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レインボーマン(14) ~一所懸命さっていうのは技術を超えるのよ、テクニックより(監督/六鹿英雄氏)その3 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回から続き)
聞き手;
「変身ものというのも、初めてだったんですよね」

六鹿氏;
「そう、『レインボーマン』は変身・・・だから、『ワイルド7』は変身ものの流れの中で、ある意味じゃ新しい企画だったのね。でもあれはね、今観ると、とても子供を対象に撮って無かったね。あんなハードな展開で・・・、今だったらきっと通らないと思う。まぁ良き時代というのかな。

『レインボーマン』なんか、今観てもあの頃の川内先生がさすがだなと思うのは、30年先を見てるんだよね。今の時代に、あの時の話がみんな本当になってるわけでしょう? ニセ札事件とか・・・そういった組織なんかも。だからね、やっぱりそういう先見性っていうのかな、それは凄いなぁと思ったね。

『ワイルド7』も、ああいう秘密結社っていうのは当時は絵空事だったけど、今は実際にあるものね。それは結構恐ろしいなぁ、と。当時は『そんなの本当にあるのかな』ということでやってたけれどもね。だから今見ても、“古い”っていう意識は無いと思う」

聞き手;
「新しい試みがいくつもありましたよね。今のテレビドラマみたいに、どれを見ても代わり映えがしないなんてことがない」

六鹿氏;
「それは確かにあるんですよ。こういう言い方は語弊があるかもしれないけど、今のテレビ番組作り、ドラマ作りってのは作業になってるの、ひとつの流れの。だから手作りじゃないよ。当時はみんな必死になって、テレビは始まったばかりだったから最善の力を尽くして。アナログなんだけれども、みんなね、一生懸命。

それでみんなが集まって、初号なんかを見るわけ、最初の試写。今そういうの、無いでしょう。何か知らないうちに終わっちゃった、という。MA(*)にしろ、何にしろ。
(*)出来上がった映像にナレーションや効果音、音楽を付けたりして、映像がより効果的になるようにする工程を指す

だからみんなでやったというのが稀薄なわけ。この頃はね、小道具さん衣装部さん、それからメーキャップさん、今はスタイリストとか横文字になったけども、そういう大道具さんに装飾部・・・もうすべてのスタッフが創ってる、関わってる。彼らは全部その初号試写を一緒に観てたわけですよ。

で、その度に『あ、俺の小道具はああいう風に使われたのか』『俺が作った装飾装置はこうなったのか』と、彼等なりに確認をするわけ。これは監督が創るものじゃ無くて、僕は仕掛けの一員で、みんなで創るわけ。黒澤(明)さんなんかもそうでしょう? だから当時は“組”なんですよ。そういう熱気っていうのかな、みんなで協力して同じ目的でひとつのものに取り組む。その姿勢が何か伝わったんじゃないかな」 

 (つづく)


★★★★★★★★★★★★
この文章を読んでいるだけで、当時の特撮ドラマを作るスタッフたちの心意気が、十二分に伝わってくる。みんな初めてだから手探りながらも必至だし、仕事に取り組む姿勢だけは誰にも負けないものを持っているという感じがわかる。やりっ放しではなく、自分の仕事がどういう風に映像に関わったのかを知ることは大事なことで、それが明日の仕事につながるのだ。



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