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11月の作品群たち ~形態学的怪獣論36 [怪獣論・怪獣学E]

久々の登場となった池谷氏のキングマイマイは、同一パターンの中に抑制の効いた、「らしさ」に溢れた作品である。整然として破たんが無く、美しい。これはマイマイガという蛾の一種がモチーフのはずだが、どうも昆虫とは結びつきがたい。

眼球も触覚も手足の節も、昆虫のようだ。だが、決定的に羽根の位置が違う。これはエダホザウルスなどの背びれに通じる形態であり、これでは羽ばたくことは不可能だ。体節の別れ方も尾の形態も、昆虫にしては異様だ。むろん、池谷氏はそんなことは先刻ご承知だろう。

察するに、極めて牧歌的幻想的なドラマに合わせて、昆虫とも恐竜とも断じ難い曖昧な形態を、わざと意図したのではなかったか。幼虫のデザインを見ればその思いは一層強くなる。

頭部の突起の形状がユニークな幼虫。背面は青虫のようであるが、顔は動物的である。ドラマの中でそれは少年の心に永遠に生き続ける、遠い日の甘やかな追憶の一つなのである。

熊谷氏のデザインしたムルチは、まさに直立したシャケ(またはマス)である。二脚直立型のボディに、シャケの顔を直角に融合させるという大胆さ。むき出しのエラや、背びれをデフォルメした頭部の飾り、手足の変形、首から胸をつなぐ流れるような曲線など、随所に神経が行き届いている。

同じ魚類のモチーフでも、グビラ(初代マンに登場)よりは戦闘に適した形態だろう。造型はデザインにほぼ忠実で、海を思わせる青ざめた彩色が、哀しくも鮮やかだ。あえてウロコを描きこまなかったことも、正解である。

設定上常に濡れている体表面の艶やかさは、どこか亡霊のように妖しくもあり、官能的でもある。この絶望的な物語に一条の光明を与えたのは「パン屋の娘の笑顔」であったが、ムルチの洗練された形態も、酸鼻(むごたらしく痛ましいさま)なまでの悲惨さをわずかに救ってくれているのではないだろうか。

厳密には11月放送作品ではないが、プリズ魔もまた、「傑作群」を代表する作品といってもいい一つである。岸田森氏の鮮烈な脚本、光が怪獣化するという卓越した美意識、目もくらむような光学処理の数々。

「恐ろしい程美しい」を具現化したプリズ魔の威容は、神羅万象すべてが怪獣に成り得ることを改めて思い出させ、怪獣デザインの限りない可能性を示してくれた。全体としては氷山の一部のようで、細部はきちんと結晶らしい多面体構造になっている。

二本のツノのような突起の部分が、なんとなく頭部に見えるところも秀逸だ。形態的には全く変化せず、光線発射と「声」だけで他を圧倒する進撃ぶりは、怪獣本来の神秘性と存在感に満ちている。「ウルトラならでは」を、痛感させる名作と言えるだろう。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
岸田森氏は、朱川 審(あけかわ しん)のペンネームで執筆した『帰ってきたウルトラマン』第35話「残酷! 光怪獣プリズ魔」がある。

光をモチーフにしたという岸田のイメージを基にした怪獣「プリズ魔」の造型は、第2期ウルトラ怪獣随一の美しさと言われている。他には、岸田森名義で『ファイヤーマン』第12話「地球はロボットの墓場」の脚本を手がけている。

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ウルトラの星、光る時⦅1⦆ ~形態学的怪獣論37 [怪獣論・怪獣学E]

動物細胞と植物細胞を掛け合わせた究極の生命ともいえる細胞を、自分の手で作りだしたいと願うマッドサイエンティストの物語。そこに「青年期の孤独」を重ね合わせた物語だ。放映されたレオゴンは、小林晋一郎氏のオリジナルデザインではない。

原案の形態は、全身緑色のベムラーといった趣だった。脚本に「トカゲと食虫植物ウツボカズラとの合成」と書いてあったら、プロの仕事はこのようになるのかと思わせる出来映えのレオゴンは、米谷佳晃氏のデザインである。

