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帰ってきたウルトラマン(49) ~円谷スタッフが語る「新マン」秘話8 [帰ってきたウルトラマンこぼれ話2]

プロデューサー、監督、カメラマンらが語る、『帰ってきたウルトラマン』の秘話が続出。いろいろなこぼれ話も多数あり!

第8回も前回に引き続き、上原正三氏です。

(前回からの続き)
視聴率的には、第一期の作品と比較されて辛かったですね。あの頃は円谷が作れば何でも行けるといった状況の中で、『マイティジャック』(1968年)が思わぬ苦戦を強いられまして。円谷神話が崩壊したという状況で、この作品も苦戦するだろうなということは、当初から分っていました。

強化案が出た頃は、何かジダバタしていた様な気がします。それと次のシリーズへつなげるべく、頑張らなきゃという決意やヤル気満々ですよというのをスポンサーに見せるのにね。この1作で終わらせたら、我々の負けということですからね。

思い出のエピソードといえば、「怪獣使いと少年」ですか。これはいい意味でも悪い意味でも、ずうっと引きずって来ましたね。僕自身は、生々しく表現するというのは、基本的には下手だと思うんですよ。それとやっぱり、子供に見せるんだから、オブラートに包んだ方がね。

そんなボクの書いた脚本を、東條(昭平)監督がさらに露骨というか生々しくやっちゃったから、局の方からは、『マズいよこれは。どうしてくれるんだ』みたいなことを言われてね。現在では、よくぞやってくれたと言う人はたくさんいますし、『帰ってきたウルトラマン』はこの作品さえあればいいという極端な人もいますよね。

僕は、観る年代層によって、同じ作品がどんどん自分なりに変化して深くなっていく、ということのほうがベターだと思っているんですよ。それがいきなりもろ肌脱いだ話だから、当時は「やったー」っていう気はしなかったですね。

『帰ってきたウルトラマン』に関わったことは、なによりボクにとって一番思い出強いものですね。第一期のシリーズでは、金城の影という存在で書かせてもらったという感じでした。

昭和44(1969)年に金城哲夫が沖縄に帰るんですが、金城のいない円谷プロには執着がなく、彼が帰るのとほとんど同時に円谷を辞めてしまいます。企画の話を聞いたのはその翌年で、円谷一さんから『もう一度ウルトラで、円谷プロを復活させたいんだ』と連絡をいただいたんです。

この作品では僕自身がれっきとしたメインライターなのだから踏ん張らなきゃという気持ちがあったし、私生活でも結婚直後で生活がかかっていましたから、とにかく無我夢中で一生懸命作りました。それが良かったか悪かったかは別として、ウルトラマンというひとつの歴史をそれなりに刻んだという、ポイントっていうか節目にはなったんじゃないでしょうか。(おわり)


★★★★★★★★★★★★
円谷プロを退いたあとの金城氏と上原氏は、正反対の人生を生きていくこととなった。金城氏は自分の才能を沖縄へ帰っても活かすことができず、不幸な最期をとげてしまい、上原氏は子供番組だけを書く脚本家として、昭和を代表すると言ってもいい脚本家になって行く。

上原氏が子供番組に執着したのは、どうしてだろう。第1期円谷作品の中の金城作品は生き生きとしている。同じ土俵の上で、それ以上のものを書き上げて金城氏を超えてみたいという気持ちが、上原氏をそうさせたのだろうか。



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