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古代の遺跡と古代宇宙飛行士説・6 [UFOと宇宙人1]

南太平洋に浮かぶ、今も人が住む絶海の孤島イースター島。ここには、モアイと呼ばれる何百体もの石像が、島の沿岸を見守っている。この像は、何千年も昔に訪れた宇宙人をかたどったモノなのだろうか。
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この石像は何千年の後の世にまで残るように建てられたもので、使われた石も何トンにもなる巨大なものである。これほどの巨大な石で人々が構造物を造ったこと自体驚きであるが、当時このようなことが世界中で行われていたのである。
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それなのに、原始時代の人間がこれを造った理由など、特にないと言われているのである。何の意味も無く、世界各地で巨大石像が造られることなど、あるのだろうか。

古代の文明が持っていた知識や文明を知るにあたり、その文明が文字を持っていたかは重要である。「これはこのようにして作った」という記述が残っていれば、非常に有効な証拠となるからである。

エジプトには文書や絵画が数多く残されているので、当時の技術を知ることができるのである。しかし、イースター島にはそのような文書は残っていない。つまり、それほど高度な文明では無かったとも考えられるのである。

何千キロも海を隔てたボリビア共和国には、驚くほどイースター島の石像と似通った石の彫刻が存在する。ここ、ティアワナコ遺跡は、あまりにも古すぎて、現代の年代測定法が通用しない。1万七千年以上昔の、恐らくは世界最古の都市遺跡だろうという説もある。
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ここにある彫刻はイースター島のものとよく似た様式で掘られ、また奇妙な表現が施されていると指摘する考古学者がいる。
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ティアワナコ遺跡には、今までに発見されている古代の文明と同じ様式を持つモノがたくさんみつかっているのである。紋様や彫刻に共通点があることから、このティアワナコ遺跡が起源ではないかとも思われるのである。

ティアワナコ遺跡からほんの数百メートル離れた所に、謎が多く残された遺跡が横たわっている。その遺跡、「プマプンク」の石の廃墟に興味を示す者などほとんどいないが、この遺跡は古代宇宙飛行士説を信じる者達を刺激し、想像を書き立てる遺跡なのだ。

ジョルジョ・ツォカロス氏が語る。
『古代宇宙飛行士説というパズルを解くピースの中でも、とりわけ重要なものがボリビアの高原に残されたプマプンクの遺跡ではないかと思います。ギザの大ピラミッドは驚異の建造物として称えられますが、プマプンクの建築技術に比べれば、足元にも及びません。ただし、それを証明する論理的根拠がないのです。プマプンク遺跡は、まるで凄まじい力で粉々に破壊されたかのように、巨石建造物の残骸が一帯に散乱しているだけです。これまでに数多くの遺跡を見てきましたが、プマプンクは飛びぬけて不可思議な遺跡です。

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当時の人間が、これを成し得たとは到底思えません。これが何の為に、どのように造られたのかという疑問も、残されたままです。考古学では、先住民アイマラ族の人々によって、この遺跡が造られたとしています。プマプンク遺跡のような建造物を建てるには、文字を書く技術や設計技術が必要になります。どのブロックをどこにはめ込めば、最終的に目指す形になるかを考えなければなりません。しかし、これは考古学者が皆認めることですが、当時のアイマラの文書は存在しないのです。設計図も無しに、どうやって建てることができたのでしょう?』

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プマプンクの石は非常に精密に切り出されていて、ブロック同士が完全に組み合わさるように入念に計算されているのである。しかし、この遺跡の近辺に採石場はない。
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一体どのようにして、建材となる巨石を運んでいたのであろうか。しかもここは海抜4千メートルの高地で、コロに使用する堅いクスのような大木は生えていないのである。

デビット・チルドレス氏は語る。
『プマプンクやティアワナコの遺跡の何がすごいのか、なぜ古代宇宙飛行士説でこれほどまでに注目されるのかというと、使用された石があまりにも巨大で、非常に高度な石の加工技術が使われていたからです。これは石の加工を機械で行っていた、つまりこの文明が、機械を持っていた証拠だと言えるのです』

エイリッヒ・デニケン氏が語る。
『非常に大きい石の土台があって、その表面は見事に磨き上げられています。こういった巨石の中には、石器時代のノミでは絶対に加工ができない、数ミリ幅の溝が掘られた物もあります。ですから、石器時代の加工技術だけでなく、何か別の技術も使われていたはずです。石に刻まれた溝は、端から端まで一直線に引かれ、深さも完全に均一なのです』