米谷氏はウツボカズラにとらわれず、潜望鏡のように前方に湾曲した2本のツノとしてこれを処理し、全身を四脚型の堂々たる体躯に描いた。湖での格闘シーンを考慮し、水上に現れる背面を無防備にしないために一対のツノを付与したとのことである。

こうして、当時高校生だった小林晋一郎氏の原案を、練達のプロたちが誠実に映像化して出来上がったのが、「許されざるいのち」であった。

昭和46年12月24日。当時のアイドル天地真理の「水色の恋」が巷に流れていたその夜は、ハヤタとモロボシ・ダンがウルトラの星を輝かせるために史上初めて共演した、記念すべき夜でもあった。

『新マン』最大のクライマックスは、『ウルトラマン夕陽に死す』と『ウルトラの星、光る時』の前後編であろう。ウルトラマンの死という表現もショッキングだが、主人公の最愛の恋人坂田アキの死は、テレビを観ていた誰もがショックであったと思う。

他番組とのスケジュール調整のため降板のやむなきに至った榊原ルミ氏の事情は、今では広く知られている。しかしそれを死によって決着させるという手法に、当時多くのファンが胸を痛めたのではないだろうか。

子供番組、ウルトラシリーズのイメージ、『新マン』独自の家庭的暖かさ、それらのハートウォームな世界を根底から否定するような、残忍な設定。そのために用意された「稀代な悪役」こそ、ナックル星人とブラックキングだった。

意外にも、ナックル星人は『新マン』において明確な形態を持って登場した初めての宇宙人である(高橋昭彦氏デザイン)。ゼラン星人もメイツ星人も、亡霊のようなデザインだった。初の本格的宇宙人であるナックル星人は、凶悪無比、極悪非道とはどこか違う雰囲気がある。

デザイン画を見れば、顔面はサングラスをした強盗のようなイメージだが、白地の全身に散在する赤い半球体と手首足首の飾りは、どこかピエロを連想させる。変身後のいかにも悪役然とした態度よりも、冷静で理知的な変身前の研究所所長の姿に、むしろ凄みを感じる向きもあるかもしれない。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
郷秀樹の心を乱すために、冷酷無慈悲な作戦を計画実行したナックル星人は、地球では子供達にやさしい宇宙電波研究所の所長という顔を持っていた。演じたのはウルトラシリーズではよく顔を知られた成瀬昌彦氏である。

ウルトラセブンでは、第四惑星のロボット長官や宇宙のスパイ・プロテ星人の仮の姿・杏南大学の丹羽教授など、頭脳明晰で冷酷無比という役どころを見事にこなしておられた。残念なことに、1997年11月に73歳で亡くなられている。忘れがたい名バイプレイヤーであった。

ご冥福をお祈りいたします。(合掌)

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ウルトラの星、光る時⦅2⦆ ~形態学的怪獣論38 [怪獣論・怪獣学E]

これに対して、ブラックキングの重量感溢れる姿こそは、この怪獣に与えられた役割、つまり「悪役」を一瞥で理解させる。まさしく「形態」の持つ威力。全身にみなぎる力強さは、太い筆で一気に書き下ろしたかのごとき豪快で単純な「構造」から来る。

顔面の大きさといい、手足の造りといい、レッドキングの系譜を継ぐ蛇腹の形態といい、すべてが大づかみで小細工が無い。粗雑ではなく、大胆。そのくせ細部の仕上げはぬかりがない。黒を基調にして黄金をあしらった配色も意を尽くしている。

頭頂部にいただく一本ヅノは、単なる湾曲ではなく、根元からグイと折れ曲がっている。一角獣に属しながら、その迫力は別格だ。顔面の造作も、赤い瞳を持つ大きな眼球を含め、正統的な美貌と同時に、邪王の風格を併せ持つ、みごとな容貌となっている。

後方に突出した耳の部分の処理の仕方などは、昭和版メカゴジラのヒントになったのでは、と思わせるものがある。全ウルトラ怪獣中で、最強を争うにふさわしい傑作のひとつである。

シリーズのターニング・ポイントともなるべき最大の話題作に、最も似つかわしい最凶の敵役を得たことは、何にも増して幸運だった。空前の盛りあがりを見せた前後編の2作は、期待通りの高い視聴率をあげ、ラストの1クールに向けて大きな起爆剤となった。

