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仮面ライダー(16) ~帰ってきた不死身の男、佐々木剛1 [一文字ライダー・その2]

【仮面ライダー2号・一文字隼人を演じた男、佐々木剛氏が自分の人生を振り返って語る!】

ふたたび、変身!平成9年9月、九州でのことである。おれは観客の前に立っていた。両手をスッと身体の右横へ水平に持っていき、そのままゆっくりと頭上へとかざす。そしてグッと力をこめて左肩の横へと引きつける。仮面ライダー2号の変身ポーズである。

『ショッカーの敵、そして人類の味方。お見せしよう。仮面ライダー!変身、トォーッ!』一文字隼人は腰に巻いたタイフーンを回転させ、空中高く飛び上がると仮面ライダーに変身して、カッコよく怪人や戦闘員をやっつけるのだが、佐々木剛は、佐々木剛。変身などしない。

だがこの身体に馴染んだ変身ポーズを取りながら、おれは自分の内側から湧き上がってくる、言葉では語り尽せない、熱い気持ちでいっぱいになっていた。会場では、鳴りやまぬ拍手が、おれを暖かく包み込んでくれていた。みんながおれの方を見て、笑顔を送ってくれている。

佐々木剛を、いや仮面ライダー2号、一文字隼人に対して、拍手してくれているのだ。たくさんの拍手のおかげで、おれは一文字隼人に、そして佐々木剛に、ふたたび戻れたような気がしていた。今一度、俳優佐々木剛として、ヒーロー一文字隼人としての力がよみがえった様だった。

こんなにたくさんおれのことを思ってくれるファンがいるのだということを、はじめて認識したのである。それまでも、ファンのことを考えていないわけでは無かったが、役者として、自分のことだけを考えているような所があったことは事実だった。

だがこの瞬間を境にして、強くファンのことを意識するようになったのである。こんなにも思ってくれているファンのために、おれは役者として、自分にできることで何かを演ってみせなくてはならないような気がしてきたのだ。おれは佐々木剛の名前を取り戻し、ふたたび一文字隼人として、生きていこうと思ったのである。

ファンの気持ちが、一文字隼人の心のタイフーンを回してくれたのだ。役者として原点に立ち返って、「もう一度、役者として頑張ってみよう」と思わせてくれたのである。いったんは役者を辞め、また復帰してから6年程の期間が経っていた。

おれにはファンなどいてくれるはずもないと、ずっと思っていた。だから、みんながこんなに応援してくれるのなら、そう思ってくれる人達のために、役者として頑張らなくてはならない。強くそう思った。

この九州のイベントには、藤岡弘君もファンに呼ばれてやって来ていた。ダブルライダーの再会だ。その模様は、KBC九州朝日放送の深夜バラエティ番組内で2回に分けて放送された。この時のおれは、日光江戸村に所属しており、江戸村の役者・佐々木剛として休暇を使い、江戸村のPRをしに九州へやって来たのだ。

その頃までのおれは、芝居ができればそれだけで幸せだった。芝居を見に来て下さるお客様の数は、少しも気にかからなかった。舞台の上で芝居ができるだけで、嬉しかった。ある意味で、一文字隼人という生き方をすっかり忘れてしまっていたといっても、過言ではなかった。

だから、たくさんの拍手をもらい、ファンのみんなと関わった瞬間、いっぺんに意識が変わってしまったのである。怪我をしてしまった藤岡君の代わりに、もし仮面ライダーを演じていなかったら、きっと今の自分は無いのだろう。

だから、今の佐々木剛を復活させようと懸命に動いてくれる人達は、誰もいなかったのではないかとさえ思う。こうしてファンの前に立ってみてはじめて、とてつもない番組をやらせてもらったんだなと、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。 (つづく)

★★★★★★★★★★★★
ご存じのとおり、佐々木氏は大やけどを負って俳優生活ができなくなるという苦難を味わっている。しばらくして、俳優仲間に助けられながら舞台で活動するようになり、仮面ライダー生誕記念特番があれば、断わらずに必ず顔を出すという。佐々木氏にとって仮面ライダーは、切っても切れない間柄なのである。苦難を乗り越えての今、ファンの有難さを一層実感しているのではないだろうか。

ファンのため、芝居仲間のために、そんな佐々木氏が3年程前に開業した居酒屋「バッタもん」(東京都板橋区大山東町)。訪れるファンのために自ら酒肴を調理、接客にあたっているとのこと。お近くの方、お時間のある方は、是非お店の“のれん”をくぐってみてはいかがだろうか。
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仮面ライダー(17) ~帰ってきた不死身の男、佐々木剛2 [一文字ライダー・その2]

