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仮面ライダー1号秘話(7)~1号ライダー本郷猛こと藤岡弘、氏が語るライダー撮影秘話! [仮面ライダー1号・その2]

(前回からつづき)

「一週間ですか?」と聞くと、医師は黙って首を振りました。「では二週間ではどうですか?」と聞くと、今度は医師は厳しい表情で言いました。「復帰などを考えるのではなく、何とか足が治るように祈ってください」と。私の認識と藤岡君の怪我の状態とでは、大きな隔たりがあったのです。

その医師の言葉を聞いて、私はふたたび、崖から突き落とされたようなショックを受けたものです。けれどプロデューサーとしては、いつまでもクヨクヨしている訳にはいきませんでした。考えなければならないことは、番組の存続です。

藤岡君の出演カットが残っている九話、十話はなんとか脚本を手直しして完成させ、そのあとのことも、考えなければなりませんでした。

何より最初にやらなければならなかったことは、毎日放送さんに「主演俳優が大怪我したのだから、この番組はもう駄目だ。打ち切って他社の番組に取りかえよう」と考えられたのでは、今までの苦心も水の泡だ。そう思わせないように、対策の手を打たなくてはならない。

「手はある。絶対に駄目じゃないぞ」。それにはまず、私が弱気を見せない事。藤岡君の番組を守り抜こう。不安になったスタッフの心配も打ち消すために、まず九話と十話の手直し台本を見せて説明しました。

藤岡君が入院していても、なんとか仮面で芝居をして乗り切れるのだ。仮面に哀しみや喜びを演じさせるという説には、監督もカメラマンも「それは無理だ」と言いました。しかし私は、もう藤岡君が復帰できるまでは、これで乗り切ろうと覚悟しました。

スタッフであるあなた方は超一流の技術を持っている。その技術をもってすれば、仮面が泣くようにも撮れるはずだ。私は、駄目なスタッフに無理を頼んでいるのではない。奮発してください。やがては藤岡君も復帰してくる。あなた方の力で、我々の番組を、藤岡君の番組を守ってください。

みんなは見事にその任を果たしてくれました。素晴らしいスタッフでした。この素晴らしいスタッフたちも、みんなそれぞれの会社で劇場映画の世界から疎外され、心ならずもフリーになって、テレビ映画を撮っていた人達です。

腕は確かな人達だから、心が通えば、百のものを二百にもする働きをしてくれたのです。こういう心のスタッフを前にして、藤岡君の事故の時に最初に思ったのは「この人達の人情を、裏切ってはいけない」ということでした。

例えば藤岡君が怪我をしたからといってすぐに代役をたてて、君が復帰できないようにしてしまったら、スタッフたちはきっとこう思うに違いないのです。「主役だって怪我をしたらすぐに代えられてしまうんだから、俺たちもいつ首を切られるか分らない」と。

そうではないんだ。俺たちは怪我や事故を乗り越えて、一つの物語を作っているんだという気持ちを盛り上げるためには、藤岡君には絶対に治ってもらって、現場に復帰してもらわなければならないと、私は心に誓ったものです。

こんな頃私の頭に渦巻いていた計画は、貴君がベッドに寝ていても空色バックを持ち込んで、アップは撮れるかもしれないということでした。僅かでも撮れれば、あとは吹き替え俳優と仮面とでなんとか乗り切れる。そうすれば貴君の復帰が一年後でも、視聴者には気付かせずに貴君の復帰までやり通せると思ったのです。

私はその頃、毎日放送さん対策と現場指揮とで忙殺されて病院へは行けなかったのですが、阿部プロデューサーが貴君にそのことを伝えたら、貴君は激しい痛みを顔には見せずに「やります、演らせてください」と言ったそうですね。

責任感の強い貴君らしいけれど、阿部プロデューサーは先生の許諾を得ようとして、「とんでもない。絶対安静です。大体藤岡さんがいくら我慢強くても、痛くて芝居なんかできませんよ」と叱られたそうです。

それにしても藤岡君。君の事故からの復帰は見事な執念でした。まだ足の中に鉄棒が入っていた頃、病院の先生は「歩くだけでかなりの激痛があるはずです」と言っていました。ところが君は、高い所から飛び降りたり、時には全力疾走したりして、見事に撮影に復帰してくれました。

そういう君の姿を見て、スタッフたちも一層の情熱を番組に傾けてくれたのだと思います。君の必死さがスタッフに伝わり、彼らの「人情」を刺激して番組も燃えたのです。

事実、視聴率も君が不在のときは2号ライダーの佐々木剛君が頑張ってくれ、君の復帰の回で一気に跳ね上がり、それが続くV3、X、アマゾンへと引き継がれ、最盛期には30パーセントにも届く人気番組になりました。

