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レインボーマン(6) ~「レインボーマン」では、実に気持ちよく仕事が出来ました(特技監督;故・有川貞昌氏)その2 [レインボーマンこぼれ話1]

(前回からつづき)
有川氏;
「予算がそれほどかけられない回というのも、当然出てきます。そういう時はプロデューサーの野口君が、『この前ちょっと予算をかけすぎたから、今回はなるべく抑えてください』という風に言ってくるんです。自分の都合ではなく番組のことを考えての発言ですから、じゃあ何とかしようという気持ちになる。

そういう時はヤマケンや長野ちゃんに、『このカット、本編でこう撮ってくれると後の処理が楽になるんだけど』とか相談できたんですね。1カット1カット、常に話し合いながらスムーズに仕事が出来たんです。互助の精神と言いますか、それをお互いに発揮しながらやっていました。

映画だと本編は本編、特撮は特撮と仕事を進めていって、本編が『ここから先は特撮に任せよう』なんて、半ば押し付けてくることもありましたが、この作品に限ってはそういうことは一切ありませんでした。最初の頃は確かに失敗もありましたよ。

例えば水を吹きだすホースが画面に映ってしまっていたこともあった。でもやっているうちに、そういう失敗はしなくなりますし、同じようなカットを撮っていても、よりカッコいいものが撮れるようになります。経験が生きてくるんですね。ここがテレビシリーズの良い所ですよ。

映画だと失敗すればどうしようもありませんが、テレビでは後で修整が効きますからね。最近、DVDで見返しているんですよ。反省する所ももちろんありますが、あの当時としては、ここまでやったのはヨシとしようという所もありますね」

聞き手;
「それは、例えばどういうシーンでしょうか?」

有川氏;
「例えば、ダイバダッタが怪我をした兵士から念力で銃弾を抜き取るシーンがありますね。ここは手の形にマスク(*)を作っているんですが、普通ならそこに光を被せてファーッとした感じを出します。でも当時の技術では、光線を実際に光として合成することが出来なかったんです。だからどうしても輪郭を持ったものになってしまう。

しかも光線というのは白一色で、色を付けることが出来ませんでした。我々技術者にとっては、非常に残念だったんですよ。仕方がないので、マスクの中にレインボーマンというイメージで七色の色を被せてみたんです。ひとつのマスクの上に、もやもやした七色のフィルターをかけて、動かしてみました。

普通ならマスクを被せておしまいという所に、もう一つ被せて合成を二重にしたんです。これは時間的もの大変な作業でしたが、その手間をかけただけのことはあったんじゃないかと思います。あれをあの当時やったことについて、自分に合格点をやってもいいんじゃないかと思っています」
(*)マスク;合成のために、画面の一部を見せないように覆ういろいろな形状の画像のこと

聞き手;
「逆に、しまったと思われたシーンは?」

有川氏;
「結構、ピアノ線が見えているシーンがあるんですよね。操演の中代さんとは長い付き合いで、ツーカーで仕事をしていたんですが、撮影している時は気づかなかった。こういう『しまった!』と思ったシーンというのは、長い間忘れないものなんです。『ゴジラ』をやっていたときから、そうです」

聞き手;
「後半はモグラートなどの死ね死ね団の新しいメカが登場して活躍するようになり、やや作品のカラーが変わりますが」

有川氏;
「前半は割とドラマが中心でしたが、後半はもう少し画面を派手にしようと、川内先生からも提案が出たんです」

聞き手;
「予算が増えたのでしょうか?」

有川氏;
「トータルの予算は変わってないと思いますよ。前半より、特撮に回す予算は増えたかもしれません。野口君の采配で、そうなったのでしょう」

聞き手;
「何度か東宝特撮映画から映像を流用していますが、この指示も有川さんが出されるのですか?」

有川氏;
「ライブを使うことのアドバイスは僕がやることもありますし、野口君からの場合もあります。ライブを使うのは、もちろん予算的なことが大きいですね。でもその使い方には、注意が必要なんです。豪華に見せようと思ってスケール感のあるライブを使った時、そのつながりで話が進んでしますと、後でそれに見合ったセットを組まなくちゃいけなくなる。

そうすれば、かえってお金がかかる。だったら最初から、ちゃんとセットを組んだ方がいい。だからライブの流用は、あくまでも後のカットに影響しない、そこだけの1カットとして必要になった時に限られますね。使うことが決まった時は、野口君が直接東宝の編集室へ行って、このフィルムを貸してくれと交渉していました。当時はそれでOKでした」

(注)ライブの意味を調べましたが、用語として載っていないため、前後の文章からの推測で、『既存の映像を使用すること』のような意味合いになると思います。

聞き手;
「オープニングも、有川さんのお仕事ですか?」

有川氏;
「あれも僕がやりました。各化身の背景の模様などは、おそらく三重四重に合成しているんじゃないですか」

聞き手;
「木の化身のバックにアニメーションを使ってみたり、非常に凝ってました」

有川氏;
「あのアニメーションにしても、1コマいくらですから、なるべく枚数を使わずにどううまくみせようかと、苦労しました。もう少しリアルな動きがほしいとか立体的な動きがほしいとか思う訳ですが、なかなかできなくてね。各化身の変身シーンだって、もっとこういうイメージでやりたいと思っても、すべてがその通りになるとはかぎりません。

野口君は『なんとか、この辺で収めましょう』と歯止めをかけてくれました。決して自分の言いたいことだけを押し付けてくる人間ではなかったんですよ。野口君とふたりで『レインボーマン』の延長を川内先生にお願いしに行ったことを覚えています。でも川内先生が『もう疲れた』とおっしゃったので、終了することになったんです。『レインボーマン』は、自分の履歴の中でも誇れる作品だと思っています」
 
(おわり)


★★★★★★★★★★★★
レインボーマンの終了理由が、川内康範先生の側にあるとは意外だった。昭和の初期、月光仮面で出来なかったことを、昭和の日本人が一番活気のあった時代に、このレインボーマンである程度やり切ったのかもしれない。

川内先生が言いたかったことは、日本人はガンバリ屋さんで忍耐強いから、国難にあってもお互いを信じて強く生きていこうということだと、筆者は思っている。いま平成の世になり、そのすそ野が少しずつ崩れかけているのではないか。人を信用できなくなってきている。

振り込め詐欺、深夜の連続放火、弱い者を狙う犯罪が多い。『義理がすたれば、この世は闇よ♬』昔の映画の歌のようにならないことを、祈るだけだ。



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