(前回から続き)
九州のイベントから帰った後、それまでは江戸村でも、簡単に変身ポーズを見せてあげられていたのが、ファンを意識しプライドが甦って、もう一度役者として生きてみようと思った瞬間から、誰彼かまわず変身ポーズをしてあげられなくなってしまった。

だが本当に見たいと思っている人の前では、いつでも喜んで変身できる。本当に変身を見たいという気持ちは、ちゃんと伝わってくる。おれは変身できるのだし、誰かがおれを心から必要としてくれているのなら、いつでもそれを見せてあげようと思うのだ。

もう大人になった仮面ライダーファンが、子供のような視線で、おれに会えたということだけで素直に感動してくれるのである。そこで、握手してください、変身ポーズをみせてくださいと言われて、どうして断ることができよう。

おれはこんなにも多くのファンによって支えられていたのだということを、思い知らされた。これが他の番組で違う役だったら、「ああ、昔あんな役をやってましたね」くらいのことで済んでしまうだろう。

たくさんのファンからパワーをもらって、壊れかかっていた改造人間は、また力を復活させたのだ。たくさんの熱意が、一文字隼人としてだけでなく、佐々木剛という役者をも、眠りから目覚めさせてくれたのである。

遠い夏の日のことを思い出す。みんな汗だくになって、マイクロバスに揺られ、朝から撮影に出かけた。ワンカットワンカット、撮影は順調に進んでいく。照りつける太陽の下、みんな着ぐるみを着ているので、たくさんの汗をかく。

1本の撮影が終わるまでに、何キロもやせることはザラであった。おれは変身してしまえば、あとは剣友会に任せておけばよかったが、実際にアクションをやっている仲間たちは、本当に大変だったろう。

ある出来事があって、いっとき役者を辞め、そこから再起した。役者として青春スターとして一度は絶頂を味わい、そこから真っ逆さまに転落するという人生の落差を経験し、その間十数年というもの、役者として人間として、心の葛藤にずっと揺れ動いていた。

その間『仮面ライダー』のことで、俺に接触してくるものは誰もいなかった。役者をやっていなかった時期もあったので、昔演じた役のことで、根ほり葉ほり訊かれるのはイヤだったから、意識的にそれを避けていた所も少なからずあった。

このことは、少なからず子供番組のヒーローを演じた役者みんなに、ついてまわることではないだろうか。子供のヒーローを演じてしまった役者は、いつかそのイメージを拭い去ろうと、苦悩する。そしてきっと、そのことについてイヤになってしまう瞬間がやってくる。

人づてに聞いた話だが、『ウルトラセブン』のモロボシダンを演じられた森次晃嗣さんにも、そのような時期があったと聞くし、親友・藤岡弘、君にも仮面ライダー本郷猛のことについて、触れてほしくない時期があったのだという。

だが今の彼らをご覧いただくといい。笑顔で胸を張り、ヒーローを演じたことを口にしている。おれもいっときは、仮面ライダーをやっていることに触れられることがイヤだった。だがなぜ、俺も胸を張って答えられるように変わっていったのだろう。

それは、放送当時ファンだった子供たちが、すっかり大人になってからも俺の前に現れて、『仮面ライダー』のことを笑顔で語ってくれるからだと思う。「ぼくはあなたの作品を観て、今の仕事に就いたんです」その言葉は、俺たちの胸に深く響いてくる。

大人の番組を観ていて、そんなことを考える者は滅多にいないだろうが、子供番組というものは純粋な子供が観ているから、ずいぶん影響してしまうものらしい。

このところ俺は、新聞やテレビで子供達の荒廃ぶりを見聞きするたびに、人類の退化を感じてならない。確かに科学力や物質文明の進歩においては、それは素晴らしい発展を見せてくれている。しかしその進化の中に、俺たちは満ち足りた心を見つけることができたであろうか。

おれたちは表面的な繁栄に酔いしれている間に、人間として最も大切にしなくてはならない心を、どこかに置き忘れてきたのではないだろうか。その結果が子供達を蝕み(むしばみ)、善悪の判断もつかない寂しい人間を創り上げてしまったようにも思われるのだ。 (つづく)

