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実相寺監督とヨコハマの町1 [実相寺監督が語るウルトラ3]

浜という町は不思議な魅力にあふれている。日本の大都会の中では、札幌などと並んであまり古い歴史に縁が無いようだが、ちがう魅力にみちあふれている。残念なことにウルトラのシリーズでは、私は意外に横浜での撮影をしていない。他のテレビや映画では、けっこうかよっているのだけれど。

すぐ記憶に浮かぶのは、横浜でも海岸とは縁のない、新しく開けた青葉区のたまプラ―ザである。田園都市線の、当時ピカピカに新しかった町だ。どの作品でロケをしたのかといえば、『ウルトラセブン』の「第四惑星の悪夢」である。漂着した隊員が、地球とは似て非なりということを悟るシーンである。

団地の上に月が四つ出ている情景を、ここで撮影したのである。もちろん、たまプラーザに月が四つ出るわけはない。美しが丘のたまプラーザ団地の情景に合成をしたものだ。美しが丘公園の方から団地を望んで、撮影をした。どうしてこの地区を選んだのかは、よく覚えていない。

ロケ先をまとめる意味でそこにした、というのが正解のようである。あるいは、当時住んでいた百合ヶ丘から近かったからかもしれない。ロケーションの場所移動というのは、製作をして行くうえではかなり肝心なことで、ロケ場所があちらこちらに飛んでいては、能率も悪いし無駄も多い。お分かりいただけるだろう。

時間やスケジュールに余裕があれば、監督としては、それぞれのシーンに合わせてロケ場所を変えたいものなのだが、テレビでの週一回の連続ものなどの場合、そうわがままを言っていられなくなる。実際のロケに要する時間をなるだけ稼ぐために、ロケ場所を一定の地域にまとめていくのだ。

そして、その場所のやりくりというのが、制作部や助監督の腕のみせどころともなる。なぜあそこでロケをしたんだろう?と振り返ってみて、頭をひねるような場所で撮影をしていたことも、結構あるものだ。

おそらく、たまプラーザの場合は、同じ話のラストシーンの背景と、近い所でまとめる意味があったのだろう。その回のラストは、東名高速をバックにして、地球へ戻ってきたダンとソガが、童心に帰って下駄を蹴り上げ、明日の天気を占うというものだった。

このラストシーンを、たまプラーザと鷺沼の間にある東名高速をまたぐ陸橋の上でやったものだから、団地も近くで済ませたということである。このシーンの背景になっている東名高速の交通量を見ていただきたい。“隔世の感(*)“という言葉が実感できると思う。それほどに、夕方近い時間帯でも交通量は少なかったのである。
*かくせいのかん ;変化・進歩が急で、時代が甚だしく移り変わったという感じ、の意

横浜というと、港の見える丘公園や山下公園、大桟橋と、絵になる場所に事欠かないのだが、円谷時代にそういう場所でロケをしたのは、外人墓地だけである。『怪奇大作戦』の「死神の子守唄」のラストシーンを撮影した。

外人墓地での完全な夜間ロケで、しかも傾斜地を選んだので足場が悪く、照明部なんかライトをセットする足場を組むだけでひと苦労だった。死者の眠る場所だから、無遠慮に足場を作るわけにもいかない。墓地のロケというのは、気を遣うものである。

そのロケでひどく手間取った原因は、移動車にある。墓地の傾斜地に、長い移動を使ったのだ。それをきちんと敷設するのが大変だった。傾斜していても、下が舗装してあったり平らであればさほど問題は無いのだが、墓地の傾斜地は凹凸で至る所に落差があり、移動車をスムースに動かすために、その水平を保ち、一定の傾斜でレールを敷くのが大変だったのだ。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
『第四惑星の悪夢』の話は、行き過ぎた科学の進歩は、かえって人間に害を与えるという、警鐘を鳴らしている話であると、筆者は理解している。確かに科学の進歩・発達によって、人間は豊かな生活を享受してきた。だが、実はとても大事なものを失ってしまったのではないか、とも思う。それが働かなくなってしまったために、相手の気持ちが分らない人が増えてしまったのではないか。それが働かなくなってしまったために、自分のことしか考えない人が増えてしまったのではないか。“それ“とは・・・



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