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レインボーマン(15) ~一所懸命さっていうのは技術を超えるのよ、テクニックより(監督/六鹿英雄氏)その4 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回から続き)
六鹿氏;
「当時音楽も生で録ってたんですよ。今はもうみんな打ち込みでね。やっぱりそういうのも違うしね。今が悪いというわけじゃないんだけど。今は今の良さがあるけど、当時の良さと比べてみるとね、ヤッパどうなんだろう?という気は確かにありますね。まぁクリエイティブなものっていうのは何でもそうなんですが、一所懸命さっていうのは技術を超えるのよ、テクニックよりも。人の心を打つでしょう。

だから僕なんかもね、デビュー作っていうのはそりゃあ確かに技術的にはきっと劣っていたけどね、やっぱりみんなが『とっても感動した』って言ってくれた。で、何本か撮ってくると慣れで撮れるわけ。現場へ行って脚本見て、パッパッって撮っちゃう。考える時間はライティングの間に稼げるからとか、ちゃんとまとめちゃうんだけれど、それにはハートがないわけよ。

だからボクが監督を辞めたいなぁと思ったのは、その一つに“慣れ”があったの。あと一つは『ワイルド7』の時だったかな、バーンとピストルで撃たれると相手がバタッと倒れる。そこでね、『この俳優さん、どういう家族構成だろう? 子供とか居るのかな?』と、フッと思っちゃったわけよ。バーンと撃って倒れて・・・なんかバカバカしくなっちゃってね。そういうとても冷めた時期があってね。

だからそのうち辞めて次のステップへと思ってました。それに自分は才能あるとは思わないし。ただ、努力、根性、やる気っていうのは、充分ありましたよ。今、死語でしょう。でも僕がそういう話をすると、ウソでしょ?って言われる。僕はお勉強をしているようにも見せないし・・・それはひとつの監督としての格好というかスタイルもある。

だけどね、イチローにしろ、松井(秀樹)にしろ、彼等は努力と根性とやる気の塊ですよ。それが無いと、やっぱりできないですよ。スラーッとやってるんだけど・・・僕は凄く分かりますよ。才能とかそういう意味じゃなくてね。そういう言葉って言うのは確かに今死語になりつつあるんだけど、基本的にはそこなんですよ。それがやっぱりクリエイティブなんですよ、ボクに言わせるとね。だからそりゃあ一生懸命努力していますよ、根性ありますやる気ありますと見せるんじゃなくてね、内なるものですよね。それでスキルアップするのかな」

聞き手;
「忠臣蔵の大石内蔵助ですね(笑)」

六鹿氏;
「ボクは脚本持たないで、撮影所に入るのね。そうすると、エッ?!と思うわけでしょう。だけど実は、前の日徹夜で全部入れてくるの。それが僕の監督としてのスタイル、美学なんですよ。けれども、それを人には見せたくない。今から考えると、バカバカしいんだけど(苦笑)」

聞き手;
「六鹿さんの、『レインボーマン』での会心のエピソードはどれでしょう? ドクターボーグにまつわる件(くだり)の演出に、並々ならぬものを感じるんですが」

六鹿氏;
「そうね。あれは長沢(大)君が嫌がるのを、無理言ってカツラ被ってもらったんだけど、彼も大熱演でよかったよね。基本的にね、どの作品がっていうことはないんですよ。観て比べてもらえばすぐわかると思うんだけど、僕の映像、撮り方っていうのは自分でわかる。僕の好きな撮り方っていうのがあって、カメラマンはあんまりいい顔しなかったんだけど、必ず自分でファインダーを覗いていたんですよ。

だから平凡な画が少ないと思う。ナメたり入れ込んだりっていう、そういう画創り。あとはカット割りをモンタージュで・・・それぐらいですかね。特にその回がっていうのは・・・流れで撮ってますからね。ただひとつね、出演の女の子たちのことは結構よく憶えてますよ。監督の条件のひとつに、人心掌握術っていうのもあるわけですよ。だからえこひいきはできない。みんな同じような年代の女の子達だから、1カット1カットで良いところを見つけてやろうと、塩梅(あんばい)してあげた。そういう記憶はあるね」 

(つづく)


