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レインボーマン(5) ~「レインボーマン」では、実に気持ちよく仕事が出来ました(特技監督;故・有川貞昌氏)その1 [レインボーマンこぼれ話1]

ウルトラファンなら、このお名前をご存じの方は多いと思う。たいへん残念なことに、2005年9月に他界されてしまわれている。有川貞昌氏は戦後の混乱期に就職したが、色々な事情で東宝と円谷特技研究所を行ったり来たりしている。最終的には東宝に席を置いたようである。

円谷英二氏が特技監督を務める作品で撮影助手・カメラマンを歴任し、その右腕として活躍された。やがて円谷プロのテレビ映画『ウルトラQ』で特技監督デビューを果たし、その後東宝映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』でも、東宝の二代目特技監督に就任した。

1970年の師匠円谷英二の死去を機に東宝を退社。翌年、国際放映に移り、『レインボーマン』『バトルホーク』などに関わることとなる。円谷英二の愛弟子として薫陶を受け、円谷を『オヤジ』と呼んで慕った。穏やかな顔つきの人物にみえるが、仕事現場では非常に厳しい人であったという。

では、有川氏のインタビューをどうぞ。


★★★★★★★★★★★★
聞き手;
「『愛の戦士 レインボーマン』に参加された経緯からお聞かせ下さい」

有川氏;
「お話は、当時の東宝テレビ部の芝山さんから来たんです。元東宝撮影所長をやっていらした方です」

聞き手;
「東宝のプロデューサー、野口光一氏からの依頼ではなかったのですか?」

有川氏;
「野口くんとは、以前一度仕事をしたことはあるんです。僕はオヤジ(円谷英二)から『テレビの方を開拓してくれ』と言われて、1年半くらい円谷プロに在籍していたことがありますが、その時彼が東宝から出向してきて、『怪奇大作戦(68年)』をやったんです。

これが終わると彼は東宝へ帰りましたが、その後も私はよく東宝へ顔出すことが多くなり、国際放映に移って、また『レインボーマン』で彼と組むことになったわけです。この作品がうまくいったと思えるのは、彼がよく協力してくれたおかげですね。

他のプロデューサーだったら、私のいうことを理解してくれたかどうかわかりません。彼は以前こういう特撮番組の経験があるから、本編と特撮のバランスをどう取るかということが分っていたんですね」

聞き手;
「川内康範先生とは、お会いになりましたか?」

有川氏;
「はい。始まる前に、ホテルニュージャパンにあった事務所に呼ばれました。この時は、正直ビビリましたね(笑) 最初はおっかない人だと思っていましたから。実際にお会いしてみるとそうでもありませんが、でもああいう雰囲気で押してくるタイプの人は、映画界にはいませんね」

聞き手;
「その時は、どのようなことを話しましたか?」

有川氏;
「映像的に凝るよりも、俺の書いたテーマを大事にしながらやってほしいということを言われましたね。他の人なら、『とにかくカッコよく創ってくれ』って言うと思いますが、川内先生は、脚本に込めた俺の気持ちを大事にしてくれと言われました。

そのあと何度か打ち合わせでお会いしていますが、『あれはダメだった』と言われたことは、一度もありませんでした。むしろ『よくやってくれている』と、ほめていただいて」

聞き手;
「国際放映に移られてから、初めて長丁場のテレビシリーズを手掛けられたわけですが、それまでの仕事の仕方と比べて、大きく違った点はどこでしょうか?」

有川氏;
「円谷プロや東宝でやっていた頃は、グループで仕事をしているという感覚がありました。言いたいこと言いながらやっていましたし、自分の力不足の部分は誰かに助けてもらいながらやっていたんです。でも国際放映に移ってからはその感覚を捨てて、個人の力で、一枚看板でやらなきゃいけないんだと、気を引き締めました。

テレビに移って間もないために、そのやり方にまだ慣れてない頃で、なかなかコツをつかめないでいました。最初はシャカリキになってやったり、他の作品を観て反省したり。あと、映画はその1本で勝負しますが、テレビは26本なり52本という期間の中で、色々なことを考えないといけない。それは初めての経験でしたね」

聞き手;
「この作品では、気持ちよく仕事が出来たという理由は何でしょうか?」

有川氏;
「一番大きかったのは、人間関係に恵まれた事だと思います。プロデューサーの野口君はよくやってくれたし、他のスタッフとも非常にスムーズに仕事が出来た。本編の監督をやっていたヤマケン(山田健監督)や長野ちゃん(長野卓監督)とも非常に親しかったし、そういう点は楽に仕事ができました。ヤマケンは、確か川内先生の事務所で最初に紹介されたんですよ。

その時彼が、『有川さんは、僕の大先輩なんです。有川さんが全盛期のゴジラをやっていらっしゃる頃、僕はガメラをやっていたんです』と言うから、『誰のところでやってたの?』と聞いたら、『湯浅(憲明)監督です』と・・・。それからグッとくだけた関係になったんですよ。お互いに言いたいことを言い合えるようになりましたし、相手が困っていれば、何とかしよう思うようになりましたね」 
(つづく)



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