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50人のウルトラマン(6) [ウルトラマンこぼれ話1]

飯島敏宏(監督・脚本家)~侵略者を撃て / バルタン星人を語る~

なお圧倒的な人気を集めているのが、ウルトラマンシリーズの怪獣たち。ストーリー展開から怪獣や宇宙人のプランを考え映像化していったのが、当時若手で頑張っていた監督や脚本家たちだ。中でも特に人気があるのが、宇宙忍者バルタン星人。

脚本家・千束北男は、バルタン星人の回を監督した飯島敏宏氏のペンネームである。この当時大田区北千束に住んでいたことから、北千束の夫→千束北夫の意味合いで付けたが、台本の印刷時に金城哲夫のミスで北男になったことが由来とされる。


★★★★★★★★★★★★
(インタビュー)
飯島監督;
「地球人以外の別な生命体っていうものも、一つのジャンルだなという気がしていたんですね。だから四つんばい怪獣が主流できたシリーズ(ウルトラQ)が終わったあとね、宇宙人っていう考え方があって。これなら僕がやろうと思ってましたね。

ウルトラマンとバルタン星人の空中戦はね、バルタン星人を吊っておいてキャメラも一緒に回ってるわけ。だからよく見ると、バルタン星人と一緒にホリゾント(背景用の布製の幕、この場合は夜空)も一緒に回っているんですけど、音と編集でね、編集さんがそれを見事につないでくれて、空中戦が成り立ってましたね」


ウルトラQの記念すべき第一話「ゴメスを倒せ!」の回の脚本を、千束北男のペンネームで書いている。監督は円谷一氏。ウルトラQに初めて出てきた怪獣は、ゴメスとリトラ。

飯島監督;
「ゴメスだけじゃぁというんでね、その天敵を考えなきゃいかんなぁというんで。別なモノをだしたんですけどね。それは出しちゃ困ると言われた、鳥ですよね。鳥はうまくいかないから避けた方がいいんですよ、ということが当時あったみたいだけどね。ところが大きいものを小さいものが倒すという、ボクの中にゾウとアリの戦いみたいなイメージがあったもんだから、そうすると鳥がいいかなと。


★★★★★★★★★★★★
筆者は2009年3月13日に東京で行われた「ウルトラセブンの音楽を創った男・冬木透」のコンサートを見に行ったのだが、その時座った2階席のすぐ隣の座席が、満田監督と飯島監督の休憩席だったのである。

ゲスト出演者だった両監督は我々の隣の座席に、同じくダンとアンヌは向かい側の2階席に、第一部の出番が終わった後、休憩にきたわけである。弟と一緒にステージを見ていたら、第一部が終了して場内の灯りが付き、しばらくすると隣の空いたままの席にお二人が座りに来たのである。「ええっ~!」

弟は満田監督に声をかけ握手をして頂いたが、飯島監督は誰かに呼ばれて、座る間もなく居なくなられてしまった。筆者は何もできずポ~としていたのみであった(-_-;)。大御所のお二人を目の前で拝見できて、今はいい思い出である。
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50人のウルトラマン(7) [ウルトラマンこぼれ話1]

日本で最初のSF特撮テレビ映画・ウルトラマン。この番組の特徴のひとつに、印象的なオープニングがある。

それまでの番組では、オープニングがあまり重視されてなかったが、ウルトラQを作ったとき円谷英二は、家庭のテレビからあの音楽と音が聞こえてきたら、
『これは円谷の作品だ』と誰でもわかる印象を、今後ずっと付けていこうと考えていたという。そうした理由でウルトラマンも、ウルトラQの中からドーンと割れて出てくるという形になったという。


★宮内國郎(ウルトラQ・ウルトラマン作曲家・故人)★
少年時代にジャズに傾倒し、その作風は影響を受けている。フジテレビに勤務していた友人・円谷皐の推薦により円谷プロの日本初のテレビ特撮ドラマ『WOO』の音楽担当に抜擢される。この企画は実現しなかったが、のちにTBSで放映のウルトラQやウルトラマンの音楽を担当し、初期ウルトラシリーズのイメージ作りに音楽面で大きく貢献した。

