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帰ってきたウルトラマン(44) ~円谷スタッフが語る「新マン」秘話6 [帰ってきたウルトラマンこぼれ話1]

プロデューサー、監督、カメラマンらが語る、『帰ってきたウルトラマン』の秘話が続出。いろいろなこぼれ話も多数あり!

第6回は、TBSプロデューサーの橋本洋二氏です。「ウルトラセブン」の後半からウルトラシリーズに参加し、「帰ってきたウルトラマン」、「エース」、「タロウ」までプロデューサーとして参加した。ウルトラシリーズに関わる前はTBSラジオでラジオドラマや教育関係のドキュメンタリー番組に携わっていたが、「初代ウルトラマン」を視聴して興味を持ち、TBSテレビへ異動してきたという。『コメットさん(九重佑三子主演)』を手始めとして午後7時台のテレビ映画に携わっていき、以降『怪奇大作戦』や『柔道一直線』など数多くのヒット番組を創って、辣腕を振るっていった。


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『帰ってきたウルトラマン』は、僕と円谷一が酒を飲んだり騒いだりして、やり始めたんです。ツブちゃん(円谷一氏のこと)の力が甚大でした。英二さんもそうだったけど、一さんも僕らの常識を超えたものを持った人でした。

久しぶりにやるとすればどういう風なウルトラマンだったらいいか、これはツブちゃんともずいぶん話し合った。その頃はホームドラマがTBSドラマのベースになっていた。新しいウルトラマンも、そのような流れを無視できないであろう。

また、以前の二シリーズには全くなかった発想でもあるので、ウルトラマンとかウルトラセブンといった固有名詞だけではなく、「帰ってきた」と頭に付けてみると親しみもわくし、ホームドラマ全盛の時代の中でひとつの響きがあるんじゃないかと言って、僕も同意しました。

この作品はTBSと円谷の共同製作なんですが、現場の部分はすべて円谷。僕の仕事は脚本が出来上がるまでで、あとはお任せしていたんです。あとでみんな面白おかしく橋本と仕事をするのは大変だとか言ってるけど、そんな大変じゃなかったはずだ。

局の人間がいると、現場のある種の雰囲気が微妙に変わる。現場というのは「こんなもん書きやがって」なんて言いながら映像を作るもんでしょう。逆にそういうのが無いと、いいものなんか作れません。プロデューサーである私が現場に行くことでそんなことが言えなくなるのなら、行かない方がいいんです。

だからあんまり行ってないんだけれど、ある暑い夏の夜、きくちさんが演ってるのを見て、こりゃあ大変だと思って何か声をかけたのは覚えている。ツブちゃんもそう思っていたみたいだけど、とにかくたいへんだから何とか報いてあげなくちゃいけないという気持ちがあった。

前例として、ウルトラマンを演った古谷君がセブンで隊員を演ったということもあったし、そういう話はしていました。スタッフの間にもそういう考えはあった。きくちさんが最終回で通信隊員の役で出ることになった時は、ツブちゃんから「こうするから」って電話をもらって、「ああ、それはよかった」と答えた覚えがありますね。


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橋本氏は脚本にとても厳しかったようで、「脚本は意志やメッセージを唯一伝えられるもの」であるという考えのもと、橋本氏の中にある一定のラインをクリアできない脚本は採用せず、納得いくまで何度でも書き直しを要求したという。当時はシナリオライター養成所など無い時代だったということで、仕事をしながら仕事の中で若手ライターを鍛えあげていたとも言えるこの行為は、並大抵なことではなかったと思われる。であるから、そういう橋本氏を慕う脚本家は、数多いという。良いプロデューサーに出逢った番組作りの人達は、しあわせである。


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