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ウルトラマン怪獣・ゴジラの呪縛からの脱却 ~形態学的怪獣論26 [怪獣論・怪獣学D]

昭和41年7月17日、巨大な青い火の球が日本に飛来し、湖に消えた。ふたたび出現した時、それはトゲだらけの黒い悪魔に姿を変えていた。ベムラーは第一話登場の怪獣だが、製作順では9番目だったことが、現在は広く知られている。

ちなみに『ウルトラマン』の第1クール13本の中で、何らかの改造でない怪獣は意外に少ない。

製作番号  怪獣       改造前
  1   バルタン星人   セミ人間
  2   グリーンモンス  ××××
  3   ネロンガ     パゴス
  4   ラゴン      ラゴン
  5   ゲスラ      ピーター
  6   アントラー    ××××
  7   ガボラ      ネロンガ
  8   レッドキング   ××××
      チャンドラー   ペギラ
      マグラ―     ガボラ
      ピグモン     ガラモン
  9   ベムラー     ××××
  10   ジラース     ゴジラ
  11   ドドンゴ     ××××
  12   ギャンゴ     ベムラー
  13   ペスター     ××××


製作順は遅い方だが、ベムラーは二脚怪獣の決定打を造ろうという、成田亨氏の意欲がみなぎるデザインだった。『ウルトラQ』から引き継いだ二脚怪獣の代表であるペギラよりも、ましてやそれ以前のゴメスよりも、強烈な個性を持ちうる怪獣――それは「ゴジラの呪縛」からの脱却を必要としていた。

それまで二脚怪獣のほとんどは、ティラノサウルスやイグアノドンのシルエットを多少なりとも受け継いでいた。恐竜の体形にどこかで共通させることが、不文律のようになっていた。この慣習を打破し、強烈なオリジナリティを表現するためには、まず全体のフォルムを変えなければならない。

その最初の明確な挑戦が、ベムラーである。ベムラーの基本的体形は、一本の長筒である。突き出た二本の脚も円筒のバリエーションである。胴は不自然なまでに長く、頭は小さく高い位置にある。腕らしい腕は無い。従って、肩も無い。

役に立たない前脚という肉食恐竜の特徴を持ちながら、それとは異なる体形を提起してみせたのだ。この腕で、どうやってウルトラマンと格闘シーンを展開するのか。いや、取っ組み合いの格闘ができなければ、違う戦法で戦えばよい。当時あらゆる可能性に挑戦しつづけた製作スタッフの知恵でもあったのだろう。

ベムラーの最大の特徴は、トゲである。劇中に出てくる「悪魔のような怪獣」というイメージから、体色の「黒」と形態としての「トゲ」が選ばれた。頭の先から尻尾の先まで、背面はすべてトゲである。今でこそ「怪獣にトゲ」という発想は珍しくない。

怪獣番組が氾濫していた頃、苦しくなったデザイナーが頼るのが「トゲ」だった。それゆえ、怪獣はトゲの数が増える程アイデンティティを喪失するという皮肉な結果も生まれたほどだ。だが、ベムラー以前には、これ程のトゲの集合は例が無かった。

この時点で怪獣の背面の装飾として、ゴジラのヒレ、バランのツノ、バラゴンの突起が見られるばかり。唯一アンギラスの甲羅には一面のトゲが生えているが、これはハリネズミのハリか、あるいは細かいツノの印象だ。

これに対しベムラーのそれは、ウロコがめくれ上がり皮膚が硬くなって直立した三角錐のように見える。ベムラーは背面の処理法についても、堂々たるパイオニアだった。背面とは一転して、腹部は爬虫類らしい、比較的平らなウロコで覆われている。

身体を内側に丸め、トゲだらけの背面で敵をブロックし、柔らかな腹部を防御するのは、生物の理に適っている。飛行する時には、アルマジロのごとく丸まったまま、青い火の球に変化するのかもしれない。

ベムラーのモデルはなんだろうか。全体の印象はトカゲ、顔で言えばイグアナ、全身で言えばオオヨロイトカゲだろうか。成田氏はベムラーの顔は「獅子である」と書いておられる。それにしても、着ぐるみになったベムラーの顔はすばらしい。