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ジョルジョ・ツォカロスは語る。
『プマプンクにある物すべてが、あまりにも正確で完璧に造られているのを見ると、熟練の職人だけがそこで作業をすることを許されたのかと思うほどです。どうしてこんなことができたのかと、不思議でなりません。一番興味をひかれるのは、使用された石が砂岩ではなく花崗岩や閃緑岩だったことです。閃緑岩より硬い石は、ダイヤモンドしかありません。となると、ダイヤモンドを装着した機械が無ければ、こういった加工は出来なかったはずです。アメリカの教授たちがコンピュータと測定器を持ち込んで調査をしましたが、現代の建築技術でプマプンクを再現することは、絶対に不可能だと言ったそうです』

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これらの脅威の建造物の建築方法をたとえ解明できたとしても、それはパズルの断片を見つけたにすぎない。このような建造物が建てられた理由や、どのように使用されたのかといった疑問が、次々と湧き出てくるからである。(つづく)


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石で造られた建造物は、腐食することが無い。コンクリートでも50年経過すれば劣化するという。石は劣化しないので、古代人は何千年も残る建造物を造るために、石を組み上げて造ったのだという。しかし、石を加工することは難しい。まして、石同士を組み上げるのに隙間を造らず加工することは大変難しく、当時の人間の持つ技術でできたかという点は大いに疑問である。

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古代の遺跡と古代宇宙飛行士説・7 [UFOと宇宙人1]

エジプトのデンデラにあるハトホル神殿のレリーフには、現代の我々が使用する装置と不気味なほどよく似たモノが彫られている。ここには秘密にされ続けた地下室があって、ここに入ることが許されたのは、高い位を持つ神官だけであった。
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熱がこもった地下室は狭く、天井も低くなっている。その壁には、古代の電球と思われるレリーフが彫られているのだ。これが電球でないとすれば、古代エジプト人はどうやって個室内部の灯りを取っていたのであろうか。

ほとんどの考古学者は、暗闇となる個室や神殿内部を照らすために松明(たいまつ)が使われていたとしている。しかし、天井のどこを見ても、ススや煙のあとは少しも残ってはいない。松明が使用されなかったならば、どのような照明器具が使われたのであろうか。

別の説として、銅の鏡で光を外部から取り込む方法が挙がったが、再現実験は失敗だったと言われている。銅の鏡では反射が弱すぎて、2回か3回反射させただけで、太陽光は消えてしまったというのだ。

さらには、このような個室の内部に松明を赤々と燃やすのに必要な酸素が、十分には無いのである。ジョルジョ・ツォカロス氏がギザのピラミッドの中にある王の個室に入った時に、誰かが電気を消してしまい真っ暗になってしまった。

そこでツォカロス氏はライターを取り出して火を点けようとしたが、点火できなかったという。このことから、神殿内部でも松明が灯せたとは思えないため、残る解決策は人工の照明だけとなるのだ。

それはつまり、電球である。このことから、デンデラの神殿の地下室に描かれているのは、電球をかたどったレリーフということになる。

エジプトの考古学者は、このレリーフが何なのか説明をつけなくてはならない。電気機器であるはずがないと考えた学者たちは、それをハスの花だとした。花の先に見える丸い球のようなものは、ハスの香りを表現したものだと説明した。
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だが、花にしてはおかしな描き様である。説明がスッキリしているのは、古代エジプトにも電球があったとする説なのである。

しかし、古代のエジプト人が通路を照らすために電球を使用したのなら、なぜでデンデラにだけその証拠が残されているのだろうか。

古代エジプトの町は地域ごとに専門分野が別れていて、ハトホル神殿があるデンデラは、光を発生する装置に関する知識が受け継がれた地域だったようなのである。

このような知識は位の高い神官にだけ受け継がれたようで、特殊な知識はたった一人に授け、流出を避けようとしたのである。

電気を持たない古代エジプト人は、現代の電球と似た装置をどうやって使っていたのであろう。電気の発見までには長い年月を待たなければならないはずだが、例外があった。学会で「バグダッドの電池」と呼ばれる遺物である。
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学者たちは古代に電気や電球が使われた事を認めていないので、何個も発見されたこの遺物をみて、宝石に電気メッキを施すための装置だとする仮説を、一つ立てただけであった。

