光明寺マサル役の神谷まさひろ氏が語る人造人間キカイダー(1) [キカイダー対談・1]
『人造人間キカイダー』は、人造人間ジローがミツコ・マサルの姉弟と共に、行方不明の父・光明寺信彦博士を探しながら、プロフェッサーギルの悪のロボットと戦う話である。マサルを演じた神谷まさひろ氏は、当時12歳。デビューして3年目であった。
所属の劇団から示された3本のうちのどれかを次の仕事として選ぶように言われて、さんざん迷った挙句に選んだのが『キカイダー』だったという。
では、インタビューをどうぞ。
聞き手;
「光明寺マサル役について、どのような印象を持たれましたか?」
神谷氏;
「特に先入観とか無くて。何も分からないですから、監督のおっしゃるとおりに演ってました。第一話の監督が北村さんという鬼監督で、容赦ないですし、現在なら役者に演らせ無いようなことも平気で演らせる。でなければ吊り橋に子供をつるさないですよ、普通。
事前には『ちゃんと人形でやるから』って言ってて、現場に行ったら本当に吊るされて。母親なんか、顔面蒼白でしたよ(笑)しかも装備というのも、みんなが着けていたベルトを寄せ集めて、体中に巻き付けて吊るしてたんです」
聞き手;
「なかなか無茶な撮影でしたね」
神谷氏;
「まぁ、そう演るもんだと思ってたからやってましたけど。サイドカーも、地面のほんの少し上に薄い板があるだけですから。シートベルトもないし、結構怖かったですよ。で、子供でしょう?
普通に座ると姿が見えなくなっちゃうんで、台を乗せてその上に座らされて。ちょこんと座ってるだけですから、いつ放り出されてもおかしくないですもんねぇ」
聞き手;
「共演者の方で、強く印象に残ってる方は?」
神谷氏;
「みんな印象に残ってますが、常にいっしょにいましたから、水の江じゅんさんが印象に強いですね。確か、『大鉄人17(77年)』の第一回の放送が終わった直後に、うちに電話がかかってきて『見たよ~』って。
それで何年かぶりに会話しました。その後は、現場で会うことはありませんでしたからね。年賀状のやり取りは、してましたけど」
聞き手;
「伴大介さんは、どうですか?」
神谷氏;
「一年間ご一緒してましたから、一緒にいて当たり前というような感覚でしたね。撮影が終わってから、『ああ、もう終わってしまったんだ』という淋しさのほうが大きく感じましたね」
聞き手;
「うえだ峻さん(服部半平役)は、いかがですか?」
神谷氏;
「それはもう、印象深いですよ。うえださんのベストキャラクターのひとつですよね、ハンペンは。子供番組に出てくるああいった三名目キャラの定番を作りましたよね。飛び出さず、でも作品には欠かせない存在。
それまでは『仮面ライダー』の滝和也のような、主人公のサポートをきっちり果たすようなキャラクターがほとんどでしたから。そう、マサルが毒にやられて気が触れてしまうという話(第17話)があって。
僕はどうしても、その毒で気が触れるというのが出来なくて、どうしていいのか分からなかった。無気力に笑うというのが、分からなかった。窓を見て突然笑い出すという難しい芝居ですからね。
それにプラスアルファを求められて、困ってしまって。そこで『マー坊、これはね・・・』って言って、横で手取り足取りワンカットずつ演って見せてくれたのがうえださんで、それが一番印象に残っています」
聞き手;
「あの見事な演技は、うえださん譲りだったんですね?」
神谷氏;
「そうです。だから僕の中では第17話が、ストーリー以外では一番印象深いです。そこでハンペン=うえださんへの信頼関係が出来た気がしますね」
聞き手;
「それでマサルとハンペンのやり取りが、絶妙になっていったんですね」
神谷氏;
「内面的にはすごくありましたね。今でも感謝しています。何しろ地方ロケが多い番組でしたから、共演者の方やスタッフの方とも、必要以上に仲良くなってしまいましたね」
聞き手;
「地方ロケ、多いですよね?」
神谷氏;
「多かったですよ~。こっち(東京)で撮ってるときは日が沈んだら撮影は終わりますけど、むこう(ロケ)に行くと『暗くなってきたからホテルの中で』とか、撮影が夜まで続きますからね、キリがない。で、オフの時はサイン会とかショーとか、営業で出ることになっちゃう(苦笑)」
聞き手;
「そういったイベントは、東京ではどうなっていたんですか?」
神谷氏;
「確か、豊島園にはよく本隊が出演してましたね。出演者からサイドマシン・小道具まで、みんな本物で。僕なんかプライベートで遊びに行ってても、見つかるとショーに引っ張り出されるのが定番になってました。事前の打ち合わせとか全く無しでショーに放り込まれる(笑)だから、その後は人が寄ってきちゃって遊べないんですよ」
聞き手;
「ロケでも人が大勢集まったんじゃないですか?」
神谷氏;
「当時のテレビの力っていうのは、凄いですよね。見物に来る人も多くて、どうかするとロケバスから出られないくらい大変で。トレーラーにサイドマシン、サイドカー、後半は白いカラスも積んでロケバスが何台も来たら、やっぱり目立つでしょう。
伴さんもいますし、スタントマンの方達もスーツを着て出番待ちをしてるわけですから、どうやったって目立ちますよ(笑)それ目がけて、自転車でみんな追っかけてきますから、大変でしたね」
(つづく)
★★★★★★★★★★★★
現在、神谷まさひろ氏は50代。ステージショーの演出に目覚めて、若手俳優たち共に新たなステージパフォーマンスを生み出そうと尽力されているそうだ。演じる側から、演出する側へ移ってのご活躍。
子役ながら演じたことの経験を活かして、若いパフォーマーたちに表現の仕方や演出が、よく伝わるような教え方が出来るのではないだろうか。当時、ハンペンが教えてくれたように・・・。
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所属の劇団から示された3本のうちのどれかを次の仕事として選ぶように言われて、さんざん迷った挙句に選んだのが『キカイダー』だったという。
では、インタビューをどうぞ。
聞き手;
「光明寺マサル役について、どのような印象を持たれましたか?」
神谷氏;
「特に先入観とか無くて。何も分からないですから、監督のおっしゃるとおりに演ってました。第一話の監督が北村さんという鬼監督で、容赦ないですし、現在なら役者に演らせ無いようなことも平気で演らせる。でなければ吊り橋に子供をつるさないですよ、普通。
事前には『ちゃんと人形でやるから』って言ってて、現場に行ったら本当に吊るされて。母親なんか、顔面蒼白でしたよ(笑)しかも装備というのも、みんなが着けていたベルトを寄せ集めて、体中に巻き付けて吊るしてたんです」
聞き手;
「なかなか無茶な撮影でしたね」
神谷氏;
「まぁ、そう演るもんだと思ってたからやってましたけど。サイドカーも、地面のほんの少し上に薄い板があるだけですから。シートベルトもないし、結構怖かったですよ。で、子供でしょう?
