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実相寺監督と赤坂界わい1 [実相寺監督が語るウルトラ3]

ルトラマン』はTBSの番組だったから、その局舎がある赤坂とは、縁が深いのは当たり前だ。私が縁というのは、番組編成上のことではなく、撮影場所ということについてである。実は、私が初めて『ウルトラマン』のロケを見たのは、自分が社員だったTBS局舎だった。

飯島組が“バルタン星人“のロケを、テレビ局舎の屋上でやっていた折りのことだ。昭和41年の早春のことだった。「2クール目位から、監督陣の中に入れてやる」 そう円谷一さんから言われていたが、具体的に関わったのは、放送開始前の『ウルトラマン前夜祭』録画中継からである。

放映の第一回は円谷一さんの“ベムラー”だったが、撮影は飯島組から開始されたのである。撮影開始は、バルタン、ネロンガ、ミロガンダ(怪獣はグリーンモンス)の3本持ちだった。

ひとつの路線を決定づけるトップバッターというのは、いつも大変な苦労を背負うのだが、飯島敏宏さんはよくその役を引き受けさせられていた。というより、必ず出塁する一番打者として、プロデューサーのみならず、スタッフの信頼も篤かったのである。

そのときは、近い将来、自分もウルトラに手を染めるという実感がなく、半ば野次馬としてそのロケを眺めていた。まだ寒い季節で、別段屋上で涼んでいたわけではないのだが、友達とのんびり町を見下ろしてタバコをふかしていた。すると、そこへたまたま飯島組が夜間ロケに訪れたという訳である。

当時は私も、飯島さんと同じTBS映画部員だったから、追い払われずに済んだ。屋上でどんなシーンを撮るのかと思っていたら、科学特捜隊の連中が何もない夜空に向かって驚き、右往左往しているではないか。

飯島監督は、屋上の向こうから巨大な上半身を現わす、バルタン星人と隊員たちの合成カットを撮影していたのである。単純な合成カットだが、仕上がりを見るとひどく効果的で、さすがだなぁと感心した。

そのときは、隊員たちがビートルから現場に降り立つ、俯瞰合成カットも撮影しており、それも巧みな使い方だと思った。だいたい、時代劇の頃から、飯島監督は何気ない空間性を絵合成で見せたりするのが上手かった。

その合成への意欲というか、使い方の匠さは、『ウルトラQ』以来数々の飯島監督作品の随所に見ることができる。

スカイドンの回で、ハヤタ隊員が変身の際に、ベーターカプセルとスプーンを間違えたシーンも、TBSの屋上で撮った。ちなみに、旧テレビ局舎Cスタジオ屋上あたりである。テレビ開局の頃からあった一番古い局舎(または二番目位に古い)で、今は跡形もない。

私が入社したころはTBSではなく、JOKR-TVと呼ばれていた。テレビは、先発したラジオ東京に併設された弟分だったのである。本社は日比谷交差点の角にあった。ラジオスタジオなど製作の中枢は、有楽町駅前の毎日新聞社上階にあった。そこを引き払って、赤坂に集結したのは、昭和37年頃だった。

入社した昭和34年は、テレビの台数が急激に増えていった時代だが、それに大きく預かったのは、当時の皇太子さまと美智子さまのご成婚であろう。入社早々、見習いのうちに、ご成婚パレードに借りだされたのである。

神宮外苑で、移動車に乗ったカメラが馬車を追う十数秒間の人除けが、テレビでの初仕事だった。その年は、フジテレビやNET(現テレビ朝日)も開局し、民放は一挙ににぎわったのである。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
あのバルタン星人の回は、非常にインパクトがあって、ウルトラマンの世界を語る上で、無くてはならない敵役である。しかも、この回はイデ隊員が主人公で、笑顔のイデ隊員が左(右?)目のアザの原因を、過去にさかのぼって語るという出だしで始まる。それだけでも十分興味をそそられる導入部であり、飯島監督の演出が光っている!



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