【実演】
①イラク南部で出土した本物の粘度のツボ。
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②薄い銅板を筒状に丸めたモノに、アスファルトのすべり止めがついた鉄の棒を組み合せたモノを用意する。
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③①のツボに弱い酸性の液体(例えば、酢やオレンジジュースなど)を入れる。
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④③に②を差し込んで、反応が起こるまでしばらく待つ。
⑤端子を2か所に接続した電圧計をセットすると、電圧計の数字は上がっていく。

「バグダッドの電池」は宇宙人の知識が文明に光明を灯した証拠だという意見がある一方で、金属メッキ加工をするための装置だと考えている人達は、金属メッキには化学反応が利用されるので反応が起こるのは当たり前であって化学反応を電気だと言っているにすぎないというのだ。

何らかの機械を動かすために電気が使われていたというのなら、その機械の存在をハッキリさせる必要があると、反論するのである。

「ピラミッドのような謎の建造物」、神殿に描かれた「古代の電球」と思われるレリーフ、「バグダッドの電池」。高度な技術が古代に存在した証が、この地球には残っている。もし宇宙人が訪れた痕跡が地球にあるのなら、他の場所にもあるのではないだろうか。

メキシコにあるテオティワカンの都市遺跡には、地球の近くにある星について驚くほど正確に理解していたと思われる証がある。
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ここに建てられたピラミッドの数と配置が、太陽系の惑星の軌道と全く同じであることから、この遺跡は太陽系惑星の位置関係を正確に縮小したものだと言われている。
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巨大な「太陽のピラミッド」と呼ばれるピラミッドがこの遺跡群の中央に建てられていることは、注目すべきことである。太陽が中央に位置し、その周りを惑星が公転していることを表しているのであろうか。

太陽系の中心に太陽があるという事実は、当時すでに知られていていたのだ。しかし、西洋科学がそれを知り得たのは、それからずっと後のことであった。

テオティワカンを設計した者たちは、なぜ惑星が太陽を中心に回ることを、これほど古い時代に知ることができたのであろうか。その発見には、何世紀もかかる科学の進歩と探査が必要だったはずである。

古代宇宙飛行士説がまやかしだと言う人達は、ピラミッドが太陽系の惑星と同じ配置に並べられているのは、ただの偶然だと言うであろう。しかし、地球の裏側にはストーンヘンジ(イギリス)がある。
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ちなみにこちらは、テオティワカン遺跡よりもずっと古い時代に造られていたものである。空からストーンヘンジを見ればすぐに判るのであるが、ここの石はすべて同心円状に並べられている。
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そして、同心円のそれぞれの円は、太陽系の惑星の公転軌道と完全に一致していることが判明しているのだ。地球上の二つの場所に、同じモノが存在しているのである。

ストーンヘンジが、何らかの天文学カレンダーであると説く考古学者たちが近年になって現れた。日食などの天文現象を、予測するために使用されたという。

しかし、それが事実であるなら、不毛なイギリスの大地に巨大な石を並べた人物は、太陽の動きに関する専門知識を持っていたことになるのだ。(つづく)


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「バグダットの電池」が古代に電気があったことを示す証拠なら、便利な電気を使って町中を明るく照らしていた証拠がどこかに残っていてもよさそうだという意見には納得がいく。その一方で、デンデラという町が、貴重な電気技術を流出させないようにしていたというツォカロス氏の意見は、古代に電気の存在証拠が見当たらない理由と見なすことができる。果たして、古代人は電気を知っていたのか、それとも・・・

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古代の遺跡と古代宇宙飛行士説・終 [UFOと宇宙人1]

メキシコのテオティワカン遺跡に配置されたピラミッドの数と配置が、太陽系惑星の軌道と全く同じであるという事実を述べたが、地球上には他にも、ある物と配置が全く同じという遺跡が存在する。

中米グアテマラのうっそうとした熱帯雨林の中には、60メートル以上の高さでそびえたつ石の神殿、ティカルの遺跡がある。ここはペテン低地にあったマヤ文明の政治・経済の中心都市として、紀元4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄を極めていた。
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ティカルは世界有数の大規模な発掘遺跡のひとつで、何千もの構造物がジャングルの下に埋まっている。ここに残る石のピラミッドは、マヤ暦づくりに欠かせないものだったという説が、多数の学者の一致した見解である。
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古代宇宙飛行士説で注目するのは、ティカルのピラミッドの配置が、おうし座のプレアデス星団付近の星の配置と一致しているという点だ。俯瞰図をみれば、この遺跡群が星座をほぼ完全に写し取っていることがわかる。これと同じ配置を持つモノが、ティカルから遠く離れた場所で見つかった。
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その場所とは、宇宙の彼方、火星である。近年になって、ティカルのピラミッドの配置と同じ形の隆起が、火星の表面に発見された。遠く離れた三つの場所で、同じパターンを観ることが出来る。これは、単なる偶然の一致であろうか。
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ティカルに残された伝説や神話には、かつて神が私達の祖先と一緒に暮らしていたことや、神と人間との間に交流があったことが語られているのである。

