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訃報 中野昭慶氏 亡くなる [訃報]

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1973年公開の映画「日本沈没」や、映画「ゴジラ」シリーズなどの特撮を担当した特技監督の中野昭慶(なかの・てるよし)氏が2022年6月27日、敗血症のためお亡くなりになりました。享年86

旧満州(現中国東北部)生まれの中野昭慶氏は、終戦後の1946年に日本に引き揚げ、1959年に東宝に入社されました。助監督志望で東宝に入社しましたが、いきなり「円谷組へ行け」と命じられての特撮現場入りだったそうです。円谷英二監督の下で特撮技術を学んだ中野氏は、1969年「クレージーの大爆発」で特殊技術監督としてデビューします。その後、1973年に小松左京さんのSF小説を実写化した「日本沈没」や1974年の「ゴジラ対メカゴジラ」などの映画で特技監督を務めました。特技監督(特殊技術)として中野昭慶氏が携わったゴジラ作品は以下のとおり。

71年:ゴジラ対ヘドラ(特殊技術として初めてクレジットされる)
72年:ゴジラ対ガイガン(特殊技術)
73年:ゴジラ対メガロ(特殊技術)
74年:ゴジラ対メカゴジラ(特技監督)
75年:メカゴジラの逆襲(特技監督)
84年:ゴジラ(特技監督)

(面白エピソード)
入社試験の面接で、プロデューサーの藤本真澄さんから「キミはゴジラのことをどう思う?」と聞かれた中野氏は、ゴジラのことは何も知らなかったので素直に「ゴジラって何のことですか?」と答え、「キミはゴジラも知らないのにここに来たのか!」と言われてしまったそうです。中野氏は当時文学青年だったため、黒澤明監督は知っていたけれども、ゴジラのことは本当に知らなかったとのことです。

(面白エピソード)
当時危険のつきまとう特撮の現場は社内でも敬遠された部署だったらしく、入社した頃の中野氏も特撮には全然興味が無かったそうです。けれども、『妖星ゴラス』(1962年)で円谷英二特技監督からの指名を受け、中野氏は仕事をします。その時の仕事振りが良かったのか、続く『キングコング対ゴジラ』(1962年)でも円谷監督からのお声がまたかかったそうです。すでに次の映画のローテーションが決まっていた中野氏は「えっ、そんなバカな!」と思ったそうですが、「どうせ特撮映画を担当するのなら映画のメカニズムを可能な限り習得して、将来のために勉強してやろう」と中野氏は思い直したということです。

偉大な仕事の功績を残した先輩方には、面白いエピソードが多々あるものです。下積み時代に身に着けたノウハウが、やがて大きな仕事へとつながっていくのですね。


謹んで、ご冥福をお祈りいたします(合掌)



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