。まだカラーテレビが高値の華だった時代のことだ。どんな色をしているのかということが、子供ながらにも気になっていたのだろうか。

カナン星人、シャプレー星人、ピット星人など、昆虫のイメージを持つ複眼の宇宙人が成田氏のお気に入りだったようだ。画集の中で、シャプレー星人については、『全面を被るマスクではなく、俳優の顔を利用して上半分だけヘルメット状のものを被せることを考えたのですが、

役者を決めて型を取り、さらに修正を加えるというスケジュールは無理なので、あきらめました』と述懐している。もっと複雑なことを考えていたらしい。ちなみに、のちの「突撃!ヒューマン」にも複眼の怪人が出てくる。フラッシャーブルーアイとレッドアイである。

バド星人は、決定稿では首から下がうろこ状の皮膚を持つ身体をしているが、デザイン画ではウルトラマンのようにラインを強調した、どちらかといえば服をきているように見えるデザインとなっている。

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キングジョーのデザイン法  ~形態学的怪獣論10 [怪獣論・怪獣学B]

人頭の人間型宇宙人のバリエーションとして、成田氏は2体のロボットを生み出した。当初はどちらも、怪ロボットとしか呼ばれていなかったキングジョーとユートムである。このうちユートムについて成田氏は、「ごく普通のロボットです」と簡単に画集の中でコメントしている。

眉や耳をデフォルメしてヘルメットにうまく融合させたデザインはみごとな出来映えだとおもうが、一方でなぜか懐かしい印象もうける。

思い起こせば、半透明なドーム型の頭部や上半身の処理などは、どことなく洋画「禁断の惑星」に登場したロボット・ロビーを彷彿とさせる。(途中省略)いかにもロボットらしいあの形態は、ブリキの玩具として子供の頃から親しんでいたものだった。

その当時の記憶が、懐かしさの理由かもしれない。今にして思えば、それほどロビーは画期的デザインだったということか。

先の成田氏のコメントも、外国作品を意識したことへの謙遜ともとれよう。これに対してキングジョーは、まさにオリジナリティー爆発の作品である。何とも不思議な形態を持つこのロボットは、初稿をみると「人面」のデフォルメがあり、当初は明確な顔が考えられていたようだ。

しかしこれを消去し、必ずしも明確な顔が無くてもデザイン的には十分成立するのだということを納得させたのは、ほかならぬ両肩の円筒形の突起である。

しかし、この円筒形のために、キングジョーの両腕の動きは相当に制限されてしまう。同様に腰の円筒形の突起も、身体の屈曲にとっては邪魔なだけである。自然界のいかなる生物にも無い、この異様な突起は、ではいったいどんな必然性を持つのだろうか。

昭和43年初頭の少年雑誌に、成田氏のデザイン法が紹介されたことがあった。手元にその記事がないので、記憶を頼りに再現してみると、キングジョーのデザインは、まず初めに人間の形を描き、次にこのシルエットに変化を与えるため、両肩と腰に円筒を描きこんでみる、という趣旨のものだった。

つまり、それは機能的な必然性によってではなく、あくまでも純然たる「形態的な必然性」によってのみ付与されたものだ。今でも忘れない衝撃である。それは怪獣デザインの過程(発想の過程)を「具体的」に解説された初めての体験だったからである。

斬新な形態を追及する姿勢。発想を完成品にまでまとめ上げていく力量。人間の想像力のすばらしさに感動して、改めて怪獣デザインの奥深さ、面白さを心にはっきりと刻み付けた瞬間だった。

キングジョーはこの円筒形によって、確固たる独自性を獲得し、蛇腹やビスや電飾を施して、より洗練されたデザインになり、さらには4体に分離・合体するという空前のアイデアを実現して、視聴者を驚嘆させた。このときから「スーパーロボット」という言葉が、この巨大ロボットにも導入され、誰もがそれに納得した。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
キングジョーと言えば、好きな怪獣ランキング・アンケートでも常に上位に位置し、強さ、カッコよさともに、抜群である。初稿デザインをみると、頭部の両側にあるふたつの円筒形に挟まれるように、横長につぶれた人面が描かれている。

この後、決定稿では人面はふたつのボタン(目)とT字型の凹み(鼻と口)に簡略化され、オデコに当たる部分には電飾が光るようになる。

子供の頃に見た怪獣図鑑の、オリジナル怪獣募集の最優秀賞に選ばれた作品に書いてあったコメントを、思い出す。怪獣の顔というものは、顔らしくしないほうが、より怪しい感じが出るのだという。このキングジョーも、決定稿は人面を止めている。怪獣を描くときの一つのポイントであることは、間違いない。

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