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ご他界された方々を偲んで【第四回】 [偲んで]

【ご他界された特撮関係の方々を偲んで】と題して、仮面ライダー1号、2号、そしてV3にご出演されたレギュラー・準レギュラーの俳優さん、ショッカー・ゲルショッカー・デストロン怪人の声を演じた声優さんなどを中心に、ご紹介させていただきます。

【第四回】 
小林 昭二(こばやし あきじ)氏
1996年8月27日没(享年65)

俳優・声優としてご活躍された小林昭二氏は劇団俳優座養成所の第2期生で、同期には土屋嘉男などがいます。1952年に新東宝映画『殺人容疑者』で銀幕デビューしますと、以降も舞台を中心に各社の映画に出演する一方で、円谷プロダクションや東映製作の特撮テレビ作品にもご出演され、『ウルトラマン』のムラマツキャップ(隊長)役や『仮面ライダー』の立花藤兵衛(おやっさん)役などで広く知られていることは周知のとおりです。

また『ゴジラシリーズ』や『ガメラ2  レギオン襲来』など、日本の代表的な特撮映画シリーズにも多くご出演されています。第一次怪獣ブーム・第二次怪獣ブーム・変身ブームと幅広くご出演なさった小林氏は、当時多くの共演者からその人柄を慕われていたそうです。

後輩役者の面倒見がいいという面でも信頼されていた小林昭二氏は、初代『ウルトラマン』の出演者やスタッフからは「キャップ」と呼ばれて親しまれていました。ムラマツキャップ役を演じるにあたって黒部進ら共演者らに「子供番組であるからといって、子供にこびることはない。一般ドラマと同じように演じること」と諭していたと言います。

『ウルトラマン』のアラシ隊員と『ウルトラセブン』のフルハシ隊員を演じたことで往年の特撮ファンからも愛される毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)こと石井伊吉(いしい・いよし)は、「当時はジャリ番と言われたけど、熱心に演じたことが受け入れられたのだと思う」と述懐しています。このことからも、当時の石井らが小林氏の助言を受け入れて演じていたことが想像できます。

後年、俳優の京本政樹との対談の中で、『ウルトラマン』に出演が決定して科学特捜隊のコスチュームの色について小林氏は「恥ずかしかった。こんなの着てやるのかと思ったら、本当に降りようかと思った」と笑いながら答えています。

『ウルトラマンG(グレート)』では、アーサー・グラント隊長の吹き替えを小林氏が担当されました。本作の声優陣として参加していた京本政樹は、本作のある回のアフレコ終了後、京本の自家用車で小林氏を送る際に検問に引っかかってしまい、京本の運転手が免許証の提示に手間取っていた時に小林氏が出て行くと、警察官は小林氏に敬礼してチェックなしに通過できたというウソのような本当のエピソードを京本は披露しています。

ウルトラマンGは1995年の放送ですが、小林氏がベテラン刑事役で出演された『西部警察』が1980年代の人気ドラマであったことを考えるとうなずけます。『Gメンの丹波だ!』に優るとも劣らないエピソードです(笑)

また、ジョン・ウェインの声の吹き替えや時代劇作品のナレーターなど、声優としての実績も数多くあります。

TBSで『ウルトラマン』と次回作『キャプテンウルトラ』の番組引継ぎパーティーが行われた際に、小林氏と歓談する機会を持った東映プロデューサーの平山亨によれば、小林氏の子供番組に対する真摯(しんし)な姿勢に深く感銘を受けたといいます。このことが、のちに『仮面ライダー』の立花藤兵衛役の起用につながったということです。『仮面ライダー』第1回から『仮面ライダーV3』最終回(第52話)まで全話に出演されましたが、劇中で立花藤兵衛が使用するシガーパイプは小林氏の私物だそうです。そういえば、おいしそうにパイプを吹かしていましたね。

「仮面ライダーシリーズ」の現場でも、出演者のみならずスタッフからも「おやじさん(正式には ''おやっさん'' でしょうね)」として親しまれていたそうです。

『仮面ライダー』に主演した佐々木剛は、大野剣友会も含め若手の多い現場で揉め事が起きなかったのは小林氏の存在によるところが大きかったことを語っています。また、大ヤケドをした佐々木が芸能活動を再開した直後に小林氏に再会し、舞台でセリフを上手にしゃべることが出来ない旨を相談すると、芝居のコツなどをアドバイスしてくれたそうです。

宮内洋とは『仮面ライダーV3』で共演後も時代劇などで会うことが多く、共演の際にも小林氏を「おやっさん」と呼んで慕っており、逝去後に「素晴らしい人だった」と悼んでいます。のちに『仮面ライダー THE FIRST』では亡き小林氏の跡を継ぎ、1シーンのみですがおやっさん(立花藤兵衛)役を宮内は演じています。役が発表されたおりに「当時から憧れた藤兵衛の役ができて、とてもうれしい」とインタビューで語っています。

『仮面ライダーX』放送時、自身の出演していない放送の回までチェックして、主演の速水亮に「今回の芝居はここが良かった」と電話で演技をアドバイスしていたという小林氏。速水は「本当に普段から頼りがいのある"おやじさん”そのものでした」と語っています。

『仮面ライダーストロンガー』出演時も、小林氏は初主演の荒木茂らを食事に連れていったという話が残っています。

『仮面ライダーアマゾン』主演の岡崎徹は小林氏について、「一見おっとりしているイメージだが現場の責任をすべて背負い込んでいる感じで、本来は自分の演技だけに集中すべき部分を若手である自分に気を遣ってくれていた。その一方でスタッフに対する気配りも忘れない人だった」と述懐しています。

懐かしいテレビ番組を振り返るバラエティ番組にゲスト出演した小林氏は、当時の歴代仮面ライダー(『仮面ライダーBLACK RX』まで)が紹介されると、「私は7号までですね」と自身が『ストロンガー』まで出演したことを10年以上も経過していたその当時もしっかりと覚えており、ライダーたちに対しても「長く一緒にいると、情が湧く」と語っていらしたそうです。

最後に、小林昭二氏は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演したことについて次のように述懐していたそうです。「自分は『ウルトラマン』と『仮面ライダー』に出演した。その間にいくつも子供向け作品は出たが、いずれもこの2作品を超えられなかった。面白かった作品に結果的に出演できただけ」と。

1996年8月27日、神奈川県横浜市の病院にて肺癌のため死去。享年65
改めまして、故人様のご冥福をお祈りいたします(合掌)



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