魅力あふれる怪獣として成立している原因は、何と言ってもこの顔にある。ことに鼻孔の処理が秀逸だ。単なる穴ではなく、明らかに呼吸し生命を維持するための装置である。ベムラーの正面に並列に並んだ鼻孔は、まったくの小細工なしにありのままに存在する。

全体との調和を損ねていないのは、爬虫類の造型に深く学んだ造型家(高山良策氏)の力量が遺憾なく発揮されているからだ。そうした細部への配慮の細やかさが、全体として美しく、スタンダードな古典怪獣として昇華せしめているのであろう。 (終わり)


★★★★★★★★★★★★
この著者はベムラーの評価がとても高いが、筆者はあまり好きではない怪獣である。日本人が初めてあった宇宙怪獣ということになる。ベムラーが地球に逃げてきたおかげで、我々はウルトラマンに遭遇することができたわけだから、良いか悪いかは別にして、ベムラーに感謝?するべきなのかもしれない。(笑)

タグ:怪獣 成田亨
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ウルトラマン怪獣・王者の風格 ~形態学的怪獣論27 [怪獣論・怪獣学D]

制作順では8番目のレッドキングは、ベムラー同様、二脚怪獣の決定版を目指して造られたという。下から見上げた巨大感を出すために、ひたすら頭は小さく、高い位置に設定され、そこに至るまでの道程を階段状の凹凸で埋め尽くした―――こう総括するのはたやすい。

だが、この着想の飛躍はそれ以前のデザインとは比べるべくもないほど衝撃的だ。極端な遠近法。蛇腹のような躍動感と、トウモロコシのようにビッシリと敷き詰められた充実感。細かな部分はそろばん玉のようにも見える。柔軟と堅牢の相反する要素を具有し、どんな動物にも似ていないこの体表。それでいて紛れもなく「生物」。

だからこそ「怪獣」。言うなればモデルは無い。まったくの創造上の生物。人間のような胴体に手脚と長い首をつけ、ひたすら階段を刻んだ。形態から構造をつくっていくのではなく、構造が形態を規定していく面白さ、不思議さ。

この魅力ある逆説こそが、怪獣デザインには無限の可能性があることを見事に証明し、以後の後継者たちに広大な道を拓いたのである。レッドキングの形態からは、通常生物の法則は適用できない。むしろ、全く別の進化のドラマを想像できる楽しさに満ちている。

キャラクターの明るさとも相まって、レッドキングはそれまで怪獣が多少なりとも引きずっていた「陰」の部分を、明快に断ち切って見せた。ゴジラの呪縛はレッドキングに至って、遂に完全に解き放たれたと言えるのではないか。

その後怪獣が獲得した様々な「自由」を思う時、レッドキングの偉大さは、まさに「怪獣デザイン史」における「コペルニクス的転回」であった。レッドキングは幸せである。成田氏のデザインをもしただの造形家が立体化したら、構造の堅牢さを尊重するあまり、岩のような揺るぎない造型となったかもしれない。

だが高山良策氏の造型は違った。造型に「しなやかさ」を与えた。我々は初代レッドキングの、あの縦横無尽に暴れ回る躍動感を知っている。頭から尾の先までをつらぬく、巨大な「うねり」を知っている。無数にはめ込まれた大小無数の階段がなぜ必要だったか、理屈ではなく、躍動する造型のそのものから会得することができる。

ことに長い首の「しなり」は絶品だ。デザインよりもさらに誇らしく反り返った首。この曲線こそは、全体に流れるリズムの起点である。全体と細部との見事なバランス。自然界にはあり得ないにも関わらず、「統一された機能美」の極地が紛れもなくここにある。

レッドキングの別名「どくろ怪獣」は、その顔がガイコツに似ているためと言われている。成田氏の著書によれば、顔は竜だと言う。デザインを見ればなるほどと思えなくもないが、造型物の横顔をみれば、やはり霊長類の頭蓋骨のイメージが強い。

後に登場する二代目は、一旦アボラスに改造された着ぐるみを、ふたたび頭部をすげ替えて造られている。初代と同じ型から起こしたものだというが、頭頂部はより鋭角的に尖り、目に白目部分ができた。さらにあの大きなアボラスの頭をはずして、切断した首を改修したため、初代独特の「しなり」は失われてしまった。

