帰ってきたウルトラマン(16) ~ウルトラ対談、きくち英一VS団時朗その4 [帰ってきたウルトラマンこぼれ話1]
(前回のつづき)
聞き手;
「ウルトラマンの変身のポーズは、誰が考えられたんですか?」
団氏;
「基本的には、自力で変身出来ないってことだった。最初は瓦礫に突っ込んだり火に突っ込んだりしている間に自然に変身してたんだけど、極限まで自分の力でやってみてそれでダメなら、何らかの形が見えてくる。そういうのが段々と物理的にというか、もう変身しちゃえよって感じに(なった)。
それも東條さんなんかの(考えだった)。監督がいろいろ来られるわけだから、やっぱり(助監督を多く務めた)東條昭平の方が全体をよく知っているわけで。片手を上げて変身するのも、本(脚本)に書かれてたわけじゃなくて、ある日突然やっちゃえって感じだったと思う。現場の便宜上だったと思う」
聞き手;
「前転して池に飛び込んで、変身されたこともありましたが」
団氏;
「いや、覚えてないな」
聞き手;
「ありましたよ」
団氏;
「でも前転してなら、僕じゃない。僕は前転できないもの(笑)」
聞き手;
「MATの服って、何着くらいあったんですか?」
団氏;
「人によって違うと思うけど、二、三着じゃなかったかな」
聞き手;
「やたら汚れてましたよね。現場を見られたのは、何回かあったんですか?」
団氏;
「2~3回じゃないかな、美センにね。『たいへんだなー』って思いましたよ。
きくち氏;
「飛行機関係が美センでね。(マットアローの)コックピットの部分」
団氏;
「スタジオを転々とした覚えがありますよ。東宝へも行って。最初は東宝の第一で、撮ってた。美セン、国際放映にも言った。後半のほうで」
きくち氏;
「金額的には、東宝が一番高い。今みたいに、国際放映はきれいじゃなかった。美センと変わらなかった」
聞き手;
「最後にこういう打ち上げの写真が残っているんですが、いかがでした?」
団氏;
「憶えてないんだよね。もうちょっと向こうもキチッとやってくれればね、憶えてるけど。この写真もね、すべて終わった後じゃなく、終わりの頃たまたま集まったからって感じで、撮ったんだと思う」
聞き手;
「団さんはこの時期、プライベートスナップみたいなものを撮ってないんですか?」
団氏;
「全くないんですよ。でも番宣(番組宣伝のこと)でもらったものが、何枚かはあるかも・・・」
聞き手;
「岸田森さんには、何か思い出のようなものは?」
団氏;
「やっぱり森さんはカッコ良くてね、渋くて」
きくち氏;
「森さんの家に行ったでしょ?」
団氏;
「そうそう、1回ね」
きくち氏;
「部屋中真っ赤だったって、言ってたじゃない」
団氏;
「いや、それは覚えてないけど。蝶がいたね。それと冷蔵庫を開けるとね、小ビンのビールがズラッと並んでいて、いっぱい飲んだ憶えがあるなぁ」
聞き手;
「当時、団さんときくちさんが一緒に飲みに行ったことは、あるんですか?」
団氏;
「無いですねぇ。きくちさんが、とにかく忙しかったもの」
聞き手;
「団さんは、コスモスポーツ(マットビハイクル号)運転されてたんですか?」
団氏;
「してましたよ」
聞き手;
「あのコスモスポーツは、結構まともに走りましたか?セブンのポインターは、故障が多かったと聞いてますが」
団氏;
「あれは走った。新車で出来てたから」
聞き手;
「団さんがオンエア見られてて、きくちさんのウルトラマンに対して、俺ならここをこうするのになぁって思われたこととかありましたか?」
団氏;
「それは、まったく無い」
聞き手;
「完全に信頼されて」
団氏;
「(バシッと)当たり前じゃないですか!それより、毎回戦いが終わった後に出てくる、あの気恥ずかしさね。『おーい』なんて。何が『おーい』なんだって。あれは恥ずかしいよね」
きくち氏;
「ハハハ、この忙しい時に何やってたんだって感じね」
団氏;
「あんなウソっぽいのも無い(爆笑) しかし、(写真見ながら)こうやってみると火って迫力あるよね」
きくち氏;
「俺がね、側転するとき股の下で爆発してね。コスチュームに火がついたまま側転している回があった。綺麗はきれいなんだけどね」
団氏;
「帰った来たウルトラマンの撮影で、死んだ人はいないんでしょ?」
きくち氏;
「いない」
聞き手;
「最後になりますが、団さんにとってのウルトラマンとは?」
団氏;
「うーん、難しいですね。うーん。適当に書いといてください(爆笑)いろいろやった仕事のうちの一つというのもウソではないし、かと言って、特別な思いがないのかというと、そんなはずはもちろんないし。たかが一年だったけど、すごく長かった気がするしね。
