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インドの山奥で修業した男!レインボーマン(1)~キャッツアイ作戦編~ [レインボーマン・ドラマ]

第1話《奇跡の聖者》

原作;川内康範
脚本;伊東恒久
特殊技術;有川貞昌
監督;山田 健

インドと東パキスタンの内戦(印パ戦争)が起こっているさ中、この戦場に立つ一人の日本人青年がいた。このドラマの主人公、通称「下町のクロヒョウ」と呼ばれたヤマトタケシである。

ヤマトタケシには、ある目的があった。ヒマラヤの山奥に棲むという仙人、ダイバダッタに会うことである。ダイバ老人に会うまでは、断じてこんな所で死ぬわけにはいかない。

俊敏な運動能力のおかげで、この戦場で危ない場面を何度となくくぐり抜けてきたのであった。ヤマトタケシは城東高校レスリング部に所属し、この高校の弱小レスリング部をけん引してきた実績があった。

必殺「回転落し」を武器に、数々の大会でトロフィーをこの高校にもたらした功績があった。しかし城東レスリング部のキャプテンは、彼のこの技が高校レベルとしてはあまりにも危険であることを理由に、レスリング部から除名したのだった。

この除名事件をきっかけに高校を中退し、プロに転向したヤマトタケシだったが、自慢の「回転落し」はプロの選手には全く通用しない。

プロの厳しさを教えられた日々を過ごしていたそんなある日、高校の先輩で今はガソリンスタンド経営をしている堀田から、インドの聖者ダイバダッタのことを聞かされる。

ヤマトタケシが今この印パ戦争の戦場の真っただ中にいるのは、このダイバダッタに会うためだ。妹みゆきの不自由な足を治すという大きな目的のために、絶対にダイバ老人に会わなければならなかった。

小さい頃にタケシの不注意で大怪我をさせてしまった妹の足。その足の手術費用を稼ぐために、ダイバダッタに会って彼の秘術を習得し、そしてプロレスラーになることであった。プロレスラーになって貯めたお金で妹みゆきの足を治すのだと、固く心に決めていた。

ある日、その戦場でインド人の母娘に出会う。小さな娘は左足に怪我をしていた。それを見て妹みゆきのことを思い出したヤマトタケシは、その小さな娘の怪我の手当をしてあげる。

しかし、そうしている間にインド人兵士に見つかり、ゲリラと間違われて銃撃されてしまう。絶命するほんの少し前のわずかの時間、ヤマトタケシは空に虹色に輝く光の球を見た。
『俺は、ここで死にたくない・・・』

タケシが見たのは、ダイバダッタその人であった。ダイバ老人はヤマトタケシの屍(しかばね)にささやく。この男がお告げにあった通りの男なら、必ず生き返る。ダイバ老人は呪文を唱えながら、タケシの身体から銃弾を取り出した。
『目覚めるのだ~ ヤマトタケシ~!』

聖者が奇跡を起こした。息を吹き返すヤマトタケシ。目を覚ますとそこには、憧れのダイバダッタがいた。ダイバダッタはスルスルスル・・・と空中へ身体を浮かせたかと思うと、そのまま遠ざかって行く。そしてタケシに優しく言った。
『ついてきなさい~』

弟子になるために、必死にダイバダッタの姿を追ってきたヤマトタケシの目の前に、険しく立ちはだかる断崖があった。その頂上からダイバ老人が叫ぶ。
『わしの弟子になりたいのなら、この断崖を登って来~い!』

弟子になるための最初の関門であるこの断崖を、ヤマトタケシは意を決して登りはじめた。途中足を滑らせて滑落するが、なんとか踏みとどまったヤマトタケシに向かって、ダイバ老人が叫ぶ。
『わしの命はもう先が無い。わしにはお前が必要なのじゃ!』

ヤマトタケシを励ましながら、ダイバダッタの目に映るレインボーマンの雄姿があった。わしの夢じゃ、長い間わしが描き続けてきた夢を、お前が実現してくれるのだ。さぁ、登って来い!タケシ。必死に断崖を登るヤマトタケシ。

ヤマトタケシは知らなかった。自分がダイバダッタと出会うべき運命の男であることを、そして重い十字架を背負って生きなければいけないあしたの姿のことを。今は想像すらできなかった。

必死に断崖にしがみつきながら一歩一歩登ってきたヤマトタケシだったが、つかんだ岩が崩れて谷底へ向かって数百メートル落下してしまう。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
ヤマトタケシの性格をよく表している第一話である。肝っ玉があり、無鉄砲な、勇気があって、平和を愛し、母と妹思いの男。それがヤマトタケシだ。ダイバ老人が150年間生きていてもなることができなかったレインボーマンになることができる、いや、そう運命づけられた男・ヤマトタケシ。

超能力を授かるということと引き替えに「愛の戦士」という重い使命を背負うことになる。ところで筆者がここ数年感じていることだが、人は何かを得ようとするときは、それと引き替えに何かを失うものだ。例えば、時間とお金をいっぺんに得ることはできない。

ある期間働いて時間を犠牲にしなければ、ある一定のお金は貯まらない。その期間、お金を貯めるために時間を犠牲にするか、その「若い時」という時間を自由に使うかは、その人次第だ。時間を犠牲にすることで、得るものもたくさんあろう。

新しい友人ができたり、普段では知りあえないような人物と知り合いになれたりするかもしれない。
何かを得る代わりに何かを犠牲にしているのが、人の生活だと思う。



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