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ウルトラマン怪獣・王者の風格 ~形態学的怪獣論27 [怪獣論・怪獣学D]

制作順では8番目のレッドキングは、ベムラー同様、二脚怪獣の決定版を目指して造られたという。下から見上げた巨大感を出すために、ひたすら頭は小さく、高い位置に設定され、そこに至るまでの道程を階段状の凹凸で埋め尽くした―――こう総括するのはたやすい。

だが、この着想の飛躍はそれ以前のデザインとは比べるべくもないほど衝撃的だ。極端な遠近法。蛇腹のような躍動感と、トウモロコシのようにビッシリと敷き詰められた充実感。細かな部分はそろばん玉のようにも見える。柔軟と堅牢の相反する要素を具有し、どんな動物にも似ていないこの体表。それでいて紛れもなく「生物」。

だからこそ「怪獣」。言うなればモデルは無い。まったくの創造上の生物。人間のような胴体に手脚と長い首をつけ、ひたすら階段を刻んだ。形態から構造をつくっていくのではなく、構造が形態を規定していく面白さ、不思議さ。

この魅力ある逆説こそが、怪獣デザインには無限の可能性があることを見事に証明し、以後の後継者たちに広大な道を拓いたのである。レッドキングの形態からは、通常生物の法則は適用できない。むしろ、全く別の進化のドラマを想像できる楽しさに満ちている。

キャラクターの明るさとも相まって、レッドキングはそれまで怪獣が多少なりとも引きずっていた「陰」の部分を、明快に断ち切って見せた。ゴジラの呪縛はレッドキングに至って、遂に完全に解き放たれたと言えるのではないか。

その後怪獣が獲得した様々な「自由」を思う時、レッドキングの偉大さは、まさに「怪獣デザイン史」における「コペルニクス的転回」であった。レッドキングは幸せである。成田氏のデザインをもしただの造形家が立体化したら、構造の堅牢さを尊重するあまり、岩のような揺るぎない造型となったかもしれない。

だが高山良策氏の造型は違った。造型に「しなやかさ」を与えた。我々は初代レッドキングの、あの縦横無尽に暴れ回る躍動感を知っている。頭から尾の先までをつらぬく、巨大な「うねり」を知っている。無数にはめ込まれた大小無数の階段がなぜ必要だったか、理屈ではなく、躍動する造型のそのものから会得することができる。

ことに長い首の「しなり」は絶品だ。デザインよりもさらに誇らしく反り返った首。この曲線こそは、全体に流れるリズムの起点である。全体と細部との見事なバランス。自然界にはあり得ないにも関わらず、「統一された機能美」の極地が紛れもなくここにある。

レッドキングの別名「どくろ怪獣」は、その顔がガイコツに似ているためと言われている。成田氏の著書によれば、顔は竜だと言う。デザインを見ればなるほどと思えなくもないが、造型物の横顔をみれば、やはり霊長類の頭蓋骨のイメージが強い。

後に登場する二代目は、一旦アボラスに改造された着ぐるみを、ふたたび頭部をすげ替えて造られている。初代と同じ型から起こしたものだというが、頭頂部はより鋭角的に尖り、目に白目部分ができた。さらにあの大きなアボラスの頭をはずして、切断した首を改修したため、初代独特の「しなり」は失われてしまった。

どちらかといえば、後ろに反り返るのではなく、頭は前方に飛び出た位置にある。これが全体の印象を変えた最大の原因ではないか。もっとも、水爆を飲み込んで首が硬直したと考えるのも設定としては面白い。深いシルバーを丹念に塗られた着ぐるみは、劣化が進んでいたものの、ギガスとドラコの二大怪獣をなぎ倒した躍動感はまだまだ健在だった。 
 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
レッドキングは光線技を持たない怪獣だ。炎を口から吐けるわけでもない。いわゆる飛び道具は一切ない。あるのはただ怪力・腕力。これだけで自分を売り出すのは困難だろう。だが、初代マンとの一騎打ちは見応えがあった。



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タグ:怪獣 成田亨
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