宮内氏;
「テンポがあって勇ましくて、ウルトラマンのイメージに似あったという、そういうイメージじゃないでしょうか。そのミステリアスと快適なテンポとの合体みたいな。まぁ当時としては苦労したと思いますね。

いろんな人が後で(ウルトラシリーズの音楽を)書いてますけどね、一等最初ってことがね、やっぱり名誉ですね。運が良かったというか、円谷兄弟(円谷皐や円谷一)に出会えたことがラッキーだったんではないでしょうか」


★★冬木透(ウルトラセブン作曲家)★★
TBS(当時ラジオ東京)に入社して音響効果を担当、そこで円谷一と出会う。クラシック音楽に精通しており、関わったウルトラシリーズではその流用も多く行っている。

冬木氏;
「メニューができる前の段階のことですけどね、飲みながらの話だったと思うんですが、円谷一さんはご承知のとおり、とても音楽に造詣の深い方ですから、飲みながらの色んな音楽談議の中で、子供番組の音楽についての彼なりの意見というか考え方が出てきた。

その中でセブンの音楽っていうのは、子供がそれを聞いていたら、自然に無意識に音楽的な感性が磨かれていくようなそういう音楽ができないものだろうかと、そういう意味のことをおっしゃったことをよく覚えていますね。

セブンの音楽っていうのは、英語の歌を作ろうよっていって、確か(円谷)一さんが作詞したんだったかな。一さんの作詞っていうのは、もともと短いんですよ。短くてね、それだけじゃワンコーラス分に足りないですよ。

それで主題歌もセブンセブンセブンって何回も繰り返して、長さを稼いだんですけどね(笑)。ワンツースリー(英語のセブンの歌)の方も、初めはワンツースリーフォーなんて無かったんです。セブンから始まってたんです(笑)。

でもそれじゃ短いんで、ワンツースリーから始めようということにして、それだけ稼げるなということになって、僕がワンツースリーフォーファイブシックスセブンと、それでセブンと。伸ばしたんです。その結果、ああいうことになってるんですね(笑)」


★★★栫井巍(かこい たかし TBSプロデューサー)★★★

栫井氏;
「最初はベムラーっていう名前ではじめたんですけどもね。ベムラー→レッドマン→ウルトラマンと名前が変わっていくんですけどね。海外でも売ろうと。海外でも受け入れられそうなスタイルにと。それであのような形に落ち着いたんですけどね。

最初はね、みんなが言いますけど、カラス天狗とか中世の騎士みたいなね、ちょっとどうしようもない感じでね。もうちょっと金属的なシャープなね、メタリックな感じで考えてほしいと。オープンにしないで密かにやってたんですけども、名前も伏せてね。何かヒーローを作ろうと。それと怪獣と。

ウルトラQはご存じのように、佐原健二さんと桜井浩子さん、西條康彦さん、江川宇礼雄さんと。そういう人たちが毎回怪獣に遭遇するというのは、ちょっと無理ですよね(笑)。もっと別な組み立てをしなくちゃいけないなと。

最初は怪獣と怪獣をやっつけるチーム、これならいつも怪獣と遭遇できますから。それと一般市民と。その辺から企画が始まったんですが、それなら怪獣と市民との接触もあまり無理がなかろうと。それがウルトラマンになっていくんですね。

ヒーローが出てくるようになって、番組が作りやすくなりましたね。一つの枠を作って、その中でなら監督の自由な発想でどんなことでもやってもらおうと。だから実際見るとね、非常にユーモラスな物やちょっと社会派的な物もあったりして、色んな個性が出てますよね。

