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実相寺監督と夢の島ロケ [実相寺監督が語るウルトラ3]

浜急行を品川近くへ戻って、北と南が一緒になった新馬場となった駅ちかい劇場で、平成ウルトラシリーズ『ウルトラマンダイナ』の第38話『怪獣戯曲』の上演風景を撮った。六行会ホールである。小さいホールの割には、袖の広さもあり、使いやすい舞台だった。

天王洲で、怪獣ブンダーの落下を撮っている。本編の切り返しや、ビルへうつり込みの合成ベースなど。『ブンダーが来るぞ!』と、怪獣戯曲の作家の執事が駈けて来て倒れ込むのは、天王洲運河にかかる“ふれあい橋”のあたりだ。なにやら気恥ずかしい名前の橋であるが、様子はいい。

『怪獣戯曲』もセットが多い作品だったが、メディカル本部のカットなどは大森駅東口の“大森ベルポート”を使わせてもらった。広い巨大温室のような空間が、多目的広場になっている複合的なビルである。このベルポートは、元々いすゞ自動車の工場があった所で、大森駅からすぐの距離にあるが、品川区である。

ちなみに京急線の大森海岸駅も、品川区である。駅のあったあたりは、大井海岸町であった。昔の地図をみると、京急の駅名は単に海岸である。次が八幡、学校裏、山谷。ベルポートのあるあたりは、大井坂下町だった。

東京湾岸ついでに言えば、『ウルトラマン』の第34話「空の贈り物」は、いわゆるゴミの集積場として有名な夢の島にて、かなりの撮影を消化している。そのあたりも、当時と比べると、景観の一変した所である。

明治通りを下り夢の島大橋を渡ると、夢の島公園に入ってしまい、さらにその先の新木場へと延びているから、スカイドンが空から落下した場所もよくわからない。ほんとうに、東京湾の沖合への展開というのは想像を絶している。

ロケをしたのは、初代・夢の島だったのだろうか。もはやウルトラ時代のロケ場所が判るはずもないが、推し量れば、そんなに奥には入ることができず、たぶん夢の島大橋を渡ってちょっと行ったあたりで、撮影したのだと思う。現在、少年野球場や軟式野球場がある、夢の島運動場のあたりだろう。

入口からちょっと入ったあたりでも、くすぶり燃えるごみの荒野だったから、奥まで足を伸ばせないのは当たり前だった。一度許可をもらえば見物客に邪魔される環境ではなく、朝からナイトシーンまで丸一日、撮影をした日もあった。

荒野の一郭にテトラポッドが無数に置かれていた。そのテトラポッドにまたがって、科特隊員たちは、のんきに怪獣退治の作戦を、あれかこれかと考えていたことになる。『クサくて昼の弁当が食えないヨ!』などと、スタッフから文句をたらたら言われて、『夕食の弁当もココですよ』 平然と答えていたのは、製作担当の熊谷 健さんだった。

松竹小津組の体験もある大人で、穏やかに言われて、口ごたえできるスタッフなどいなかった。口をつぐんだスタッフに、『夜食もロケバスに積んでありますから』と、熊谷さんが追い打ちをかける。スタッフは帰心矢の如く、黙々と仕事に励んだのである。

今や夢の島は“はて”では無く、新木場から若洲への通過点である。有明から台場への要衝の一郭だ。あそこは、私にとって、ほんとうの夢の島になってしまった。それにしても、ごみ処理の問題だけは、温暖化のことと合わせて、大きな問題である。

『怪獣協奏曲(怪獣コンチェルト)』という脚本を十数年前に作り、スタッフルームも大映撮影所内にできたが、準備段階でポシャッたことがある。この作品の眼目は、いつも殺してしまう怪獣を活かして利用するという、狡猾な人類のエゴを描いたものだった。

佐々木守さんの面目躍如としたシナリオだったが、円谷 皐(つぶらや のぼる)さんの努力にもかかわらず、資金集めが最後の一歩でくずれてしまったらしい。実現しなかったことは、まことに残念だった。活かされた怪獣達は南の孤島に拘束され、ごみ処理をするというのがテーマだった。

『ウルトラQザ・ムービー 星の伝説』でも、ラストに地球を逃れて他の星へとオデッセイに旅立つ先住民族のロケット噴射の風圧で、風光明媚にみえる観光地の路上で、捨てられた無数の空き缶が転がるカットを撮った。ゴミを主題にした怪獣映画を形に出来なかった悔しさの一端である。

しかし夢の島でスカイドンと格闘を繰り返し、一度は重さに潰されかかり、ごみの荒野に埋められそうになったウルトラマンは、弁当に泣くスタッフ以上に、臭かったろう。 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
◇夢の島(ゆめのしま)について

東京都江東区の町名で、人工島である東京湾埋立14号地のうち、湾岸道路より北の部分を占める。1950年代に東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月から埋め立てが開始された。

それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わり、京葉線の開通などにより、身近な人気スポットとして親しまれている。

その後のゴミ埋立地も「夢の島」と呼ぶことがあり、現在は五代目の夢の島である。
・夢の島 ;14号埋立地(帰属江東区)
・新夢の島;若洲 15号埋立地(帰属江東区)
・三代目夢の島;中央防波堤内側埋立地
・四代目夢の島;中央防波堤外側埋立地
・五代目夢の島;新海面処分場
(三代目以降は、2015年時点で帰属が未決定)

夢の島で思い出すのは、新マンの怪獣ゴキネズラである。新旧隊長の交代、夢の島での格闘、謎のピエロ。近日中に座談会で取り上げる予定です。



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