ですから、ティカルの遺跡が建てられた理由は、はるか遠い昔に異星人がこの地を訪れたというメッセージを、後世に伝えるためであったと考えられるのである。

惑星学教授のサラ・シーガー女史は語る。
『古代の人々が天文現象を観測しただけでなく、数学を用いた理論を組み立てて、将来に何が起こるかを予測できた可能性は、十分にあるでしょう。古代人の知能を、みくびってはいけません。古代では、空を見ずにはいられなかったのではないでしょうか。電気の無い世界はとても暗く、星は明るく見えたことでしょう。方角や種まきの時期を知るため、他にも様々なことを知るために、空を見ていたようです。古代人にとって星は、GPSシステムやナビゲーションシステム、コンピュータに替わるものだったのでしょう』

ジョルジョ・ツォカロス氏は語る。
『古代の人々は、現代人と同じ位賢かったのです。遠い昔に異星人が地球を訪れたことは、私にとっては仮説ではなく、確信となっています。なぜなら、世界中に存在する異なる古代文明の遺跡から数限りなくその証拠が発見され、数限りない神話と伝説にそれが書き綴られているからです。すべての断片をつなぎ合わせれば、導き出される結論はただ一つ、宇宙人は地球に来ていたということです』

そもそも古代の人々は、なぜ空と星にそれほどの興味を持ったのであろうか。何かが起こるのを待っていたのだろうか。若しくは、何者かが戻ってくるのを、待っていたのであろうか。

【総括】
デニケン氏が発表した「古代宇宙飛行士説」について、これまで学術的理論として検証されたことは一度もない。しかし、この理論の優れたところは、私達に様々なことを気付かせてくれるという点である。

考古学が古代宇宙飛行士説に拒否反応を示す理由のひとつは、この説が足元をすくいかねないからだ。考古学は、今まで示してきた数々の謎について、すべてに答えを持っているわけではないからである。
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その一方で、地球外生命体の存在を信じていても、宇宙船や確かな物証が無いことには、信じられないことも事実である。

では、すべてが荒唐無稽な話なのであろうか。古代の宇宙人が何世紀も前に訪れたことも、記念碑を建てたことも、聖書に記されたことも。しかし、これらが事実であったとしたら・・・。

もしデニケン氏の説を裏付けるたった一つの証拠が発見されたとしたら、何がおこるのであろうか。未来の展望が変わることも考えられる。過去に宇宙人が地球を訪問していたのなら、再び戻ってくるかもしれない。
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古代宇宙飛行士説が間違いであると判明したなら、反論などせずにあっさりと降参すると発言しているのはジョルジョ・ツォカロス氏。しかし、これまでにこの説の証拠となる事実に対し、反証されたことは一度も無いと胸を張る。

古代宇宙飛行士説が証明されるのなら、地球外生命体が存在する星を探す人達にとってはたいへんな朗報となるであろうと発言するのは、惑星学者のサラ・シーガー女史。
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遠い昔に異星人が地球を訪問していたのなら、彼らが地球の近くに存在することを意味することになる。遠くではなく、地球の近くを探索すればよいことになるからだ。

この説をきっかけに、さらに多くの観点と疑問を持って地球外生命体について見直されることになると思う。宗教史の解明も進むことになるだろうと語るのは、作家のバリー・ドーニング氏。
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いずれ人間は宇宙人と接触を持ち、考えを180度改めることになるはずだ。そして、宇宙人は必ず帰ってくると語っているのは、エイリッヒ・フォン・デニケン氏である。
(終わり)


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
アメリカが持っている数々のUFO事件の真実が明らかになるとき、それはデニケン氏の仮説が真説に替わる時である。レーガン元大統領が公表するというウワサもあったが、未だに真実は闇の中である。MIB(黒服の男達)の存在もウワサされるUFO事件の真実は、新大統領のトランプ氏があっさり白状するかもしれない。大いに期待しよう。

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