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仮面ライダー(18) ~帰ってきた不死身の男、佐々木剛3 [一文字ライダー・その2]

(前回から続き)
原因がなければ、結果は生まれない。殺人兵器である軍備を拡大しようとする国家の中で、“暴力はいけない“と声を大にして叫んだところで、子供達をちゃんと納得させることはできないだろうと思う。子供は大人を見て育つからだ。

どんなに崇高な言動も、言っているだけなら簡単である。行為なくして、何になろう。人は言葉ではなく、その人柄や行いに付いていくものなのである。

結果を捉える前に、まず原因である俺たちが考えなければならない。そして第一に考えなくてはならないこと、それはどこかへ忘れて来てしまった愛を取り戻すことである。作品に影響を受けた子供たちは、ずっとそのことを忘れることが無い。

自分達が思っている以上に、子供に影響を与えているのである。そんなことを考えると、子供番組こそ真面目に取り組まなくてはいけないと思えてくる。

もしあのとき、俺の番組を観ていたらと思うと、いい加減なことをしていられなくなる。その少年少女たちも、今や家族を持ち子供をこしらえ、DVDやブルーレイといった媒体を通して、自分の子供にも『仮面ライダー』を見せたりしているのだ。

だから「親子で楽しめる仮面ライダーを、もう一度演じられたらな」とも思ったりする。変身ブーム時のそれは、本当にすごかった。変身ポーズを最初に始めたのは俺だし、新聞や雑誌で「変身」という言葉が頻繁に使われたことも、事実だ。

テレビの番組というのは、映画と違って、一般的には作品が消えていくメディアと言われる。再放送があるといっても、それは限られた数でしかない。

特撮マニアに限らず、一般のファンたちは、作品をコレクションしようとテレビの再放送をチェックしたり、DVDやブルーレイを買い求めたりする。そんな中にあっても『仮面ライダー』や『ウルトラマン』は、彼等にとって特別の作品であるらしい。

例えば不朽の名作と称される映画は、その作品に触れた者の中に特別な思いを芽生えさせ、結果、映画やその関連の仕事に就きたいと思う人間を、多数生み出したのだ。

作品の質という部分では、映画のそれと趣をずいぶん異にするが、影響力という部分で考えれば、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』も、これらの作品と同じレベルを持っていたはずだ。

スピルバーグが黒澤映画の撮影を見学しにスタジオを訪れたとき、その頃黒澤監督の相談相手をしていた『ゴジラ』の本編監督である本多猪四郎監督のもとへ行き、最敬礼したという話は有名である。国籍も世代も関係なく、子供時代の夢見る純真な心には、作品の衝撃は強く伝わるのだ。

昭和48年の『仮面ライダー』も、ヘビーローテーションで再放送されることによって、世代を越え、人々の記憶にずっと生き続けている。

テレビのモニターの中では、20数年前に俺が生き生きと活動している。その俺も、間違いなく俺であって、別の誰かではないのである。それは番組で創造された個性(パーソナリティー)だとはいえ、本当の自分のように『仮面ライダー』という作品の中で主張しながら、楽しそうに動き回っている。

これが、あまり再放送されない番組だったら、「まぼろしの〇〇」といった感じでしか評価してもらえないとすると、やはりスゴイことなのだと、思わずにはいられない。 (終わり)


★★★★★★★★★★★★
「ヒーロー番組は教育番組だ」とは、ライダーV3を演じた宮内 洋氏がよく口にする言葉だが、まさに2号ライダーを演じた佐々木氏も同様の事を思っているということだ。子供達への影響力が大きいから、自分達が画面の中で演じる一挙一動が、子供達へのお手本となるようでないといけないと述べている訳である。

子供は、人間としての経験が少ないから、危険かそうでないかの判断ができない場合が多い。だからマネをして大怪我をすることもある。人は経験を積んで学習し、成長していく。『仮面ライダー』も、見る側の子供達と同様に、回を重ねるうちにだんだんと経験が生きて、良いものが出来上がっていったのではないだろうか。



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