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ウルトラの星、光る時⦅2⦆ ~形態学的怪獣論38 [怪獣論・怪獣学E]

これに対して、ブラックキングの重量感溢れる姿こそは、この怪獣に与えられた役割、つまり「悪役」を一瞥で理解させる。まさしく「形態」の持つ威力。全身にみなぎる力強さは、太い筆で一気に書き下ろしたかのごとき豪快で単純な「構造」から来る。

顔面の大きさといい、手足の造りといい、レッドキングの系譜を継ぐ蛇腹の形態といい、すべてが大づかみで小細工が無い。粗雑ではなく、大胆。そのくせ細部の仕上げはぬかりがない。黒を基調にして黄金をあしらった配色も意を尽くしている。

頭頂部にいただく一本ヅノは、単なる湾曲ではなく、根元からグイと折れ曲がっている。一角獣に属しながら、その迫力は別格だ。顔面の造作も、赤い瞳を持つ大きな眼球を含め、正統的な美貌と同時に、邪王の風格を併せ持つ、みごとな容貌となっている。

後方に突出した耳の部分の処理の仕方などは、昭和版メカゴジラのヒントになったのでは、と思わせるものがある。全ウルトラ怪獣中で、最強を争うにふさわしい傑作のひとつである。

シリーズのターニング・ポイントともなるべき最大の話題作に、最も似つかわしい最凶の敵役を得たことは、何にも増して幸運だった。空前の盛りあがりを見せた前後編の2作は、期待通りの高い視聴率をあげ、ラストの1クールに向けて大きな起爆剤となった。

代償として失われたもの(坂田兄妹)も大きかったが、天涯孤独となった次郎少年に、姉代わりとなる隣人・村野ルミ子嬢を配し、聖歌で締めくくるという「救い」を提示したことこそ、『新マン』の真骨頂といえるのではないだろうか。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』の年代設定は、劇中では特に明示されていない。「近未来」や「無国籍」を演出していた前2作品(初代マンとセブン)と比べると生活感のある場所での映像が多く、放映年代と同じ1970年代初頭の日本が意識されている。

前2作が海外販売も視野に入れた制作であったことに対し、『新マン』は純粋に日本国内向けに制作されているためである。劇中で、現実の日本と重ねた演出も散見され、国外の描写はほとんどない。



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タグ:怪獣
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