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光明寺マサル役の神谷まさひろ氏が語る人造人間キカイダー(2) [キカイダー対談・1]

(前回からつづき)
聞き手;
「番組後半では、ストーリー上、ハカイダー=サブローとの絡みも多くなったようですが?」

神谷氏;
「カッコイイですよね、サブロー!後半は、ジロー=キカイダーよりも絡みが多いですからね。デスホイッスルのくだりは、本当によく覚えています。

ドラマ的にもジローへの信頼を取り戻すまで何本も引っ張ってったり、ハカイダーの登場なんて実際の登場の何週も前から予告に出したりして、いよいよ登場!、いよいよ登場!って言って、一向に出てこない。ひと月くらい、引っ張ってましたよね(笑)」

聞き手;
「ビデオで観直していても気持ちをあおられますから、本放送ではかなりつらかったかもしれないですね?」

神谷氏;
「ですよね。また真山譲次さんがカッコよくて。実際にはサブローの登場シーンっていうのはあまり長くないのに、印象がすごく強い。ご本人がまた、サブローそのままというクールな方で。だから『カッコイイなぁ』という憧れがありましたね。

実際、サブローとのやりとりは芝居じゃ無かった気もしますね(照れ笑)デカいナナハン転がして、ナイフで戦ってカッコイイじゃないですか、やっぱり!」

聞き手;
「ゲストの方で印象に残っている方は・・?」

神谷氏;
「斎藤浩子ちゃんかな・・・確か2回出てた」

聞き手;
「斎藤浩子さんは、初恋のお相手とも聞き及んでいるのですが」

神谷氏;
「初恋(笑)と言えば、そうなるかもしれませんね。3~4歳上のお姉さんだったんですけれども、カメラが回ってる時の方が恥ずかしくて。みんなが見てるな~と思うと、どうしても(照れ笑)」

聞き手;
「『人造人間キカイダー』の後は、どのように活動されていたのでしょうか?」

神谷氏;
「学校もありますから。1年レギュラー番組やったら、その後1年間は学業に専念というか、単発ものや夏・冬休みに集中して動くようにしていて。ですから、『キカイダー』の後は1年学業集中、で、その翌年に『電人ザボーガー(74年)』と昼の帯ドラマ。

また1年置いて『大鉄人17(77年)』になります。あの頃はありがたいことに、監督や現場が待っていてくれましたから。『いつでもいいから、空いたら来てくれ』とね。こちらにも選択の余地があったことは、本当にありがたかったなと思うんです」

聞き手;
「『キカイダー』や『大鉄人17』をビデオやCS放送で再び観る機会が生まれています。ある種のレトロブームの様相を肌で感じられたことはありますか?」

神谷氏;
「ありますね。自分の周りでも観直したとか、番組を初めて観て僕の出演に気付いた人とかもいますから。ビデオもそうですが、音楽盤も復刻されています。聴き直してみて、何がカッコイイって水木一郎さんの歌。『ハカイダーの歌』、『サブローのテーマ』が一番。今聴いても、全然古さを感じさせない」

聞き手;
「『人造人間キカイダー』のマサル役は、今どのような存在になっていますか?」

神谷氏;
「石ノ森先生の作品に何本も出ることができたのは、たいへん幸運だったと思っています。作品に出られたこと、キャラクターを演じれれたことは僕の誇りであり、役者である自分に取って隠し玉にもなっていると思うんです。プラスになってもマイナスにはならないですから」


★★★★★★★★★★★★
筆者にとっては、『ウルトラマン』のホシノ少年みたいな感じで記憶に残っているのが、このマサル少年だ。のちに『電人ザボーガー(74年)』や『大鉄人17(77年)』などに出演しているのを観て、「あの時の・・・」と記憶が蘇る。

『大鉄人17』以降、「特捜最前線(76年)」などで準レギュラーを務めたあとは、しばらく芝居の世界から遠ざかっていたようだ。音楽の世界などいろいろと経験して、気が付けば元の芝居の世界に戻ってきていたという。

他の世界を覗くことで、本当に好きなことが見えてくるということだろう。自主制作映画などがあれば出演させてもらったりして、自分を主張できる芝居というものを楽しむ。そしてとことん芝居を楽しんだら、今度はそれを演出するという楽しみに目覚めたとご本人はおっしゃっている。


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