★★★★★★★★★★★★
監督の言葉には、人生に通じるものを感じる。その方面の才能を持っていたって、自分では分からないことはある。でも毎日の努力とかやる気が、ある日才能を開花させてくれるわけである。「好きこそモノの上手なれ」という言葉があるとおり、“それが好き”だから寝食を惜しんででもやりたいと思う所に、才能という芽が成長する余地が生まれるのであると思う。

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レインボーマン(16) ~一所懸命さっていうのは技術を超えるのよ、テクニックより(監督/六鹿英雄氏)その5 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回から続き)
聞き手;
「みなさん、お世辞抜きで美人揃いでしたよね」

六鹿氏;
「うん。みんなオシャレ系でそこそこ美人で、今観ても結構いいんじゃないですか。ただあの娘達は、やっぱりいろいろあってね(苦笑) そこら辺は良くある話で、よく気遣いしたように思うね。まぁ、そこでバランスが崩れると、結局は作品に関わってくるからね。

あの人にえこひいきした!、みたいな話になってくるから。だから、たとええこひいきしたとしても、えこひいきしてない振りでやんないといけないからね」

聞き手;
「『レインボーマン』を映画化しようとされていると聞きましたが」

六鹿氏;
「『レインボーマン』もね、映画化の話があっちゃ消え、あっちゃ消えしてるのね。やっぱり今、映画業界があんまりよくないでしょう? 今制作すると、3億近くはかかるでしょうし。僕もファンのホームページに映画を作るんで、映画祭っていうのかな、そんなのをやってみて、結構問い合わせがあったんだけれども。結局、“変身”するでしょう? 

あれに相当お金がかかるんだよね。あんまりチャチだとね・・・。CGも、分からないように使うならいいと思うね。これはCGですよ、というのはつまらない」

聞き手;
「最後に、ファンにメッセージをお願いします」

六鹿氏;
「30年前、当時のテレビっていうのは、もうあっという間に消えてしまうんだと思っていたんですよ。それがこうして30年後にね・・・当然、科学の発達ということもあったんだけれども、こういう風に再びDVDとかで観てもらえるということは、監督冥利に尽きるね。それはとてもありがたいことだし、心して全て原点・初心に戻ってね・・・幾つになっても。そういうのをとても感じますね。

それは『レインボーマン』『ワイルド7』にしろ、何にしろ。当時はね、こうなるとはまったく予想もつかなかった。撮って、オンエアの時間が終わったらもう終わり。30分モノなんて一瞬、30分しかないわけだから。ファンの人が付いてそんな人が大勢いてくれるというのは、ボクにとってとてもうれしいことです。いろんな隔世の感*(かくせいのかん)があるけどね。

創り手の心はいつまでたってもやっぱり一所懸命・・・やる気、それに楽しんで創るもので、それを忘れちゃいけない。野球でいうところの一球入魂ですよね。あと、やっぱりいろんな“出逢い“がね、若い人達とも、昔の『レインボーマン』や『ワイルド7』を媒介としてね、新しい才能に出逢えるのは嬉しい。あなたも頑張って(微笑)」

(おわり)

*隔世の感;変化・進歩が急で、時代がはなはだしく移り変わったという感じ


★★★★★★★★★★★★
六鹿監督の気さくなお人柄がよくわかるインタビューだったと思う。六鹿氏は1980年代半ばに広告代理店(株)アドアールを立ち上げ、91年には焼肉のたれのTVコマーシャルを映画化した「エバラ家の人々」を創っている。単館上映しビデオは凄く売れて、独立後の大成功を収めている。このインタビューは2002年に行われたものだが、それから数年後に逝ってしまわれたことがとても残念。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

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レインボーマン(17) ~シェイクスピアの舞台で演じるような気持ちで演ってたね(俳優/長沢 大氏)その1 [レインボーマンこぼれ話2]

大変申し訳ないが、筆者は長沢大(ながさわ・だい)氏について、ほとんど存じ上げない。レインボーマンのドクターボーグ役の俳優さん位しか知らない。ところがプロフィールを調べると、ものすごい数の特撮番組にご出演されている。しかもご本人は現役だ。年齢は不詳だが、70代であると思われる。2013年に話題になった「半沢直樹」にもご出演されたらしい。長沢演劇グループ代表として若手俳優の育成をするばかりでなく、ご本人も俳優として、舞台、ラジオ、テレビなどジャンルを問わず第一線でご活躍されている。
では、どうぞ。