オンエアにしてもその一年だけじゃ無く、延々とやってくれていたわけでしょう。やっぱり難しいな。でも楽しい思い出の方が多かったのは、間違いないですね」
きくち氏;
「そうね。その『帰ってきたウルトラマン』を小学校の頃、あなた達(聞き手とスタッフ)が観てたわけだ」
聞き手;
「そうなんです。で、私もテレビなんかで監督やったりしてますが、なかなかウルトラマン程のものを作れない。ボクに限らず。もちろん、予算的にもすぐ赤字になっちゃいますし。だから余計ウルトラマンの面白さというものを、追及したくなるんですよ」
団氏;
「しかしさ、ウルトラマンもここまでですよね(と言って、『帰ってきたウルトラマン』の本を指す)あとはね、俺さ、あんまり面白いとは思わない。やっぱり違うというか、もちろん技術的にはアップしてるけど。なんかね、スタッフとかも東條さんみたいな名物男が必要なんだよね」
きくち氏;
「予算的にも、このときが一番だったと思う」
団氏;
「そうだろうね」
きくち氏;
「怪獣も、本当に怪獣らしいヤツが多かったしね」
聞き手;
「きくちさんはこの撮りがすべて終わった時、まず《ホッとした》と言われているんですが」
団氏;
「それはよくわかりますね。現場の人はむしろ、僕らよりそうだったと思う。僕の場合は、最後のワンカットについてはあんまり覚えが無い・・・。しかしきくちさん、スゴイよね!こんなの作って残していたんですか。これ、僕にもコピーしてちょうだい!」
きくち氏;
「うん。これ、うちの息子よ、団チャンに抱かれているの(MATの制服を着た団次郎が小さな子供を抱いて、きくち英一と写っている写真を見て)」
団氏;
「ああ、これ覚えてますよ」
きくち氏;
「今25歳で182センチ(当時)」
団氏;
「エッ、うわー!」
(おわり)
どうでしたか?ウルトラマンに変身した男とウルトラマンの中に入っていた男の対談。超過酷な重労働(変な日本語だが)という言葉がピッタリなくらい大変なお仕事であろう《スーツアクター》という職業。
初代マンに入っていた古谷敏氏も、『今日終わったら辞めよう』と思いながら毎朝家を出たと回想していることでも、大変な様子がうかがえる。きくち英一氏の大学の後輩で、怪獣のスーツアクターだった遠矢孝信氏の話もあるので、いつか載せたいと思っています。
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聞き手;
「ウルトラマンの変身のポーズは、誰が考えられたんですか?」
団氏;
「基本的には、自力で変身出来ないってことだった。最初は瓦礫に突っ込んだり火に突っ込んだりしている間に自然に変身してたんだけど、極限まで自分の力でやってみてそれでダメなら、何らかの形が見えてくる。そういうのが段々と物理的にというか、もう変身しちゃえよって感じに(なった)。
それも東條さんなんかの(考えだった)。監督がいろいろ来られるわけだから、やっぱり(助監督を多く務めた)東條昭平の方が全体をよく知っているわけで。片手を上げて変身するのも、本(脚本)に書かれてたわけじゃなくて、ある日突然やっちゃえって感じだったと思う。現場の便宜上だったと思う」
聞き手;
「前転して池に飛び込んで、変身されたこともありましたが」
団氏;
「いや、覚えてないな」
聞き手;
「ありましたよ」
団氏;
「でも前転してなら、僕じゃない。僕は前転できないもの(笑)」
聞き手;
「MATの服って、何着くらいあったんですか?」
団氏;
「人によって違うと思うけど、二、三着じゃなかったかな」
聞き手;
「やたら汚れてましたよね。現場を見られたのは、何回かあったんですか?」
団氏;
「2~3回じゃないかな、美センにね。『たいへんだなー』って思いましたよ。
きくち氏;
「飛行機関係が美センでね。(マットアローの)コックピットの部分」
団氏;
「スタジオを転々とした覚えがありますよ。東宝へも行って。最初は東宝の第一で、撮ってた。美セン、国際放映にも言った。後半のほうで」
きくち氏;
「金額的には、東宝が一番高い。今みたいに、国際放映はきれいじゃなかった。美センと変わらなかった」
聞き手;
「最後にこういう打ち上げの写真が残っているんですが、いかがでした?」
団氏;
「憶えてないんだよね。もうちょっと向こうもキチッとやってくれればね、憶えてるけど。この写真もね、すべて終わった後じゃなく、終わりの頃たまたま集まったからって感じで、撮ったんだと思う」
聞き手;
「団さんはこの時期、プライベートスナップみたいなものを撮ってないんですか?」
団氏;
「全くないんですよ。でも番宣(番組宣伝のこと)でもらったものが、何枚かはあるかも・・・」
聞き手;
「岸田森さんには、何か思い出のようなものは?」
団氏;
「やっぱり森さんはカッコ良くてね、渋くて」
きくち氏;
「森さんの家に行ったでしょ?」
団氏;
「そうそう、1回ね」
きくち氏;
「部屋中真っ赤だったって、言ってたじゃない」
団氏;
「いや、それは覚えてないけど。蝶がいたね。それと冷蔵庫を開けるとね、小ビンのビールがズラッと並んでいて、いっぱい飲んだ憶えがあるなぁ」
聞き手;
「当時、団さんときくちさんが一緒に飲みに行ったことは、あるんですか?」
団氏;
「無いですねぇ。きくちさんが、とにかく忙しかったもの」
聞き手;
「団さんは、コスモスポーツ(マットビハイクル号)運転されてたんですか?」
団氏;
「してましたよ」
聞き手;
「あのコスモスポーツは、結構まともに走りましたか?セブンのポインターは、故障が多かったと聞いてますが」
団氏;
「あれは走った。新車で出来てたから」
聞き手;
「団さんがオンエア見られてて、きくちさんのウルトラマンに対して、俺ならここをこうするのになぁって思われたこととかありましたか?」
団氏;
「それは、まったく無い」
聞き手;
「完全に信頼されて」
団氏;
「(バシッと)当たり前じゃないですか!それより、毎回戦いが終わった後に出てくる、あの気恥ずかしさね。『おーい』なんて。何が『おーい』なんだって。あれは恥ずかしいよね」
きくち氏;
「ハハハ、この忙しい時に何やってたんだって感じね」
団氏;
「あんなウソっぽいのも無い(爆笑) しかし、(写真見ながら)こうやってみると火って迫力あるよね」
きくち氏;
「俺がね、側転するとき股の下で爆発してね。コスチュームに火がついたまま側転している回があった。綺麗はきれいなんだけどね」
団氏;
「帰った来たウルトラマンの撮影で、死んだ人はいないんでしょ?」
きくち氏;
「いない」
聞き手;
「最後になりますが、団さんにとってのウルトラマンとは?」
団氏;
「うーん、難しいですね。うーん。適当に書いといてください(爆笑)いろいろやった仕事のうちの一つというのもウソではないし、かと言って、特別な思いがないのかというと、そんなはずはもちろんないし。たかが一年だったけど、すごく長かった気がするしね。
オンエアにしてもその一年だけじゃ無く、延々とやってくれていたわけでしょう。やっぱり難しいな。でも楽しい思い出の方が多かったのは、間違いないですね」
きくち氏;
「そうね。その『帰ってきたウルトラマン』を小学校の頃、あなた達(聞き手とスタッフ)が観てたわけだ」
聞き手;
「そうなんです。で、私もテレビなんかで監督やったりしてますが、なかなかウルトラマン程のものを作れない。ボクに限らず。もちろん、予算的にもすぐ赤字になっちゃいますし。だから余計ウルトラマンの面白さというものを、追及したくなるんですよ」
団氏;
「しかしさ、ウルトラマンもここまでですよね(と言って、『帰ってきたウルトラマン』の本を指す)あとはね、俺さ、あんまり面白いとは思わない。やっぱり違うというか、もちろん技術的にはアップしてるけど。なんかね、スタッフとかも東條さんみたいな名物男が必要なんだよね」
きくち氏;
「予算的にも、このときが一番だったと思う」
団氏;
「そうだろうね」
きくち氏;
「怪獣も、本当に怪獣らしいヤツが多かったしね」
聞き手;
「きくちさんはこの撮りがすべて終わった時、まず《ホッとした》と言われているんですが」
団氏;
「それはよくわかりますね。現場の人はむしろ、僕らよりそうだったと思う。僕の場合は、最後のワンカットについてはあんまり覚えが無い・・・。しかしきくちさん、スゴイよね!こんなの作って残していたんですか。これ、僕にもコピーしてちょうだい!」
きくち氏;
「うん。これ、うちの息子よ、団チャンに抱かれているの(MATの制服を着た団次郎が小さな子供を抱いて、きくち英一と写っている写真を見て)」
団氏;
「ああ、これ覚えてますよ」
きくち氏;
「今25歳で182センチ(当時)」
団氏;
「エッ、うわー!」
(おわり)
どうでしたか?ウルトラマンに変身した男とウルトラマンの中に入っていた男の対談。超過酷な重労働(変な日本語だが)という言葉がピッタリなくらい大変なお仕事であろう《スーツアクター》という職業。
初代マンに入っていた古谷敏氏も、『今日終わったら辞めよう』と思いながら毎朝家を出たと回想していることでも、大変な様子がうかがえる。きくち英一氏の大学の後輩で、怪獣のスーツアクターだった遠矢孝信氏の話もあるので、いつか載せたいと思っています。
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