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キカイダー、キカイダー01を企画した男 ~少女からの反応というのが意外にありまして [キカイダー対談・1]

『人造人間キカイダー』『キカイダー01』の企画・プロデュースをした、テレビ朝日(当時NET)のプロデューサー・宮崎慎一氏の話を紹介する。東映京都撮影所に入社されて、制作助手として勤務。その後NETへ出向して局のプロデューサーとなる。

数々のヒット番組を手がけた敏腕プロデューサーである。『狼少年ケン(63年)』『ジャイアントロボ(67年)』『河童の三平妖怪大作戦(68年)『ミクロイドS(73年)』『バビル二世(73年)』『アクマイザー3(75年)』など。大人向けテレビドラマでは、『鬼平犯科帳』や『遠山の金さん捕物帳』など。代表作を挙げたら枚挙に暇がない。
ではどうぞ。

聞き手;
「石ノ森先生との出会いから伺います」

宮崎氏;
「とにかく絵が上手いなと思いましたね。こちらからお願いしたものにプラスアルファを加えて創ってくれることに、いつも驚かされました。

この注文は普通に考えれば仕上げてくれる人はいないだろう、でも石ノ森先生なら一週間位悩めば応えてくれそうだと思ってお願いしたら、翌日に『出来たから、取りに来て』という電話を貰った時には、本当に驚きました。

先生と初めてお会いしたのは、東映動画(現・東映アニメーション)で制作した『サイボーグ009』の最初のテレビシリーズじゃなかったかな。その後が『人造人間キカイダー』です。

『仮面ライダー(71年)』から『秘密戦隊ゴレンジャー(75年)』までのヒーローものの流れの中で、少し変えてみようと思ったのが、『キカイダー』だったんです。手塚治虫先生の『鉄腕アトム』が、明るく伸び伸びとしている。

『キカイダー』は、人間でもあり機械でもあるし、人間でもない機械でもないという。そういう何か疎外された者のような感じが、作品の中に出てくるといいなぁと思いました。石ノ森先生もその辺の所をある意味不気味に、機械が透けて見えるものを描いて下さいましたから。

で、平山さん(元東映プロデューサー)が、フランケンシュタインのイメージだと思いついたんですよ。フランケンシュタイン的な、人間でなく化け物でもない、それでカッコいいものだったらスポンサーもつくんじゃないかと」

聞き手;
「番組タイトルで、ご苦労されたと聞いておりますが」

宮崎氏;
「そうなんです。平山さんが70くらいタイトルを考えてきたんだけども、全部蹴飛ばされて。最後にやけくそになって、最初に出した案で『奇怪』をカタカナに置き換えて、『キカイダー』として出したら、その案が通ったという、いい加減な話でね(笑)。

石ノ森先生が天才なんです。世間よりも考えが、1年半から2年先に行ってるんです。『あ、これはやれそうだ』と思ったものよりも、企画が一度流れて1年半から2年して浮上したものの方が当たるんですよ。

『石ノ森先生、先生の発想は2年ぐらい先駆けてるんですよ』って言ったら、『そうかな、じゃあ、あんまりスポンサーに売り込まないで、しばらくしまっておいてよ』なんて言われましたね(笑)。『仮面ライダー』もそうでしょう?

放送スタートから1年くらい経ってから、人気が爆発してる。あれも平山(亨)さんが、一所懸命切り拓いていったんですよ」

聞き手;
「裏番組に『8時だよ!全員集合』という強敵がいたわけですが、そのあたりについて」

宮崎氏;
「『キカイダー』の時も、『デビルマン』とカップリングするような形で、『全員集合』にぶつかってますね。僕はね、何故かみんながお手上げでやらないという枠を任されてしまう所がよくあったんですよ(苦笑)。

それでも善戦してこられたのは、特撮番組は平山さんの力がありましたし、アニメーションは横山賢二、高畑順三郎ら、東映動画の優秀なスタッフの力がありましたから、そのお蔭でしたね」

聞き手;
「その8時台に子供番組の枠を、と考えらえたきっかけは?」

宮崎氏;
「テレビ朝日は、昔はゴールデンタイムが弱かったんです。夜9時台で放送した『奥様は魔女(66年)』が当たってリサーチしたら、子供も観てるんですね。夜9時台で子供が観てるなら、8時台でも行けるんじゃないかなと。それで試みたのが『魔法使いサリー』だったわけです。その流れがあって、『キカイダー』があったんです」

聞き手;
「それでも純粋な子供番組を持ってくるのは、冒険だったのでは?」

宮崎氏;
「はっきり言ってしまうと、何をやっても他局に負けてしまうんで、ダメで元々だという部分もあったんです。だからいろいろやれたし、逆にやり易かった。ちゃんと見通しがあって、算段を持って勝負したわけでは無いんですよ(苦笑)」

聞き手;
「そのせいか、『キカイダー』や『キューティハニー』などは少し高い年齢層向けに作品が創られていたように思いますが」

宮崎氏;
「そうですね。それと子供雑誌の編集者さんから言われたことなんですが、『子供だと思って、編集するな。大人のつもりで創れ!』と。相手が大人のつもりで創らなければダメなんだと。

ホントはもっと大人向きに(高い年齢をみて)創っても良かったかなと今になって思うんです。でもあれがその当時の我々の限界だったと思いますね」

聞き手;
「そこにハカイダーというアンチヒーローの登場もあったわけですが」

宮崎氏;
「ハカイダーが受け入れられたのは、やっぱり子供を馬鹿にしてはいけないということなんでしょうね。ああいったキャラクターを出せたのは、スポンサー側の態勢もあったんです。ひととおり人形(商品)が売れてしまうと、スポンサー側は次のキャラクターを欲してくる。

じゃあ、こうしましょうと新しいキャラクターを出す。こちらにとってはあまりうれしくない時もあるんですが、ある意味では次への可能性につながっていくんです」

聞き手;
「『キカイダー』の視聴者からの反応はいかがだったのでしょうか?

宮崎氏;
「賛否両論でした。ああいう、一種グロテスクなデザインだったわけですから。ただ少年だけでなく少女からの反応というのが意外にありまして。視聴者の幅が拡がってきているんだなと思いました。

こういったヒーローものに女の子の視聴者がいるんだということが分って来まして、後年やった『秘密戦隊ゴレンジャー』で女の子もメンバーに加えようということになって、モモレンジャーが出来たんです」


★★★★★★★★★★★★
宮崎プロデューサーと故・平山亨氏とは東映時代の同期生で、同じ寮で飯を食った仲だそうだ。その後、平山氏は東映テレビ部のプロデューサーになり、宮崎氏は移籍してテレビ朝日のプロデューサーにと道は別れてもお互いをよく知っているので、宮崎氏に言わせると、『ツーと言わなくてもカー』なのだそうだ。



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