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50人のウルトラマン(7) [ウルトラマンこぼれ話1]

日本で最初のSF特撮テレビ映画・ウルトラマン。この番組の特徴のひとつに、印象的なオープニングがある。

それまでの番組では、オープニングがあまり重視されてなかったが、ウルトラQを作ったとき円谷英二は、家庭のテレビからあの音楽と音が聞こえてきたら、
『これは円谷の作品だ』と誰でもわかる印象を、今後ずっと付けていこうと考えていたという。そうした理由でウルトラマンも、ウルトラQの中からドーンと割れて出てくるという形になったという。


★宮内國郎(ウルトラQ・ウルトラマン作曲家・故人)★
少年時代にジャズに傾倒し、その作風は影響を受けている。フジテレビに勤務していた友人・円谷皐の推薦により円谷プロの日本初のテレビ特撮ドラマ『WOO』の音楽担当に抜擢される。この企画は実現しなかったが、のちにTBSで放映のウルトラQやウルトラマンの音楽を担当し、初期ウルトラシリーズのイメージ作りに音楽面で大きく貢献した。

宮内氏;
「テンポがあって勇ましくて、ウルトラマンのイメージに似あったという、そういうイメージじゃないでしょうか。そのミステリアスと快適なテンポとの合体みたいな。まぁ当時としては苦労したと思いますね。

いろんな人が後で(ウルトラシリーズの音楽を)書いてますけどね、一等最初ってことがね、やっぱり名誉ですね。運が良かったというか、円谷兄弟(円谷皐や円谷一)に出会えたことがラッキーだったんではないでしょうか」


★★冬木透(ウルトラセブン作曲家)★★
TBS(当時ラジオ東京)に入社して音響効果を担当、そこで円谷一と出会う。クラシック音楽に精通しており、関わったウルトラシリーズではその流用も多く行っている。

冬木氏;
「メニューができる前の段階のことですけどね、飲みながらの話だったと思うんですが、円谷一さんはご承知のとおり、とても音楽に造詣の深い方ですから、飲みながらの色んな音楽談議の中で、子供番組の音楽についての彼なりの意見というか考え方が出てきた。

その中でセブンの音楽っていうのは、子供がそれを聞いていたら、自然に無意識に音楽的な感性が磨かれていくようなそういう音楽ができないものだろうかと、そういう意味のことをおっしゃったことをよく覚えていますね。

セブンの音楽っていうのは、英語の歌を作ろうよっていって、確か(円谷)一さんが作詞したんだったかな。一さんの作詞っていうのは、もともと短いんですよ。短くてね、それだけじゃワンコーラス分に足りないですよ。

それで主題歌もセブンセブンセブンって何回も繰り返して、長さを稼いだんですけどね(笑)。ワンツースリー(英語のセブンの歌)の方も、初めはワンツースリーフォーなんて無かったんです。セブンから始まってたんです(笑)。

でもそれじゃ短いんで、ワンツースリーから始めようということにして、それだけ稼げるなということになって、僕がワンツースリーフォーファイブシックスセブンと、それでセブンと。伸ばしたんです。その結果、ああいうことになってるんですね(笑)」


★★★栫井巍(かこい たかし TBSプロデューサー)★★★

栫井氏;
「最初はベムラーっていう名前ではじめたんですけどもね。ベムラー→レッドマン→ウルトラマンと名前が変わっていくんですけどね。海外でも売ろうと。海外でも受け入れられそうなスタイルにと。それであのような形に落ち着いたんですけどね。

最初はね、みんなが言いますけど、カラス天狗とか中世の騎士みたいなね、ちょっとどうしようもない感じでね。もうちょっと金属的なシャープなね、メタリックな感じで考えてほしいと。オープンにしないで密かにやってたんですけども、名前も伏せてね。何かヒーローを作ろうと。それと怪獣と。

ウルトラQはご存じのように、佐原健二さんと桜井浩子さん、西條康彦さん、江川宇礼雄さんと。そういう人たちが毎回怪獣に遭遇するというのは、ちょっと無理ですよね(笑)。もっと別な組み立てをしなくちゃいけないなと。

最初は怪獣と怪獣をやっつけるチーム、これならいつも怪獣と遭遇できますから。それと一般市民と。その辺から企画が始まったんですが、それなら怪獣と市民との接触もあまり無理がなかろうと。それがウルトラマンになっていくんですね。

ヒーローが出てくるようになって、番組が作りやすくなりましたね。一つの枠を作って、その中でなら監督の自由な発想でどんなことでもやってもらおうと。だから実際見るとね、非常にユーモラスな物やちょっと社会派的な物もあったりして、色んな個性が出てますよね。

クランクイン(撮影開始)が遅くてね、非常に出来あがりが遅れたんですよ。それでね、ウルトラ作戦第一号なもんですから、第一発目に放送しないと意味が無いし。それで何かつなぎを作らなきゃならないと。

それで舞台の上のショーをやれば持つかなという非常に安易な考えで、杉並公会堂(*)でね、ほとんど稽古もできないでやりましたものですから、なんだかヒッチャカメッチャカになりましたね(笑)」
(*)1966年7月10日放送・杉並公会堂にて行ったウルトラマン前夜祭



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