どちらかといえば、後ろに反り返るのではなく、頭は前方に飛び出た位置にある。これが全体の印象を変えた最大の原因ではないか。もっとも、水爆を飲み込んで首が硬直したと考えるのも設定としては面白い。深いシルバーを丹念に塗られた着ぐるみは、劣化が進んでいたものの、ギガスとドラコの二大怪獣をなぎ倒した躍動感はまだまだ健在だった。 
 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
レッドキングは光線技を持たない怪獣だ。炎を口から吐けるわけでもない。いわゆる飛び道具は一切ない。あるのはただ怪力・腕力。これだけで自分を売り出すのは困難だろう。だが、初代マンとの一騎打ちは見応えがあった。

タグ:怪獣 成田亨
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『ウルトラマン』が帰ってくる!/第二期ウルトラ怪獣偏  ~形態学的怪獣論28 [怪獣論・怪獣学D]

それは一つの事件だった。『ウルトラセブン』終了後、スポ根ドラマや妖怪ブームのさ中に旧作の再放送などで復活の兆しを見せ始めた怪獣ブーム。公害問題を背景に『ゴジラ』の復活が決定、ついで新年早々から『スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)』の放送開始が報じられ、そして遂に真打とも言うべき円谷プロの登場。

しかも第一回のメガホンを取ったのは、あの巨匠本多猪四郎監督であった!『Q』『マン』『セブン』の洗礼を受けた者にとって、第一話の冒頭、怪獣ザザーンにガッカリ、すぐに消えてしまったタッコングにアングリ、そしてアーストロンに至ってようやく「これこれ」とヒザを打つ有様だ。

ゴジラの様な風体に三角形の小さな顔、大きな眼球にひきしまった口元は、まさに正統派の美男子といった風貌だ。加えて頭頂部には、あのゴメスの後継者を誇示するかのような見事な一本角。まさに第一話にふさわしい大怪獣と言えよう。

デザイナーの池谷仙克氏によれば、最初から「ゴジラのような怪獣を」という指定があったそうで、ご本人はあまり気乗りせず力が入らなかったデザインであるという。造型物も、現場で腹部の改造が行われたり、腕が思うように動かなかったりと、必ずしも順調ではなかったようだ。

だが「ウルトラ怪獣」を久しく待望していたファンにとっては、アーストロンは渇きを癒すのに十分な傑作であり、新マン(帰マン)怪獣全体を通じても、一方の雄であることは間違いない。連続登場したタッコングは、ユニークさという点で早くも頂点に立つ名獣だった。

『セブン』のダンカンのシルエットを踏襲しながらさらにデフォルメを強調し、球体から突き出た手足というコンセプトを提示して、その後の怪獣デザインに大いなる道を拓いた。

モチーフとしてのタコは誰の目にも明らかだが、単なるタコの変形に留まらずにタコの吸盤を展開させることで、純然たるオリジナルデザインにまで昇華せしめている。造型物もデザインの意匠をよく活かし、ネズミのような愛嬌のある顔を付けるなど、なかなかの力作である。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』が放送されるというネタを仕入れたのは、確か、「週刊テレビガイド」という雑誌を目にしてであったと思う。巻頭カラーでこの話題を載せていたような記憶がある。当時小学生の筆者は、親にねだって買ってもらったように思う。今でも弟とよく話すのは、その雑誌に載っていた「新マンの着ぐるみを腰から上だけ脱いで、ゆで卵を食べているきくち英一氏」の写真だ。

実はゆで卵ではなく、奥さん手作りのニンニクの醤油漬けだと思われるが、紙質の悪さに加え白黒写真なので、当時はハッキリ見えなかったのだ。ご本人の著書『ウルトラマン・ダンディ』の中にそのことが書かれており、ようやく納得した次第である。

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正統か、独創か  ~形態学的怪獣論29 [怪獣論・怪獣学D]

第三話のサドラも、地味ながら味わい深い。テレスドンの変形したデットンと同様、全身はイモムシ状の体節から成る。モチーフがサソリであるときけば、この体節も手のハサミも得心が行く。しかし、サドラ最大の魅力はその顔である。左右に突出したツノもユニークだが、ズルそうな目とめくれ上がった上唇がたまらない。