シリーズ全体では昭和46年から昭和59年まで、実に13年間も続くことになったのです。撮影開始2か月目に主演俳優が生死をさまよう事故に遭った番組が、こんなに長寿と人気を誇ることになろうとは、いったい誰が予想できたでしょうか。

私は貴君が復帰した鹿児島ロケには随行できませんでしたが、やがて出来上がってきたラッシュ試写であの1号2号感激の握手を見て、試写室の隅で感激の涙をこぼしたのです。良かった、これで藤岡君の番組を守り通した。

忘れもしません。ライダーを卒業してしばらくした時、君は珍しく愚痴を言ったことがありました。(途中省略)もうライダーと呼ぶのは止めて欲しい。そうつぶやいた裏には、ライダーのイメージがあまりにも強すぎることに悩み、そのイメージを払拭することに必死だったのですね。

ところがいつのことだったか、確か君がハリウッド映画に出演してアメリカから帰ってきた頃だったと思います。君はわざわざ私の所へ訪ねて来て「平山さん、もうライダーだったことを隠そうとは思いません。今まで協力できずにすみませんでした」と言ってくれたのです。

アメリカで何があったのか、私には知る由もありませんが、きっと大きな自信をつかみ、自分の役者としてのルーツである「仮面ライダー」のことを振り返る余裕を持ってくれたのだと思います。その後の君は全国各地で開かれるファンの集いにも快く出演してくれますし、私からの頼みも快く聞いてくれます。

元々気性のまっすぐな君のこと、何か吹っ切れたものがあったのでしょう。ライダーだったことへの悩みとライダーを誇りに思う心と、いくつかの陰陽を経験して、君は一回り大きな役者に成長されたのだと思います。

(途中省略)私は貴君に教えられたことがあります。まだ仮面ライダーを作り続けていた頃から、私は石ノ森先生に質問を投げかけたものです。先生はヒーローそのもののような方でしたから、ヒーローの在り方について根本的な質問をするのです。

ショッカーのような悪者を倒して平和になった世界では、ヒーローは、仮面ライダーは何をしたらいいのだろうか?これには、さすがの先生も的確には答えてくださいませんでした。いつかこれに決着をつけたいと思っているうちに、先生は逝ってしまわれた。

しかしこのテーマに貴君は実践で応えてくれました。貴君がライフワークだというボランティア活動です。痛めつけられた弱い人々、痛めつける者はショッカーではないが、貧困というものに痛めつけられる人々。天災というものに痛めつけられる人々。

この気の毒な被害者に救いの手をさしのべることこそ、戦い終えたヒーローが取るべき姿だと私は感動したのです。この戦いの相手は、ショッカーより強大で手ごわいでしょう。しかし、みんなの憧れの藤岡弘君が泥にまみれて戦う姿を見れば、いつかは世界中の人々が政治家も財界人もこぞって手をさしのべる日が来るでしょう。

今再び「仮面ライダー」に脚光が当たり、全国各地で再放送されていることは私も知っています。石ノ森先生のご逝去がひとつのきっかけだったことは否めませんが、時代がライダーのようなヒーローを求めているというのも、また正しい認識だと思います。

そこで私は考えます。藤岡君、出来たらもう一度、子供たちにあの仮面ライダー伝説を見せてあげようではありませんか。

今の君が再び本郷猛を演じるのは、決して不可能ではないと思います。他のスタッフもいまだ現役で頑張り、それぞれの世界で第一人者となっています。若い者には負けない、俺たちが時代の主役だと踏ん張ってます。いざ「仮面ライダー」の現場が立ちあがったら、昔以上のパワーで皆が集まってきてくれると思うのです。

ショッカーの環境破壊に立ち向かった仮面ライダーの「自由を守る魂」は、今の世界にも不滅です。むしろ今こそ、人々の心の荒廃から魂を救うために、仮面ライダーが必要なのかもしれません。

仮面ライダーよ、ふたたび。そのことを君と話し合いたくて、今日はペンをとりました。ありがとう、藤岡君。そしてこれからも頑張ろう、藤岡君。
                                         平山 亨


★★★★★★★★★★★★
筆者は涙が出そうになってしまった。簡潔にまとめるが、プロデューサーとして、人として、これほど尊敬できる人物はめったにいないのではなかろうか。しかも優しくて、頼りになる。番組の成功を信じて、あちこち奔走する平山さんの姿が目に浮かぶ。そして2014年3月公開の東映映画で、本郷猛を演じる藤岡弘氏の姿が現実のものとなった!

平山亨さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。 合掌



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