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群雄割拠の怪獣ブーム ~形態学的怪獣論41 [怪獣論・怪獣学F]

ゴジラに始まる本格的な「怪獣」は、ウルトラシリーズの登場と、これに伴う爆発的な怪獣ブームによって、一気に市民権を得た。特に成田亨、高山良策という二人に芸術家による作品の数々は、今日に続く膨大な作品群の母胎となった。

一時の低迷期を経て、1970年代の幕開きと共に怪獣ブームは復活し、ゴジラもウルトラも再び第一線に帰ってきたのであった。むろん、ウルトラ以外の作品たちも忘れてはならない。初代マンにはマグマ大使、セブンにはジャイアント・ロボという好敵手がいた。

『マグマ大使』では、大橋史典氏によるアロンという造型上の不滅の最高傑作が生まれ、ツノの形態で個性の際立つドロックスやジキラなどの正統派怪獣を輩出する一方、人間が中に入らないフレニックス、抽象派芸術のようなダコーダなどのユニークな試みもみられた。

『ジャイアント・ロボ』では、ダコラーやライゴンなどの定番怪獣に加え、ガンモス、アイアンパワー、ガンガーなどの「身体パーツ独立型怪獣」や敵役ロボットの決定版GR2などの傑作が生まれた。これらピープロや東映の作品群から生まれた怪獣達は、いずれも端正なウルトラ怪獣とは一線を画する、破天荒なパワーと深い味わいに満ちていた。

第二次怪獣ブームの中核を担った『帰ってきたウルトラマン』は、先行する『スペクトルマン』と競合しながら、いわば本家としての伝統に果敢な挑戦を織り交ぜつつ、幾多の独創を産み続けてきた。

1972年以降、1週間にかなりの数の特撮番組が放送されるという、史上空前の活況を呈するのであった。だがそれは制作者側、特に怪獣を生み出すデザイナーと造形家達にとっては、過酷な試練の時期だった。

週一回のローテーションを死守しながら、同時に平均以上の質を維持し、なお且つ独創性を維持するという命題を完遂することは、いかなる才能を持ってしても不可能に近い。

だが、制作者たちの努力は続けられた。『シルバー仮面』のチグリス星人、キルギス星人など玄人好みの池谷仙克デザイン、『サンダーマスク』のベンバーン、タイヤーマなど大胆かつ斬新な成田マキホデザイン、『突撃ヒューマン』における大御所成田亨デザイン、『流星人間ゾーン』のドロラ、バルガラスなどの高橋昭彦デザインなど。

それぞれの番組のカラーを鮮明に打ち出し、個性豊かな作品世界を作り出していた。《他番組との差別化》も、当時は重要な命題の一つだった。

円谷プロも『新マン』の終盤から平行してスタートした『ミラーマン』によって、ウルトラ以外のヒーローものに進出を開始。圧倒的に端正な『ミラーマン』の美貌と、第一話で夜空から降りてくる半透明の宇宙船の強烈なイメージ、暗い色調とシリアスなドラマ展開は、大人のムードを漂わせる作品となった。

『ジャンボーグA』と共に怪獣デザインを担当した米谷佳晃氏は、両作品を通じて、過去パターンを巧みにアレンジしたり、独自のトサカやエリを付与したり、全身のシルエットを様々に変化させたり、おおよそ考え得る限りの形態的冒険に果敢に挑戦し続けた。

原点回帰を謳った『ファイヤーマン』では、池谷氏によって、実に多様な恐竜デザインが試みられた。いずれも誠実で味わい深いが、原点回帰の番組姿勢が当時必ずしも支持されたとはいえず、短命に終わったのは残念であった。 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
原点回帰を狙った『ファイヤーマン』は、筆者が中学生の頃にやっていた昭和特撮であり、そろそろ怪獣から離れる時期だったのか、それとも単につまらなかったからなのか、あまり記憶にない。特捜隊チームのメンバーがやくざっぽい(失礼!)ゴツイメンバーだった。

主人公の岬は角刈り頭だし、隊長も組長みたいなゴツイ感じの人だった。この頃になると、もうやり尽した感がある怪獣特撮番組なので、円谷プロは「原点回帰」というテーマで、この番組に取り組んだと思うのだが、そもそも何をもって原点回帰と言っているのかが分からない。

「ヒーローがいる」意味なのか、「シナリオをよく練る」という意味なのか。スタッフが、原点に立ち返るという意味をハッキリつかまないままに番組制作が始まったことが、番組失敗につながったのではないだろうか。



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