角度によっては馬のようにも猫のようにも見える表情の妙。恐らくは偶然の所産だと思われるが、このような巧まざる表現の幅こそが、立体造形物ならではの面白さであり、他に代え難き「着ぐるみ」の魅力である。

第四話登場のキングザウルス三世は、極めて正統な怪獣である。足の裏に指紋まであるという高山良策氏の造型は、もはや至芸の域に達し、あたかも実在した生物のレプリカのごとき錯覚すら覚える。だが、確かに正統で誠実ではあるが、それ以上のプラスアルファの魅力があるだろうか。

我らが愛したウルトラ怪獣とは、正統でありながらなお独創性にあふれたものではなかったか。こちらの想像力を凌駕する「突き抜けた遊び心」に満ちたものではなかったか。

不安を抱き始めたところに、タイミングよく空前の傑作が登場した。グドンとツインテールである。池谷氏自身がお気に入りというグドン。その体表はサイがモチーフであるというが、全身に流れるイメージはアリジゴクであると思う。

身体が節に分かれているのは昆虫の特徴であり、さらに首のすくめ方、二本のツノの生え方など、アリジゴクを彷彿とさせる。装甲に身を固めながら、どこか哀調を帯びているのも池谷氏ならではの味だ。何と言っても、両手のムチが画期的だ。

これまで手の変形としては、バルタンのハサミ、メタリノームのフォーク、ドラコの鎌、メトロンの長い爪などがあったが、ムチは初めてである。ドラコのデザインの段階では右手が巻き尺状になっていたが、これも「収納」が考慮されており、グドンのように伸びっ放しのムチというのは例が無い。

地中を掘り進むときも役には立たないし、これでは捕食にも不便だろう。しかしそのような常識を覆し、デザインのユニークさを優先させたことこそグドンの神髄である。しかも、この一見無用のムチは、エサであるツインテールを捕獲するという機能に限って、がぜん説得力を増してくる。

高山氏の造型も、ただ感嘆するしかない。デザインの意向を心憎いまでに把握し、ひび割れた犬のような独特の顔も見事に立体化し、全体を流れるようなラインで貫いている。ムチの生え際も無理が無く、二本のツノの角度の妙に至っては、もはや神業としか言いようがない。どこから見ても、美しく、鋭く、毅然としている。ツノ先端部の曲がり具合一つを見ただけでも、まさに芸術である。

対するツインテール。この独創性は池谷デザインの頂点と言っても過言ではない。全身しとやかな「倒立するエビ」。 ナマズのようなカエルのような顔面に眠たげな目。中に入る人間の足を隠すための下方両サイドの突起物。

本来の顔の位置には、あたかも捕食者の目を欺くがごとき「両目のような発光体」があり、その下には口のような何とも不可思議な空間が開いている。そしてデザイン全体を引き締めるのは、先端の二本のムチである。スダール(ウルトラQに登場)以来の「ル」という語尾で終わる名前が、どこか洒落たイメージを与える。褐色に緑という配色も斬新である。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
エントリーから宇宙人を除けば、ウルトラ怪獣人気選挙ではいつも上位に顔を出している怪獣、グドンとツインテール。新マンは、宇宙人を廃し怪獣をメインに据えたウルトラシリーズとして、原点に戻ったのである。地球外からの侵略から地球内からの侵略へ、原点回帰したのだ。ただ、あのどこかホンワカした雰囲気のある科学特捜隊とは違い、防衛軍の精鋭部隊として失敗は許されない、命を削るような働きをいつも求められていたMATチームは、カッコいいけれども可哀想でもあった。

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混とんの幕開き ~形態学的怪獣論30 [怪獣論・怪獣学D]

ツインテール。この独創性は池谷デザインの頂点といっても過言ではない。驚異の高山造型は「造型に不可能無し」を印象づける出来映えで、尾の先端にまで緊張感のある配慮や柔らかな質感、全身を貫くシルエットの美しさなど、言葉を失う程である。

人間の体形を隠すという命題も見事にクリアし、あれほど自由に動き回ってもなおバランスが崩れないのは、高山造型ならではの奇跡である。共に一対のムチを持つ巨獣同士が、その武器をビュンビュンと振り回して激突する格闘シーンは圧巻であった。