長沢氏;
「水谷君は同じ劇団(劇団NLT)のずっと後輩で、面倒を見ていた。『金メダルへのターン』(79年)の時も、彼が出るって話を聞いて。僕は途中から出てくる鬼監督みたいな役でね。『愛の戦士レインボーマン』も彼がレインボーマンを演っていることは聞いていて、「水谷、頑張ってるな」なんて思ってた。

他の番組で国際放映に行くと、アイツがターバンみたいの巻いたあの恰好で、恥ずかしそうにして歩いているんですよ(微笑)。「おう、水谷頑張れよ!」って言ったら、「ハイッ!」なんて言ってね。まさかそれに、自分が出るとは思ってなかったんだけどね」

聞き手;
「そうだったんですか」

長沢氏;
「うん。水谷君は文学座の研究生からこっち(NLT)に入ってきたときは、初々しくってねぇ。清々しい印象もあって、『おっ』と思ったね。あの頃、新劇って変に役者にアクがあったけど、水谷はもう“若さの象徴”みたいな感じで、芝居をするのが楽しくてしょうがないといった風だった。

アクがないっていうのか、素直な芝居してたし、アドバイスすると、それも一所懸命に素直に受け止めて。なんだか、すごくかわいがってたんだよ。で、彼も『長沢さん、長沢さん』て、寄って来てくれたからね。しかし、ああいう役者は今いないね」

聞き手;
「そうですね。それで、長沢さんがこの作品にご出演されることになったのは、どういった経緯で?」

長沢氏;
「東宝の野口光一さんていうプロデューサーが、チョコチョコうちの劇団の芝居を見に来てくれていて、水谷君と同じ劇団だし、長沢さんが良いんじゃないかっていうことで、『金メダル~』の鬼監督をやったんですよ。それでまぁ、『レインボーマン』もきっかけは野口さん。

『金メダル~』からの流れだったんだと思いますよ。しかし、なんであのドクターボーグは、俺に演らしたのかね~(笑) 『水谷君が出てる“レインボーマン”で、今度なんとかっていう科学者が出てくるから、長沢さん演ってね』と、マネージャーから言われて。普通の科学者だと思ってましたからね(微笑)

『じゃあ、水谷君と一緒に仕事できるんだナ』くらいの軽い気持ちでした。衣装合わせとカツラ合わせに行ってビックリ仰天!あの金髪のカツラがあるじゃないですか・・・。え、それ俺が被るの?!って(笑)」 

聞き手;
「普通、科学者と言われてドクターボーグのようなイメージは湧いてきませんよね(笑) 演じるにあたって、苦労した点は?」

長沢氏;
「あのカツラでやらなきゃならないっていう時に、最初は抵抗ありましたけどね。ドクターボーグは、シェイクスピアの舞台で演じるような気持ちで演ってましたよ。おちゃらけでやると、できないんです。本当に大真面目にやって。

それと、あの物語中でドクターボーグが軍部に自分の女房と子供を殺されるっていう、何か物凄いテーマ性を感じてね。あれが無かったら、不要な役になっちゃうんだけど。そういうのがあったからこそ、あそこまで入れ込んで演じられたんだと思いますよ。

最期に死んだ女房を抱きかかえながら墓場に向かうシーンがあるんだけど、あれなんかシェイクスピアの『オセロ』じゃないけど、そんな感じで演ってたね。そうやって演らないと出来ないと思うんだよね」 

(つづく)


★★★★★★★★★★★★
役者ってすごいなぁ、と思う。台本を読んで書かれている状況・世界を想像して、その人の気持ちになって演技をするわけで。棒読みな人というのは、想像力が不足しているということなんだろうな、きっと。 だが、言うは易し、成すは難し。

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レインボーマン(18) ~シェイクスピアの舞台で演じるような気持ちで演ってたね(俳優/長沢 大氏)その2 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回から続き)
長沢氏;
「当時は劇団にもビデオを持っている人などいなくて、僕も買えないでいましたからね、録っておこうにもできなかった。それが今になってビデオやDVDで見られる状況でしょう。

