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宮内洋、ヒーロー一本道(11)  『ヒーロー番組は教育番組である』その2 [宮内洋・2]

(前回からつづき)
子は親を見て育っていく。ゆえに手本とならねばならないのはもちろんだが、それらのマネをするのが子供なのだ。アクションにもいろいろあるが、ヒーローは武器を持たない。(変身後のキャラクターでは、戦う相手が強大であるため、その限りではないのだが)仮面ライダーV3はその点では、変身後も武器を持たない。

それゆえに、宮内氏にとっては一番の教育番組であるという。人の心に感動を与えるものは、ノンフィクションに勝るものはないという。この頃の異常気象などで、各地から災害の映像が、画面いっぱいに映し出されてくる。その表情等を見るにつけ、胸が熱くなってくるのを感じる。

正月公演で1か月間、新宿コマ劇場に出演していたときのこと。休館日が2回あるので、その空いた時にロケーションの撮影が入ってきた。『超力戦隊オーレンジャー』という作品のオープニングである。久々の太陽の下での仕事ということもあって、すがすがしい気持ちで現場に向かった。

現場着朝7時、『おはようございます』と元気に声を発したように思う。次の瞬間ロケバスの中のテレビに、目が点になってしまった。「阪神大震災」である。出演者、スタッフと、1カット撮ってはロケバスへ。1カット撮ってはロケバスと。

単なるミーハーの野次馬的ではなく、本当に心配しての行動であった。増え続ける犠牲者の数、数、数。ロケーションが終わり、心配のあまり関西方面の知り合いに電話をかけまくった。なかなかつながらない。

やっとの思いで会話ができ、「生きてるよ!」の明るい声にホッとし、「心からお見舞い申し上げます・・・」あとは言葉が無かった。

『特警ウインスペクター』の時もそうであった。「雲仙普賢岳」の噴火による災害だ。生々しい映像を流れてくるのを見て息詰まった思いをしたものだったが、報道番組の凄さをまざまざと見せつけさせられた。

「われわれウインスペクターが、救出活動で出動せねば!」と撮影所で冗談が出たが、その顔に笑みはなかった。特別報道番組で、日本のみならず世界のレスキュー部隊の活躍を見る。あまりの感動に拍手を送ってしまうこともある。24時間の警察官の活躍や、同じく24時間の病院での活躍・・・等に。

ノンフィクションのすばらしさは、計算できないことがあるから、作られたものが無いから、感動も大きい。そのような感動を創っていくのがフィクション、つまりドラマである。「ああ面白かったなぁ」では感動が無い。

見ている最中に感動があり、見終わった後に何かを考えさせる、余韻の残るものでなくてはならない。その余韻ことが生きていく間に肥やしとなって成長してゆくものだ。人が創るドラマ、余韻が必要である。

最近のテレビを見ても判るように、ドラマが非常に少なくなってしまった。この原因は世の中の景気の悪さにある。ワイドショーであるとかお笑い番組であるとか、はたまた視聴者参加番組が多くなってきている。「ドラマ」を作る予算の5分の1、いや8分の1で一時間番組ができてしまうからだ。

景気の悪さに企業も出資しないのだから、テレビ局としても生き残るためには仕方ないことなのだが。
「世の中、景気が悪いとお笑いが増える」という法則にピッタリはまってしまうから、面白いものだ。お笑いが決して悪いといってはいない。

ただ笑いを取るために正義感をパロッてみたり、やたらと相棒をぶってみたり、なじってみたりの芸は、芸と言えるだろうか。画面の向こう、レンズの向こうに、何人の小さな目があるのかを意識してほしい部分が多分にあるからだ。フィクションとノンフィクションの違いはあれ、感動と余韻を忘れてはならない。

ちびっ子達は何でもかんでも、マネをする。良しにつけ悪しきに付けである。だから感動と余韻のあるものを多く見た方が良い、という結論になるわけだ。良いマネよりも悪いマネの方が、入りやすいような気がする。だから悪を無くし良を多く取り入れる。子供たちに物申す。

これはヒントに過ぎないが、自分が堂々と生きていくためには、何か一つで良いから特技を持つことだ。勉強でもいい。ピアノでもバレーボールでもいい。これだけは誰にも負けないというものを持つことだ。それがあるというだけで、君の瞳は誰にも負けない輝きを放つに違いない。

フィクションでもノンフィクションでも、感動と余韻を見たら、親子でディスカッションしてみる。何がよくて何が悪い、だからどうだ。小さい目で見たら、解らないことがあるかもしれない。だから双方向のディスカッションをする。

そのことによって、親子の輪、親子の絆の元が生まれるわけだ。親から子への一方通行では、単なる説教になってしまう。

子は親を見て育つ。解らないような風をしていても、子は親をしっかり見ているものだ。夫婦が朝「おはよう」といえば、その子は必ず「おはよう」といえる。もちろん人様にも「おはよう」が言えるのである。教育とは何ぞや、しつけとは何ぞや、小さな子供であっても感情は持っている。

親として教育のつもりで、しつけのつもりでモノをいう。一方的であればあるほど、それは説教になってしまう。家族の輪、ディスカッションが一番大事である。あなたの瞳は輝いていますか。そしてお子様のお手本となれるでしょうか。小さな目は見ています。そしてマネをするのです。

「役者は夢を与えるのが商売だ」と誰かが言っていた。だが夢であっても、その夢の中に「愛と勇気と希望」を与えてこそ、それは単なる夢だけに留まらない。「ヒーロー番組」は「教育番組」である。だからすべてにおいて万全の努力が必要となる。

宮内洋は決して器用な役者ではない。ただただ、努力の男である。  (終わり)


★★★★★★★★★★★★
何も言うことは無い。これを読んでいただければ、子供を育てて、世に送り出すまでの親の責任の重要性が判る。宮内氏が生きた人生の中で感じたことだから、人によっては不満に感じるところもあるかと思う。筆者は全面的に賛同する。

親のしつけのおかげで挨拶が普通にできるし、それはご近所さんへも、会社の同僚へも、何の違和感なく言える。これができない連中が最近は多いと感じる。あいさつは、相手と仲良くなるための入り口だ。これができれば、人付き合いは簡単にできる。

これができないために、一人ぽっちになってしまうこともある。しかも大人になってからではなかなか身につかないのが、あいさつだ。箸の持ち方とあいさつは、子供のうちに身に付けさせてあげたい。



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