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実相寺監督と続・続ウルトラのステージ [実相寺監督が語るウルトラ2]

ルトラマン』や『ウルトラセブン』のロケ地として世田谷体育館を使ったことを書いたが、理由は簡単、円谷プロから近かったからである。今その付近を歩いても、当時と違って随分周囲が整備されている。マンションも増えたし、道路や公園、野外運動場の整備も比較にならないほどだ。

世田谷体育館から砧緑地へかけても様変わりをしている。世田谷美術館が出来ているし、遊歩道もきちんと整備されている。もはや当時の雰囲気は、円谷プロのシリーズ作品などでまぼろしとして味わうしかない。

世田谷は、円谷プロ以外にも東宝、新東宝(国際放映)などなど、映画の記憶とにおいに満ち溢れていた場所なのだが、ウルトラ散策には、大蔵、砧あたりをお薦めしたい。そして終着地は砧緑地あたりだろう。

幻の『ウルトラセブン』第12話では、怪しい宇宙人の追跡を、そんな牧歌的ともいえる環境で撮ったのである。東名高速の反対側、町名でいえば、岡本あたりも円谷プロではずいぶん撮影をしているし、そこかしこに、ウルトラの痕跡が見つかるはずである。

『ウルトラセブン』の第12話は“遊星より愛をこめて”(*)というタイトルで、残念というかばかばかしい経緯で、現在は欠番になっている。その宇宙人が巣食った場所が岡本だった。ひどく風変わりなモダンな住宅が建っていたのである。そのサイコロのような建物は、残念ながら現存していない。

そのモダン建築から多摩川方向への急坂を下った辺りで『ウルトラマンティガ』の「夢」の回を撮影した。現実で恋に破れた青年が恋人に復讐する夢を結び、夜ごと夢見つつで怪獣を成長させていったアパートは、まさにかつてのモダン建築を仰ぐ坂下にあった。坂上の宇宙人は「まぼろし」となり、坂下のまぼろしは「現実化」したのである。そういう意味で、岡本は忘れられない地域である。

(*)ウルトラセブンにおける、実相寺・佐々木守コンビが作った唯一の作品。脚本家も演出家も関知しないし何も告知されない状態で、この作品は欠番になった。理由は今では広く知られているが、釈然としないことは間違いない。実相寺監督にも言いたいことはあったようだが、円谷プロに迷惑がかかるのを恐れて、沈黙を守っていたという(*)

東名高速の反対側といえば、二子玉川(ふたこたまがわ)を忘れてはいけない。二子玉川園前の高島屋は、駅に直結した大規模小売店舗としては、比較的早くできた方だと思う

。私鉄のターミナルに百貨店が結びついていたのは、関東では、渋谷の東急、浅草の松屋、品川の京浜デパート、池袋の武蔵野デパート、五反田の白木屋くらいだったと思う。関西へ行くと私鉄自体のターミナルが大きく、とても立派なので、目のくらむ思いがしたものだ。梅田の阪急、難波の高島屋、上本町の近鉄とか…。

玉電が二子から別れ、ほぼ西へ、つまり川の上流方向へ走っていたことである。終点の駅名を「砧本村」といっていた。終点は現在の宇奈根公園あたりにあった。「わかもと」なる製薬工場があった手前に、駅はあった。その支線、砧(きぬた)線も、今は記憶の範疇だ。一部は線路跡が遊歩道になっている。

ちょうど高島屋の工事が始まったのが『怪奇大作戦』の頃で、地下深く大胆に掘った工事現場で、「死神の子守唄」の回をロケしている。夜間ロケで、そんなに長いシーンでは無かったが、移動車まで持ち込んだロケをよく許可してくれたものだ。

時代と共に、ロケがしづらくなってきていることも、確かだろう。工事現場などでは、安全確認や基準もあり、何かあれば責任問題にもなろうから、許可もややこしくなるわけだ。

国道246号線沿いの駒沢から用賀にかけては、『ウルトラマン』の頃、よく賑わったドライブインが建ち始めていた。撮影や打ち合わせに、円谷スタッフをよく利用したものだった。しかしその当時に入ったいくつもの店は、ほとんどつぶれるか、様変わりしてしまった。

当時に比べてドライブインも、少なくなっている。過ぎた年月を考えれば当たり前の話なのだが、ウルトラ自体の生命力のおかげで、撮影をしていたのがついこの間のように思え、錯覚に陥ることもしばしばだ。過去への旅は、つらいことも甘美さと同居している。   (おわり)


★★★★★★★★★★★★
幻の12話と言えば、ウルトラファンなら誰もが知っている事件である。簡単に述べると、この回に出てくるスペル星人の姿形が、「原爆被害者を模したようでけしからん」というある団体からのクレームを受け入れて、円谷プロがこの物語自体を封印したということなのだが。
物の見方・考え方は人それぞれだから、意図していなくてもそう見えてしまう、感じてしまうこともあるだろう。物語を作る側には、いわゆる「差別」と取られないよう配慮することが、一層求められることは確かであろう。

1970~80年代に青春を送った筆者にとって、「21世紀」という言葉は「明るい未来」に思えていた。だが実際に21世紀に入ると、戦争のようなことがあちこちで起きて、世知辛い世の中になっている。もっと人を信じることのできる社会・世の中にしなくてはいけないと思う。隣に住んでいる人の顔を見たことがない、そんなことではだめだ。隣同士笑って話が出来るような、風通しのよい関係、それが必要だと思う。「なぜ人を殺してはいけないか?」などと平気でいうような人間がいてはいけない。もっと慈愛の心を持つ人間を増やさなくてはだめだ。このままではメトロン星人ではないが、人間同士が戦い合って自滅していくのは、時間の問題なのかもしれない。すべては、教育の在り方にかかっていると思う。



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