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帰ってきたウルトラマン(24) ~脚本は納得いくまで書き直しを要求しました (橋本洋二氏・TBSプロデューサー) [帰ってきたウルトラマンこぼれ話2]

1968年9月末で『ウルトラセブン』が最終回を迎えると、ウルトラブームはここに終了したと誰もが思った。満田監督は『ウルトラセブン』を監督しながら、『もうこれで次はないな』と思っていた程、世間の怪獣人気は下降していたように見えた。

しかし実際は、種火のようにウルトラブームは燃え続けていた。ウルトラQ、マンやセブンの怪獣ブロマイドが爆発的に売れ続け、「ウルトラ怪獣図鑑」や「怪獣絵本」が次々出版されていたのである。

そんな中ついに1970年秋に、あの『ウルトラファイト』の放送が始まる。月曜から金曜の夕方5時半からの5分番組だった。この番組の成功によって番組製作収入を確保することが出来、この歳の暮れに「ウルトラマン製作再開」にゴーサインが出た。

円谷一(円谷プロ)と橋本洋二(TBS)という生まれが1日違いのふたりがタッグを組み、もう一度ウルトラマンをやるという雰囲気が、自然な感じで生まれていた。それは、時代の流れが製作者たちの背中を押したと言ってもいい。

「特撮怪獣シリーズ 続・ウルトラマン」という企画書が、ここに産声をあげた。この最初の企画書では、初代ウルトラマンが地球に「帰ってきた」設定となっている。要約すると、こうである。


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『ウルトラマンが去った後、平和な日々が続く地球。しかし度重なる核実験から怪獣たちが再び目を覚まし、暴れ出す。科学特捜隊はすでに解散し、自衛隊の攻撃は歯が立たない。逃げ惑う人々。その時救世主ウルトラマンが現れ、怪獣を倒すとどこかへ去っていった。

政府はこの事件をきっかけに、怪獣退治専門チームMATを結成。ヤマムラ隊長以下、バン、ムトウ、キシベ、サワダのメンバーが集まった。MATのメンバー全員がそろう中で、ウルトラマンが登場する。

アルプス山中で起こった事件でバンを救ったのは、元科特隊員ハヤタだった。彼がウルトラマンなのか?バンはハヤタに入隊を勧めるが、断られる。ハヤタは、今は冒険家だ。自由が良いと入隊を断った。助けてくれたお礼にハヤタをマットアローでアフリカまで送り、その帰途、バンは謎の空間に引き込まれてしまう。

そこには光の巨人、ウルトラマンがいた。このままでは地球に留まれないウルトラマンは、バンに身体を貸してほしいと語る。こうしてMAT隊員のバンはフラッシュビームを授けられ、ウルトラマンとして活躍することになった・・・』
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この内容を継承し作品名を「帰ってきたウルトラマン」と改題し(第二案)、さらに大幅に手直ししたものが(第三案)、今の「帰ってきたウルトラマン」のベースとなっていく。
では、橋本洋二氏の話をどうぞ。

★★★★★★★★★★★★

この作品のテーマについては、上原正三と話をして決めました。まず考えたのは、『(初代)ウルトラマン』との差別化と当時のスポ根ブームです。『ウルトラセブン』の放送中からそういう時代になっていたと思うんですが、人間の能力の高まり、鍛えればどこまで出来るのかというムードが漂っていて、

子供番組にも深まりや奥行ができたというか、単なるキャラクターものから、一人の人間を少し掘り下げる傾向がありましたね。

『怪奇大作戦』で環境問題や人間関係の歪みなんかを稚拙ながら取り上げてきたその姿勢を、ウルトラシリーズにも取り入れようと考えていました。なかなか難しいところでしたが、こだわりはありましたね。そういう意味では、上原正三とは『怪奇大作戦』の頃から、割と話が合いましてね。よく理解してくれていて、たいへんやり易かったですね。

脚本に関しては、時には書き直しを、またよく手直しを要求したものです。決定稿が決まれば、後は現場にお任せ。自分の意志とメッセージは、脚本で伝えます。それをスタッフがどう理解し、どんな作品に仕上げるかを待つわけです。

脚本は監督が決まってから書くことが多かったわけですが、あの監督だったらこうしたらいいんじゃないかと、いろいろ考えましたね。すぐれた脚本であれば、ある程度の力量の監督が撮っても、良い出来の作品になるんです。脚本が水準に達していなければ、責任を果たせたとは言えません。

だから僕自身が納得できる脚本を監督に渡すことに、努力しました。監督で特に思い出深いのは、東映出身の冨(冨田義治)チャンで、非常にデリケートな方なので、テレビの演出と通じ合うと思いました。生き生きとした表現力を持つ若手監督を起用することで、これまでの作品とは違った息づかいのものができないか、という狙いもありました。

前後編の作品をすべて彼に託したのは、30分の作品では人間の血の通いや共感性を描くことを得意とする彼の持ち味が生きないと思ったからです。

『怪獣使いと少年』は絵作りの問題で撮り直しを考えていたので、よく覚えている作品です。ウエショウ(上原正三のニックネーム)が考えていたものと、それに対する僕の理解の間に少し差があったんです。

ウエショウは東條(昭平監督)とよくディスカッションした上で作っているので、彼らの考えは非常に近いものがあったと思います。彼にしてみれば、会心の作と思っているかもしれませんね。僕としては違うイメージを勝手に作っていて、あんなにシリアスにしないで、もう少し気楽に考えていたのです。だから試写を見たときは、非常にビックリしました。

劇中で坂田兄妹を死なせるということを最初に言い出したのは、確かウエショウだったと記憶しています。ふたりにはかわいそうなことをしたけど、一つのエポック(*)になることは間違いなかったし、割とドラマチックな感じになったので、良かったと思います。まぁ現場では、それはマズいんじゃないかという意見があったかもしれませんが。
(*)画期的なこと

ウルトラブレスレットのアイデアは、作品の強化案の話し合いの中で、小学館の人が出してくれました。でも最初は、苦心の末に怪獣に打ち勝つという、本来のテーマから外れるものなので考えました。

ただ、変身のパターンが分からない、ウルトラマンが弱すぎるという意見があったので、結局採用することにしました。ビジュアル上で光学処理が出来るので、中野(稔)や熊ちゃん(熊谷健)なんかは乗り気でしたね。

まぁ僕としても、この作品を作ったことは非常に意義のあったものだと思っています。この後4年間続くウルトラシリーズの基礎を築いたという意味でも、良かったと思いますよ。
(おわり)


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