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ウルトラマン ~初代ウルトラマンを演じた男VS演出した男 [ウルトラマンこぼれ話2]

あの日バスの中で、ウルトラマンのことを楽しく話す少年たちを目撃しなかったら、みんなが知っている前かがみの姿勢から光線技を出すウルトラマンは、いなかったに違いない。最終回でゼットンにスペシウム光線を吸収されてハッとする表情を見せるウルトラマンは、いなかったに違いない。

東宝の俳優でデビュー4年目に手にした主役級の仕事ではあったが、何度も『辞めます』と言い出しかけてはとどまった、それほど着ぐるみに入る仕事は過酷であったという。俳優なのに、顔も声も知られることが無いスーツアクターという仕事。それが、やがて報われる日がやってくる。

ウルトラ警備隊隊員役で俳優として顔が知られるようになり、そして終了後半世紀たった今でも、親から子へ語り継がれていくヒーローとなったウルトラマン。もはやウルトラマンと古谷敏は、切っても切れない間柄となった。そんな古谷敏氏へインタビュー。演出した飯島敏宏監督との対談で、お送りします。


★★★★★★★★★★★★
古谷氏;
「ウルトラマンやったときは、苦労しましたですね(笑)」

飯島監督;
「それは、ぼくよりあなたでしょう(笑)」

古谷氏;
「僕自身スタントマンやったこと無いし、殺陣もやったこと無いし、何にも出来なかったんで、監督苦労されたと思うんですよね」

飯島監督;
「ぼくはウルトラマンという番組を背負いこんで、一体どんなものが出来るんだろうって、ものすごく不安でした、実を言うとね(笑)」

古谷氏;
「台本貰って見ても、ウルトラマンの(アクションについての)所は何も書いてないんで、どうすりゃいいんだろうって思ったことあったんですけど(笑)。監督の方はどうでした?」

飯島監督;
「正直言うと、『ああ、俺もずいぶん人気番組撮ってきたけど、これでダメだな』と思ったもん(笑)。あなたはあなたで不安だっただろうけど、こちらも不安だった(笑)」

古谷氏;
「(ウルトラマン)スーツを作ったゴム、あれが厳しかったですね。(全身を)締めつけられてるっていう状況があって、手袋をして、靴をはいて。息のできる場所が無くって、それが苦労しましたね」

飯島監督;
「カラーテストも含めていろんなテストをやって、(スーツを)一回脱いだでしょう。その時あなたの方を見たら、(ブーツの中に)ビッショリ水が入っているんだよね。あれが汗だって聞いて、中に入っている彼はたいへんな思いしてるんだなって思ったら、胸が詰まりましたよ。目が合っても目を合わせられなかったもの」

古谷氏;
「人間って汗がこんなに出るもんかなって、あの時初めて感じましたね」

飯島監督;
「ウルトラマンが実際に動き出してくると、脚本の上ではイメージがどんどん出てくるんだけど、じゃあ、具体的にスペシウム光線はどう出すのって話になると、光線を出すポーズを考える担当がいなかったんですよ(笑)。

こうじゃないし、そうでもないしって考えてるうちに、あの有名な形に決まってくるんだけど。(水平に出す)左手が防御で、(垂直に出す)右手が攻撃であるなんて、その場ではそこまで考える余裕なんてとても無かった(笑)。まず光線は手の面から出す。

だから(右手を立てて)こうするけど、その時に右手を支えるには、手首を持つわけにはいかないから、左手をクロスするようになっていったというわけでね。あのポーズ、苦労があったんでしょ?」

古谷氏;
「はい。撮影が済んだあと、自宅に帰って三面鏡の前でスペシウム光線のポーズを自分のものにするために毎日何百回と練習して、だんだん構えが固まってきて」

飯島監督;
「ぼくはウルトラマンがファイティングポーズ(ボクシングの構え)を取るのだけは嫌だったんで、あのクラウチングスタイルっていうのかな、ちょっと前かがみなポーズは、誰かイメージする人がいたんでしょう?」

古谷氏;
「あの形は、ボクの大好きなアメリカの俳優ジェームズ・ディーンのポーズを何とかできないかなって思って。頭の中に最初からそれはあったんです(笑)」


《ウルトラマンを辞めようと思った日に・・・》
古谷氏;
「これ以上監督の要求にも応えられないし、身体も傷だらけだし、熱があっても休めないし、『これ以上はもう無理ですよ』っていう葛藤がいつもあって。もう辞めようって心に決めて朝家を出て、渋谷からバスに乗っていたら、あるバス停で乗ってきた少年たち4人が、楽しそうにウルトラマンの話をしているんです。

その話をうしろで聞いていて、少年たちがウルトラマンを自分たちのヒーローとして扱ってるんです。この子たちのために辞めちゃいけない、ぼくがこれからもウルトラマンをやろうっていう使命感が、そこで生まれたんです。だからその子供たちがバスに乗ってこなかったら、ぼくのウルトラマンは無かったんです」



★★★★★★★★★★★★
《若いうちの苦労は買ってでもしろ》という言葉があるが、古谷敏氏の人生はそれを地で行く展開をみせている。苦労した結果、ウルトラマンという大きなボーナスが人生に付いてきたわけである。人生には転機が必ずある。
それを見逃さないことが、良い人生を送るコツなのだろうが、古谷敏氏の場合は、その転機がバスに乗ってきたのを見逃さなかったということだろう。真面目に生きていれば、人生は良い方向へ転がるものである。


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