普通に座ると姿が見えなくなっちゃうんで、台を乗せてその上に座らされて。ちょこんと座ってるだけですから、いつ放り出されてもおかしくないですもんねぇ」
聞き手;
「共演者の方で、強く印象に残ってる方は?」
神谷氏;
「みんな印象に残ってますが、常にいっしょにいましたから、水の江じゅんさんが印象に強いですね。確か、『大鉄人17(77年)』の第一回の放送が終わった直後に、うちに電話がかかってきて『見たよ~』って。
それで何年かぶりに会話しました。その後は、現場で会うことはありませんでしたからね。年賀状のやり取りは、してましたけど」
聞き手;
「伴大介さんは、どうですか?」
神谷氏;
「一年間ご一緒してましたから、一緒にいて当たり前というような感覚でしたね。撮影が終わってから、『ああ、もう終わってしまったんだ』という淋しさのほうが大きく感じましたね」
聞き手;
「うえだ峻さん(服部半平役)は、いかがですか?」
神谷氏;
「それはもう、印象深いですよ。うえださんのベストキャラクターのひとつですよね、ハンペンは。子供番組に出てくるああいった三名目キャラの定番を作りましたよね。飛び出さず、でも作品には欠かせない存在。
それまでは『仮面ライダー』の滝和也のような、主人公のサポートをきっちり果たすようなキャラクターがほとんどでしたから。そう、マサルが毒にやられて気が触れてしまうという話(第17話)があって。
僕はどうしても、その毒で気が触れるというのが出来なくて、どうしていいのか分からなかった。無気力に笑うというのが、分からなかった。窓を見て突然笑い出すという難しい芝居ですからね。
それにプラスアルファを求められて、困ってしまって。そこで『マー坊、これはね・・・』って言って、横で手取り足取りワンカットずつ演って見せてくれたのがうえださんで、それが一番印象に残っています」
聞き手;
「あの見事な演技は、うえださん譲りだったんですね?」
神谷氏;
「そうです。だから僕の中では第17話が、ストーリー以外では一番印象深いです。そこでハンペン=うえださんへの信頼関係が出来た気がしますね」
聞き手;
「それでマサルとハンペンのやり取りが、絶妙になっていったんですね」
神谷氏;
「内面的にはすごくありましたね。今でも感謝しています。何しろ地方ロケが多い番組でしたから、共演者の方やスタッフの方とも、必要以上に仲良くなってしまいましたね」
聞き手;
「地方ロケ、多いですよね?」
神谷氏;
「多かったですよ~。こっち(東京)で撮ってるときは日が沈んだら撮影は終わりますけど、むこう(ロケ)に行くと『暗くなってきたからホテルの中で』とか、撮影が夜まで続きますからね、キリがない。で、オフの時はサイン会とかショーとか、営業で出ることになっちゃう(苦笑)」
聞き手;
「そういったイベントは、東京ではどうなっていたんですか?」
神谷氏;
「確か、豊島園にはよく本隊が出演してましたね。出演者からサイドマシン・小道具まで、みんな本物で。僕なんかプライベートで遊びに行ってても、見つかるとショーに引っ張り出されるのが定番になってました。事前の打ち合わせとか全く無しでショーに放り込まれる(笑)だから、その後は人が寄ってきちゃって遊べないんですよ」
聞き手;
「ロケでも人が大勢集まったんじゃないですか?」
神谷氏;
「当時のテレビの力っていうのは、凄いですよね。見物に来る人も多くて、どうかするとロケバスから出られないくらい大変で。トレーラーにサイドマシン、サイドカー、後半は白いカラスも積んでロケバスが何台も来たら、やっぱり目立つでしょう。
伴さんもいますし、スタントマンの方達もスーツを着て出番待ちをしてるわけですから、どうやったって目立ちますよ(笑)それ目がけて、自転車でみんな追っかけてきますから、大変でしたね」
(つづく)
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現在、神谷まさひろ氏は50代。ステージショーの演出に目覚めて、若手俳優たち共に新たなステージパフォーマンスを生み出そうと尽力されているそうだ。演じる側から、演出する側へ移ってのご活躍。
子役ながら演じたことの経験を活かして、若いパフォーマーたちに表現の仕方や演出が、よく伝わるような教え方が出来るのではないだろうか。当時、ハンペンが教えてくれたように・・・。
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