僕は後年、ファンの人がビデオを送ってくれて久しぶりに観たんだけど、「ああ、こんな風に演ってたんだなぁ」と再認識しましたよ。この頃の方がいい芝居してたね(笑)。とにかくイメージが強烈だな~!と思ったね。

こんなに一所懸命やってたのか、手抜きしないで演っててよかったという感じが、とてもします。まさかね、皆さんがこんなに長い間『レインボーマン』を観てくれるとは思わなかったですから」

聞き手;
「そうですよね。まさかこんな状況になろうとは、誰も思いもよらなかったでしょうね」

長沢氏;
「あと改めて見直したら、平田昭彦さんと僕はこんなに絡んでたんだなぁと。意外にやりとりが多くて、お互いの顔がすごくアップでやってるのね。で、けっこうカットも長い。

あとになって六鹿(英雄監督)さんから聞いたんだけど、「あれは大さんと平田さんがビシッとした芝居ができるから、ああいう撮り方ができたんだよ。芝居の下手な俳優さんじゃできないよ」って。

向かい合って本当に顔と顔を突き合わせるというような間近での会話とか、「ああいう撮り方は芝居の下手な俳優じゃ僕らもできないよ」ってね。『レインボーマン』は六鹿さんの功績も大きいですね。やってるうちに分りますよ。

いいカット撮ってるし、芝居のしどころはちゃんと演らせてくれたし。それに相手が僕の大好きな平田昭彦さんとなれば、こりゃあ僕も負けちゃいらんねえぞと思って力が入りましたよ。とにかく一緒に演るのが楽しみでワクワクして」

聞き手;
「その平田さんの印象やご共演された思い出を、お聞かせください」

長沢氏;
「いやぁ、やっぱり凄い。結構アクの強い俳優が出てるのに、平田さんて意外にこうストレートな素直な芝居するでしょう。真面目な人だから。だから僕はやり易かった。

撮影が終わった後、平田さんが車で来てると「大さん、乗ってきませんか?」なんて言ってくれて。渋谷まで乗っけてってもらったりして。現場でも結構交流して、いろんな話をしてましたね。それで僕も、平田さんの芝居に応えようと思って・・・。やっぱり素敵な俳優さんだったからね」 

聞き手;
「一種の憧れのような?」

長沢氏;
「そうそう、あったね・・・。本当に“ダンディ”っていうか、インテリジェンスも感じさせる。格好いいじゃない。そういうところに憧れてたね。自分もそうなりたいなと。演技もそんなアクが強いのじゃなく素直な、スーッとした感じのね」

聞き手;
「だから、どんな役もこなせるというか」

長沢氏;
「そう。だからミスターKという、あんな役柄を平田さんに選んだっていうのも凄いと思うよ。もうひとつクセのある人じゃなく、そういうのがない平田さんが演ってるっていうのが。ものすごく好感もって見てました。

他にもダイアナ役で出ていた山吹まゆみさんなんか、僕が帝劇の舞台で『風と共に去りぬ』の総集編に出た時、彼女も出ていて・・・宝塚のスターですからね。その彼女が『レインボーマン』に出てるなんて、ビックリしたけどね」

(つづく)


★★★★★★★★★★★★
長沢 大氏が演じたドクターボーグについて、よくご存じない方のために触れておきます。

後半の第40話から46話にかけて出てくるキャラクター、国籍不明の科学者である。戦時中、日本人によって妻と子を殺されたことで日本人に激しい憎しみを抱いており、そのためにミスターKに協力している。死ね死ね団の女性幹部であるダイアナやキャシーたちをサイボーグに改造して、レインボーマンに挑戦させた。

また弾丸を体内に撃ち込むだけで普通の人間をサイボーグ化させてしまう新薬「ボーグアルファ」を開発していたが、開発途中でレインボーマンによって倒されてしまう。だがミスターKは、残った未完成品のボーグアルファを使ってサイボーグ部隊を組織して、レインボーマンに挑戦していくのである。

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レインボーマン(19) ~シェイクスピアの舞台で演じるような気持ちで演ってたね(俳優/長沢 大氏)その3 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回から続き)
聞き手;
「新進気鋭の役者さんや一流スターが結集していましたね。塩沢ときさんが出演されていたのも驚いたんですが」

