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レインボーマン(11) ~レインボーマンとは違うことをやろうとしたダイヤモンド・アイは、子供には難しかったかもしれないですね(企画・プロデューサー/衛藤公彦氏)その2 [レインボーマンこぼれ話2]

(前回からつづき)
聞き手;
「川内先生が現場にいらしたこともあったんですか?」

衛藤氏;
「ええ、多忙中出来る限り。スタッフとも話されたりしてね。でもね、川内先生が来るとなると現場は大変ですよ。かつて新東宝の『社長シリーズ』や日活の『渡り鳥シリーズ』といった人気シリーズを手掛けられていたこともあって、映画界の人脈も広いでしょう。

だから現場へ行くと、『あっ、先生。その節は大変お世話になりました』というスタッフが次々にやってきて、とても落ち着いてチェックできる状況じゃ無かったですからね(笑)」

聞き手;
「衛藤さんも、当時はこの『レインボーマン』と同時に『ワイルド7』(72年)や『ファイヤーマン』(73年)、『流星人間ゾーン』(73年)を担当されていたわけですよね」

衛藤氏;
「そうです。あの時はものすごく忙しかったですね」

聞き手;
「次の『ダイヤモンド・アイ』も、『レインボーマン』も同じようなやり方で進められたわけですね。こちらはヒーローの変身という要素を排除されたのは、川内先生からの提案ですか?」

衛藤氏;
「そうです。内容的なことはすべて川内先生が決められました」

聞き手;
「以前、川内先生が原作を手がけられた『黄色い手袋X』(66年)という漫画と、いくつか共通の要素が見受けられますが?」

衛藤氏;
「その辺のことは、伊東さんが知っているかもしれませんね」

聞き手;
「そうですか。それは伊東さんにお聞きしてみます。その伊東さんが『レインボーマン』と違うことをやろうとして、『ダイヤモンド・アイ』はやや難しくなりすぎたかもしれない、とおっしゃっていたのですが」

衛藤氏;
「そういう所はあるかもしれませんね。すっきりとした懲悪対象にはなっていない部分もあるでしょう。子供だましには作ってないし、非常にしっかりとした作品になっていると思うんですが、ちょっと子供には難しかったかもしれないですね。

前世魔人をいろいろ出して、僕らも必死にアピールしたつもりですけどね(笑)。だからこの作品も1年間続いていれば、もっと面白い展開ができただろうと思っているんですよ」

聞き手;
「ダイヤモンド・アイや前世魔人はすべて着ぐるみを製作していますが、予算的に『レインボーマン』より増えたということはありますか?」

衛藤氏;
「いいえ、あまり変わっていないと思いますよ。東宝の担当も、野口さんから山本悦夫さんに代わりましたし」

聞き手;
「この次に川内先生と組まれたのが、『まんが日本昔ばなし』ですね」

衛藤氏;
「この作品はテレビ用ではなく、大手企業に協賛してもらい、航空会社の代理店を通じて東南アジアの各政府に寄贈しようという川内先生の考えで、始まったものです。パイロット版として制作した『六地蔵』が良い出来だったので、スタートしました。でも最終的には、川内先生の鶴のひと声で決まったんですけどね。何もかも。

この作品をやることになった時、制作は手塚治虫さんのところが良いと川内先生がおっしゃったので、手塚さんに相談しに行ったんです。若いスタッフでやった方がいいと、手塚さんからその時アドバイスを受けました。それで紹介して頂いたのが、グループタックでした。

タックには音響監督の田代敦巳さんや杉井ギサブローさんがいまして、彼らの若い感性が生かせることに期待しました。『昔ばなし』というのは、結構残酷な描写も多いでしょう。そういう部分を彼らがどう上手く処理するか、ということもひとつのポイントになっていました」

聞き手;
「川内先生もしばらくこうした子供番組から遠ざかられていますが、もう一度作品を創りたいというお気持ちは?」

衛藤氏;
「それはありますよ。川内先生の作詞を読むと、非常に浪漫主義者であるが分かります。川内先生の原作に限らず、そういう作品を創ってみたいですね」 

(おわり)


★★★★★★★★★★★★
このインタビューを録った(2002年)頃なら、衛藤公彦氏も川内康範先生(2008年逝去)もまだお元気でいらしたことと思うが、たいへん残念なことに、おふたりともすでに天界へ召されてしまわれた。

『まんが日本昔ばなし』のような高品質の子供向け番組は、レギュラー放送が一旦終了しても、スペシャル番組や再放送がされており、「幼いころの思い出が詰まった番組、後世に残すべき作品」などの意見が多く、「子供と一緒に見たい、安心して見ていられる番組」として常に人気が高い作品であるという。

こういった作品を手掛けることができたおふたりにとって、作品冥利に尽きるであろう。一つ残念なことがある。この『まんが日本昔ばなし』も制作した萬年社が、すでに倒産していたことが判った。

萬年社は大阪に本社を構えていた日本最古の広告代理店であったが、広告代理店業界の栄枯盛衰は激しく、1999年に109年に渡る長い歴史に幕を下ろしていた。衛藤氏はすでに萬年社を定年退職していたが、萬年社の倒産直後に元萬年社が持つ古い版権を扱うことを主目的にした会社「エム・シー・シー」を立ち上げている。

これにより、旧萬年社の諸作品の散逸は一応防がれたのであった。衛藤氏が他界されたあとは、エム・シー・シー社創立に共に尽力されたY氏が、衛藤氏の意志を継いで頑張っておられるという。

追伸として、ひとつ大きな驚きを見つけた。レインボーマンの主題歌他を作曲した北原じゅん氏は、川内康範先生の甥であります。



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