池谷氏の意匠が、高山氏の造型を通して見事に表現されている。食うも食われるも命がけ、という生存競争の厳しさを象徴するかのような二大怪獣の壮絶な死闘は、歴史に残る屈指の名場面となった。

23パーセントの視聴率でスタートし、順風満帆に思われた「新マン(帰マン)」は、黄金週間をはさんでグドン、ツインテールの豪華共演による前後編の傑作を送り出したにも関わらず、その後の5、6月は10パーセント台の視聴率に甘んじることとなった。

全盛期、40パーセントに迫る快進撃を続けた「初代マン」とは比較にならない。時代の流れとはいえ、製作者側の大いなる期待は、早くも翳りを見せ始めたのであった。それは何故か。

重厚ではあるが、どこか沈鬱で説教臭の残るストーリー。毎回のように繰り返される「怪獣を見た」「いや、見ない」の不毛の議論。完璧なる超人であったはずのウルトラマンは、挫折し、努力し、成長するヒーローとなっていた。

新たに導入された「家族」「恋人」という設定も、重要な意味を持ったのはわずかで、本来の魅力を発揮するまでには至らなかった。かつてのスマートで洗練されたイメージであるウルトラマンとは異なる、「もどかしさ」が全編に流れていた。

そしてそれに呼応するかのように、怪獣達もまた精彩を欠いた。堅実でオーソドックスな池谷デザインはこの時期も常に新たな視点を模索し、「同一パターンの反復」という手法を様々な形で展開して、怪獣デザインの可能性を開拓した。

だが、12話までに登場した怪獣のうち実に10体までが二脚恐竜型という体形的類似点であることに加え、ほとんどが山間や岩場での「土にまみれた」戦闘という場面的な類似点があった。そのようなストーリー展開が、怪獣達の個性を弱めてしまった。新シリーズをけん引していくだけの破天荒な面白さに、欠けていたのだ。

振り返れば第二次怪獣ブームの幕開きとなった昭和46年。その嚆矢(こうし;物事の始まり)となった『宇宙猿人ゴリ』は、2週間に1体のローテーションではあったが、続々とユニークな怪獣を放った。

サタンローズ(ジャイアントロボに登場)型のヘドロンで幕を開け、正統派ツノ竜タイプのゼロンを着ぐるみで、カミナリ竜タイプのミドロンをモデルアニメーションで動かし、その後も重量感溢れるゴキノザウルス、暗黒のキングギドラというべきネズバードン、巨大な顔面のダストマンなどが『新マン』に先行する3か月の間に登場した。

いずれも洗練や完成度という形容とは若干の隔たりはあるものの、予算その他の諸条件を逆手に取ったような、まさにピープロの反骨精神ここに炸裂!といわんばかりの大迫力で、視聴者を引きずり込んだ。

ことにハトとネズミの合成怪獣ネズバードンは、同番組を代表する傑作中の傑作で、ウルトラとは一風異なる高山良策氏の大胆な造型によって、圧倒的な恐怖感をかもしだしていた。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
(ネズバードンの姿は、2本ある腕のそれぞれ先端にネズミ怪獣の顔が付いていて、背中にはハトの羽根が生えている。まさに首が2本のキングギドラのイメージである)

『帰ってきたウルトラマン』は超人ではなく、修行が必要な宇宙人に成り下がっていた。この当時、世の中はスポ根ブームで、歯を食いしばって試練に耐え、それを乗り越えて勝利をつかみ、爽やかな汗をかきながら喜びの涙を流すような主人公が人気だった。

初代ウルトラマンは、ゼットンに出会わなければ負けなしだった。当時脚本・監督を担当していた飯島敏宏氏は、ウルトラマンは絶対に負けない存在だと思って、いつも監督をしていたそうだ。それが負けるということは、相手はものすごい悪であるということだと、振り返って述べている。

そういう意味では、新ウルトラマンは、しょっちゅうと言っては語弊があるが、敗北⇒訓練⇒挫折⇒再訓練⇒勝利的なストーリーで、人間の成長そのままであると言える。今はそう感じるが、当時子供だった筆者をはじめとする視聴者は、ウルトラマンが登場すれば、それでよかったのである!

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