長沢氏;
「塩沢さんね~、そうそう(笑) 塩沢さんは『金メダルへのターン』(70年)の時に、コーチ役でいたんです。いい思い出もたくさん残ってるんです。撮影は伊豆の下田でやってて、3時くらいに終わって東京に戻って、5時くらいから芝居の稽古して、それから最終便でまた下田へ行くっていう夏場の強行軍で。

暑さで疲れてたのかな、プールサイドに選手たちを並べて鬼監督が喝を入れるというようなシーンがあって。長台詞なんですよ。それを金谷監督がワンカットで撮るんです。途中でセリフが切れちゃってNGを3回くらい出して。

そしたら、塩沢さんがこっちの苦労を解ってくれて、《監督、ここのカット長いしね、暑いし、長沢さん大変だから途中で切ってあげたら》って言ってくれたの。それで監督も《そうだな》って言って、救われたことがあったんですよ。

『レインボーマン』の時はあまり交流が無かったし、その後会う機会があまりなくて。もう20年くらいあってないけど、仕事でご一緒するような機会があれば、僕はその時の話をすると思いますよ」

聞き手;
「そんなことがあったんですか。話は変わりますが、近況をうかがえますか?」

長沢氏;
「“ナガサワ演劇グループ”なんていうのを開いて若い人達に教えてるけどね、やっぱり芝居はちゃんとしなきゃダメだよってことで、基本的なところから教えてますよ。TBSのアナウンサーになったA君、映画やビデオ映画で活躍しているB君、C君、CMで井川遥さんと共演したD君など、それぞれ優秀な若者で先が楽しみです」

聞き手;
「ではお名残り惜しいですが、最後にファンの方々にメッセージをお願いします」

長沢氏;
「僕が6月劇場という事務所で一緒だった友人たちがみんな、40代、50代で亡くなってるんですよ。岸田森ちゃんも、草野大吾君もそうだし。昨年は親しかった東野英心君も・・・周りの凄い役者達がみんなね。

だから僕はここまで来たら、80、90歳になっても、役者を続けて行こうと思っているんですよ。風のうわさで、《なんだか、長沢大っていうのは、まだ役者やってるらしいよ》と言われる役者になろうかと(笑) 

それと『レインボーマン』を見直して思ったんですけど、あの頃“俺はやるぞ!”というオーラみたいなものがあったけど、この歳になってもそれは必要だね。若い人に教えるとなると、余計にそうだと思う。僕が輝いてないと。常に目標を置いて、“まだやるぞ!”という気合がないとね。

自分も現場に出ていろんなことを理解してないと、若い人達に本当に《教えて》はやれないと思うんですよ。だからそのためにも、僕は役者としてまだまだ燃えています。ぶっ倒れるまで役者を続けて行くので、教え子共々応援してください!」

(終わり)


★★★★★★★★★★★★
なんだか、長沢氏の人となりに魅かれてしまう内容だったと思う。レインボーマンで主役を演じた水谷邦久氏が“劇団NLT”で長沢氏のずっと後輩だという話を、《その1》で長沢氏が話されているが、長沢氏自身は同劇団の第一期生だそうである。

また同劇団は俳優教室を開校していた時期があり、そこで受講した者や同劇団出身者の中には、藤岡弘、氏や佐々木剛氏など、のちに特撮作品で主演を務めた俳優も多いという。長沢氏も水谷氏も、多くの人達の記憶に残る特撮作品に出演された。まさに、“劇団NLT“恐るべし。

塩沢とき氏については、ミスターKに雇われた魔界の者“魔女イグアナ”を演じているが、このとき44歳。「女親分のイメージで魔女イグアナを演じ、現実離れした魔女のキャラクターでストレスを発散させ、大いに楽しんだ」と、ご本人は後に語っているという。

魔女イグアナは、曽我町子氏が演じたゴッドイグアナの娘という役どころであった。またミスターKを演じた平田昭彦氏とは小学校の同級生で、所属は同じ東宝、『レインボーマン』を始め多くの作品に共演している。

長沢氏はもう20年くらい会ってないと語っているが、このインタビューは2002年に行われたので、レインボーマン終了から30年が経っていることになる。なお、塩沢とき氏は、2007年(平成19年)に病気のため亡くなっている。享年79

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