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レインボーマン(9) ~レインボーセブンは、大魔神をイメージしていたんだ(キャラクターデザイン・テレビアニメ版監督/岡迫亘弘氏)その2 [レインボーマンこぼれ話1]

(前回からつづき)
聞き手;
「レインボーマンの後は、どうされていましたか?」

岡迫氏;
「その後、『ダイヤモンド・アイ』も描いてるね。ラフだったか、イラストだったか定かじゃないけど。『目がダイヤ』っていうのが印象に残ってるな。それからその流れで、萬年社さんから『電撃!ストラダ5(74年)』、東宝映像さんから『流星人間ゾーン(73年)』っていう作品で声をかけてもらって、それぞれキャラクターデザインをやってます)

聞き手;
「ほかに実写版レインボーマンで印象に残っているエピソードがありましたら、お聞かせください」

岡迫氏;
「いやぁ、特にはねぇ・・・ああ、そうだ、主役のオーディションには参加してるね。川内先生が『目がきれいだ』って言って、(ヤマトタケシ役が)水谷君に決まって、その後食事に行って『がんばれよ』とか話してたんだ。主題歌が、のちに声優で人気になった水島裕君で。アニメ版の時には、ヤマトタケシを演ってもらったんだけれど」

聞き手;
「主題歌も水島さんが改めて歌ってますね」

岡迫氏;
「そうそう、あれが偶然だったの、確か。あの時最初は気が付かなくてね。起用が決まって本人と話してたら、水島君が『実はボク、前のも歌ってるんですよ』って言って。『あ、そうか!』って。実写版の頃は子役で、芸名も安永憲自だったから、気が付かなくってね」

聞き手;
「え!?狙って選んだんじゃないんですか?」

岡迫氏;
「偶然だったと思うね。オーディションやって、彼も来てたから。そういうことって、結構あるんだよね。また後になって、『キャプテン翼(83年)』をやった時に、小粥よう子(声優/大空翼役)さんから、『私、前に岡迫さんの作品で、オーディション落ちちゃったんですよ』って言われて、『何、それ?』って聞いたら、『(アニメ版)レインボーマンの時です』って(苦笑)

 あと、東映動画(現・東映アニメーション)にいた頃、ちょうど『(実写版)月光仮面』の劇場作品(1958年5月公開)を撮ってて、仕事の合間によく見物に行ったりしてたんだけど、まさかそれを自分がアニメで描くことになるとは、思ってもみなかった。面白いもんだよね、本当に巡り合わせっていうのは、どこでどうなるか分からない」

聞き手;
「アニメ版レインボーマンでは、監督とキャラクターデザイン、作画監督と三役兼任されています。これは、どういった経緯で?」

岡迫氏;
「(アニメ月光仮面の)その後もちょくちょく川内先生にはキャラクターのデザインとかで呼ばれてて、関係が続いていてね。そうしたら、『今度レインボーマンをアニメでやるから、またキャラクターを創ってくれ』と言われて。僕はむしろアニメの方がいいんじゃないかなぁと、思ってね。

それから『監督も頼むよ』って先生から言われて。…まぁ、ボクも『アニメでレインボーマン』となれば、自分しかいないよなって思って。で、キャラクターデザインと作画監督と監督を兼任することになって。

僕はいつも、監督やるんなら作画監督も一緒にやらしてくれって言ってたからそれは有り難かったけど、やっぱり監督と作画監督をテレビシリーズで並行してやるっていうのは、たいへんで。仕事量が膨大で、たぶん若いから出来たんだろうね(苦笑)」

聞き手;
「特に、前作との設定とかデザイン上で、意識したところはありましたか?」

岡迫氏;
「いや、特に強く意識したところは無かったね。前と同じようにスタイリッシュにしようとは意識してたけど。この時は好きなようにやらせてもらって、こちらでアイデアとかキャラクターを出して、先生からOKをもらうような形を取っていたから、すごくやり易かった。逆にストーリー展開とかストーリー構成とかは、川内先生と伊東(恒久)さんの方にお任せして、僕はビジュアル面に集中して」

聞き手;
「新しい試みとして、ロボット・レインボーセブンの登場がありますが」

岡迫氏;
「あの頃ってロボット物が流行ってたでしょう?だから流行は取り入れていこうと。ただアニメ版の時は視聴率があまり伸びなくて、局とスポンサーの意向でロボットをもっと出してくれって言われたのが難だったね。

それは川内先生も乗り気じゃなかったみたいで、ボクも反論してんだけど、視聴者=子供達へのサービスだってことで納得することにして。そういう意味では、第一話の冒頭でロボットを戦わせるっていうのも、ちょっとね。ロボットが出てれば子供が観ると思ってる安易な考え方だから、乗り気じゃなかった。

僕としては、レインボーセブンは『大魔神(1966年)』をイメージしていたんだ。時代劇が好きだったこともあって。だからチャンバラもやらせたくて、剣を武器にして。あと、合体してできるっていうんじゃ普通だから、それじゃ面白くない。やっぱりレインボーだから、虹が出る感じも入れようということになって、七つの化身=虹が入っていって、全身に七つの色が入るっていう風にしてね」

聞き手;
「死ね死ね団のアレンジというか、新しいデザインも面白かったですね」

岡迫氏;
「やっぱり肌の色が普通じゃないね(笑)。グレーだもの。『宇宙戦艦ヤマト(1974年)』のガミラス人というか、サイケ調というか。これはね、ネズミのイメージでというのがあったんで、それでなんだけど(笑)」 (おわり)


★★★★★★★★★★★★
筆者は絵が下手くそなので、この岡迫氏のように絵が上手く描けて、その上アニメドラマの監督もできるような能力がうらやましい。小学3年の頃クラスに絵が上手い男子がいて、当時流行っていた『タイガーマスク』の絵を、よくノートに書いてもらっていたっけ。その友達の顔は今でも覚えているが、果たして漫画家になれたかどうか?

岡迫氏の経歴を見ると、運も実力も備えていたことに驚く。漫画家志望でテレビが無い時代。『赤胴鈴之助』などの漫画雑誌を真似て描くことで、腕を磨いたようだ。漫画家になる方法が分からないので、東映に勤めている叔父に出す年賀状に、漫画を描いて毎年出していた。そしたらある時、市川歌右衛門の似顔絵がきっかけで叔父に呼ばれて、東映の試験を受けることが出来たという。

ちょうど東映がアニメーション事業をはじめる時期で人材を求めており、岡迫青年は見事に合格する。映画も漫画も大好きだった岡迫青年は、まさに天職に就いたといっていいだろう。



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