★★★★★★★★★★★★
佐々木氏が最後に話していたことは、みんなが思っているに違いないことだと筆者も思う。筆者が子供の頃は、遊び相手といえば、様々な年齢の子供達がいた。年上、年下、同年齢と、すべてそろっていた。そこでケンカしたり遊んだり、物の貸し借りなんかもした。それらを繰り返していく中で、人との付き合い方を学んでいったと思う。テレビゲームが相手では、その辺の手加減、具合をどこまで学べるのか、分らない。

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仮面ライダー(18) ~帰ってきた不死身の男、佐々木剛3 [一文字ライダー・その2]

(前回から続き)
原因がなければ、結果は生まれない。殺人兵器である軍備を拡大しようとする国家の中で、“暴力はいけない“と声を大にして叫んだところで、子供達をちゃんと納得させることはできないだろうと思う。子供は大人を見て育つからだ。

どんなに崇高な言動も、言っているだけなら簡単である。行為なくして、何になろう。人は言葉ではなく、その人柄や行いに付いていくものなのである。

結果を捉える前に、まず原因である俺たちが考えなければならない。そして第一に考えなくてはならないこと、それはどこかへ忘れて来てしまった愛を取り戻すことである。作品に影響を受けた子供たちは、ずっとそのことを忘れることが無い。

自分達が思っている以上に、子供に影響を与えているのである。そんなことを考えると、子供番組こそ真面目に取り組まなくてはいけないと思えてくる。

もしあのとき、俺の番組を観ていたらと思うと、いい加減なことをしていられなくなる。その少年少女たちも、今や家族を持ち子供をこしらえ、DVDやブルーレイといった媒体を通して、自分の子供にも『仮面ライダー』を見せたりしているのだ。

だから「親子で楽しめる仮面ライダーを、もう一度演じられたらな」とも思ったりする。変身ブーム時のそれは、本当にすごかった。変身ポーズを最初に始めたのは俺だし、新聞や雑誌で「変身」という言葉が頻繁に使われたことも、事実だ。

テレビの番組というのは、映画と違って、一般的には作品が消えていくメディアと言われる。再放送があるといっても、それは限られた数でしかない。

特撮マニアに限らず、一般のファンたちは、作品をコレクションしようとテレビの再放送をチェックしたり、DVDやブルーレイを買い求めたりする。そんな中にあっても『仮面ライダー』や『ウルトラマン』は、彼等にとって特別の作品であるらしい。

例えば不朽の名作と称される映画は、その作品に触れた者の中に特別な思いを芽生えさせ、結果、映画やその関連の仕事に就きたいと思う人間を、多数生み出したのだ。

作品の質という部分では、映画のそれと趣をずいぶん異にするが、影響力という部分で考えれば、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』も、これらの作品と同じレベルを持っていたはずだ。

スピルバーグが黒澤映画の撮影を見学しにスタジオを訪れたとき、その頃黒澤監督の相談相手をしていた『ゴジラ』の本編監督である本多猪四郎監督のもとへ行き、最敬礼したという話は有名である。国籍も世代も関係なく、子供時代の夢見る純真な心には、作品の衝撃は強く伝わるのだ。

昭和48年の『仮面ライダー』も、ヘビーローテーションで再放送されることによって、世代を越え、人々の記憶にずっと生き続けている。

テレビのモニターの中では、20数年前に俺が生き生きと活動している。その俺も、間違いなく俺であって、別の誰かではないのである。それは番組で創造された個性(パーソナリティー)だとはいえ、本当の自分のように『仮面ライダー』という作品の中で主張しながら、楽しそうに動き回っている。

これが、あまり再放送されない番組だったら、「まぼろしの〇〇」といった感じでしか評価してもらえないとすると、やはりスゴイことなのだと、思わずにはいられない。 (終わり)


★★★★★★★★★★★★
「ヒーロー番組は教育番組だ」とは、ライダーV3を演じた宮内 洋氏がよく口にする言葉だが、まさに2号ライダーを演じた佐々木氏も同様の事を思っているということだ。子供達への影響力が大きいから、自分達が画面の中で演じる一挙一動が、子供達へのお手本となるようでないといけないと述べている訳である。

子供は、人間としての経験が少ないから、危険かそうでないかの判断ができない場合が多い。だからマネをして大怪我をすることもある。人は経験を積んで学習し、成長していく。『仮面ライダー』も、見る側の子供達と同様に、回を重ねるうちにだんだんと経験が生きて、良いものが出来上がっていったのではないだろうか。

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