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実相寺監督と円谷プロへ続く道 [実相寺監督が語るウルトラ2]

は歩くに限るので、祖師ヶ谷大蔵の駅から円谷プロへ行くことにした。改札口を出て南へ行く狭い一方通行の道が、円谷プロや東宝撮影所へ通ずる商店街である。その駅周辺は、著しく変わっている。まず、小田急線が複々線工事で高架になった。

この本を書き直している平成14年秋の時点では、工事はまだ完成していない。当時、一さん(円谷一)や金ちゃん(金城哲夫)や、高野さん(高野宏一)やスタッフ仲間と入った喫茶店も、バーも消えている。

城山通りが延びて、駅の傍らを横切っている。スタッフとかよったビリヤードや麻雀屋の所在もわからない。この駅周辺、とりわけ円谷家があった北側にも、懐かしい拠点がたくさんあった。

円谷プロとの、いや円谷英二監督とのご縁ができた番組『現代の主役/ウルトラQのおやじ』を撮影したあの円谷家は、夢と消えてしまった。むかし円谷技術研究所があった一郭には、今でも一さんのご子息の昌弘さん一家が住まわれている。

が、ほとんどその周囲を駐車場に占拠され、往時のすてきな佇まいを想像するのはむずかしい。この円谷家から路地を東に入った所に、“花ぶさ”という旅館があった。映画関係者がしばしば利用していた場所である。

シナリオの打ち合わせやら、ライターを缶詰にして、執筆を促していた戦場でもあった。円谷の文芸部も、例外ではなかった。私も何度かその旅館に通っている。場所はかろうじて特定できる気がするが、もはや夢の在所を正確にさぐるのは無理だった。

駅の北側を離れて南へたどり、一路プロへと向かった。商店街もかなり様変わりしている。道自体の幅は、元のままという感じである。スーパーマーケットなどは変わっていて、商店街の店々も今様になっている。道の右手にある砧八公園は、今も緑濃い場所だ。

商店街が途切れプロに近づくと、元の国際放映、現在の東京メディアシティの方向へ、新しく道ができている。高層では無いから景観をさほど傷つけてはいないが、マンションが着実に増えている。砧(きぬた)界隈でお屋敷が連なっている辺りは、今なお住環境に恵まれているが、相続税の影響か、家々はかなり細分化されていた。

さて、円谷プロである。『ウルトラマン』の頃は、入口を入るとすぐ右手に制作部の大部屋があり、一切の管理をしていた本丸だった。そして左手にまっすぐ廊下が延びていて、その廊下の両側に、ネガ編集、ポジ編集、光学などの部屋があった。もっとも、その配置も度々変わっていたから、ある時期のことではあるが。

そして、その廊下から別棟をつなぐように数段高くなったところに、社長室、文芸部、試写室があったのだ。改めて訪ねてみると、活気は旧に勝っているほどで、若い社員の方々も多い。

右手の制作部と左手の廊下に面した、ちょうどネガ編集室があった部屋との障壁が取り払われ、カギ形にひとつの部屋ができており、キャラクターグッズの見本がたくさん置かれていて、夢の場所に来たという印象を強くした。

内部はすべてきれいに手が入れられているが、いまにも扉を開けて、鬼籍に入った方々も含めて昔のままのスタッフが飛び出してきても、おかしくない雰囲気を保っている。  (つづく)


★★★★★★★★★★★★
円谷英二氏が生きていた頃の円谷プロ、金城哲夫氏が在籍していた頃の円谷プロは、特撮という技を武器に、素晴らしい作品を次から次へと生み出していったことは、この時期に作られた作品の人気の高さが証明済みである。何と言っても、ドラマの背骨である「脚本」の質の高さが、ドラマの良し悪しを決めることは間違いない。

だが1話完結を基本とするドラマで、30分間でストーリーを分かり易く締めくくることの難しさ。そこで、脚本を分かり易く映像化する監督の手腕が求められる。そういった要素がすべてそろって、面白いドラマは生まれると思う。脚本の質、監督の手腕、このどちらも一流だったのが、あの頃の円谷プロだったのだ。そして良質の映像を僕達子供にみせるために、ドラマを監修する円谷英二氏の鋭い目が光っていた。

こういった先輩たちが培ってきた空気・雰囲気は、いつまでも円谷社風として、残していってほしいと願っている。



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