代償として失われたもの(坂田兄妹)も大きかったが、天涯孤独となった次郎少年に、姉代わりとなる隣人・村野ルミ子嬢を配し、聖歌で締めくくるという「救い」を提示したことこそ、『新マン』の真骨頂といえるのではないだろうか。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』の年代設定は、劇中では特に明示されていない。「近未来」や「無国籍」を演出していた前2作品(初代マンとセブン)と比べると生活感のある場所での映像が多く、放映年代と同じ1970年代初頭の日本が意識されている。

前2作が海外販売も視野に入れた制作であったことに対し、『新マン』は純粋に日本国内向けに制作されているためである。劇中で、現実の日本と重ねた演出も散見され、国外の描写はほとんどない。

タグ:怪獣
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新怪獣の模索 ~形態学的怪獣論39 [怪獣論・怪獣学E]

昭和47年の年明けから、怪獣とこれを操る宇宙人がセットになって登場する回が増えていく。もはや画期的な独創性を持った新怪獣を出し難くなったための打開策かと言えば、そうではない。よりエンターテインメント性の強調を狙ったものであった。

この時期の視聴率は常に25パーセント以上で推移しており、第2期ウルトラシリーズでは最高視聴率を記録した時期なのである。例えば、スノーゴン。白クマと雪男の合体といえばそれまでだが、シンプル・イズ・ベストの好例である。

黒と白の配分が適切で、顔面の区分けもユニーク。最も特徴的なのは、頭頂部から後方へ湾曲した一本角である。「たったこれだけの創意」で、スノーゴンは強烈な個性を有している。デザインの秀逸性に加え、着ぐるみの出来も素晴らしい。地味ではあるが、もっと評価されていい名獣の一つである。

蜃気楼怪獣パラゴンは、自由奔放な発想が面白い。何しろモチーフがみえない。強いて言えば、朝陽の昇る富士山だろうか。牛鬼のごとき重たげな顔、全身のシルエットも形容しがたい程奇妙でとりとめがないが、逆に予定調和の中に収まりきらない不思議なエネルギーを感じる。「整然としたシルエットへの反乱」を試みているのだろうか。

移動要塞ビルガモ。なぜこのようなかわいいデザインになったのか不思議だ。愛らしさを提示する必然性は、なにも無いはずだ。では、これに代わるビル怪獣があるかと問われれば、必ずしも名案は浮かばない。しかし、金色という体色も含めて、ユニークであることは間違いない。

この3体をデザインしたのは、高橋昭彦氏。すでにここまでに、様々な斬新なアイデアを提示し続けてきたが、その特徴は、「ウルトラ怪獣、かくあるべき」という既成概念からの脱却であるといえようか。

明確な意識があったかどうかは不明だが、もっと自由に、心の赴くままに、と自然に描いた結果、従来のテイストとは異なった作品群を生み出したのかもしれない。既成のフォルムを変えるという点では、グラナダスやフェミゴンもユニークなシルエットを持っている(高橋氏の作品)。

猫背のように背骨が前方へ湾曲し、首と顔が腹部から突き出ている。広い意味ではタッコングも同類項かもしれないが、いわゆる変形怪獣ではなく、二脚直立型怪獣において首の位置だけを変えるというこのパターンは、のちに基本型の一つになっていく。

それにしても残念なのは、グラナダス・ケンタウルス星人共々、着ぐるみの出来映えが惜しまれることだ。本編のラブ・ロマンスを、ともすると興ざめさせてしまいかねない。相当に苦しい制作事情であったのだろう。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』放送内で初代マンやセブンが登場したことがきっかけで、「ウルトラ兄弟」という世界観が芽生え、次作品『ウルトラマンA』では、エースは5番目の弟という位置づけとして、「ウルトラ兄弟」は確立していく。

しかしこの時は、『帰ってきたウルトラマン』と『ウルトラマン』とを区別するネーミングは、まだ正式には存在しなかった。1984年の映画『ウルトラマンZOFFY  ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』の公開に先立ち、ウルトラファミリー紹介時に各々に固有名詞の必要が生じた。

そこで、当時の円谷プロ社長・円谷皐氏が、『帰ってきたウルトラマン』を『ウルトラマンジャック』と命名し、以降の書籍・関連グッズなどではほぼ「ジャック」の名称で統一されることになった。

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宇宙人像の模索 ~形態学的怪獣論40 [怪獣論・怪獣学E]

2体ずつ敵役を登場させるという設定は、かなりの苦闘を撮影現場に強いたのかもしれない。スノーゴンを操るブラック星人やレッドキラーを操るズール星人など、あえてその存在理由を問われるものも中にはあった。その一方で、力作と呼ばれるものも生み出されている。

まずバルダック星人。腹部に顔があるという点では、『セブン』のブラコ星人の系列に属するが、デザイン画を見ると、さらに積極的に全身のシルエットを変えんとする姿勢がうかがわれる。

頭頂部のハート形の形態、鳥のような口、つり上がった目など、全体の整合性を多少犠牲にしてでも、楽しくユニークなものをという、高橋昭彦氏の横溢(おういつ:あふれて盛んなこと)一品とみるべきだろう。

オリジナリティでこれに並ぶのは、熊谷健氏がデザインしたササヒラー。全体を三角形の中に見事に収めている。両足の裾の広がりは、袴(はかま)がヒントだろうか。モチーフは不明だが、顔・肩・首の区別無く幾何学模様を配しているなど、抽象芸術の香りさえ漂う。赤い模様はウルトラマンを模しているのかもしれない。

ストラ星人はW字形の兜のような頭部の形態と、腹部のパラボラアンテナという立派なオリジナリティを持ち、前の二つと比較すると小粒ではあるが、十分健闘している。

グロテス星人は、全身黄色という配色がユニークだ。頭部の形態は、恐らくは「魔人像」のいわゆる鍬形の部分の大胆なアレンジではないだろうか。武士の兜をかぶった宇宙人といってもいい。変形した両手の銃は、和洋折衷を狙ったものか。武器との合体という点は、超獣の先駆けではあるのだが。

番組強化案として登場したリバイバル怪獣達について。最高の人気を誇るバルタン星人は、そのジュニアという設定で登場した。いわゆる初代バルタンの子孫である。ゆえに両手のハサミも含め、全体的に手足も短く、小さめということなのだろう。

その意図は十分理解できるのだが、やはり造型面での状況悪化は如何ともし難い。デザイン的には初代の雰囲気を残しているが、例えば頭部のV字触覚の切り貼りのような造型、目玉焼きのような眼球、脚の節に施された飾りなど、惜しみて余りある。

ゼットンも然り。こちらは初代とまったく同じデザインのハズだが、初代の造型とは天と地ほどの開きが生じた。材質的な問題か、全体に緊張感が無く、バランスも崩れ、初代の持つ「洗練された美しさ」を喪失している。頭部のZ字触覚が、すべてを物語っている。

硬質感が皆無で、そればかりか前方に垂れ下がっているのだ。口と胸の発光体もどこか侘しい。初代ゼットンは単なる腕力でウルトラマンを倒したのではない。その優雅さ、知性、美しさなど形態が象徴する総合力によって、「最強」を強烈に印象付けたのだ。

過去の例をみる限り、初代を凌駕した二代目の例はほとんどない。過去の遺産に助けを借りず、常にオリジナルを生み出し続けなければならない宿命の過酷さ。だが、それを乗り越えてこそ称賛はある。

時代はやがて、「怪獣過剰」の段階へ突入していこうとしていた。第二次怪獣ブームは、昭和47年4月以降さらに活況を呈し、空前の特撮ヒーロー乱立時代が到来する。 (終わり)


★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』は昭和46(1971)年4月からの放送である。で、翌昭和47年に始まった特撮ヒーロー番組というと、

『アイアンキング』 『レインボーマン』 
『ウルトラマンA』 『快傑ライオン丸』 

『人造人間キカイダー』 『超人バロム1』
『トリプルファイター』 『変身忍者嵐』 
『レッドマン』など。

『科学忍者隊ガッチャマン』や『デビルマン』などもアニメながら少年の筆者には面白かったので、テレビを消している時間がまったく無いのであった。(大げさ!)おじさんになっても、これら主題歌の1番なら全部歌える自信は95パーセントある!子供の時に身についたものは、勉強もアニソンもなかなか忘れないのだ!

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