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訃報 水木一郎氏 亡くなる [訃報]

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水木一郎さんは、ささきいさお・堀江美都子・大杉久美子とともに「アニソン四天王」と言われています。その「アニソン界の帝王」こと歌手の水木一郎(みずき・いちろう、本名=早川俊夫)さんが、2022年12月6日午後6時50分に肺がんのためお亡くなりになりました。享年74

水木一郎さんはアニメ「マジンガーZ」の主題歌など、歌手として様々な楽曲を手掛けてきた人物です。風になびく赤いマフラーをトレードマークに、“アニキ”という愛称でも親しまれていました。(愛称アニキは、NHKの子供番組『おかあさんといっしょ』で、2代目うたのおにいさんを3年間務めたことに由来します)

水木一郎さんはアニメ・特撮作品ソング界のパイオニアで、かれこれ40年以上にわたって歌い続け、1200曲を超える持ち歌があります。いつも元気で明るく、生涯現役の姿をテレビ画面やコンサート会場で見せてくださっていたアニキが肺がんを患っていることを明かしたのは、2022年7月のこと。経過が良好であることを発表しておりましたが、同年12月6日に救急搬送先の病院にて帰らぬ人となりました。

 SNS上では世界中から惜しむ声があがっています。「世界で一番有名なJapanese(日本人)、それは水木一郎」というフレーズがあるそうです。この「世界で一番有名」の根拠は、ウィキペディアで「水木は現存する日本人最多の約90言語で紹介され、少なくとも90カ国以上にファンがいるという驚異の知名度を誇っている」からなのだそうです。

東京都出身の水木さんは1968年に歌謡曲歌手としてデビューしましたが、その3年後に歌手を辞めて作曲家へ転向しようとしていた矢先、テレビアニメ「原始少年リュウ」の主題歌「原始少年リュウが行く」を初めて歌唱することに。以前から映画音楽を歌いたいという思いがあったこともあり、顔も名前も出ないアニメソングに抵抗はなかったとも話しています。以降、活動の中心をアニメソングへと移していきます。

その後、1973年「マジンガーZ」の主題歌を歌い、70万枚を売り上げる大ヒットとなります。1978年発売の『宇宙海賊キャプテンハーロック』主題歌レコードは、当時アニメソングとしては驚異的な初回プレス15万枚を記録しました。1999年には歌手生活30周年記念のベスト盤CD『兄尊』をリリース。このタイトルは、「アニメソング」の略称「アニソン」と水木の愛称「アニキ(兄貴)」をかけたものでした。

水木一郎さんは、同年8月30日から31日にかけて、フジテレビ製作の音楽バラエティ『快進撃TVうたえモン』の企画として、山梨県の河口湖ステラシアターにおいて「24時間1000曲ライブ」を敢行します。終盤の生放送での変わらぬ声の響きに、「本当に24時間歌い続けたのか」という電話が番組に殺到するという逸話を生みました。しかし、その後のイベントでの歌唱の際に声がかすれるようになり、この24時間ライブの過酷さが窺えるのでした。

肺がんは脳転移やリンパ節転移などを伴う厳しい病状ではありましたが、『生涯現役』を目標に治療とリハビリに励み、活動を続けてきた水木一郎さん。「思うようなパフォーマンスができなくなってもその強い意志は変わらず、最後のステージとなった2022年11月27日のライブでも満面の笑みを浮かべていました。これまで支えてくださったみなさまに厚く御礼申し上げます」と水木一郎さんは感謝しました。

水木一郎さんの死を受けて「マジンガーZ」の原作者で漫画家の永井豪さんは、ツイッターに追悼コメントを投稿しています。 
「水木さんは、『マジンガーZ』のテーマソングを大ヒットに導いてくれた恩人です。50年もの長きにわたって人気を保ち続けることができたのは、水木さんのおかげです。毎回、愛と魂をこめてテーマを歌い続けた水木さんの力です。心から、ご冥福をお祈りいたします。」(一部抜粋)

謹んで、ご冥福をお祈りいたします(合掌)

追伸
先に逝かれた菊池俊輔先生と渡辺宙明先生に天国でお会いして、三人でお酒を飲みながら一発アニソンを披露しているのではないでしょうか!


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