SSブログ

帰ってきたウルトラマン(36) ~円谷スタッフが語る「新マン」秘話2 [帰ってきたウルトラマンこぼれ話2]

プロデューサー、監督、カメラマンらが語る、『帰ってきたウルトラマン』の秘話が続出。いろいろなこぼれ話も、多数あり!
第2回は、ご存じ高野宏一氏。この大御所は2008年11月に鬼籍に入ってしまい、本当に残念の一言。新マンのスタッフのひとりとして、当時の現場について語ってもらおう。では、どうぞ。

★★★★★★★★★★★★
『帰ってきたウルトラマン』については、ボクはあまりにもたくさん本数やっているんで、1本1本については、正直あまり細かいことまでは印象に無いんです。でも一回目の本編監督が本多猪四朗さんだったことは覚えていますよ。なんせオヤジ(円谷英二)と組んでやっていた監督さんだからね。あれは、スタジオは東宝でした。第一回、それも久々のウルトラマンだったから、気合いが入ってたんでしょうね。

特撮のコンテも、最初のうちはちゃんと絵で描いていましたよ。あとはもう初代ウルトラマンからの経験があるから慣れたもので、字コンテにしちゃってましたけどね。そのコンテも、きくちちゃんと「次のはどういう武器にしようか」なんて、相談してやってたのを覚えています。トランポリンとか新しいこともやってみたけど、きくちちゃんもずいぶん頑張ってくれましたね。

でもさすがに、ウルトラマンのスーツきたまま空中でカッコよく回転するなんていうのは無理だったんで、あそこだけは日体大の連中に代わりにやってもらった部分もある。特撮班も最初は時間があったんで、1班体制でしたね。最初は佐川がカメラマンをやっていたんじゃないかな。殺陣の指示は、怪獣が出現してウルトラマンと戦う前に、どの辺に強さを持たせようかと考えながら出してました。

ユニークな怪獣もたくさん出たけど、ツインテールなんかは相談して、前後ろ逆に入ってもらいました。デザインやってた池谷なんかもね、ノッててね。これは結構おもしろかったです。ウルトラマンの帰るシーンで、ジャンプするときに使うイントレは、初代の頃からの伝統だけど、たしか飯島敏宏さんが考えたんじゃなかったかなと思います。

イントレを使うことになった最初のわけは、初代ウルトラマンに入った古谷がスーツ着たままではうまく飛び上がれなかったんで、みんなで持ち上げることになったんですよ。僕らが円谷プロで仕事するとき、「特殊技術」という肩書きになっているのは、円谷英二さんに敬意を表してなんです。東宝での英二さんが「特技監督」という肩書きでお仕事されていたので、恐れ多くて、とても同じ肩書きは名乗れないというものですよね。(おわり)


◎円谷プロで働く社員の方の新マンの思い出を載せてみよう◎

好きな作品は、「怪獣チャンネル」。怪獣映画(テレビ、劇場)界において、段々と怪獣が擬人化していく中で、本格怪獣を毎回送り出した円谷プロの意地を感じた。円谷プロ出身の特技監督である高野宏一、佐川和夫、大木淳、他によるローテーションで、各監督の演出カラーの違いが楽しめる。中でも、ビーコンの怪しげな描写やプリズ魔の美しさの中の怖さが印象的だった。
(製作部・男33歳)


★★★★★★★★★★★★
高野宏一氏も特撮の第一人者として、ウルトラシリーズを支えた功労者のひとりである。高野氏が若い頃に編み出したいろいろな特撮技術や演出方法などは、すべて今の若いスタッフたちに十二分に教え込んでから、この世を去られたことは間違いないだろう。その一方で、特撮番組が予算と時間と体力をとてもたくさん使うことをよく知り、それを長年支えてきた人だったと思うので、円谷プロが独立系プロとしてやっていけなくなったことを、誰よりも悲しく思っているのではないだろうか。

当ブログの中のウルトラセブンの裏話にも、満田氏などといっしょに、氏が出演していらっしゃるので、是非そちらの方も読んでみてくださいね。



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました