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実相寺監督とウルトラ・カーその3 [実相寺監督が語るウルトラ2]

(前回から続き)
の出来事があったあたりは、今は途方もない程の変わりようで、平和島のどのあたりだったか見当もつかない。環七通りと首都高速羽田線が交わる中之島橋の手前、平和島5丁目のどこかだったと思う。超モダンなビルも建っており、道路が全く変わっていて、正確に場所を探し当てることができない。

道路は当時のままかもしれないが、当時は区画にまったく建物が無く、ただの空き地が広がっていたのである。平和島の流通センターやトラックターミナルでも撮影をしている。『ウルトラセブン』の《第四惑星の悪夢》の回である。

ダンとソガ隊員が、地球とそっくりのロボット長官が支配する独裁帝国に漂着する話だが、その第四惑星の光景に、埋め立て進行中のこの界隈を選んだのだ。京浜トラックターミナルもできたばかりで、ターミナルの数も現在とは大違い、出入りするトラックの数も少なかったから、ロケーションをさせてもらえたのだろう。

私の一家は転々と引っ越しを繰り返していたから、この大森から大井町あたりにかけては親しみがある。中学までの少年時代は、大井出石町というところに住まいがあり、夏は友達と大森海岸へ出かけたものだ。

大森海岸という京浜急行線の駅はまだ健在だが、昔と違ってそのあたりは全部高架線になっている。平和島駅はひとつ蒲田寄りで、私の少年時代は「学校裏」という名前の駅だった。私は第一京浜国道沿いに走る京浜急行に乗るのが好きで、よく品川からその電車に乗ったものだ。

東京の郊外電車の中では、窓が大きく明るいという感じが好きだった。おまけに、家々の密集した中を走り抜けていくせいか、軒をかすめるスピード感を味わうことができた。奇妙な駅名が多いのも印象的だ。

品川方から上げれば、北馬場(きたばんば)、青物横丁(あおものよこちょう)、梅屋敷(うめやしき)、雑色(ぞうしき)、生麦(なまむぎ)などと面白い。特急料金なしで頻発するクロスシートの電車に乗れる私鉄は、関東ではここだけである。

ふと「学校裏」という駅名は、あの円谷英二さんが大空への夢絶ちがたく、上京して通われた日本飛行学校のことではないかと、思い浮かんだ。そうだ、きっとそれに違いない・・・。

だが、事実は違っていた。学校とは寄木尋常小学校(現・大森第二小)のことで、昭和18年までこの学校の裏手に駅はあった。同年に学校は現在地に移転し、今に至る。また昭和36年に、駅名を「平和島」と改称したというのが正しい。  (おわり)


★★★★★★★★★★★★
今回はウルトラ・カーという題名とは裏腹に、内容は電車に関係した内容になった。実相寺監督は、鉄道好きなのだ。職場の真裏に電車の駅があるなんて先生方には通勤に便利で良いだろうが、小学校としては最悪の環境だ。静かな所に移転して子供達には勉学に勤しんでもらうというのが、やはり正しい選択であろう。
駅名についてもう一つ。現在、北馬場駅は無い。開通時にあった北馬場駅と南馬場駅は、昭和51年10月の北品川~青物横丁駅間の高架化工事に伴い統合され、両駅の中間点に新馬場(しんばんば)駅が開業して今日に至っている。



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