クランクイン(撮影開始)が遅くてね、非常に出来あがりが遅れたんですよ。それでね、ウルトラ作戦第一号なもんですから、第一発目に放送しないと意味が無いし。それで何かつなぎを作らなきゃならないと。

それで舞台の上のショーをやれば持つかなという非常に安易な考えで、杉並公会堂(*)でね、ほとんど稽古もできないでやりましたものですから、なんだかヒッチャカメッチャカになりましたね(笑)」
(*)1966年7月10日放送・杉並公会堂にて行ったウルトラマン前夜祭

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50人のウルトラマン(8・終) [ウルトラマンこぼれ話1]

ウルトラマンを支えた人たちの話も、最終回を迎える。始めて地球に来たウルトラマンがハヤタに自らの命を吹き込んだように、ウルトラシリーズに関わった多くのスタッフたちが、ウルトラマンに命を吹き込んだのだった。

ウルトラマンがゼットンに倒された最終回『さらばウルトラマン』の撮影をしていた頃の心境を、各人に語ってもらおう。


★飯島敏宏(監督)★
「あの別れはね、子供たちと同じ気持ちですよ、サヨナラっていう。最終になってくると、あれもやりたかったのに、これもやりたかったのに、っていう思いもあるし。テレビにも映画にもならなかったけども、ゼットンに負けた後のウルトラマンがどうなったかという脚本を、ボクは書きましたよ。

そこに思いを込めたつもりですけれど、惜別というのは、悲しかったですよね。ホントに哀惜の念があって、帰ってきてくれよという気持ちが当時はありましたね」


★満田 穧(監督)★
「当時はもちろんホームビデオもない時代だから、1回放送あるいはせめて再放送をもう一度くらいで、その作品は全部終わっていくなとは思っていたわけですよね。その後どんどんホームビデオが当たり前になって、グッズなども売れるようになって。

それでもベースメントとしては、ウルトラQそしてウルトラマンというシリーズをきちんと作っていたからだなと思っているんですよね。あれがベースに無ければ、今日は無いと思ってますから。一番最初のベースをちゃんと作っておいてよかったなと、今でもホッとしてますよ」


◆佐々木 守(脚本家・故人)◆
「ガバドンやスカイドンのような話を書いても、円谷プロがきちんと作ってくれたんですよね。それを実相寺さん(監督)がよく撮ってくれた。それまでの怪獣映画には、そういう(寝てるだけとか重いだけといった)シーンが無いわけでしょ。

ところがそういうシーンを発想するとね、きちんとやってくれるというのは、当時の円谷プロの幅の広さだったと思うんですよね。ぼくだけじゃなくて、様々な脚本家・演出家たちが様々な発想をしながら様々なシーンを作り上げていった。

そのことが当時のウルトラマンから怪奇大作戦に至るね、当時の円谷プロを中心にしたウルトラシリーズの枠・内容を、ものすごく広げていったんでしょうね」


◆実相寺昭雄(監督・故人)◆
「そういう(ウルトラマン)シリーズをやった後で、ぬいぐるみ(怪獣スーツ)の面白さとか空間を使った特撮の面白さとか、プロレスごっこみたいなものの面白さが、だんだんわかってきたかな。当時はもうちょっと違う事考えてたんじゃないかな。

ぬいぐるみって、最近のSFXっていうのかな、デジタル化した特撮とはちがう空気感があるよね。なるべく現実に近づけようしてアニメのセル画みたいに平面化していくようなそういう特撮よりも、ピアノ線が出たりするようなミニチュア特撮の面白さが好きですよ」


★★★★★★★★★★★★
SFX技術の急速な進化の中にあっても、怪獣映画は、やはりミニチュア特撮に軍配を上げたい。デジタル処理した防衛チームの戦闘機は平たく見え、ミニチュアモデルの立体感には到底敵わない。手作りの味が出るのも、ミニチュアによる特撮だ。円谷英二が残した技術を絶やすことなく、引き継いでいってもらいたいと思う。
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