SSブログ

帰ってきたウルトラマン(40) ~円谷スタッフが語る「新マン」秘話4 [帰ってきたウルトラマンこぼれ話2]

プロデューサー、監督、カメラマンらが語る、『帰ってきたウルトラマン』の秘話が続出。いろいろなこぼれ話も、多数あり!

第4回は、特技監督の佐川和夫氏。1939年10月生まれ。日大芸術学部在学中に円谷プロに出入りし、円谷英二氏に師事する。卒業後東宝特殊技術課を経て、円谷プロへ入社。『ウルトラQ』で撮影助手、『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』でカメラマンを務めた後、『マイティジャック』で特技監督デビュー。『帰ってきたウルトラマン』の第13話「津波怪獣の恐怖 東京大ピンチ!」で初めてウルトラシリーズの特撮監督を務めた後、様々な円谷作品に関わり、1977年にフリーになる。

カメラマンであった経験からカメラやフィルムに精通しており、様々なノウハウが映像に活かされている。他の演出家なら妥協するような場合でも良しとせず、そのためにテレビシリーズの初期数話でワンクール分の特撮費用を使いきってしまうことがあったという。


★★★★★★★★★★★★
あの頃は若くて、俳優さんにも迷惑をかけたかもしれない。円谷方式というと変ですが、オヤジ(故・円谷英二)という人はアメリカの映画にものすごく敏感だった。だから今スピルバーグなんかもやっているけど、「出るぞ、出るぞ、出るぞ、わっ!」でも出ない。ひと安心してると「ばっ」と出る。そういう演出方法を自然に学んできたところがある。

だからきくちちゃんが中に入っていた時のウルトラマンの僕のコンテも、最初は強いんです。そのあと毎回一度弱くなる。この弱くなり方が難しい。殺陣師がいないわけです。最初の頃はアクションのコンテは、徹夜か二日くらいかかってた。で、きくちちゃんや遠矢と相談するようになって、しまいにはほとんど二人に任せていたときもあった。

当時はぬいぐるみの人にお付きの人なんかいなかった。助監督が付いてるわけだから、助監督にはいつも「カットがかかったら常に声をかけろ」って言ってた。僕らでも火傷のあとはまだこう残っているけど、この人達は、もう。当時の人は何というか根性があった。僕は四つ足怪獣が好きなんですが、それはセットの天井が低かったんで、直立の怪獣だとアングルが限られるからなんです。

きくちちゃんは「低く構えて」など言うと、低く構えてポーズも決めてくれてたんで助かりました。僕が今までやってきた中で、きくちちゃんとの時が、一番ああだこうだという必要が無かった。とにかく形になってた。僕は、初代ウルトラマンは巨大ヒーローという強烈な印象がありました。『帰ってきたウルトラマン』は、ドラマ中心に特撮監督として演出できたことに対し、喜びを感じますね。

でも、きくちちゃんに悪いことしたなぁと思うことがあるんですよ。何か蜘蛛の巣みたいなのを使ったシーンだったと思うけど、シンナーが、口にも目にもマスクを付けて撮ったんだけど、それでも入っちゃうわけです。辛いのが目に見えて解ったんだけど、その演技が惚れた芝居だったんで、ついつい長回ししちゃったことがあった。あれは悪かった。ウルトラマンシリーズの特撮監督として見い出して頂いた円谷プロダクションや帰ってきたウルトラマンのきくち氏には、本当にお礼が言いたいですね。


★★★★★★★★★★★★
新マンで佐川和夫氏が特技監督を務めた話は、13・14・18・19・22・23・28・29・34・35・36・41・42・45・46話である。この中の22話が、話に出てくる蜘蛛の巣のシーンではないだろうか。怪獣ゴキネズラが口から吐くプラスチック液は、空気に触れて「ワタあめ」のようになる設定だ。あの小さなのぞき穴からシンナーの匂いが入ってきたら、頭ガンガンでさぞ苦しいと思う。本当に苦しんでいるから、リアルな映像が撮れるのだが・・・



スポンサーリンク



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました